2018.12.14
師走の取手校地。風が冷たい。実質あと4週間、卒展に向けての制作に取り組んでいる藝大生平井亨季(ひらいこうき)さんへのインタビューに向かいました。入口で迎えてくれた平井さんと「4年部屋」のアトリエのある階まで上がり、インタビューを開始しました。
―先端芸術表現科にはいるまでの道のりを教えてください。
「小さい頃から絵がすきで、マンガを描く人になりたいと思っていました。物語をつくること、アニメーションを描くことも好きでした。幼いころはおしゃべりな子でしたが、中学になると、社交性は薄れていきました。高2のころから美術系に行きたいと思うようになり、地元広島の呉の画塾に通いました。そこで、先端芸術表現科(以下:先端)に入学した先輩のポートフォリオを見つけ、それまでは『人に言えることではない』と思ってきた自分の考えを、作品にしている人がいる!ということを知りました。自分は絵だけ描きたいのではないことに気付かされ、先端には考えていることを表現する場がある、と思いました。」
ー高校生のころ考えていたことって何でしょうか?
「祖父母、母、兄が二人の6人家族だったのですが、小学校を卒業するくらいに祖父が亡くなり、そのころから祖母の認知症が始まったように思います。今まで人格者だったおばあちゃんが、人に理不尽なことを言ったりと、『私』という個人が醜く崩れていくのを中学、高校のときに体験しました。特に亡くなる前の3年間は兄が独立していたので、母と私だけで受け止めなければなりませんでした。確かだと思っていたことや勉強して知識を蓄えたり、約束事を重ねて一人の人間として出来上がっていくことが揺らぎ、醜い形で壊れていってしまうことを考えたのです。この時、もう一度世界を再構築する必要に迫られていたのだと思います。
画塾で先輩に出会ったことで先端を受験したいと思うようになり、高3の夏、東京にいた兄に間借りさせてもらって予備校に通いました。」
―大学に入って一番影響を受けたことは何ですか?
「大学に入ってみると、絵を描く人はすでにデッサンの技術を持っていたし、皆がそれぞれ表現方法をもっていました。私は中学は野球部、高校は山岳部と軽音楽部をやっていて、つくって見せることに慣れてはいませんでしたが、藝大は、制作しながら自分に馴染む表現方法を身につけていくことのできる場だと思います。
また違和感もありました。つくっては捨てていことで何か消費されていくような、短い時間の講評での評価によって既にある価値観に自分が留まってしまっているような、そんな感覚を覚えました。卒業制作もそうですが、私が感じるそうした違和感と折り合いをつけながら、制作をしてきました。」
―作品集をみました。最近は、知らない人や街から感じる謎の郷愁をテーマとしていますね。
「謎の郷愁とは、知らない人とか街に会ったときに、なぜかわからないけどなつかしいと思う感じです。みんながいろんなところに経験として持っているものがあって、それに繋がっていく感覚です。その感覚を探りながら作品をつくっています。」
―ある作品の文章では、「当たり前にある感覚を揺るがしたい」とも書かれていますね。
「世界は形がはっきりとせず、ゆらゆらとしていると考えています。作品を制作するときには、暗黙のうちに固まっているものを思い直したり、当たり前に疑いなくやってしまうと流れてしまうことや、普通の生活の中では捉えきれないものを、スローモーションカメラのようにゆっくり眺めたりしています。ぴったり合わさってつくられた調和した世界と、その後ろに重なって、サラサラと流れるつかみどころのない世界の存在にリアイティを感じます。そのリアリティを表現したいと考えています。」
「この感覚に気づいた経験を話しますね。大学3年生のゴールデンウィークに帰省したときのことです。実家は怪我や病気をしている犬や猫は連れて帰ってもいい家でした。子猫を拾ったとき、電車では連れて帰れないので母に自動車で迎えにきてもらったこともありました。昨年帰省した時、小1から飼っていた4匹のうち1の犬が私を待っていたかのように亡くなりました。でも涙が出ず、なぜ悲しい気持ちにならないのか、庭に埋める前に日だまりに置いて、これでいいのか、楽しかったのだろうか、幸せだったのか、と自問していました。と、そのとき、いつもうちにご飯を食べに来る野良猫がデッキの柵に乗っていつものようにアクビをし、ご飯を食べ、ノビをして、いつものように帰っていくのを見て、はっとしました。死んだものと自分だけでグルグルと回っていた世界が、猫のアクビによって途切れたのを感じました。
私に無関心な世界があることで、私がその世界に救われることに気付かされました。このとき、自分にとっての猫のアクビのような作品を制作したいと思ったのです。」
―作品をつくることは、平井さんにとってどういうことなのでしょう?
「先端のPRIZE展では屋外で制作したのですが、自然と応答し、偶然性を取り込みながら変化していく作品をつくりました。不確定な要素や予期しなかったことが起きたとき、物語を自分の中につくって受け入れていくのは、私が信じている人間の力であり、生活も制作も同じだと感じます。私の世界は、作品をつくる度に更新されていくので、作品をつくることはその時点での定点観測地点をつくっていることなのかもしれません。また展示は、自分が考えていることがどれだけ他者に響くのか、可能性を観測する場所としての定点観測地点なのだと思います。」
―卒業制作について教えてください。
「素材はパネルを貼るとき台にしたり作品を載せる台にしたりする垂木です。作品を補助する裏方の素材なので、他の学生が作品をつくればそれだけ、どんどんゴミ捨場に溜まっていくような素材です。そして、裏方だからこそ自在に形を変えていける素材でもあります。捨てるはずの垂木を生かすことで、輪廻のように記憶をつなげたり、先程の話につなげれば、崩れたものを再構築したり、今まで考えてきたことを表現できるのではないか、と気が付きました。」
「10月の事前審査のときは展示空間に合わせ5m×9mの大きさとしましたが、東京都美術館(以下:都美)で展示することになる卒展では、5m×5m×高さ3mのスペースの中に展示します。少し小さくなりますが、その空間の中に大きさを感じさせないように落とし込みたいと考えています。」
―大きな立体作品による表現ですね。都美での展示楽しみです。
「仏像の立体曼荼羅のようにその人に影響を与える空間をつくりたいと思いました。中を人が通っていけるようになっていて、3次元に体験を足した3.5次元を目指します(笑)。
場所と作品の関係に興味があります。美術館だけではなく、公民館とか図書館、屋外、外光がはいらないスペース、夜など、場所や状況に応じて作品を捉えるようにしています。都美でもそれは同じです。以前につくった『流木をつくること』という作品では、場所によって作品がどのように変化するのか、写真を撮影しました。」
―卒業作品のタイトルを教えてください。
「『島にうめられた本の骨』としました。記憶って断片的なものを極大化したり、穴があいていたりして島のように浮かんでいて、必要なときにそれらをつなげてストーリーをつくっているのでは、と考えています。私が育った瀬戸内の海。そこに浮かぶ島々はそれぞれ別々の記憶を持ち、それらを航路でつないで人間が移動する光景を重ねて作品を制作します。社会の大きなストーリーを語るのではなく、一人ひとりがもつ小さなストーリーや歴史を星座のようにつなげていけたらと考えています。」
―「本」そして「骨」は何を示しているのでしょうか?
「昔の羊皮紙は貴重なものだったので、一度書いた面を削って再利用したそうです。よく見ると削る前の文字が痕跡として残っています。島の多層する物語の痕跡が同時に存在できるモチーフとして本を構想しています。
骨はいまそこにいないものを想像する言葉として使っています。実家の庭には、たくさんの動物たちの骨が群島のように埋まり、見えない彼らを想起させます。垂木で星座のようにそれらをつないだりして世界を構築します。また作品の一部を持ち帰っていただくことで、作品の世界を広げられないかと考えています。」
「モチーフに限らず、すべての物事を等価に扱いたいという気持ちがあります。みんながいろんなところで経験した世界があり、普段は気づかないけどそこには様々な相似形があるに違いないと思います。何かを失った時の悲しさも同じです。それらは優劣がなく対等等価に存在しています。その一つを作品で描写したいと考えています。作品が要請してくるものを僕がつくる、という感覚があるので、作品と私も対等の世界、等価の世界にいるのだと思います。」
―お話を伺っていると、制作のプロセスも作品と感じます。
「アーティストの川俣正さんが耕した土壌、先端芸術宣言やワーク・イン・プログレス(*)は、今ここで学ぶ私たちに影響を与えています。一つの作品が制作過程でいろんな形になると面白いですね。ドローイングから想起するものも、そこに行かなければ体験できないようなサイト・スペシフィックな体験も、そしてそれを美術館に持ち込む時に起こることも作品だし、経年劣化したり、作品がなくなって痕跡や思想として残ることも作品であると考えています。文章や写真や映像という形も作品の付属物ではなく等価であると考えていて、2度も3度も美味しい作品がいいと思っています。」
―卒業後の進路は?
「大学院に進みたいと思い映像研究科を受験しました。研究室見学で私が考える『本』の話を桂英史教授としていたとき、作家の作品は閉じられたものではなく、社会につながり影響を及ぼしていると話されました。私は、制作について、作家の個性を表現するというより、みんながいろんなところで経験としてもっている世界を表現したいと考えているので、先生の言葉に引かれました。映像作家という職業を目指すと決めたわけではなく、外に開かれた状態で集中して考え制作する場所として映像研究科を選びました。」
―先端にいてなぜ映像を選んだのですか?
「見えないから面白いというのもあるし、日本で生活していて感じる違和感の表現の振り幅を増やすため、自分の方を変えていきたいと感じています。できるだけ海に近い方にいきたい、というのもありますね(笑)。」
インタビューを終えて
「おしゃべりで、世界が面白かった幼い頃の自分に、今は戻ってきています」と言う平井さん。2時間にわたってたくさんお話してくださいました。平井さんが表現したい世界は、作家の個の表現ではなく、共感の根源、平井さんの言葉を借りると、「みんながいろんなところに経験として持っているもの」を表現することに向かっているようです。感性は子供のように外に開かれ、自分に入ってくるものを、制作することで折り合いをつけながら深く受け入れていく姿。シャープな目は、ものごとをスローモーションカメラのようにゆっくりと眺めながらも、調和の後ろをサラサラと流れる世界に目を向けているようでした。流れ行くものたちが、どこから来たのかを言葉にし、それらは宇宙空間の星のように等価に平井さんの世界に浮かんでいるのではないでしょうか。
平井さんの言葉を受け取りながら、自分もそこに手が届きそうな、そんな感覚を覚えました。このインタビューを通じ、一気に平井さんのファンとなってしまった取材メンバーたちも、自分と重ねてそれぞれの「島にうめられた本の骨」をイメージしたのではないでしょうか。
平井さんの世界を表現する大きな定点観測地点の一つになる卒業作品。卒展で体感できることを楽しみに、応援しています!
そして今後の進路である映像研究科では、どのようにその世界が更新され、作品になるのでしょうか。これからの変化にも期待です。
(*)川俣正が自らの作品を言葉にしたもの。「工事中」の意味。
取材|鈴木康裕、西原香、東濃誠、宮本ひとみ(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆|東濃誠
稼ぐ仕事(都市開発系)3日、NPO活動2日、とびラー1日、調整日1日という感じの1週間です。若いアーティストの旬を切り取る藝大生インタビューは、とびラー冥利に尽きますね。
第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場|東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
2018.12.12
12月12日、藝大取手キャンパスへ、グローバルアートプラクティス専攻(以下、GAP専攻)・修士2年生のMonica Enriquez Castillo (モニカ・エンリケズ・カスティリョ)さんに、お会いするために出かけました。
インタビューの前に、私たちはモニカさんのWebサイトやGAP専攻のコンセプト・ムービーでお話しするモニカさんの映像を見て、お会いするのを楽しみにして行きました。
さて、どんなお話が聞けるでしょうか。
こんにちは、モニカさん!
モニカさんと取手の食堂で合流し、まずは工房棟1階にある木材造形工房へ向かいました。モニカさんの案内について行くと、そこには木材でできた箱とそこに刺さった金属の棒があります。
―モニカさん、これはなんですか?
「これは、修了制作の一部です。はじめは簡単にできると思っていたんですが、複雑なストラクチャー(構造)になってしまいました。箱の部分には青色の壁紙を貼る予定です。この鉄の棒の間にはめる作品に金箔を貼っているので、金色との相性が良いため青色にします。あと個人的に青色が好きなんです」
早速モニカさんから説明を頂きました。
なるほど。どうやらまだ作成途中で、下の箱状の部分が青色になり、鉄の棒の間には何かが嵌め込まれるようです。モニカさんが制作を進めているもう1つのアトリエも見せてもらいました。GAP専攻のアトリエです。
アトリエに着くと、早速モニカさんは4枚の大きなガラスに描かれた作品を見せてくれました。テーブルに置かれていた1枚を「立てると見え方がキレイなんです」と、持ち上げてくれます。
私たちは、まずはガラスという素材に着目した質問をいくつかさせて頂きました。
― 今まではキャンバスにペインティングをされていましたね。ガラスに描いたのはこれが初めてですか?
「ガラスは、初めてです。ずっとキャンバスや和紙を使っていたんですけど、今回は修了制作なので、新しいテクニックや方法を試してみたいと思って。自分の中でもチャレンジです。最初はテストピース(試作)を作ったんですが、そのおかげで自分のミスとか弱い点とか、いろんなことが勉強になりました。最初はどのようにガラスに描けばよいかもわからなかったけれど、描きながらいろいろと試していきました。ペインティングだけでなく、工芸についても勉強になりました。木材造形工房にあった展示台の制作ははじめての作業で、すごく大変です。でも楽しい。難しいことほど、自分にとってはいろんなことが勉強になり、取り組む価値があると感じます」
― 最初からうまくいっていたわけではなく、失敗もしながら作ってきたんですね。
「成功する前には失敗があっていいと思っています。失敗の中からうまくなっていく」
― 今までの素材と違って、ガラスは両面から見ることができますね。
「はい。光が透けるのでちょうどいいと思っています。教会のステンドグラスみたいで、このエフェクトが美しい。美しいものを作ってみたいと思いました。最初のテストピースでは、絵の具の色が厚くなってしまって光がキレイに透けなかった。でも今回は、絵の具を薄くして光が透けて見え、作品のクオリティが上がったと思う」
失敗を恐れず、新しいことにチャレンジしようとするモニカさんの姿勢はとてもカッコいいと感じます。
壁を見ると、ガラス作品の下絵となる4枚のドローイングが貼られています。この下絵についてもお伺いしました。
― 細密な線画ですね。それに大きい!この下絵はどのくらいの期間で描きあげるんですか?
「3日間くらいで描きました。ドローイングは大好きなので、1日14時間近く作業しても大丈夫です。以前はイラストレーターとして働いていました」
― 下書きの段階で色の構想はあるのですか?
「下書きの段階では色の事はまだ細かくは決めていません。なんとなく、これは青っぽいとか。紫っぽいとか、イメージはしています。でも直接色を塗って試してみて、『よし、大丈夫』と思うこともあるし、『いや、やっぱりピンクにしよう』と変えることもあります。初めから細かいプランはないんです」
こんなに細かい線画をたった3日で制作されるとは驚きでした。
ここからは、作品の深いイメージ、モニカさんの制作への思いについてもお伺いしました。
― この作品はどんなイメージで制作されているのですか?
「『戦い』のイメージです。去年のアンソロポロジー(民俗学)の授業の内容からアイディアを得ました。その授業を通して、私たちは『self/others(自己と他者)』という対照的な概念について話し合いました。私が思うに、人は常に対称性を持っています。『君/私』『日本人/フィリピン人』。時には差別も生まれます。しかし、私たちは調和して共に生きることもできます。時には争いが生まれるけれど、『違う』人々が集った時には美しいハーモニーが生まれます」
「この白い線で描かれた図柄は、昔のタガログ語の文字です。この文字は、今は使われなくなっています。特別に勉強していなければ読むことができないもので、宗教的な意味合いを持ちます。私はこれを美しくて、絵のようだと思いました。私の作品の中にフィリピンの文化を取り入れたかった。この絵には、それぞれ反対の意味をもつタガログ語の文字をいろいろなところに配置しています。『self/others』や、『人間/動物』、『男性/女性』などです」
「私は、画面にとても細かく沢山のものを描き込みます。初めて見たときにはバンッと全体が見えると思います。でも長いあいだ見ていると、小さな沢山のイメージ(図柄)に気がつくはずです。この絵の中には14頭の馬が隠れています。わかりますか?
私の作品を見たときに人々に楽しんでほしいと思っています。見続けるにつれて「あ、これがある!知らなかった」と宝物が見つかるような楽しい感じを。「これはなんだろう?」という不思議や、まるで子どものように「やっぱりこの世界は美しいな」と、そんな感覚を持ってくれたら嬉しいです。
私は作品を通して人を幸せにしたいと思っています。アートは私の人生をよりポジティブなものにしてくれました。私はたくさんの辛い思いも経験しましたが、アートを通して癒されてきたと思います。誰かが「寂しい・悲しい」という思いを持っていても、私の作品を通して、まだ世界は前に向かって進んでいるのかもしれないと、希望が持てるようになってほしい。それに、大人の中にある子どもの心に気づくきっかけにもなってほしいなと思います」
― どこに置いて、どんな人に見てもらいたいですか?
「子どもたちに見てもらえたら嬉しいです。子どもは正直なので「これは綺麗」「これはダサい」と伝えてくれます。そこが好きです。自分の感情をそのまま出す。子どもの意見は、厳しいものでも大丈夫です。子どもが楽しんでくれれば、両親や大人も楽しいと思うんです。卒展では、藝大上野校地のラーニング・コモンズ(大学図書館内)に作品を設置する予定です。そこは壁がガラス張りになっているので、この作品にとても良い場所です。外からも中からも見えると思います」
さらにここからは作品を超えて、モニカさんご自身の経験・ルーツについてもお伺いさせて頂きました。
- 東京藝術大学に留学された経緯を教えてください。
「もともとは日本画を勉強したかったんです。6年前に日本の美術館で日本画を見て、美しいと思いました。その技術はどうやっているのか知りたかったので、先生や大学の情報をネットで調べて藝大に入りました。上野校地の吉村先生の研究室に入り、模写を通して伝統的な日本画を勉強しました。その後、GAP専攻に来ました。日本画の画法は今でも使います。今回の作品でも金箔を使ったり、弓矢など日本を感じるモチーフもあります」
-GAP専攻はモニカさんにとってどんなところでしょう?
「GAP専攻は結構自由なところです。自分の専門分野以外から刺激を受けたいという人にはとても良いかと思います。私はペインティングが専門でしたが、ずっとそれだけでなく、いろいろな分野を見てみたいと思いました。GAP専攻は自分の専門以外も学ぶことのできる柔軟性があります。また留学生にとっても歓迎された場所です。それは重要なことだと思います」
- モニカさんの作品はとても色鮮やかですよね。
「実は、以前は作品に色を使うのが怖かったんです。始めた頃はずっと白と黒で描いていました。制作を続けるうちにやっぱり色が必要だと思うようになりました。今日は色を使おう、今日は白黒で描こう。そんな感じで分けています。私は、色に対するセンスに自信がないんです。私にとっては色を塗るときのほうが大変。失敗もたくさんあります。白黒で描くのは楽しいんです」
- 色よりも線の方が好きなんですね。
「線は無限の可能性があると思います。カーブも直線もあって、新しいものができる。線を使えば無限の可能性があって、私の世界や興味を表すことができると思っています。色にも無限の可能性があるけど、怖い。まだ勉強中です」
線は無限の可能性、色は怖い。モニカさんの持つ世界観と好奇心に触れたような気がしました。
まだまだお話聞きたいところですが、インタビューはここまで。
モニカさん、お忙しいところ、お時間をいただきありがとうございました。
インタビューを通して感じた、モニカさんのチャレンジングな姿勢を尊敬いたしました。
卒展当日、光を浴びて色鮮やかに輝くモニカさんの作品を拝見するのが楽しみです。
取材|枦山由佳、下重佳世(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆|枦山由佳
ただ絵を見るだけでなく、人と人を繋ぐ美術館のあり方に興味を持ってとびラーになり3年目。昨年の卒展インタビューに同行し、作者の作品に対する深い考えや強い思いに感動して今年もインタビューに参加させていただきました。
第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場|東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
2018.12.11
2018年12月某日、冬の肌寒さが日に日に増した頃、我々は東京藝術大学(以下、藝大)美術研究科工芸専攻の苅込華香さんを訪ねました。苅込さんは工芸科で陶芸を専攻している修士2年生です。訪問当時は、修了制作の作品づくりの真っ最中。全力投球で取り組む苅込さんの制作の現場を皆さんにお届けします!
―卒業・修了作品展の展示予定作品を教えてください!
「海の生物をイメージした磁器です。磁器は、石を砕いた粉に水を加えた粘土(磁土)を原料にしているものを指します。陶土を原料にする陶器とは異なり、収縮率が高く形が変形しやすいこと、石の材質の白さや目の細かさから透明感のある硬質な質感になることが特徴です。
また、磁器の表面には、私の調合したオリジナルの結晶マット釉を利用しています。この釉薬は、窯の熱で溶けてから冷えて固まるまでの間に、原料のマグネサイトが結晶化し成長します。結晶が大量に発生し表面を覆うことでマットな質感になります」
実際に触ってみると、さらさらとした触感で気持ちの良さにおもわず感嘆の声を上げてしまうほど。また、釉薬の薄い水色の発色と表面のキラキラとした細かい結晶の光が相まって、柔らかな色合いを感じることができます。
―容器など、何かに使うことは想定されているのでしょうか?
「今回は観賞用のオブジェとして制作しているので、使い方は全く考えていません。学部の卒業制作のときも同じように、器状のオブジェを制作したので、卒業・修了作品展の来場者の方からどう使うのかという質問をよく受けました。私自身は、用途のあるものとして作品をつくるとき、使用目的や使い勝手をしっかり考えて制作するよう心がけています」
―最終的な作品のイメージを教えてください!
「現在、同じ制作方法で作品を複数制作していて、今は全体で15個程度に及んでいます。器状の作品を組み合わせて重ね、よい組み合わせの3点を選んで最終的な作品として完成させるつもりです。
制作方法は同じでも一つ一つ違った作品になります。成形の仕方もすこしずつ違いますが、窯の焚き方や温度の下げ方を変えることでも、縁の広がり方や表面の釉薬の仕上がりなどが変わります。
陶芸での作品づくりは、様々な要因で失敗が起こりやすく、特に、窯で焼く工程は失敗が多いです。窯から出すまでどんな形になるのかわからないのですが、その窯が起こす変化も作品に取り入れたら面白いんじゃないかなと思って、挑戦しています」
―今回の作品に辿り着くまでどのような道のりがあったのでしょうか?
「卒業制作では、水中の微生物をモチーフにした作品をろくろ成形で制作していました。続く修士1年生のときには、海に関する形や自分で調合した釉薬を利用して海の雰囲気を出すような作品をつくり、自分の中での海の表現を深めていきました。今回も海から着想を得て珊瑚をモチーフとした作品としています。
最初の試作では、現在よりも厚みがあり加飾の穴は少ない状態でした。当初は、作品に光を当てたときに加飾の穴から光が漏れる、という表現を考えていました。しかし、試作を進める中で、より穴を緻密に開けることによって作品に緊張感を出すことができると気付きました。厚さを薄くし多くの穴を開けることで作品の自重を保つ力が弱くなり、焼き上がりの形状が、焼成前と焼成後でより動きが生まれるようになっていきました。同じように、釉薬の発色も火を入れないと出せない表情です。この動きや発色は、窯の中を見ながらコントロールすることはできません。何度も実験や失敗を重ねることによって出た結果から、温度や焚き方を調整しています。しかし、最終的には窯に委ねるほかありません。
火を使って制作するというのは陶芸の一番の特徴だと思います。土の動きも釉薬の表情も変化させてしまう火の力をより意識するようになり、その力も取り入れた作品をつくりたいと思うようになりました。そのような気付きがあり、現在のような薄く外に広がる土の形状に緻密に穴を開ける構成へと決まっていきました」
苅込さんは、よどみのない口調で作品のルーツを答えてくれました。しかし、ここに至るまので道は、決して簡単なものではなかったはずです。陶芸専攻は、基礎的な技術を習得する課題を一通り行うとすぐに卒業制作の時期が来るほど課題の多い専攻だそうです。卒業制作で改めて自身の制作に取り組む際、アーティストとして自分にしか生み出せない作品をつくらなければならない、その時はたしてすぐに作品のアイデアが生まれるでしょうか?生まれたアイデアは、すぐに自分のアーティストとしての軸に成り得るでしょうか?
―自分の作品のコンセプトはどのように見つけたのでしょうか?
「学部4年生のころから、窯で焼くことが陶芸にとって重要だと感じるようになりました。また、私は、微生物が好きなのですが、その理由は、微生物が私の目には見えないけれど実際には存在する、というところにあります。そして、窯の力も、土の動きで目にすることができても、力そのものを見ることができるわけではありません。両者の間に“見えない”という共通点を発見し、微生物を自分の作品のモチーフに決めました。そこが、課題から自分の作品へのターニングポイントですね」
卒業制作では、微生物というモチーフと窯の力による釉薬の表情で“見えない”という共通点を表現したそうです。今回の修了制作では、さらにその先に進もうと挑戦し、釉薬の表情と土の動きによって、窯の“見えない”力を表現しています。
卒業制作を超えての修了制作は、同じコンセプトで進めるのか、全く異なるコンセプトにするのかなど、卒業制作以上に方向性を決めることは難しかったと思います。事実、現在の形で作品の制作が始まったのは、3ヶ月前の9月頃からで、全速力で制作を進めているそうです。
苅込さんがここまで辿り着いたのは、常に手を動かしながら、素材と向き合い、陶芸の技法と向き合い、作品と向き合い続けた結果だと思います。作品をつくっては形を調整したり窯の温度を調整したりと何度も実験を繰り返すことは、体力的にも精神的にも辛いと感じるときもあったと思います。しかし、苅込さんは着実に経験を積み重ね、その結果を楽しみながら、作品を作り続けたのです。ひたむきに柔軟に陶芸に取り組み挑戦し続けたことが、苅込さんの自信となりアーティストとしての基盤になっていったのだと感じました。
声高らかに話すわけでもなく情熱の固まりをぶつけるわけでもなく、柔らかく控えめに話をされる姿からは、温かく強靭な制作への想いを感じました。苅込さんのように私もなりたいものです。
―陶芸を専攻に選んだ理由を教えてください。
「私の周りには、美大出身という人はいなかったので、つくることが好きというただそれだけの思いで、美大の受験を決めました。受験のときに工芸科を選んだのは、絵を描くことよりも何か形をつくる方が好きだったからです。
彫刻科と工芸科で悩んでいましたが、工芸の、素材感や素材ありきの形、使うものもつくるという生活に寄り添っているところに魅力を感じ、工芸科を選択しました。
陶芸を選んだのは、入学後の実材実習を経て決めました。実材実習とは、短い期間で工芸科にある6専攻のうち、3つを選んで体験できる実習です。私は、陶芸、鋳金、漆を選びました。実は、入学当初、一番目に興味があったのは鋳金(金属を溶かし鋳型に流し込んで鋳造する金工技法)です。この実材実習で実際に体験してみると、鋳金の型を制作する作業工程と、漆のコツコツと取り組む制作工程が、私の適性には合わないかなと感じました。しかし、陶芸の作品が最も思い通りに出来たわけではありません。むしろ、最初の作品は想像とは違うものが焼き上がりました。その経験が新鮮で、陶芸の奥の深さと難しさに興味を持ち、陶芸専攻に進むことに決めました。
陶芸専攻に入ってからは、食器などの生活に紐づく芸術に魅力を感じ、ろくろ成形での土との関わりにより生まれる造形が面白くなっていきました。
陶芸の制作工程の中で、一番楽しいタイミングは、作品を作っているときですね。私は、ろくろ成形での作品づくりを主にしています。電動ろくろは手で制作していく感覚がわかりやすく、また、土が動いている感覚を感じることもできるので、面白いです。ろくろ成形は簡単に上手くできるようにならないので、何度も失敗しますが、そこもまた魅力です。
陶芸は、続けていると様々な発見や面白いことがたくさんあるので、全く退屈はしないです」
―制作の様子を教えてください。
「制作を行う場所は、藝大構内の総合工房棟にある陶芸の共同制作部屋です。共同制作部屋は、陶芸専攻の生徒が共同で利用できるようなつくりになっています。複数のろくろ場と共同の自炊場(通称、お茶台)があり、併設して窯場と釉薬部屋が存在します。窯場には、全部で12個の窯があり、ガス窯、灯油窯、電気窯があります」
「個人にはろくろ場という作業場所が提供されており、ろくろ場にはろくろ台と収納スペースがあります。収納スペースには、制作道具や粘土などを入れています。ろくろ場の席順は新メンバーを迎える春頃に先生によって決められ、隣通しの学年がばらばらになるように設定します。下の学年の生徒は、近くの先輩の技を見て学ぶようにと」
「陶芸の制作は、他の専攻よりも共同作業が多く生活が共にあります。窯に火を入れる日には、窯の掃除、窯の中を仕切る棚板を組む、窯の中に作品を移動させる、窯番をする、後日窯から作品を取り出す、など一連の窯関連の作業を陶芸専攻メンバーで行います。他にも、陶芸に関わる様々な作業を共同で行います。
窯に火を入れて作品を焼成する作業は、いろいろな焚き方がある窯の中で、自分の入れる窯は終始番をする決まりとなっています。同じ窯に入れているメンバー全員で一時間に一回ずつ窯の様子や温度をチェックしているので、当日は泊まり込みになります。窯番の日は、窯番内の下級生がお茶台で夜ご飯を作り窯番メンバーで囲みます。このご飯のことを“窯ご飯”と呼びます」
同じ“釜”の飯ならぬ“窯”の飯。生活と共にあるとはまさにその通りですね。窯ご飯のときに利用するお茶台近くの食器棚に置いてある食器達は、歴代の先輩や現役生の試作品だそうで、利用しながらつい眺めてしまうのだとか。陶芸の作り出す作品が、日々の生活と密接に関わっていることと、生活がともにある制作現場は切り離せない関係なのかもしれません。
苅込さんは、ここにはまだ自分の作品を置けていないとのこと。卒業までに後輩に何か残していけると面白いかもしれませんね。
―今後はどのような活動を考えていますか?
「卒業後は、もう少し作家活動を続けられる形を考えています。陶芸は続けていきたいです。今後も自分の世界観を表現しつつ、陶芸の持つ面白さと難しさの狭間で、より深く陶芸を追及したいです」
―最後に卒業・修了制作展にご来場予定の皆様へコメントをお願いします!
「がむしゃらにやっているので、その結果を見てくれたら嬉しいです。頑張っています」
少し悩みながら、そう答えてくれた苅込さん。作品に託した言葉では言い表せない思いがたくさんあるのだと物語っているようです。ぜひ、実際の作品を見て苅込さんの思いを感じてみてはいかがでしょうか?
取材|木村仁美、西見涼香(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆|木村仁美
1年目とびラーです。とびらプロジェクトの面白いが力になり形になる様子を見て、こんな世界があるのかと感動しています。誰かの小さな思いが見捨てられないように、活動していけたらよいなと思っています。
第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場|東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
2018.12.02
清々しい寒さが肌に心地よい初冬の昼前、ひとつの出会いがありました。
彼女の名は、國方沙希さん。
文化財保存油画を専攻する修士2年生です。
いかにしてご自身の研究テーマに至り、いかなる手法にてアプローチされたのか。
◇
―まず、修了制作の課題について教えていただけますか。
「他の専攻より圧倒的に多く、4つの課題を提出しなければなりません。内訳は個人の油画修復、学年という単位でのチームで行う共同修復、修士論文、ロシア・イコン(聖像)の模写です。4つの目の模写はたまたまで、私たちの代はロシアから先生がいらっしゃっていた関係で、ご縁あってロシア・イコンとなりました。」
―国際色豊かなのですね。海外から来ている学生も多いのでしょうか。
「今年度は特に多くの留学生が来ています。中国、ギリシャ、韓国、つい最近まで台湾の子がいて、文化の多様性がありますね。」
―多方から学生さんがいらしているとのことですが、研究のテーマも幅広いのでしょうか。
「かなり広い範囲で研究テーマの設定が可能です。考古学・美術史学等、文系の側面も理系の側面もある分野なので、基本的には各々自由に研究しています。指導教官の先生はアドヴァイザー的な立ち位置で、大きく道を逸れそうな状況の場合は指導が入りますが、大抵はのびのびとやらせてもらっています。」
―個人での修復作品ですね。なぜこのような傷み方をするのですか。
「絵を巻いて保存したからだと考えられます。修復方法としては石膏充填剤を削ってマチエルを作り、一次補彩といって水彩で色をつけ一度ニスをかけた後、有機溶剤に溶けるアクリル絵具で補彩し、最終ニスを塗って仕上げます。意外かもしれませんが油画の修復には油彩を使いません。将来を見据え、基本的には可逆的でなければならないからです。周りの色から予測できる場合や写真がある場合は比較的修復がしやすいですが、そうでない場合は想像力が必要な作業となります。」
―ロシア・イコンについても教えてください。
「卒業課題にあるロシア・イコンは、テンペラ(卵を溶かした固着剤)を使用しています。チョウザメのニカワや、白ワイン、コーヒーなどのように、ロシアは修復や描画の材料として割と日本とは異なる素材を用いているようです。」
―どのように作成するのですか。
「私が模写したイコンの場合、原寸大だと大きすぎるので縮小したサイズで作製しました。板にニカワで麻布を張って、白亜地を塗った後そこに絵を描いていきます。写真をトレースして、そこから描き始めます。他の作業と並行しながらで、大体1年ほどで制作しました。図柄は違うものの、元々モチーフによって使用する色は決まっているのでイコン独特のやわらかい色味や風合いは、ほかの学生の作品とも共通しています。これを機に指導教官であったタマーラ先生に会いにロシアに行く学生たちもいます。」
―國方さんの研究テーマを教えてください。
「私は、油画の修復に用いられていた強化ワックスと呼ばれる蜜蝋と樹脂でできた接着剤を題材に、油画の再修復のための研究しています。強化ワックスによる油画の裏打ちは50年前頃によく行われていた修復手法でした。しかし現在は濡れ色になって暗色化してしまう等のネガティブな要素が強調されています。近年、過去にワックスで裏打ちされた作品が再修復の時期を迎えているタイミングでもあり、研究テーマとして選びました。」
―どの様な手法で検証されるのですか。
「今回は、本物の油画は使用せず、テストピースを作成します。温湿度による劣化試験を行い、強制劣化させたサンプルで検証します。中には実験用として使用の許可をもらっている個人の作品もありますが、今回は使用しませんでした。一定の指標を定め、サンプル間での比較を行います。」
―ワックスで一度裏打ちされた作品の再修復は難しいそうですが、画期的な代替案等はあるのでしょうか。」
「さすがに修士の二年間では新たな保存方法の提案までは厳しいかなと思っています。昨今蜜蝋による修復はタブー視されており確かな情報が少ないという背景から、現研究段階では、過去にワックスで修復されていた方々へのヒアリングによって現状を明らかにする事が大切だと考えています。」
―ワックスとの出会いを教えてください。
「社会人をしていたとき、家の近くに絵画修復工房があって、そこで出会いました。修復素材として一時は、万能であるとされていた材料で、個人的には蜜蝋使用時の甘い匂いがとても好きです。それがなぜネガティブな修復技法として捉えられるようになったのかとても興味深いと考え、自分で確かめたいと思ったのです。」
―平日お仕事をされながら工房に通うのは大変だったと思うのですが、修復に対してのとても強いお気持ちがあったのでしょうか。
「私の場合、元々美術と数学が好きで学部は理系寄りの建築学科でした。しかし漠然と修復に携わりたい気持ちがあって、学部のゼミは歴史学系に進みました。学部生のときは修士に進むことに迷いがあったため、一旦就職することに決めました。職場の関係で神奈川に移り住んだ際、近くに工房があることを知り、そしてそこで油画の修復に出会うこととなりました。私自身はこうしたい、こうあるべきという我の気持ちが強いタイプではありません。誰かのためにしてきたことが結果として今に繋がっているという感じが強いように思います。」
―これまでのお話や学部の専攻から、國方さんは理系の印象が強いのですが、この専攻に入学した決め手は何ですか。
「この研究室の入試説明会に参加した際、先生のお人柄と、様々なバックグラウンドの人たちが在籍しているという特色に惹かれました。将来こうなりたい、という明確な目標はまだないですが、異業種からきた自分だからこそできる新たな視点からのアプローチでこの分野に貢献できたらと考えました。」
―大学院生活はいかがですか。
「私自身作業を始めると没何時間も没頭してしまうのですが、先生には集中力のためできるだけこまめに休憩を取ることは勧められます。修復で失敗してしまったときはすぐに先生に相談し、普段の修復の進捗もできるだけ細かく記録しています。研究内容に関しては、大学院に入る前は概念的なことへの興味が強かったのですが、やっていく中で落とし所を見つけ焦点を合わせていったという感じでした。」
―社会人から学生を目指す人に向けてのメッセージをお願いします。
「まず自分の仕事に満足してから学生に戻るのがいいと思います。私は5年ほどかかりました。やってきたことを生かしてやろうという気持ちで臨んだのですが、結局は流れに身を任せるほうがいいのかもしれません。同時に、いつも誰かのためにやったことが自然と結果につながっているような気がします。私の場合、我を貫くというよりは人のためを思って行動したことが自分自身になっているので、そういうスタンスもいいのかもしれません。」
◇
初対面から小1時間半にかけての印象は、一貫して、香り立つオーラが他者を惹きつける方だなあというものでした。実際、お話を伺うなかでも國方さんの「引寄せ力」について感じるところが多々あり、素敵な巡り合わせをご自身の力で手繰り寄せていらっしゃったのだと確信しました。口調に始まる柔らかい空気感、その中に見え隠れする情熱、そして細部に広がる他者への心遣い。それら全てに彼女の魅力の理由が散りばめられているのではないでしょうか。
テーマ設定の動機も、物事における正負両側面がその価値であるという認識のもと、時代の変化によって負に変換されたものを現在においてフラットにすることにより、同じ流れの上にある過去と未来を守りたいという願いが根底にあるのではないかと想像力を働かせずにはいられません。
私観ながら、映画「時をかける少女」(2006,監督:細田守)に出てくる保存修復師のお姉さんに國方さんを重ね合わせてしまいます。主人公・真琴の叔母であり美術館に勤める彼女ですが、物語を彩るミステリアスなキーパーソンです。私自身映画の中で最も好きなキャラクターであり、國方さんとの共通点にピンときた瞬間から胸の高鳴りが抑えられませんでした。
変わらない過去をどのように解釈するのか。
待ってくれない未来のために私たちは何ができるのか。
時の女神との、丁寧に注がれたコーヒーのように味わい深いひと時でありました。
取材|江藤敦美、西見涼香、安東由美、山本俊一(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆|江藤敦美
1年目とびラーです。活動の中で出会うすべてに、感動で胸がいっぱいです。これからはその気持ちをみなさんとたくさん共有していけたらと考えています。
第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場|東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
2018.12.01
12月某日、東京藝術大学絵画科の日本画専攻のアトリエを訪問しました。
卒業制作の作品は、藝大在学中に学んできたことの集大成。制作が行われている部屋に入ると、5〜6人の学生がフロアに置いた作品への描画に没頭していました。天井が高く開放的な空間ですが、部屋のそこここから一人ひとりの集中オーラを感じます。
そんな中、和やかにとびラーの取材を応じてくれたのは4年生の大嶋直哉さん。丁寧で落ち着いた話し方、知的なまなざしと優しい笑顔が印象的です。
ー大嶋さん、こんにちは!今制作されている作品について教えてください。
「水辺の風景を描いています。8月頃から下図等の準備をして、10月から描きはじめました。現在の完成度は70%ぐらいでしょうか」
―制作の期限はいつ頃までですか?
「科によっても違いますが、うちはあと2週間ほどです・・」
制作も大詰めを迎えている時期なんですね。作品のタイトルを決定する期限は3日後に迫っているのだとか。
ーいつも床に作品を置いて描いているのですか?
「今回は大きな作品なので、床に置いています。真ん中のほうに描き込むときは、木製の台や畳を置いて、その上に座って描きます。畳だと体重が分散されるし、踏み抜くこともないので使いやすいんです」
―今回の作品にはどんな技法を用いていますか?
「150 号のパネルに貼った和紙の上に銀箔を貼って、上から絵の具を重ねています」
―150号いっぱいの銀箔!でも銀色にキラキラしている部分は見当たらないですね。
「銀箔を貼るのは銀色に見せるためでなく、箔特有の凹凸や皺といった質感を出すためなんです。こことか」
―確かに、この黒いところよく見ると格子状の枠が浮き出て見えるような気がします。
「そうなんです。四角い箔を貼っているのがわかると思います。その上に、様々な大きさの粉状の岩絵の具をニカワで溶いて描画しています」
―日本画の魅力は何だと思いますか?
「石を砕いたものを絵の具にしたり、自然にあるものを使って描くので、派手さはないけれど深みのある表現ができることだと思います。昔からあるジャンルですが、構図や画材の使い方によってはまだまだ新しい表現の可能性もある。日本に生まれたので、この国の芸術である日本画を学んで世界の人たちにも見てもらいたいと思いました」
―最近のインスタ映えブームの真逆を行くような感じですね。藝大での学生生活の中で影響を受けた ものはありますか?
「藝大では描き方を教わるというよりは、自分で研究して試していくことが多いんです。村上隆さんに影響を受けました。これからの日本画の可能性について考え、自分で今までとは違う表現を試してみたりして、自分のやりたいことや表現方法が定まってきたと思います」
―自ら学んでスタイルを確立していったのですね。作品を描くとき、どんなことを大切にしていますか?
「作品自体に何らかの意味を持たせるようにしています。この作品だと真ん中の方に石があって、下の水面に金魚がいるんですけど・・・」
本当ですね!とびラー5人ははじめ誰も気がつかなかったけれど、黒一色と思っていた水面に目を凝らしてみると赤い金魚が泳いでいることに気がつきました。
みなさんも卒展で実際の作品を見たら探してみてください。モチーフには必ず意味があるので、作家がなぜそれを描いたのか、考えながら鑑賞すると面白いかもしれません。卒展では制作者である学生に直接話を聞けることもあるので、気になる方はぜひ聞いてみてください。
―大嶋さんが絵を描き始めたのはいつ頃でしたか?
「幼稚園の年長ぐらいの歳ですね。絵の先生と出会ったことがきっかけで、それから日本画を習い、高校も芸術系の科に進んで、ずっと描き続けています」
―ご家族も絵を描いていらっしゃるのですか?
「全然そういうわけではないんです。でも、絵を描くことをずっと応援し続けてくれていて、とても感謝しています」
―最後に、大嶋さんにとって日本画とは何ですか?
(それまでの朗らかな雰囲気とは打って変わって、少し考えこむ大嶋さん)
「ずっとやってきたことであって、自分の表現そのものかもしれません。」
大嶋さんの作品は、実物を前に目を凝らすほど「こんなところにも描き込みがある!」という発見があり、世界観に思わず惹き込まれます。
好奇心いっぱいのとびラーの質問に、丁寧に笑いを交えてお答えいただきありがとうございました!
みなさん、ぜひ卒業・修了作品展で、日本画の展示へ足をおはこびください。
取材|山中みほ、鈴木文子、久光真央、山本俊一、原田清美(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆|山中みほ
とびラー7期の山中みほです。十日町、市原、珠洲、北アルプス、瀬戸内の芸術祭サポーターを経てとびラーになりました。普段は保健室の先生をしています。特技はテーピング。
第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
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2018.11.27
ある秋晴れの日の午後、藝大上野校地内の一番奥、チェンソーとノミの音が響き渡る工事現場のような場所で、彫刻科の福島李子さんと出会った。
石を削った屑に汚れた厚手の作業着と灰色のキャップにゴーグルをかけた出で立ちで、チェンソーの音が響く空き地から小さく会釈をしてくれる。小柄で線の細い可愛らしい風貌の福島さんだが、たくましい服装と可愛らしい笑顔のギャップに心がつかまれた。
挨拶もそこそこに、現在取り組んでいる作品を見せていただいた。胸のあたりまである大きな四角い灰色の大理石の塊から、足や車や手などの形が今まさに生まれ出ようとしていた。
ーこの作品はどういうものを表しているんですか?
「これは私の『夢』です。夢と言っても、実際に自分が寝ているときに見た夢です。私はなぜか怖い夢を見ることが多くて、追いかけられたり、車の陰に隠れたり、といった夢のワンシーン、夢のかけらを集めています。何故見たのかわからないような漠然としたものを形にしたらどんな感じなのかな、と思って。自分の好きなカタチが現れてくれればいいな、と思ってやっています。」
作品の、雲のようにもやもやとした部分からリアルな物体が出てきている姿は、福島さんの言うように、もやのような夢の中から夢のかけらが飛び出してきているような、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
作品を眺めていると、福島さんから驚きの一言が。
「わたし、自分の作品があまり好きじゃないんです。愛着がわかないというか…」
思わず聞き返すと、
「今まで、自分の価値観じゃないものを作ってきた。…でも今回はいいものができそうな気がする」
…ということで、どういうことなのか、過去の作品を見せていただいた。
藝大の敷地の隅に、学生たちの様々な過去の作品が野ざらしで置かれていた。その中に、福島さんの作品が2点あった。
まずは、ひとつめ「灰皿」。
ーこのコンセプトは?
「何か実用性のありそうなものを作りたかった。外国の灰皿とか、周りに人がいて作品を囲んでコミュニケーションが生まれるというか。でも、こういう形を作るのは嘘がつけないので難しかったです。」
ふたつめは「クモ」の作品。
入学してはじめて作ったものだそう。
ーこれはどういう作品なんですか?
「はじめての作品では挑戦したいことをやりました。物体がくっついている構造で作ってみたのですが、石は割れてしまうと戻らないし、細い部分は割れやすくて。どう石に負担をかけずに削るかが難しかったです。」
確かに見せていただいた3つの作品は、コンセプトも雰囲気も違い、同じ人物が作ったものとは思えないくらい、振り幅がある。「灰皿」は機能的、「クモ」は精密でリアル、そして卒業制作は幻想的なイメージを膨らませた作品だ。
そこに、福島さんの自分の目指すもの、しっくりくるものを模索している姿勢を感じた。
話を聞いていくと、彫刻に本格的に取り組み始めたのは大学に入学してからとのこと。4年間の学生生活でたくさんの作品ができるのかと思っていたが、実際にはオリジナルの作品を作れるようになるには、長い月日が必要だということだった。
「1,2年生は素材に慣れるまでの実技。道具の使い方から、石、金属、木、テラコッタなど全素材を学んでから、さあどれを選ぼうか、となる。」
ー素材を選ばないといけないんですか?
「素材を絞っていかないと上手くならないし、4 年間だと時間が足りない。3 年生は自由に彫り、4 年生は卒展に向けての作品作りになるので。絵画より時間がかかるので、地道にやらないと…サボると自分に返ってくる。毎日学校開始の9時から来て夜まで制作をする生活が続きます。削ったときにでる粉も体に良くないので粉塵予防のマスクとゴーグルをかけています。外は寒いし、結構忍耐力が要ります。」
ーた、大変ですね…
「基本的にみんな没頭しているので、時間を忘れてやっています。楽しいので。」
と、作品に向かい続ける日々がとても幸せだと微笑む。
ーそもそも、どうして彫刻をやりたいと思ったんですか?
「もともと中学生から藝大に行きたくて、美術予備校で学んでいる中で粘土が一番楽しかったので彫刻にしようと思った。その中で、本物のウサギを見て作る粘土作品は鮮明に覚えています。粘土は焼かないと残らないので一瞬のアートですね。大学に入るための試験はデッサン。でも平面のデッサンからどうやって立体にするのか、これが難しい。立体にすると形の狂いなどの嘘が付けなくなるので。」
ー将来はどのようになっていきたいですか?
「作り続けたい。今やっと見えてきたものを無にするのはちょっと…でもどうしていったらいいかはまだわからない。受験で得た価値観からは一旦離れて、何が自分に合うかチョイスしていかないといけない。合う、合わないは、私はやらないとわからない。まだ今は、ちょっと見えつつあるけど漠然としていて、だけど『これだ! 』はあるんじゃないかと思っています。」
様々な場面で、作り続けたいという熱意と、でもまだ自分の作品には納得がいかずもがいているストイックな姿が映し出される。そういった悩みながらも真摯な姿が常に福島さんを纏う。
ーアイデアの源はなんですか?
「色んな作品を見ました。昔の彫刻から現代アートまで。でも、私は現代アートじゃないな、と感覚的に思っている。社会性が全面に出ているメッセージ性の強いビジュアルではなくて、形そのものが格好良ければいいと思う。コンセプトよりカタチ。そういう考えに至るまでにたくさんの作品を見ました。行ったり来たりです。」
ー好きな彫刻家はいますか?
「ルイーズ・ブルジョワです。女性のアーティストが好きで、フェミニズムアートでも社会性が強いのはちょっと自分の好みと違うな、と思う。ルイーズ・ブルジョワは、六本木のクモの作品などが有名なんですけど、内面の感情が作品を通し出てくるところが好き。女性の立場が弱くて、それを超えるための作品に、強さを感じます。」
と、自分の方向性を模索するように話す姿が印象的である。
ー作品を通じてどういうことを感じてほしいですか?
「自分のために作っていることが多くて。作品を通じて自分をどう見てくれているか知りたいです。」
作品は自分の化身、もしくは自分から出てきた自分の一部なのだろう。確かに今回の作品も、自分の見た夢というまさに自分の無意識世界を具現化した作品だ。
ー作品を作る原動力は何ですか?
「想像力を膨らませても限界があって、素材と向き合ってわかる、自分と素材との対話だと思う。手を動かして、考えて、手を動かして、考えて、の繰り返し。こうやって続けていくことで、表現したいものの方向性がみえてくるんじゃないか。そしたらもう少し答えが出るんじゃないか、素材と向き合うことで、自分が表現したいもの、自分が見てみたいものが見えてくるんじゃないかと思う。」
自分の中の自分を見つけるために、「作り続けたい」と繰り返す。
インタビューを通じて、福島さんの作品作りの原動力は、福島さんの中の「漠然としたキラキラしたモノ」を彫刻作品を通じて彫りだして、カタチにしていく作業ではないかと感じた。
そして、これからも自分の中の原石を彫りだすために、石を彫り続けてほしい、そういう安心して作品に没頭できる場所で、自分と真摯に向き合いながら、幸せに石と向き合っている福島さんと、福島さんから生まれる作品を見ていきたいと思った。
取材:市川佳世子、山本俊一(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆:市川佳世子
第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
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2018.11.26
穏やかな晩秋の日、藝大上野校地内の総合工房棟に建築科の國清尚之さんをお訪ねしました。
月曜日の午前中、研究室が並ぶ4階は静かです。
笑顔で出迎えてくださったのが、國清さんです。黒いシャツがお似合いの青年です。
トム・へネガン教授の研究室が國清さんのアトリエです。テーブルの上には、さまざまな模型、ファイル、資料、パソコンが整然と置かれています。事前に、修了制作が「妖怪建築」と伺っていましたが、それはいったいどんなものなのでしょう? 興味津々で、インタビューを始めました。
■ハロウィンの夜、渋谷で
まず、目の前に置かれた段ボールに貼られた写真は、実際に妖怪建築を作り、ハロウィンの夜、渋谷の街中に持ち込んだ時の記録だそうです。名付けて「塵塚怪王大作戦」。これも修了制作のプロジェクトの一つとのこと。
「ハロウィンて、イベントを主催している人がいるわけではないけれど、多くの人が集まって騒ぎ、結果的に皆が大量にゴミを捨てる…ある意味、現代の妖怪現象ととらえています。昔、『塵塚怪王』というゴミを集める妖怪がいました。ゴミでできたゴミを集める妖怪です。それで、藝大の廃材所で集めた廃材でゴミ箱を作ってみました。ゴミ箱として使えるけれど、ゴミ箱っぽくないものを。こういうものが街中に置いてあったら人々はどう反応するのか、それを動画に記録しました。」
―やってみてどうでしたか?
「観察していてわかったのは、意外と皆、無視してしまうこと。自分の目的と関係ないものに対して、これはゴミ箱なのか?と考えることすらあきらめているような…。こういうものには捨てないけれど、誰かが捨て始めると、何も迷わずに路上に捨ててしまいます。無意識なものを透明化しようとした時に、現代の妖怪がみつかるのでは、と。なぜ妖怪建築をやるのかという証拠動画が撮れたみたいな感じです。」
「現代で多く起きている『透明化してしまう現象』。例えばホームレス…人々は見て見ぬふりをしていて、お互いに近づいていくことは難しい。でも、もし近づいた時に、お互いに知らなかった世界があるのでは、と思います。いない、として扱われてしまうような存在、そういう声を聴きたいという思いが妖怪につながっています。」
■存在しないもののための建築に興味が
―なぜ妖怪建築をやろうと思ったのですか?
「もともと存在しないもののための建築に興味がありました。学部(九州大学工学部建築科)の卒業制作は、お墓でした。多くの人を一緒に埋葬する空間(=永代供養墓)として、もう少し違う形があるのでは、と考えて制作しました。」
パソコンで写真を示しながら話してくださった卒業制作「micro Re:construction」は、巨大な共同墓地で、21世紀のランドマークのイメージ。人工的な山並みの表面が祈る場所で、中が埋葬するところです。ここは祈りにくるだけでなく、人が住んだり、仕事をしたり…という空間。生きる人と死者が一緒にいる空間をデザインしたそうです。
■山口、福岡、東京、リヒテンシュタイン
―大学は九州だったのですね。そもそも、建築を専攻したきっかけは?
「生まれ育ったのは山口県です。中学生の時は『革命家』になりたいと思い、その後『数学者』『ハッカー』と変わっていって…(笑)今思うと恥ずかしいですが…。大学で建築科を専攻したのはたまたまだったんです。大学院から藝大に来ました。九州の大学と藝大、学部と修士とでは、全然違う学び方ができました。今は、僕が考えていることを表現できるのが建築だと思っています。」
―山口県で育ったとのこと。妖怪が身近に感じられた思い出はありますか?
「うーん、それがそうではなくて…。大学院で初めて東京に出てきましたが、守られた田舎から出てきて、東京の人々が妖怪に見えたのです。違和感がありました。『人間、怖い!(笑)』と思いました。それが、見知らぬ人だからに限定されず、一緒にいる友達もどういう人かわからない。そして、自分のなかにも妖怪的な面があると思ったのです。東京に出て感じたことが、妖怪に気づかされたきっかけです。」
―昨年度、留学されていたそうですね。
「リヒテンシュタイン公国に1年間留学しました。スイスとオーストリアに挟まれた小国で、人口は3万人。大学は一つ。ほとんど人と会わないような日本と真逆のような国です。その大学の教授が、藝大の担当教授(トム・へネガン先生)の友人で、考え方が近いと思い選びました。地理で選んだところもあって、もともとスイス圏に行ってみたかったのです。これは、行く前の仮説ですが、現代の日本ではまず歩く道があるけれど、もともとは人が歩いたところが道になったはず。スイスにはまだそれがあるかと思いました。アルプスの道とか。そういうことを知りたいと思っていましたが、スイスは思ったより現代的でした。」
「留学中、大きかった経験は、アルプスがいつも見える所にいて、『富嶽三十六景』のことを考えていました。1枚ずつ見ると富士山が主役だけど、36枚並べた時に、富士山が共通の記号となって消えてしまいます。そこで、富士山の手前にある日常的な風景が目立ってきて、こちらが主役になるのではないかと…。ふたつの世界が同じ大きさで重なり合うこと、見立てが異なる世界が同時にあることを感じました。妖怪も現実にある世界で、どっちから見るかによって人間と妖怪になると思います。留学の経験から、一周回って日本への関心に戻ってきました。」
■妖怪を学ぶ
リヒテンシュタイン留学から帰国後、修了制作として妖怪建築をやろうと決め、そこから妖怪学を学び始めたそうです。
「一番最初にやった作業は、江戸時代の鳥山石燕の妖怪画の画集を見て、妖怪にまつわる物語を分析したことです。200体くらいあります。現代のキャラクターは、キャラクターとして独立していて文脈がないけれど、昔の妖怪はその妖怪を通して、その時代に人々が考えていたことや教科書では語れない細部が見えてきます。妖怪って、100%悪くないし、100%善でもない。こうなったらダメだよ、これ以上行ってはダメだよ、というグレーゾーンを表現している。人間が間違いを犯さないよう作られたものだと思います。」
―昔の人々にとって、妖怪は身近な存在だったのでしょうか?
「昔は、今と違って簡単に見えていたと思います。例えば『天井嘗め』という妖怪は、天井についたシミを嘗めていました。ずっとそこに居られたのは、天井のシミが残っていたからです。今は、シミはすぐ除かれてクリーンになってしまいます。昔は、建築が妖怪の存在を保つ一側面になっていました。」
國清さんのデスクには、妖怪に関する本が山積みになっていました。その一部を見せてくださいましたが、どの本にも几帳面に付箋が貼られていました。中を拝見すると、各所に線が引いてあります。日本の妖怪に関する本だけでなく、西洋の幽霊学、民俗学、社会学、心理学などさまざまな分野から「妖怪建築」を考察していることがわかります。
デスクの壁には、読んだ本の一節をメモ書きしたものが壁いっぱいに貼られていました。今は、書き出すのが間に合わなくなって、パソコンでアーカイブを作っているそうです。
■現代の百鬼
―この夏に、Museum Start あいうえのの「ミュージアム・トリップ」というプログラムで、参加した中学生達とこちらをお訪ねした時に、オリジナル妖怪の絵を見せていただいたのですが、その後も描いていますか?
「はい、描いています。現代の百鬼を描きたいと思って、今、97体描きました。あと3体で百鬼です。昔の妖怪造形を知ったうえで、21世紀の文脈をどう入れるかを考えました。異界からの訪問者が、現代都市のどこに出現しているか、どんな物語が生まれているかを考ています。」
「例えば、ホームレスの人が押している荷台には、大量の空き缶が載っています。それを横に置いてホームレスの人が寝ている様子から、背中に缶を載せた亀のような妖怪が寄り添っているように見えました。その妖怪を『荷亀(にがめ)』と名付けました。名前を付けるのは、妖怪を作る上で大切なルールで、イメージを固定化でき、それを見ていない人にも想像してもらえます。他にも、タバコの吸い殻や、コンビニの袋も、それ自体が意志を持っているように思えて、妖怪にしてみました。ありえるかもしれないことを想像した時に、現代の都市空間を説明することができる。事実とは違う物語が、都市にはあるのではないかと思います。」
■妖怪建築
―この不思議な曲線の模型は何ですか?
「これは、煙の妖怪『座煙(ざけむり)』のための椅子です。ある雑居ビルの路地裏に二つの排気口があり、その下にビールケースが3つ並べて置いてありました。不快な臭いの立ちこめる空間です。ケースには、人が座った形跡があり、誰かが喫煙していたのでしょう。ここに妖怪がいるとしたらと考え、煙の妖怪『座煙』の椅子を作りました。図面もあります。排気口の向きから煙の形を想定し、立面と平面の大きさを決めました。『座煙』の形と椅子の形状は対応しています。幅はビールケース3つ分にして、煙が座るので椅子の足は細く軽やかなものにしました。『妖怪がいること』は事実ではないけれど、妖怪の身体性を信じて建築を考えることについては論理づけを意識的にしています。」
現実と想像をオーバーラップさせながら、國清さんの視点で論理的に組み立てられた妖怪建築…このような妖怪建築のモデルは12個あり、これから模型を作りこんでいくそうです。
■6つのプロジェクトを提案
―具体的な修了制作のプランを教えてください。
「妖怪と建築、人と妖怪の関係性は一つの落ちでは語り尽くせないので、6つのプロジェクトに分類してすすめています。6つに分けることで、それぞれの関係性を探りたいと思っています。ハロウィンでの検証や現代の百鬼、妖怪建築もプロジェクトの一部です。
妖怪がいるかもしれないと思わせるものを模型で表現するのは難しいですが、1分の1じゃない面白さを物語、図面、絵でも伝えていきたいです。展示は1月末からなので、時間も限られていて大変ではありますが、楽しみでもあります。今は、妖怪達と向き合い続けるしかないです。」
―大学院修了後はどうされるのですか?
「あまり良い人生設計ではないのですが(笑)。この修了制作が終わらないと、僕がどう生きていくかが見えてこないのです。今は自分の制作が終わることで、どう生きていくかがわかると期待しています。作品を見て下さる方には、僕の妖怪を面白いと思ってもらえれば嬉しいです。存在しないものについて想いを巡らせ、いないものを考えることが肯定され、一人一人の妖怪がいても良い、そんなことを感じてもらえたらと思っています。」
*
國清さんは、修了制作について、誠実に熱意を込めて語ってくださいました。
「建築」というと、公共建築物や商業施設、地域の再開発など、大きな新しいもの、というイメージがありましたが、國清さんの視点は、都市のなかで私達が見て見ぬふりをしてしまうものや存在しないものに向けられています。現実を疑いながら、社会を観察し、「透明化されてしまう存在の声」を聴き、思考を建築につなげています。
修了制作をまとめた後も、國清さんの観察、想像、思考、表現は続いていくことでしょう。今後、國清さんの表現は、「建築」という枠から広がり、さらに深まっていく予感がします。とても楽しみです。
國清さんの作品「妖怪建築―存在しないもののための建築」は、卒業・修了制作展の会期中に構内の陳列館に展示される予定です。6つのプロジェクトで紹介される妖怪建築をぜひご覧ください。そこに「ありえるかもしれない世界」を感じ、物語が聴こえてくるかもしれません。
そして、國清さんの素敵な笑顔にも出会っていただきたいと思います。
取材|関恵子、ふかやのりこ、黒佐かおり、濱野かほる (アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆|関恵子
小学校の教員を退職後、美術館で子ども達を迎える側になりたいと思い、とびラーになって3年目。子ども達のミュージアム・デビューに立ち会える幸せと、アートを通じてさまざまな人達と出会える喜びを感じています。
第67回東京藝術大学 卒業・修了作品展 公式サイト
2019年1月28日(月)- 2月3日(日) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場|東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
2018.01.29
お正月気分の抜けきらない1月中旬、集合場所に現れたのは、スラッとした長身と、はにかんだ笑顔が印象的な栗脇剛さん。栗脇さんに案内されて総合工房棟5階へ向かうと、目に飛び込んできたのは壁一面に貼られた図面と3つの精巧な模型だった。
人々の意識からブラックアウトしたかつての外濠
―卒業制作について教えてください。
「卒業制作は今までの課題と異なり、教授からテーマを与えられるのではなく、テーマも場所も全部自分で設定します。選んだ場所は四ツ谷駅。ここは江戸城の外濠だったところで、第二次世界大戦に残った灰を埋めるために使われた場所です。かつてはインフラストラクチャー(ここでは水路)として、人間の生活の中で大きな役割を担っていたものですが、今は形骸化しています。本来の水路という機能を失ってしまった場所で、断面などの形態に注目し、どういった建築が可能かを考えました。」
栗脇さんは四ツ谷駅周辺のかつては濠だった広大な場所に2つのエリアを設計した。まず、駅の南側のエリアについて説明してもらう。ここは、今は上智大学のグラウンドとなっており、近隣の人々が普段訪れる場所ではない。私自身、この場所の側を何度か通ったことはあるが、うっそうと茂った植生の下にグラウンドが広がっているなど想像もしたことがなかった。ここに栗脇さんは図書館と文化交流施設という2つの建物を配置し、それらと既存の道をつなげるような橋を設計した。
「図書館はあえて丘に切り込み、地形に倣うように段々にすることによって、通った人の視界が開けるようにしています。文化交流施設も高低差のある丘にあえて介入するような形で建物を作っています。高低差を活かして上と下に入口を作り、建物内で上下を出入りすることで、地形の上下を行き来する感覚を意識しました。」
「橋を通すことによって橋の上からの視界が開けます。また、迎賓館からの道や既存のランニングコースの延長線上に配置しています。そうすることで、地域の人々や迎賓館周辺を走るランナーにとってこの場所は特異なものではなく、地域と調和しつつ、じわじわと人々の意識を変えていくものになると思います。角を一つまがった先にこうした空間が広がっていて、そこはただのランニングコースではなく、かつて人々の生活を支えたインフラだった、ということがわかる場所になればと思っています。」
「橋はアーチ橋にしています。新たな導線であると同時に、通常の橋と異なり等間隔に柱が落とされていることで、アーチの橋脚が建物の柱としても同時に機能するんです。住居とまでは行かなくても橋であり生活空間にもなる、そうした変化の仕様があります。」
確かに、栗脇さんの考えた建築構造により、川の向こう側とこっち側を分断する存在だった空間が、両者をつなげ人々が集う空間へと様変わりしていた。地域を作る建築の力というのはこういうものかと早くも感じた。
次に、四ツ谷駅北側にあり、現在は外濠公園となっているエリアだ。こちらはまだ水が残っている場所があり、そこにギャラリーとカフェテリアを設計していた。
「ここは外濠公園と銘打っていても、けもの道のような通路がある程度で日常的に人が通る空間になっていません。こうした空間にどういうものが作れるかを考え、今度は新しいものを作るのではなく、地形をなぞる補助線のような建築を設計しました。例えば、なだらかな坂があった場所では建築の中の廊下も既存の地形に合わせることで、ギャラリーに飾られる展示物を見ながら身体で地形を感じることができます。」
「カフェテリアを配置した場所にはまだ水が残っているのですが、植生に囲われていて容易に入ることができない上に、視界が悪くせっかくの水辺を見ることができません。財政的な理由で手入れが行き届いていないというわけではなく、日常的に視界に入っていないという環境で過ごしていくうちに人々の意識からも消えてしまうようです。そうした問題を抱えた場所に対して、地面を少し削って川を露出させてあげることで視界が開け、そこにカフェテリアなど人が集う空間を作ることで、不特定多数の人間に魅力が伝わるようになると考えました。」
―この空間に名前を付けるとしたら?
「完全に満足するタイトルはまだないのですが、ここはかつての大きなスケールのインフラストラクチャーに対し、人間のスケールからできる建築という意味で「フィジカルストラクチャー」といった造語を考えました。大きなスケールに対し、人間という小さなスケールから見直すことで新しい形が出来上がるというイメージです。」
―四ツ谷を選んだ理由を教えてください。
「場所の選定の際に、都内にあるあまり認知されていない遺跡―神格化されたような場所ではなく、人々の意識からブラックアウトしてしまった場所にある「忘れられた構造体」―を探しました。選んだ四ツ谷駅周辺の外濠は水が流れていないことによって、本来の外濠(水路)でもない、かといって生活空間になったわけでもないという、機能を失ってしまった空間ということに惹かれました。機能を失っているということは、自分が介入できる余地が多いということでもあると考えています。そうした形骸化したものに新しい操作を加えることで全く別のものに様変わりさせることを目指しました。」
遺跡、ブラックアウトした場所、忘れられた構造体、機能を失った空間…選んだ四ツ谷の街について様々な表現をする。一見するとどれもネガティブな印象を受けるが、栗脇さんの語り口はそうではない。むしろ、この逆境を楽しんでいるようにも聞こえる。
―栗脇さんの感じている四ツ谷はどんな街ですか?
「四ツ谷駅は中高時代に乗換駅として通っていましたが、降りたことはなかったので電車からではどういった街かわかりませんでした。四ツ谷は降りて歩いてみて初めてわかることが多いです。例えば、上智大学の手前の丘のようになっている部分に登って初めて、実は丸ノ内線が露出していることがわかります。電車や水路、学習施設が多いなど様々なコンテクストを持つ街だと思います。秋葉原や渋谷のように「こういう街」と一言で表せるようなイメージはまだつかめていません。それもまた魅力だと思っています。制作にあたって歴史も調べましたが、元々は水戸藩藩士の住居が集中する場所だったようです。迎賓館も元々は赤坂離宮です。でも、こうした歴史が現実に根付いているという空気でもなく、いい意味でつかみどころがないという街だと思います。」
地形と遊び、人々の居場所を作る
―構造体を作る上のこだわりはありますか?
「設計する際はどういう形が面白いかを考えます。言葉よりもイメージとして思いついたものを描いてみることが好きです。まず、既存の敷地模型を作り、そこから自由に思いつくまま切ったりはめ込んだり、その地形に対してどういう建物や道の作り方が考えうるかを考えます。設計した上の最終目標としては、そこに居場所をつくること。建築があって初めて、地域の人々がそこに介入する機会を与えられる。人々の意識からブラックアウトしていた場所に、ふっと立ち寄る機会を与えることができるのが建築だと考えています。」
―現場の観察から設計にいたるまで、作業としてはどのような順番で進むのですか?
「同時並行ですね。最初に現地調査に行ったときに写真をたくさん撮り、地形模型を作り、考えていく過程で確認したいことがあったら、また現地に行って写真を撮ったりします。」
「いきなりパソコンで図面を描くことから始めたら、こうした思い切った形はできないと思います。やはり、形態的なstudyを行うことで新しいアイデアを見つけやすくなると思いますし、設計していて楽しいと感じられる瞬間でもあります。切ったり削ったり自由に考え、そこから現実的なスケールに当てはめていき図面化していきます。最初に自由に形を考えながら、少し現実的にもとらえられる、形態的なstudyを重視しています。」
精巧な地形の模型を作り、手を動かしながら地形にあったカタチを探すことをstudyと語る。その言葉とまなざしからは、少年のように純粋にその過程を楽しんでいることが伝わってきた。
―こうしたものを思いつくまでにはどのくらいの時間がかかるのですか?
「モノによります。例えば、この丘に介入した四角いハコはすぐ思いつきました。まず地形としての丘を作ってみて、そこから削ってみようか、道を通してみようか、介入させてみようか…など色々試し、さらに整理していって、こちらの文化交流施設の設計につなげました。そして、少し高い位置にも橋があったらいいなと考え、異なる高さの橋が交わるように配置しました。道の角度などは四ツ谷の迎賓館の道から着想を得ましたが、両岸で地面の高さがかなり異なるので、その高低差を体感するためにも迎賓館からつづく道を同じ高さで一直線に延ばして、対岸の丘に介入させるようになっています。こうした体験が高低差の意識につながるかなと思います。」
―今回の設計で悩んだことは?
「Studyが楽しくて、止まらなくなってしまって、長期間やりすぎてしまいました。そこから人間スケールに設計するとなった時に、デッドスペースが生まれてしまい形を変えなければならなくなったりしました。いくら1/1000スケールでカタチ遊びをしても、人間が暮らすのは実物大なので。」
「卒業制作は敷地の広さなども設定されていなくてすべてが本当に自由です。建築学科には15名ほど学生がいますが、扱う敷地の広さで言えば私が一番広いんです。だからこそ大きなスケールと小さなスケールを同時に見なければならないという、広い敷地ならではの難しさはありました。」
少し自嘲するように笑う語り口からは、あぁこの人は本当に設計を楽しんでいるのだなということが伝わってくる。そんな思い入れを持って設計に取り組んでくれる建築家が作った街に住みたいものだ。
―模型を作る時に意識していることはありますか?見せ方で気を付けていることなどはあれば教えてください。
「模型には荒めの発砲スチロールを使用しています。色合いで気を付けていることは、人々が歩いて普段日常的に使用する導線を白くして、それ以外は黒くするように色分けしています。なので、車道など人間が立ち入れない空間は黒くしています。Studyをする際に現実に照らし合わせて、この導線に延長する形で橋を作ろうとなります。黒の中に白い線が入っているとそこに自然と目がいくので、それを意識しました。」
ルーツとなったレゴ遊び
「元々幼少期からレゴブロックで遊ぶことが好きでしたが、その時は建築を意識していたわけではありませんでした。カタチ遊びをしたうえでモノを生み出すことに喜びを得るようになったのは、2年次の加工課題。これが4年間で一番楽しかった課題でした。例えばレンガは組み合わせを変えることで、人が入れるくらい大きな構造物を作れます。私は12面体からヒントを得て、多様に組み合わせることで人間が入れるようなスケールのものまで展開できるユニットを作りました。ただ、まだその時は、建築物やその周辺の地域など、より大きなスケールに結び付けるためのエンジンが見つかっていませんでした。」
「土地や地域について考えるきっかけとなったのは4年の前期に行った暗渠課題でした。これは、都内の暗渠の断面の形態から建築を作るうえでのポテンシャルを見出して、その場所にあった建築を作るという課題でした。こういう断面に対してどのようなアプローチができるかと考える際に模型を作成し、その場所のコンテクストに合わせて形態を変化させる。実際にある形に建てることを想定して考えるということが、自分の元々好きだったカタチ遊びとここでかみ合いました。」
小さいころから好きだったカタチ遊び。ブロックを組み合わせてオリジナルロボットを作ったり、建物を作ったりお手本通りではなく自由な創造を楽しんでいたそう。レゴの他にも折り紙も好きだったと語る。手を動かしながら考える今のスタイルは、既にこの時に確立されていたようだ。
―藝大で建築を学ぼうと思った動機を教えてください。
「小さいころからレゴなどカタチ遊びが好きなのと同時に、絵を描くことも好きでした。まず藝大で学びたいという気持ちが先行して、その中で自分やっていることが仕事として世界に少しでも還元できるものがいいなと考えた時に、自分の作ったものの中に不特定多数の人たちが介入できる建築がいいなと思いました。」
―もともと住宅設計などよりも、都市などの広い空間に興味があったのでしょうか?
「そういうわけではないです。どちらかというと住宅設計の方に興味がありました。今まで一軒家に住んだことがなかったので、子どものころは一軒家の友達の家に行くと羨ましくて…。トイレが2つあったり3階建てだったり、妄想でこんな家に住みたいという図面を描いたりしていました。多かれ少なかれ建築との接点はあったんだと思います。」
―図面!その図面を描いていたのはいくつくらいの時ですか?
「小学校3-4年生くらいの頃ですかね。父親の転勤で生まれてすぐアメリカに行き、一番長いところでは幼稚園の頃から小学校2年生まで3-4年間フランスにいました。その時もマンションだったのですが、友達の家に遊びに行ったときの衝撃がすごかったです。庭にトランポリンがあったり。」
―今でも海外に行くことはあるのですか?
「フランスにいた時の友人がデンマークにいるので、去年の夏に1週間ほど滞在して建築めぐりをしました。その時も街並みや建築に触発されました。日本と異なりレンガ造りの建物などが残っていて、外観はレンガ造りでも中は現代住宅風にリノベーションされていて、昔の景観と交差しているという、昔ながらの風貌は残っていながらも再開発も行われている。昔ながらの建物の隣に、ダイアモンドみたいな現代的な建物が建っていても特に不快感を覚えることなく、1つの街並みとして構成されている景観は日本ではまずないことだと思いました。日本はやはり地震大国なので、昔の物に住むということがなかなかできない環境だと思います。昔のモノに少し操作を加えて使えばまったく違うものになるということは、デンマークでの体験から影響されたことだと思います。」
大学での課題や滞在した国々から素直に感じたものを吸収していく栗脇さん。同級生に影響を受けることもあるそう。それにしても、小学生で既に図面を書いていたとは驚くばかり。
カタチのポテンシャルを探求する
―好きな空間や場所はありますか?土地と建物がうまくなじんでいて、栗脇さんの思い描いているようなものが体現されている場所などがあれば教えてください。
「設計のヒントを探すためにPinterestなどをよく見るのですが、そこで建築全体というよりは柱の立ち方や光の入り方といった景観の断片の中に、既存の物に少しの操作を加えることで新しい空間が生まれるという現象に成功していると思える写真を見かけたことはあります。ただ、実際の建築物はすぐには思いつきません。」
そういって自分の引き出しを探るかのように少し押し黙って考えこむ。特定の何か・誰かを手本にすることは容易くはないが、目指す目標がはっきりしている分迷いは少ない。しかし、栗脇さんはそれをしない。迷い影響を受けながら、様々なものの中から自分に合った要素を見出し吸収していく。
「1つあげるなら、ポルトガルのソウト・デ・モウラという建築家が設計したもので、平地に建っているのではなく岩地の中に岩を削って建てたスタジアムがあります。観戦者やプレイヤーの視界のなかに常に既存の岩の断片が見え隠れする、大掛かりだけど実際になし得ているものとして、単純かつダイナミックな操作が印象的でした。」
―目標や理想とすべき建築が既存にないからこそやりがいがあるのかもしれませんね。
「そうですね。こうした地形をばっくり削って段差上に納めた建築などはまだ見たことがありません。次の課題として、人々や町の将来のためにどういうプログラムが必要か、より上手くミックスしたものを設計してきたいと思います。」
自分のやっていることが中身のあることなのか、と考えるという栗脇さん。建築は居場所を作ることと語り、俯瞰よりも人の目線から見える景色を重んじる。彼にとっての建築とは、すなわち人を考えることなのかもしれない。そんな栗脇さんに今後について聞いてみた。
―修士課程ではどういった研究をされるのですか?
「地形に限らず形に秘められたポテンシャルを探っていけたらと思っています。大学院に進むと教授のプロジェクトの手伝いができるので、学部生の時よりさらに現実に近い環境で自分の好きなことをやれることは楽しみでもあります。ただ、自分でもアナログなタイプだと思っていますが、手を動かす方が好きなので、図面にするのが遅れてしまったりします。大学院に進んだら、手書きやStudyもしつつ両立していきたいですね。」
―修士修了後のプランは?
「正直まだわかりませんが、都市計画などよりは、インテリアや家具のデザインといった、自分のスケールに近いもので形態的に振れ幅の広い方向に進みたいなと思っています。」
少し困ったように眉を下げて、ひとつひとつ言葉を選びながら丁寧に語る栗脇さんの話に夢中になっていると、気付けばあっという間に1時間半が経っていた。模型や図面を前にお話ししてくださる栗脇さんの手には白い塗料のようなものが付いていた。これから卒展までの間に、今回見られなかったギャラリーが配置された駅北エリアの模型に加え、設計した空間にいる人々の目から見た景観を描く予定だそう。開催が差し迫った卒展では、カタチの探究者の栗脇さんの完全版の卒業制作が見られるのだろう。今からとても楽しみだ。
インタビュー:今井和江、五木田まきは、鈴木重保、藤田まり(アート・コミュニケータ「とびラー」)
撮影:峰岸優香 (とびらプロジェクト アシスタント)
執筆:五木田まきは
上野、金沢、中米ホンジュラスを行き来しながら、文化遺産と地域をつなぐミュージアムのあり方を模索する3年目とびラー。ひとりひとりの異なる解釈や向き合い方を許容するアートの懐の広さを日々実感している。
第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
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「第7期とびラー募集」
2018.01.28
*はじめに
今回お話を伺う石田さんは、大学院で文化財保存学専攻をされ、油絵の修復が専門とのこと。はたして「修復」とは、いったいどのような場所で、どのような作業を行うものなのか??普段目にすることのない、作品の裏側に迫る、秘密の場所に踏み入るような気持ちで、インタビューに向かいました。
石田さんと美術との関わりは、幼い頃に始まりました。時々の関心事に沿って、時間をかけ、学び、経験を積まれてきました。今は、修了制作展での発表に向け、昼夜・土日を問わず作業している真っ只中。石田さんが語った言葉の中から、修復の魅力と、修復にかける熱意が、あふれるように伝わってきました。
12月のある土曜の午後、待ち合わせ場所である総合工房棟のエントランスに現れた石田さん。第一印象は、しっとりと落ち着いた大人の女性といったものでした。そこからエレベーターで地下1階にある研究室に案内していただきました。
まずは、研究室で石田さんのこれまでの学びや活動について伺います。
―石田さんとアート、修復との出会いはどんな形だったのでしょうか。
絵に興味を持った中学生時代、そこから絵画教室に通い始め、芸術系の高校に進学しました。高校時代に、授業で多くの絵に触れる中、特に中世後期のイタリア絵画に惹かれました。授業外では、展覧会の公開講座や市の事業への参加を通じて、「修復」について興味を持つようになりました。進路を考えた時、作家として生計を立てるのは難しい、何をするにも幅広く学ぶことは重要ということで、金沢美術工芸大学に進学し、芸術学を専攻しました。
幼い頃よりアートが身近にあり、成長の折々に、芸術と多様に接してきたのだとか。美術作品に強く惹かれながらも、自ら作家になることを目指すのではなく、何らかのアートに関わる形を模索してきた多感な時期。私たちからの問いかけに、一問一答のような明確な回答をするというよりも、思い出を辿りながら話してくれました。
―金沢美術工芸大学では、どんな学生生活を過ごしていましたか。
学生時代の印象的な授業は、1年次にあった「朝のお勤め」です。これは、毎日1作品について、10分ほど模写し、5分ほど教授がその絵の背景などを説明するもの。芸術学専攻にはキュレーターや教員を志望する学生が多く、展覧会を見て即座にその特徴を捉えられる能力を伸ばすよう考えられた授業内容でした。その他彫刻、日本画など様々な技法についても学ぶことができました。これは現在も修復を学ぶ基礎力になっていると思います。
卒論のテーマとして選んだのは、京都に伝わる舞楽について。京友禅の染色職人である母がきっかけで、6歳の頃から舞楽を習っていたため、学内の研究室に加え、舞楽の恩師にも師事を受けて執筆することにしました。舞楽の歴史の中で、女性による舞楽が禁じられた時代があり、それを復活させた女性(鷺ノ森神社が生家である原笙子氏)の生涯と舞楽の伝承についてまとめました。その後は同大学院に進学し、舞楽の研究をさらに深めていきました。
修士課程を修了した後、同大学の助手を務める中で、将来に迷う期間もあって・・・。自分のやりたかったことを探して、1年の準備期間を経て、ロータリー財団の奨学金を得て、イタリアに留学しました。
学生時代の実習の様子を楽しそうに、具体的なエピソードとともに振り返ってくれます。それは聞いている私たちに、「朝のお勤め」の体験してみたい!と思わせるほど。卒論のテーマも所属研究室では例のなかった無形文化財に取り組み、他大の研究室に協力を得たり、また、憧れのイタリアにて学ぶ道筋をつけたり。これは!と思ったものに対しては、夢中になり、全力で取り組める方なのかな、と話を聞くにつれ、石田さんの魅力に引き込まれていきます。
―憧れだったイタリアでの生活はどのようなものでしたか。
イタリアでは、フィレンツエ大学の外国人向けコースで1年間学びました。様々な分野の授業を受けることができ、また、授業以外の時間は、美術館や教会に通い詰め、大好きだったイタリア絵画を見る日々でした。高校時代から気になっていた「修復」については、イタリアは修復技術を確立した国とも言われていて、修復工房を見学し、修復学校に通う学生と交流などもしました。ですが、言語の壁もあり本格的に学ぶ機会を得るのは難しかったです。
イタリアが舞台で修復士が主役といえば、映画化もされた有名小説(「冷静と情熱の間」)が思い浮かびますが、「それに影響されて修復家を志したと思われないよう、一度も見ていません!」と笑って話す石田さん。好きな絵を好きなだけ見ることができた、とても恵まれた環境にいたことをまぶしく思い出しながらも、出発前に周囲の人からかけられた「イタリアに行けば何とかなると思ったら大間違い」という言葉はずっと心に残っていたと言います。
―帰国後はどんな活動をしましたか。
帰国後に職を得ようと、縁のあった会社に彩色職人として就職しました。その会社は、修復事業を強化していく段階にあり、私が働きながら学ぶことを受け入れてくれました。社長や同僚には感謝しています。手がけた仕事は、神社仏閣から木彫りの作品まで、発注者の希望を踏まえて彩色するというものでした。全国から依頼があり、出張も多くありました。ここで正職員として仕事を続けようと思っていましたが、以前より抱えていた「油絵の修復をしたい」という思いが消えず、今ここで挑戦しなくては後悔するとの思いから、藝大の大学院を受験しました。
就職していた頃に手がけた作品の写真をいくつか見せていただきました。日本の伝統や歴史を感じさせる色合いから、渋さ、鮮やかさ、なつかしさ、様々な感じを受けます。ここでの修復の仕事は、例えば、神社仏閣の天井画には脚立に乗って彩色する、緊張感も体力も必要な仕事。学ぶことも多く、大学院に通い始めて1年間は仕事を継続していたそうです。
*
これまでの経緯をふまえて、現在の研究について伺います。
修復のことをよく知らない私たちに、丁寧に、わかりやすく話してくれます。この時から、凛々しく、正確に物事を伝えようとする研究者の顔へと、石田さんの表情が少し変化したような気がします。
―大学院では、どのようなことをしていますか。
大学院では、1年次に修復実習が週2日あり、加えて、テンペラ模写、ゼミでの活動の他、文化財保存、光学調査などの授業があります。光学調査の授業では、藝大学美術館が所蔵する作品のうち、年間20~25ほどの作品の記録撮影と分析(紫外線蛍光写真、赤外線写真、測高線写真、正常光写真などの撮影や、作品の裏面など全てを記録する調査など)をしていきます。2年次に、個人修復作品・共同修復作品を各1点と、個人研究としてテンペラ模写を仕上げて発表することになっています。
早速、聞きなれないたくさん単語に触れて、頭の中では、懸命に聞き取った音を漢字に変換しようとします。・・・コウガクチョウサ??
―お話に出てくる光学調査とは、どのようなことを行うのですか。
例えば、紫外線写真では、蛍光している個所は、ワニスが表層にあることを示しています。測高線写真では、たわみ、傷、歪み、はく落、亀裂などがあることがわかります。赤外線写真では、白黒化して、炭素に反応している個所が黒く表示されるので、墨や鉛筆などの下書きがよく見えます。他にも蛍光X線では絵の具の種類を分析します。それから、マイクロスコープを使って細部の写真を撮ります。
そして、これらの写真・調査を基に調査書を作成します。調査書には、サイズはもちろん、ワニスの有無、絵の具層の剥落、地塗りは何の絵の具で何色か、固着はよいか、シミの有無などの状態と、それを踏まえた修復方針を記載します。1年次の実習を通じて、自分自身で、自分が担当する作品についての調査書を作成する能力を身に付けます。こんなふうに、実際に作品の画面上で 修復を行うまでに、かなりの時間を要します。
修復作業に入るまでにいくつもの工程があります。思っていたより、理系の研究室に近い感じがします。普段使っている机を見せてもらうと、鮮やかな金色と赤の作品がありました。テンペラ画の模写です。
―テンペラ画の模写では、どのような作業手順があるのですか。
まず、板を本物の作品と同じサイズに切り、膠で接着して麻布を張ります。次にイタリアの石こう地を塗り、乾く前に12層重ねていく。そして、表面をきれいにやすります。茶色い砥の粉を塗ると接着し、つやが出るので、水で表面を濡らすだけで金箔がつくようになるんです。さらにメノウ棒で磨き、盛り上げには石膏を用います。ここは少し彫刻的な作業です。
修復に用いる、使い込まれた道具を一つ一つ手に取って見せてくれます。先ほどの理系のような研究室の雰囲気から一変し、造形的なアトリエの雰囲気に変わっていきます。1つの空間の中で異なる雰囲気を感じることができる、不思議な場所のようにも感じます。
研究室での話を終え、ここからは大きな油画作品の修復作業を行う正木記念館に移動して、実際に修復中の作品を見せていただきます。
この建物の内部は、普段は開放されていません。前半のインタビューで雰囲気が温まったところから、一度外に出て冷たい外気に触れたこともあり、緊張した気持ちを再び取り戻して中に入ります。石田さんもここでは眼鏡をかけています。修復作業のモードに入る合図でしょうか。中には高い天井、手前の部屋には、作業台、修復道具をかけられる壁面、各種写真撮影を行うスペース、分析を行うパソコンが置いてあります。扉で仕切られた奥の部屋には、収蔵庫から修復のために持ち出された作品を置くための棚があり、温度・湿度などは機械で管理・記録されています。特別な場所に潜入したな、と聞き手の私たちの気持ちは高揚します。
―ここで、修了制作展に向けて作品を修復しているのですよね。
修了制作として、個人で修復を手がけている作品と、大学院の同期4名のチームで行う共同修復に取り組んでいます。修復する作品は、1年次の終わりに、藝大美術館の収蔵庫に入り、所蔵作品のうち修復が必要なものから、自分で作品を選ぶことができます。学生が担当するのは、主に明治後期から大正にかけて、日本人が制作したものです。修復技術は、国がもつ気候風土によって大きな違いがあります。日本の修復技術は、日本の風土において、作品をどう残していくかという観点で考えられています。
―個人修復の作品には選んだのは、どのような作品ですか。
個人修復は、橋本邦輔氏により明治43年に制作された油画作品です。ルーブル美術館に所蔵されている、フラ=アンジェリコの《聖母戴冠》の部分模写にあたります。この作品に決めた理由は、最初はひどく汚れていて、穴もあって、なんだかかわいそうに感じたからです。まず開いていた穴を埋めました。それ以外の症状、たとえば大きな絵の具の剥落などはないのですが、汚れやカビは、アンモニア水やクエン酸など、様々な方法を試しながら洗浄しても取れませんでした。今回の修復では補彩を施して、汚れの除去は後世の人や新たな技術に託そうと思います。
作品の前に座り、道具の説明などしながら、補彩を実践してくれる石田さん。髪を結いあげて拡大鏡を装着し、わずか1mmほどの細い筆を持って、真剣な面持ちで画面に向かいます。
見ている私たちも思わず息を飲みます。気が遠くなるような、地道で繊細な作業です。こんな僅かな作業の積み重ねによって、作品は生まれ変わっていくのですね。
*
複数人で修復に臨んでいる共同修復の作品についても、お話しを聞きます。
―共同修復では、大作に取り掛かられているとか。
チームで修復している作品は、大正2年に描かれた五味清吉氏の作品で、神話の大国主命と八神姫に出てくるワンシーンを描いたものです。大正時代から続くロマン主義の系統にある、文学的な物語性の強い作品で、藝大美術学部始まって以来の大作と呼ばれています。五味氏は岩手県出身で、2016年に生誕130周年を迎えました。ですが、この作品はこれまでに1度も修復されず、貸出依頼が合っても貸し出せない状態でした。作品の修復に加えて、五味氏の藝大での立ち位置や制作に影響を与えたもの、所蔵の経緯などを調べて、修士論文のテーマとして扱っています。
修復している途中の作品を見せていただけることになりました。石田さんと一緒に、作品を慎重に持ち上げ、反転させて・・・、手に汗握るような緊張の瞬間です。机に立てかけた作品を、皆で見ます。個人修復に比べて、一番の違いは作品の大きさ、私が両手を伸ばしたよりも大きく、高さも1mほどはあったでしょうか。よく見ると、絵の具が剥落している面積が広いことにも気が付きます。
―共同作業はどうやって進めていますか。
個人修復の作品と同様に、まず写真を撮って調査をし、それからチームで話し合って修復方針を決めました。作業としては、まずは表打ちといって、表面からこれ以上絵の具が剥落しないように和紙で全面を覆い、剥離しそうなところを定着させました。次に、絵を張り込んでいる木枠が変形していたため、画面を取り外してストレッチャーで伸ばしました。そして、釘を全部抜き、台紙には張り代を加えました。これらの作業に1か月半もかかりました。
夏休みの間はずっと洗浄をしていました。絵の裏面に煤がたまって真っ黒だったんです。この汚れは、昔上野を走っていたSLから出た煙が、美術館の収蔵庫まで届いたからだと伝え聞いています。洗浄は何度かの確認と再作業を経て、11月にやっと教授からOKが出ました。
個人で修復する作品もある中、バイトのシフトのように都合を併せて複数名で取り組んでいます。個人プレイで先走らないように、連帯責任をもって、お互いに注意し合い、相談ながら修復をすすめていきます。これから修了制作展に向けて、まだまだたくさんの工程が残っています。
担当の木島教授が退官前に修復したいと思い続けていたという、様々な人にとって思い入れのある作品。共同修復には、個人修復にはない難しさ、思いどおり・予定どおりにいかないこともあり、また一方で学ぶことも多いようです。
*
さて、まだまだ話を聞きたいところですが、気が付くとインタビュー開始から2時間半が経過。これから制作の追い込みをかける時期、これ以上拘束するわけにはいかず、そろそろお暇しなくてはなりません。
今まで聞いてきた石田さんの半生、現在の研究のお話しから、今の石田さんの思いについて、改めて伺います。
―修復についていろいろ教えていただきましたが、石田さんにとって、修復することの一番の魅力は何ですか。
目の前に本物があること、本物を見ながら作業ができることです。それにより緊張を感じますが、どの作業も楽しいものです。
―学部の卒論のテーマが伝統芸能の伝承、そしてまた、現在は修復に取り組んでおられますが、「大事なものを後世にしっかりと伝えていかなければ」という使命感のようなものはありますか。
今、この作品が目の前にあるのは、誰かが残してくれたから、という思いはあります。私が好きな作品を見続けられるのはそれを保存したり、修復してくれる人たちがいたからで、私もそういう人になりたいと。
―これまでのお話で、その時その時に面白いと思うことに対して、過去にとらわれずに飛び込んで行くという印象があります。今後もさらに、活動は展開していくのでしょうか。
修復の仕事は一生続けて行くと思います。今まで何をしようかと迷った時期もありましたが、心の中ではずっと油画の修復することを目指し、やっとたどり着いたという気持ちでいます。
*最後に
長時間にわたったインタビューの中で、子ども時代や学生時代を振り返る無邪気な顔、研究者としての顔、私たち聞き手が分かりやすいように、聞きやすいように、どんな質問にも優しくわかりやすく丁寧に応えてくれるやさしい顔、たくさんの表情を見せてくれました。そして、最後に語られたのは、とてもシンプルな言葉。様々な経験をしてきて、やっと今ここにいる自分、修復の長い道のりを歩き始めていることを、少し照れたように、しかし、迷いのない目で私たちに語ってくれました。
別れ際、「2年生になると日曜も作業ができるんです!」と嬉しそうにキラキラとした目で話してくれました。これから修了制作展でのお披露目まで、寝る間も惜しんで修復作業に取り組まれるのでしょう。
修了制作展では、石田さんが修復を手がけた作品に加えて、修復報告書に記載された修復前の写真や、紫外線・X線など調査結果も見られるとのことです。ぜひ会場となる藝大美術館の陳列館にて、文化財保存・修復の深い世界に触れてみてください!
取材:ア—ト・コミュニケータ「とびラー」
執筆:むとうあや
インタビュー:むとうあや、高山伸夫、齋藤二三江
撮影・編集校正:峰岸優香(とびらプロジェクト アシスタント)
第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
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「第7期とびラー募集」
2018.01.27
グローバルアートプラクティス専攻(以下GAP)は2016年4月に新設された修士課程で、今年の3月に新設されて初めての修了生を迎えます。GAPの学生の約半分は留学生で構成されていますが、今回取材に応じていただいたのはその中の1人、ロザンナ・ヴィーベさんです。(ロザンナ・ヴィーベさんウェブサイト)
ロザンナさんが来日したきっかけや、GAPに入学し、日本文化に接する中での想いを伺いました。
ロザンナさんは論文で修了するため、今回のインタビューでは、大学美術館に展示中の参考作品(映像作品)を拝見しながらお話を伺いました。
ロザンナさんの映像作品(参考作品)。『自己と他者の境界であるということ』
この作品は、ロザンナさんの卒業論文のテーマ「アブジェクション/おぞましいもの」(※)から派生して制作され、ロザンナさんの身体についての在り方や他者との関わりについて表現しているそう。映像の中では、なんと、10ℓのシロップの中にロザンナさんが入り、シロップを口や鼻から取り込んだり放出したりしています。シロップは、ロザンナさんが好きな粘着質の素材の一つだそうです。
【幼少期の空想から作品制作へ】
ロザンナさんの作品制作は、幼少期の空想と深い関わりがあると言います。
「子どものころに水に溺れそうな自分を想像したことがあり、溺れることへの恐怖心と海への関心が芽生えました。私の空想は、人が水中でも呼吸できないだろうか、という仮説に導かれ、液体呼吸の研究があることを知りました。液体が身体の中に入り込むことに違和感を感じますが、一方でそれを魅力的だとも思うのです。
他者とつながる感覚は、輸血においても同じように想像できると思います。
人間は、空気中にある酸素を体内に取り込み、二酸化炭素を放出します。そして体内では、血液が常に循環をしている。私はそういった身体性と外とのつながりに美しさを感じるのと同時に、おぞましさも感じるのです。だからこういった感覚を、私が関心を持っていた素材であるシロップを使って表現しました。」
自分と、その自分の中に入ってこようとする他者。その他者は、自分にとっては異物であるが、同時に必要なものでもあるから、それを認めて受け入れたとき、初めてその他者は、自分と同化して新しいものが出来上がっていく。私は、この映像を見ながら、ロザンナさんはそういうことを伝えたいのではないかと思いました。
「美しいものへの誘惑と、嫌悪感が同時にある」というロザンナさんは、同じ感覚を、この映像を見た人たちと共有したいと言います。
「シロップに顔を入れたとき、浮力を感じ、シロップが自分の目や鼻に入ってくるのが苦痛であると感じた一方で、同時にそれに支えられている感覚もありました。まるで、胎児がお母さんから酸素を吸収して成長していく、というプロセスのようにも感じます」
【自分と他者という感覚】
ロザンナさんには双子の妹さんがいますが、10歳になるまで、自分と妹さんが他者であるという認識が無かったと言います。ところがある日、妹さんと自分は他者である、と認識する瞬間がありました。
「成長過程で自己が形成され、双子にもそれぞれの個性が出てきたということも、妹が他者であると感じたきっかけの一つですが、暮らしていた土地の環境も大きく影響しています。私が生まれたノルウェーは、非常に乾燥した土地だったのに対し、当時住んでいたキューバは、ノルウェーと比べて湿度がとても高く、ノルウェーにいたころよりも一層その湿度感を感じました。湿度がある、と気づいたときの空気の厚みや、冷房をつけたときに変化する空気の質の感覚を肌で敏感に感じるようになり、より空気の存在について意識するようになりました。『いかに人間が空気によって生かされているか』ということへの気づきは、妹が他者であると認識することに繋がり、また現在の作品制作の出発点にもなっています。私はずっとこういうことを考えていて、今はこのテーマについて更に深めているところです。」
ロザンナ・ヴィーベさん。ノルウェー出身。ノルウェーの他にキューバを始め、色々な国に住んでいた経験があり、各国の気候の違いや文化を肌で感じながら、自らのテーマについて研究を続けています。
妹さんと違う個体として存在しているということや、空気や湿度といった物質に対する突然の意識の芽生えは、寂しい、とか孤独感や、自分は今どこにいるのか、という感情を抱くことにはならなかったのでしょうか。
妹さんと違う個体として存在しているということや、空気や湿度といった物質に対する突然の意識の芽生えは、寂しい、とか孤独感や、自分は今どこにいるのか、という感情を抱くことにはならなかったのでしょうか。
「妹が他者であると認識したときから、自分の体が溶け出していくという感覚がありました。そういう感覚から空気の実体をつかもうとしていましたし、自己を認識するために、水の中に入って浮力や水圧によって自分自身を実感する、ということを試みていました。水の中に入ったときに、周りの液体と自分の体が同化し、自分と液体の境界線が曖昧になっていく。寂しいという気持ちは、私にとって、水などの液体から出たときに自分の弱さや孤独感が露出されるという感覚に似ています」
幼少期から肌で感じ培ってきた、異国の空気感や双子の妹さんとの関係性への感覚を、今日においても、自分と新しいものとの関係を築いていく過程で、ごく自然に活用しようと試みているロザンナさん。しかし、日本に来て体感した「距離感」に衝撃を受けます。
「私はラテン系の人間なので、相手の温もりを求めてハグをしたり触れ合ったりするのですが、日本ではお辞儀をして距離を作ります。日本に来てその違いを感じました」
【日本の文化に触れて―異国で自分を知る】
ロザンナさんはノルウェーでの大学時代、日本の美について勉強しており、空間や仏教の和の考え方、そして谷崎潤一郎『陰影礼賛」の本に感動し、建築における陰の使い方に興味を持ったそうです。
大学卒業後は2年間日本で勉強をしたいと希望し、まずは旅行で来日したことが、GAPを受験するきっかけとなりました。
「東京で知り合った人たちの中に画商さんや芸術系大学の先生がいて、その人たちを通じてGAPのことを知りました。元々、東京藝術大学は知っていましたが、私は油画や彫刻といった専門分野を学んでいないので、GAPだったら自分に合うかも知れないと思い受験しました。今思えば色々な偶然が重なったのだと思います」
GAPに入学後は、言葉や文化の違いを感じることが多かったとロザンナさんは言います。
「キューバに住んでいたころに受けた湿度感や、エアコンによって変わる空気の質感を認識した時の衝撃と同じくらい、日本の文化の違いに衝撃を受けました。日本は本音と建て前がありますが、私はいつも正直に感情表現をするので、自分はそういうつもりはないのに相手には失礼に見えてしまう状況があり、自分の言動がどう捉えられるかを常に意識せざるを得ませんでした。また、言葉に関しては、学生の中でも各々の言語レベルが異なっているので、日本語だけでコミュニケーションが取られた場合、私だけ理解ができなかったこともあります。その中で生じる誤解や誤読をクリエイティビティで補っていくということを、前向きに行う必要がありました」
そのようにロザンナさんが感じたギャップは、作品にどう展開されていったのでしょうか。
昨年、ロザンナさんは、日本に来て体験した誤解や誤読をテーマにした作品を、瀬戸内芸術祭で発表しています。
「瀬戸内芸術祭の栗林公園で展示した作品は、日本人とのペアワークでした。彼女が私宛てに日本語で手紙を書き、私が彼女にノルウェー語で手紙を書く。お互いその言語は読めないので、文字の形から作品にしていくというものです。私は手紙の中の漢字を彫刻的に変化させていきました。彼女もノルウェー語を彫刻的に変化させています。この作品では、文章の意味よりも文字の形を皆さんに観ていただいているので、栗林公園でこの展示を鑑賞した人は、誰も文字の意味は理解できなかったと思います」
作品の中で、文字の形に着目したのは、ロザンナさんのある体験によるものだったそうです。
「地下鉄の中吊り広告にある漢字が長い間読めなかったのに、毎日同じ広告を見ながら通学していたら、ある日突然、この広告は会社のことを表している、と理解できたのです」文字の形を読み取り、それを言葉の意味に変換できた瞬間だったと言います。
ロザンナさんが日本に来てから、言葉の違いや人やものに対する距離感を改めて強く意識するようになりました。
「言葉の壁に直面している私は、いつも自分が宙に浮いている感じがします。お風呂に例えるなら、湯船に浸かっているときは、お湯の温度と自分の体温が近い感じがして、ノルウェーにいるような気持ちになります。でも、湯船から出たとたんに、それが急に切り離されるような感覚がします。それは私の日本での経験に似ています。自分も社会に属しているのに、日本の文化から物理的な距離を感じることもあります。それは言葉の壁からも感じることであり、そういうアナロジーが作られるのではないかと考えています。」
また同時に、日本は二面性があるとロザンナさんは感じています。
「無というものや茶室での余白の使い方、挨拶をするときのお辞儀といった人との『間を取る』部分と、満員電車で人との距離が『近い』部分の相反するものが共存している日本の文化に興味をひかれました。また、相手によってTPOをわきまえるということからも、日本の文化や伝統が見えてきて面白いです」
文化の違いを感じながらも、ロザンナさんは決してそれを否定的には取らず、むしろその不思議さを前向きに捉え、楽しんでいるようにも感じられました。
「もちろん、日本の形式的な部分や文化に対しては、変だなとか難しいなと感じることはあります。それで苦労することがあったとしても、興味深いこととして、捉えていこうと心がけています。例えば何かに対して嫌悪感を覚えたとき、それがなぜなのかを敢えて自分に問い、考えるようにしています。私は子どものころ、ピンク色が嫌いでした。それはなぜかと考えていくプロセスの中で、敢えて嫌いなピンク色で文字を書いてみました。実際にこの色が文字になることで、言葉も変わるし、考え方も変わってくるからです。自分の感情的な反応にはいつも理由があるから、それはなぜだろうと追及するために、敢えてそこに飛び込んでいくことを自分に課しています。だから、日本は私にとって、文化や性格が自分と真逆な国だからこそ、私自身を知ることができるのです」
ここまでお話を伺ってみて、ロザンナさんは私たち日本人よりも距離感を大切にしている印象を受けました。
「対極にあるもの同士は、常に繋がっていると思っています。私自身が触れたもの、近い距離感を知るためには遠い距離感も考慮しないといけない。愛だけではなく、その裏返しにある嫌悪感というものも両方考えなければいけないと思います」
他に見せていただいた過去の作品(ロザンナさんのウェブサイトを参照)の多くは、ロザンナさん自身が作品に寄り添い、同化(作品を自分の中に受け入れるように、作品にも自分を受けいれてもらうために、身体的な対話をするということ)し、いかに作品と共存することができるかという点に着目して制作されたものです。それらの作品には、自分の立ち位置や居場所、視点というものが明確に表れていると言います。ロザンナさんの作品は、双子の妹との関係性やこれまでの経験、生活といったものが映し出された、今を生きるロザンナさんの人生の備忘録とも言えるかも知れません。
これからロザンナさんは色々な経験をしていく中で、どのような作品を生み出していくのでしょうか。
ロザンナさんの「今、生きている人生」の提示であると同時に、私たちへの新たな問いかけでもあるはず作品を、今後も楽しみにしています。
(※)思想家ジュリア・クリステヴァが著書『恐怖の権力』(1980)の中で唱えた概念。
とびらプロジェクトに参加して2年目のとびラー。とびらプロジェクトを通して、なかなか美術館に行けないような人たちでも、もっと気軽に行けて、楽しめるような場としての美術館の出来事をみんなと一緒に作りたいと思ってい ます。
第66回東京藝術大学 卒業・修了作品展
2018年1月28日(日)- 2月3日(土) ※会期中無休
9:30 – 17:30(入場は 17:00 まで)/ 最終日 9:30 – 12:30(入場は 12:00 まで)
会場:東京都美術館/東京藝術大学美術館/大学構内各所
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