東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

活動紹介

藝大生インタビュー

東京藝術大学で学ぶ学生のアトリエをとびラーが訪ね、作品が創出されるその現場を取材しています。

「文字が空を飛ぶ!浮遊するコミュニケーションを体感せよ☆」藝大生インタビュー2020|先端芸術表現 学部4年・奧野智萌さん

2021.01.28

12月15日の午後2時、茨城県にある東京藝術大学の取手キャンパス。先端美術学部4年生の奧野智萌さんを訪ねたのは、とびらー4名にスタッフ2名の計6名。

 

「思ったより来られた人数が多くてびっくりしちゃいました。緊張しちゃいますね」

そう言いながら、1対6の圧(奧野さんすみませんでした!)に照れ笑いを浮かべた奥野さんは、赤いタートルネックと、細い銀縁の丸メガネがお似合いのキュートな女性。そんな彼女に連れられて入ったのは、普段は学生たちが素材置き場や作業場として使っている、という大きな部屋だった。

何故か電気が消えていて薄暗くミステリアスな雰囲気…とドキドキしながら、私たちは奧野さんの卒業作品といざ対面!させて頂くことに。そこには…。

小さなピアノが! このピアノが、奥野さんの卒業制作作品だという。

 

作品タイトルは『 Finger Braille Piano』

Finger =指、Braille=点字 だから日本語では「指点字ピアノ」という意味になる。

 

「“指点字”っていうものがこの世にあって。盲ろう者の人のコミュニケーション方法の一つで。それが人差し指から薬指の6本の指を使って、盲ろう者の6本の指に重ねて打つんですけど。その動きのルールを用いて作った“ピアノ”です」

奥野さんはそう言ってからピアノの前に座ると、鍵盤をぽんと叩いた。すると可愛らしい音と共に、いくつかの丸い光とひらがなの「め」が、スクリーンとなっている白い布に映しだされた。 続けて奥野さんの指が他の音をならすたびに、違うひらがなが浮かび上がってくる。ピアノにはプロジェクターが取り付けられており、鍵盤の動きに合わせて、文字が映し出される仕組みになっているのだ。

暗闇の中に映し出される光と文字を見ながら、うお、面白い!とか、ああ、なるほど!このために部屋を暗くしてあったのか!ふむふむ…などと思いながらも、奥野さんのこの作品が何を表しているのか、この時点では全く理解できていなかった。

 

■指点字とは?

 

そもそも「指点字」とはなんぞや?ということで、まずは「指点字」についての説明を、奥野さん自身による制作の記録から抜粋させて頂く。

 

『指点字とは、盲ろう者の人差し指から薬指の6指を点字タイプライターのキーに見立てて直接点字を打つコミュニケーション。「盲ろう者」というのは「目(視覚)と耳(聴覚)の両方に障害を併せ持つ人」の総称であり、一口に盲ろう者と言ってもその障害の状態と程度は様々。だから「盲ろう者」の方が使うコミュニケーションの方法はいくつかあるのだが、その中でも、視力と聴力を完全に失った「全盲ろう」の方やそれに近い状態の人々が用いるのは、触覚を用いた接触によるコミュニケーションである』

 

なぜ指点字で6本の指を使うのかというと、視覚障害者が使う「点字」が6つの点の組み合わせで構成されているからなのだとか。(指点字は元々点字をベースに考えられている)点字を打つための、点字タイプライターのキー配置が、左右の「人差し指、中指、薬指」、合計6本の指にそのまま割り振られ、それが「指点字」に使われているという。

実は、 2020年の2月から「指点字通訳者」としても活動しているという奥野さん。

 

指点字の通訳者たちは、私たちがパソコンのキーボード を打つような感覚で盲ろう者の6本の指の爪の付け根あたりをタップしていき、会話をするのだが、奥野さんは、この『Finger Braille Piano』で、その盲ろう者の6本の指を、6個の鍵盤で表した。

 

そして鍵盤にマイクロコンピューターのシステムを組み込みんだことで、それぞれの鍵盤を指点字のルールに沿って押せば、その文字が映し出される仕組みが出来上がった。

「ちなみに、これ、英語も数字も出ます。こことこれを同時に押すと『ぎゃ』とかになります」

 

なんと、ひらがなだけではなく「指点字の法則」に従って英語や数字にも切り替えることができるという。作品の仕組みを理解し始めると、更に興奮が増し、わあ!すごい!おおーっ!と大の大人揃いである我々取材陣も、歓声をあげてはしゃいでしまう。

 

指点字の知識がほとんどなかった私たちに、ものの30分程で指点字のルールの基礎を理解させてくれた、奧野さんの「指点字ピアノ」という作品。しかもとても楽しい!ということで、なぜこれが作られることになったのか、奥野さんの動機ときっかけを、めちゃくちゃ知りたくてたまらなくなってしまった…!

 

■東京大学 福島智先生との出会い

 

「2019年の12月に横浜国立大学で、東京大学教授の福島先生の授業があって。私は出ていなかったんですけど、学部の同期が福島先生から名刺をもらってきて。福島先生が『指点字の通訳者に興味があって、指を動かせる子がいたら連絡して』っておっしゃっていたと教えてもらったのがそもそもの始まりですね 」

 

「福島先生が、指の動く子がいたら、っておっしゃったときいて。私は3歳から10 までピアノを習っていた、ということもあって。仕事するっていうよりかは、研究室に遊びに行ってみるみたいな感じで。福島先生にお会いしたのをきっかけに、じゃあちょっと覚えてみよっか、と始まりました」

 

奥野さん曰く、指点字の配列を覚えること自体はそんなに難しいことではないらしい。しかし。

 

「それを普通の人が喋ってるスピードで打つ、指を早く動かす、ということが結構大変で。ピアノを習っていた人はそれが得意、というか」

 

つまり指点字通訳者には、指を滑らかに早く動かせる人が向いていて、奥野さんはそれに当てはまった。

 

指点字通訳者は、我々のごく普通の会話のテンポにあわせて通訳するだけでも、驚くほど早く指を動かさなければならない。展示当日にはピアノと共に、奥野さんが福島先生にインタビューしている動画も流すというのだが、その目的は。

 

「福島先生へのインタビュー映像は、私が、ばーっと質問を指点字で先生の指に打って、それに先生が答えてくださっているんですけど。インタビューをピアノと一緒に展示するのは、指点字がどういうものか、どういうスピードでコミュニケーションが進んでいくものなのかも見て欲しくて。

 

通訳者になって今1年くらいなのですが、会議の通訳とかはまだできなくて。まだまだ勉強することが多いです」

 

まだまだ…と言いながら、指点字について語る奥野さんはとても熱っぽくなんだか楽しそうだ。

 

「今までやってきた仕事とかアルバイトの中だと一番楽しい、って思ってる気がしますね。行きの電車が辛くないというか」

 

『行きの電車が辛くない』というパワーワードに私たち取材陣は爆笑。その爆笑に、ふふふっと照れ笑いを返してくれた奥野さんがとてもキュートで、その場が一気に和んじゃいました。

 

なぜ『ピアノ』で表現した?

 

指点字をピアノで表現しようと思いついたのは、ピアノ経験者が指点字に向いているということや、18歳までは聴覚があった福島先生がピアノをやっていたこと、など、指点字とピアノの関係から発想したそうだ。

 

奥野さんは当初、文字だけを映し出すつもりだった。でも作品のプランを福島先生に話した時に 、色をつけたらどう?と提案されたという。

 

視覚を失ったとしても、何歳で失ったかにより色の記憶がある人も多く、そのような人の中には点字に色を感じる人もいるそうだ。

 

奥野さんは、その後福島先生から『6色といえば、アメリカ などでは虹は6色と言われている』という話を聞き、6個の鍵盤に対応する6色は虹の色を割り振ることにしたそうだ。

「今年はコロナの影響で、お客さんに触ってもらう作品を作れなくて。だから展示当日、本番の日は、私がピアノで状況説明っていうのをひたすらやろうと思っていて。例えば今だったら…」

 

そう言ってあたりを見渡したあと、奥野さんが連続して鍵盤を叩くと白い布に一文字ずつ映し出され、『ひだりがわにさかなのかたちのえがあります』という文章が完成した。この時実際にピアノの左横に魚の形の絵があったのだが、それを『Finger Braille Piano 』で『状況説明』してくれた、というわけだ。

 

指点字が飛んでいく

 

ピアノからカラフルな文字が飛んでいくようなその様子を、「指点字が飛んでいくんですね」と、とびらーの1人がそう表現すると、奥野さんはそうなんです、といった。

 

「普段、盲ろう者が一方的に受けている言葉で説明されるみたいなことを、それがどういうものかをこの『Finger Braille Piano』 で可視化したくて。普段、盲ろう者の方がどのような体験をしているのかを、通訳者の私が、指点字でこのピアノを打つことで、健常者の人にも体験してもらうことができます。

 

私を含めてここにいる皆さんは全員、見えて聞こえているので、勝手にこの空間を共有できているんですけど。こっちにホワイトボードがあるので、これ以上こっちには行けませんよ、とか。

 

でも、そういうことを一から説明を受けている人がいるんですよね。目の見えない人たちは、こっち、あっち、っていう概念がないから細かく言葉で説明していかないと伝わらない。そういう人たちのコミュニケーションを構成しているもの。私たちが当たり前になっているものについて考えるきっかけになったりしないかな、って」

 

「私は指点字を空中に飛ばす、ことをやりたくてこのピアノを作ったんですけど、文字を飛ばしても、盲ろうの人には見えない。つまりこのピアノは、盲ろう者が日常的に使えるものではないので、彼らにとっては、全く実用的な道具ではないんですよね。

でもそれがやりたかったというか。私が藝術大学にいるから作れるもの、というか。実用的に役立つものじゃないけど、そういうのを作れたらいいなあ、って」

指点字や盲ろう者との関わりをテーマにした作品、と聞くと、その制作背景を想像したときに、どうしても『福祉的、社会的に実用化できるもの』的な要素や意義があると思われがちだ。

 

もちろん奥野さんも、この作品により指点字が多くの人に知られるきっかけになればいいと思ってはいる。実際に私たち取材陣は指点字について知識を増やすことができたのだから、この作品にその力は十分にある 。

 

だが今回の作品を作る上で、奥野さんの核となったのは、あくまでも『自分が指点字と出会い通訳者となって感じたこと』を『芸術を学ぶ学生だからこその方法』で表現する、ということだった。

 

芸術で伝える『コミュニケーション』

 

「指点字って接触者との1対1のコミュニケーションだから、たとえそこにたくさんの人がいる会話の中でも、2人だけの閉じた世界になりやすいんですよね。

 

外界との間に壁ができるというか。だからもっと指点字の世界を開けないかな、とか可視化できないかな、と。そういうことをなんかぼやぼや考えて。私だったら、それをどういう風に表現できるだろう、って」

 

そうして奥野さんは、指点字を『飛ばす』ということを思いつき、福島先生にも相談しながら出来上がったのが、今回の『Finger Braille Piano』だ。展示当日は、そのピアノを、通訳者(奥野さん)が弾く。それにより私たち鑑賞者は、盲ろう者が使っているコミュニケーション方法を擬似体験することができる。

「指点字を勉強し始めたばかりの頃は、指点字さえ覚えれば、盲ろう者の方と会話できると思っていました。でも実際はそんな単純なことではなかったんです。

 

福島先生がよくおっしゃっているのですが、盲ろう者にとって、指点字というコミュニケーションツールがあるからもう大丈夫、というわけじゃなくて、そのツールをどう使うかが大切なことだと。今回はそこまでこの指点字ピアノだけで表現しきれていないですけど…そう言った意味もあって、福島先生のインタビューの映像も一緒に展示することにしたんですよね。

 

コミュニケーションツールをどう使うの?っていう問題は、見えたり聞こえたりしている私たちも一緒だと思いませんか?今コロナで、なかなか対面で会えなくなって、色んなコミュニケーションツールはあるんだけど、それをきちんと使えているのかなとか」

 

1時間半に及ぶインタビュー中、奥野さんの口から繰り返し繰り返し、最も多く発せられたのは、『コミュニケーション』というワードだったように思う。

 

そんな奥野さんのメッセージがぎゅぎゅぎゅ、っと詰まったであろう『Finger Braille Piano』。

 

おまけ

取手キャンパスで飼われていた山羊とコミュニケーションをとる とびラー

 


取材:荒井 茂洋、河野 さやか、合六 幸恵、豊吉 真吾

執筆:合六 幸恵、豊吉 真吾

 

とびらー9期です。普段はテレビ番組のディレクターをしています。奥野さんの作品&取材から指点字に一気に興味が湧き、本業でも何か…と目論み中です。ワクワク!(合六 幸恵)

 

 

とびらー8期です。正解がないアートの世界に魅せられて、とびラーとなり、はやくも2年が経とうとしています。多彩で面白い仲間と一緒に、プロジェクトを育てていく喜びを感じています。普段は音に関わる仕事をしており、今回の藝大生インタビューはとびラーとしてこの上ない幸せでした。(豊吉 真吾)

「金継ぎを通して作品が伝えるストーリーの一部になる」藝大生インタビュー2020|グローバルアートプラクティス専攻 修士2年・Nuttall Clementine Sarahさん

2021.01.28

花瓶をたたき割るシーンから始まるショートフィルム『UNBROKEN』。【金継ぎ】をテーマにした、このショートフィルムのプロデューサーでもあり出演者でもある、クレメンタイン・ナットールさん。彼女にお話をうかがうため12月4日、東京藝術大学取手キャンパスに、黄星・内田淳子・石毛正修・安藤淳4名のとびラーで向かいました。ショートフィルムの中では終始、厳しい表情だったクレメンタインさんでしたが、寒い中、私たちを笑顔で出迎えてくれました。

 

―はじめまして

「今日は、よろしくお願いします。クレメンタイン・ナットールです。私は英国の出身で、国費外国人留学生として日本にはもう4年近く住んでいます。日本に来る前は、英国で彫刻、建築の保存修復の勉強をしていました」

 

 

―保存修復に興味を持ったきっかけは?

「高校を卒業したとき、自分が何をやりたいか? まだはっきりと分かりませんでした。なので、18歳で高校を卒業した後、そのまま大学に進学するのではなく、1年間旅に出たんです。世界中を旅して、興味を惹かれるものをたくさん見ました。その中で、私に多くのことを語りかけてきたのは建物やその装飾でした。そして、旅の途中で保存修復作業をしている人たちに出会い、モンゴルでは壁造りのプロジェクトを手伝いました。ドライストンウォーリング、壁造りですね。歴史的に重要な壁の保存修復を手伝いました。その時、『ロンドンに戻ったら修復の勉強をしよう』と思ったのです。初めは石彫、それから木彫を勉強。その後しばらく建築物の保存修復を勉強して、建築の保存修復の修士号を取得しました」

 

 

―日本に興味を持たれたのは?

「マーガレット・ベロディ先生がきっかけです。彼女は、英国の大学で修士課程にいたときの日本美術の先生でした。先生が退職される最後の年に先生の授業をとりました。当時先生は80代でしたが、人生を通じて日本の漆をとても愛している方でした。このベロディ先生のご家族の奨学金で2007年、初めて日本に来ました。日本を紹介してくれたのは先生ですし、日本に対する先生の愛や情熱を私が引き継いだのだと思っています。残念ながら、数年前に亡くなってしまいましたが、西洋で漆に携わっている人なら誰でも先生の名前を知っています」

 

 

―【金継ぎ】もその時に?

「そうですね。【金継ぎ】の発祥の地は日本です。ただ【金継ぎ】という保存修復の考え方は、西洋の保存修復の考え方とかなり違います。【金継ぎ】では、作品の歴史がよく見えるように保存修復し、保存修復作業をしている人は、隠れているというより作品が伝えるストーリーの一部になる。日本には長い歴史を持つ素晴らしい漆という伝統があり、それは【金継ぎ】という芸術の発展にとって非常に重要です。でもそれだけではなく、【金継ぎ】は景観との文化的つながりという点でさらに深い意味があると思います。動き変わり続ける景観の中で生活することから、くるものだと。私は日本に来て初めて地震を経験しました。自分が立っている地面が動く、という経験は本当にショッキングなものでした。でもそれは、日本の文化の一部でしょうから、日本人と大地や景観との関係は、英国人との関係とは異なる、はるかに多くの要素が絡み合ったものになるはずで、日本人は大地に対して大きな敬意を抱いているのだと思います」

 

 

―【金継ぎ】のように目に見える形で修復・修理するという考え方は、英国では馴染みがないものですか?

「英国では、修正箇所を隠そうとしてきました。でも、最近は変わってきているようです。東西のコミュニケーションが増えたためかもしれません。目に見える形、判読しやすい修理に対する関心が高まっています。英国の保存修復の方法では、何が起きたかを理解できることが重要です。でも【金継ぎ】では、修復家は何が起きたかを理解できるだけでなく、修復家も作品に貢献する。そこが、英国と少し違う点です。英国では保存修復する人はオリジナルの作品に対してものすごく敬意を払おうとします。時間をさかのぼって作品が作られた日付について熟考し、その瞬間に敬意を払います。【金継ぎ】では、修復家が自分の意図や表現を加えることができるのです」

 

―そのお話をうかがった上で、クレメンタインさんの破壊から始まるショートフィルム『UNBROKEN』は、やはり衝撃的でした。

「私は穏やかな人間なので、あの暴力的な瞬間は、とても不安に感じました。でも同時にあのショートフィルムは、あの瞬間があるからこそ存在できるということもわかっていました。何かものが作られて修復される、というサイクルの中では常に変化の瞬間があります。そしてショートフィルムの中で、それは壊れた瞬間なのです。修復作業で非常に大事なことは過去に戻って、その瞬間をさまざまな角度から調べることです。過去に戻ってその瞬間を調べなおし、前に進む手段として理解するために、さまざまな視点から作品を見て考えるのです」

 

―「過去に戻って」というお話で、2009年に手がけられたウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂の彫刻プロジェクトは、いかがでしたか?

「ウィンザー城のプロジェクトは非常に珍しいものでした。なぜなら、交換されたグロテスク(中世ヨーロッパの教会建築の装飾に見られる奇怪な生物の彫刻をグロテスクと呼ぶ)の状態が悪くなっていたので。おそらく、オリジナルを交換したビクトリア時代の人たちが、選ぶ石を間違えてしまったのです。なので、もともと、どんな石が使われていたか全くわかりませんでした。でも、芸術家として参加するのにワクワクするプロジェクトでした。新たなグロテスクを自由にデザインできたのです。でも、そこにものすごく大きな違いがあるとは思いません。『保存修復』と『芸術』との間の橋渡しをするときにやるべきことは、いつだって、深く考えることですから。『そこに何があったのか』『次に何がくる可能性があるのか』をよく考えること。ウィンザー城の場合は、デザインを考えついたのは私ですが、15人のメンバーで構成される委員会が、そのデザインが適切かどうか決定しました。作品を大事に思っている関係者と、その場所や作品の歴史との間にコミュニケーションがあるという点で共通しているんじゃないかなと思います」

 

Phoenix Grotesque (Windsor Castle)

 

―クレメンタインさんのこれまでを、うかがってきましたが、クレメンタインさんの今、そして次は?

「今いる東京藝術大学のグローバルアートプラクティスという専攻では、自由に私自身の興味と願望に従って、作品に取り組むことができています。興味をひかれ、魂に話しかけてくることだけを作品にするという、大きな自由。でもその自由は、私がこれまでやってきた、いろんなことの中から生まれるものです。修了制作は【金継ぎ】のことを考えて、始めました。【金継ぎ】について考える必要もなかったのですが『私はまだ【金継ぎ】について考えたいだろうか?』と自問したら、『【金継ぎ】でなければできないことがあるなら、そうしなさい』という答えが返ってきたのです」

 

 

―修了制作のタイトルは、もう考えてらっしゃいますか?

「『熊野』になると思います。日本の自然は、どこに行っても、ほんとに素晴らしいですよね。私は山がほとんどない国から来たので、子供のころ山を見たことがありませんでした。山に囲まれて暮らすことは、日本での暮らしの素晴らしいことのひとつです。こういう作品の割れ目を見ていると、山と人々との信仰によって作られた古代の道を思い出すんです。どちらかが欠けても存在しません。

日本に滞在できる時間は限られているので、これから何をしたいか考えました。そして、歩きたいと。具体的には、熊野古道を歩きたいと考えています。熊野古道は伊勢神宮へ、つながっていますよね。伊勢神宮は、保存修復の考え方や【金継ぎ】に対しても多くの貢献をしてきました。それと海。アワビとウニも作品の一部になります。それと私たちが漆の作品に多く使う貝を求めて海に潜る海女さん。そういう様々なこと・ものが、全部作品に集まると思っています」

 

 

―どんな修了制作となるのか、今から楽しみです。長時間、ありがとうございました。

「こちらこそ、ありがとうございました。アーティストとして、こういう風に誰かが訪ねてきてくれるのは、とても嬉しいです。だってアーティストとしての9割は一人で机に向かっているのですから。なので、こういった会話ができる時間がとても特別です。なぜ自分が作品を作っているのかを思い出すことができます。本当に貴重な時間でした」

 

 

―インタビューを終えて

まだ実家にいた頃、父親が使っていた抹茶碗に【金継ぎ】が施されていました。「なんで、目立つ金色?」と幼いながら思いつつ「大切なものを、次の世代に引き継ぎ、長く使い続けるためのもの」という理解をしていました。今回、クレメンタインさんのお話をうかがって、【金継ぎ】は「修理」「修復」の側面はありつつ、(オリジナルの作り手に想いをはせた)修復家の「表現」や「感情」が加わることを知ることができました(【金継ぎ】だからといって、金ではなく、黒でも赤でも!)。

「日本のアートは、もっと学ぶことがある」と話されていたクレメンタインさん。「旅は始まったばかり」という彼女のこれからを追い続けたいと思います。

 

(インタビュー・文/とびラー)


取材:黄星、内田淳子、石毛正修、安藤淳(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:安藤淳

 

時代劇と落語と焼き物が大好きな、7期とびラーです。来館される皆さんと、とびラーの仲間と、一緒に感じて一緒に楽しむ「とびらプロジェクト」の活動に、無限の広がりを日々感じています。

 

「美術教育は、答えのないものと向き合う力を養うもの。教員になっても制作は続けていく。」藝大生インタビュー2020|芸術学専攻 美術教育研究科 修士2年・加納紫帆さん

2021.01.28

12月15日、凛とした冬の空気が漂う取手校地。待ち合わせ場所の美術学部専門教育棟の大階段で、「おはようございます」と小柄で穏やかな雰囲気の加納紫帆さんが、今回のインタビュアーである4名のとびラーを迎えてくれました。

「上野はこわい(笑)」と、絵画科の油絵専攻の学部と美術研究科美術教育研究室の修士と合わせて6年間を取手で過ごす加納さん。卒業制作作品のこと、普段の制作スタイル、美術教育にかける想いなどを伺いました。

 

 

| 作品は自分の考えが出てきちゃうもの

 

インタビューは作品制作の現場であるアトリエにて。まず目に飛び込んできたのは、1月29日から開催される東京藝術大学 卒業・修了作品展に向けて制作中のカラフルな色調の大きな作品です。明るい色使いと大胆な筆致で構成された中に描かれた一人の女性。作品を前にした私たちの想像を掻き立てます。

 

<作品を前にインタビューは進みます>

 

作品タイトルを教えてください。

 

「作品タイトルは“俟つ”です。“俟つ”というのは誰かを待っているということだけでなく、その行為の中にも希望や良いことなど、様々なものがあります。そういった広い意味での“俟つ”をひとつのテーマにして描けないかと考えました」

「日ごろもまつことが好きで、誰かと待ち合わせをするときには待ち合わせ時間よりも早く到着します。まっている時間、その時々によってドキドキしたりイライラしたり、長く感じたり短く感じたり、まつことによって呼び起こされるとらえどころのない感覚が気になっています」

 

<一つひとつの質問に丁寧に答えてくれる加納さん>

 

エスキス(下絵)は作られますか?

 

「あまりしません。描き初めの段階では、ある程度の構図や元になる写真からどのように切り取るかは考えますが、最終的な完成予想図は作らずに描きながら次にどのように描いていくかを見つけていくことが多いです。1日中アトリエにいる場合でも実際に描いている時間は1時間もないくらいで、それ以外はスケッチブックにドローイングをしたりしながら考えています」

「作品制作をしていると、普段の生活の営みとして写真を撮ったり、記録や日記をつけたりしている中で自分が考えていたことが作品を通して出てきてしまっていると感じます。自分にとって作品は、思考をするための土俵なのだと思います」

 

<ドローイングを拝見!手早く描けるところがドローイングの良さだとか>

 

大胆な筆跡から身体を使って描かれる感じがします。とのとびラーのコメントに、「ぴょんぴょん」「はー、どはー」「うりゃ~」と言いながら描く時の真似をしてくれた加納さん。ゴムまりが跳ねるように体を動かす姿はエネルギーにあふれています。

 

作品の中にある絵の具のしたたりのような偶発的な表現は、どこまで意図されているのですか?

 

「半々くらいです。ある程度狙っているところもあるし、そうなってしまったなというところもあります。完成予想図が見えていると描き出せなくなるので、意図しないアクシデントは大切にしています。アクシデントの結果が良くないものだとしても、そこからどのように乗り越えていけるかを考えるのが自分にとっての作品との関わり方なのかもしれません」

 

大きな色面で描かれている感じがします。

 

「色で捉えて描きます。写真もあるので細かい描写は私がやらなくて良いと思っていて。受験生のころからモノを細かく描くよりは印象で描くというか、色でとらえる癖・見方があります。地元が愛知なのですが、そういう愛知の血」

 

<卒業制作作品の一部。大きな色面で描かれた中にしたたりが>

 

| 実家のはなれにあったアトリエは特別な場所

 

「愛知の血」という聞きなれない言葉が飛び出しました。詳しくお聞きすると、美術の道を志したきっかけや大学院への進学に関係がありました。

 

愛知の血とは?

 

「カラーばんばん!色、平面!名古屋界隈のそういう作風です。教えてくださった先生の影響かな? 」

 

では育ちは愛知?

 

「はい。大学進学で上京するまで愛知でした。高1から美大受験校へ通いだし、高3で「油画」を選択。趣味でミニチュアのドールハウスを作ったりしていたので、高2までは工芸もいいかな。と思っていました。(もともと)手を動かして作るのが好きです。多分話下手だったからだと思いますが」

 

周囲の環境は?

 

「父は美大卒です。物心ついたころには描いてなかったのですが。でも、実家のはなれに父のアトリエがあり、画材に色々触れることができる環境でした。子どもの頃、アトリエは特別な場所と思っていて。たまに入ると油のにおいにドキドキしたりしていましたね。それが油画を選んだ理由かもしれません」

 

制作に関してお父様のアドバイスはありますか?

「同じ分野をやっていると気まずいので、(自宅にいるときは)意識的に話さないようにしていました。今もあまり話さないし、向こうも言ってこない。でも、この分野に進んだことを喜んでいると思います。普段の仲は良いですよ」

 

 

 

大学院へ進学されたのは、制作を続けたかったからですか?

 

「教育に元々興味があり、美術教育について学ぶために大学院では美術研究科美術教育研究室を専攻しました。もともと学校が大好きで、中学生のころから、将来は小学校か中学校の先生になりたいと思っていました。先生になりたかった理由は、最初は“普段は怖くて入れない職員室に先生になれば堂々と入れる”というささいなものでした」

 

この先生が素敵だったという思い出はありますか?

 

「嫌な先生がいませんでした。かっこいいと思ったのは、美大受験予備校で教えてくださった先生です。作家として活動されている方で、生き方や言っていることが納得できるというか、やっているからこその言葉に説得力があって。もともと教育系大学への進学も考えていたのですが、予備校でこの先生に出会って、(教員になるために)ちゃんとしたいと思い藝大や美大で学びたいと思うようになりました。この先生に出会って今の私がいます」

「私にとっては、『尊敬する人 織田信長』のように遠くの人です。あの怖さは学校教育向きではないかもしれませんが、説得力や尊敬に値する何かはすごく大事だと思います。信じられる先生でなければ、指導しても伝わらないしやってもくれない。私の場合は、制作を続けることが(私自身の)強さになるのかなと思います」

 

ご自身では話下手とおっしゃる加納さんですが、初めてのインタビューとは思えないほど言葉があふれてきます。

 

 

 

| 美術を通して多様な価値観を尊重する姿勢を身に付けてほしい

 

現在都内の小学校で教育活動アシスタントをされ、来年度は都内で美術の教員(希望は小学校)になることが決定している加納さん。将来の夢や美術を通して伝えたいことを熱く語ります。

 

教育活動アシスタントをされていて感じることはありますか?

 

「子どもたちは他の子どもの作品を見ながら、『◯◯ちゃんのかわいいね』など思ったことを素直に発言しています。まだ強い個が出来ていない中で、自分の個を見つけながら周りの個も柔軟に受け入れる。答えのない美術の世界だからこそ、美術を通じて他者との違いを知り、それを受け入れる姿勢を身に付けてもらうことが出来るのではと思います」

 

今の教育について思うことはありますか?

 

「教育全体としては、答えのないものに対応力をつけることに力を入れるようになっていると思います。それでもまだ、答えがないことに子どもが戸惑う場面があります」

「教育活動アシスタントをしている学校で小学校一年生の男の子が、絵を描きましょうと言っても、描きたくないと言って描かない。その子がなぜ描きたくないと思っているかというと、絵をリアルに描くことが正しいと思っていて描けないんですね。自分が隣に座ってまねっこしてねと言うと、少しずつ描き始めることができるようになりました。図工の教科は、答えのないものへの対応力を身に付けることに適していると思っています」

 

教員になられても制作は続けられますか?

 

「はい。続けていきたいと思います。機会があれば展示もしたいです。学校の展示などで、子ども達と一緒に自分の作品も出してみたいですね。子どもにとっての身近なアーティストになりたいです。刺激的だし、教員でありアーティストというのは面白いと思うので」

 

<加納さんの過去の作品の一部。子ども達が観たらどんな感想を話すのでしょう?>

 

大学院の修了には、作品制作と修士論文が必要ですが論文の方は?

 

「既に提出済みです。絵と比べると言葉にすると誰にでも伝わってしまうので怖いなと思って辛かったです。(テーマは?)美術科教育において育まれる力とは何か。です。あんまりしゃべりたくない(笑)」

 

作品制作と論文作成で似ているところや違うところはありましたか?

 

「一つひとつ組み立てて最後にひとつのまとまりを作るというところは、作品制作と論文で似ていると思いました。進み方は全然違いますね。絵はその場その場で積み上げていって出来上がるのですが、文章はちゃんとゴールを見据えて色々組み替えたりする必要があって。普段使わない場所の脳を使う感じです」

 

| 卒業制作以外のこと、今思うこと

 

作品制作中、途中経過の写真を撮ったりメモを残している加納さんは、記録していくことが好きとのこと。「手帳を自分で作っていて…」と言いながら鞄から1冊のノートを出してきてくれました。差しさわりのない範囲で中をのぞかせていただくと、小さな文字でぎっちり書かれています。

 

<構想3年のオリジナル手帳!日々の記録がぎっしりと詰まっています>

 

手帳もひとつの作品ですね。どんなことを書いていらっしゃるのですか?

 

「1日1日の日記というか。その日にあった出来事や制作した作品のことなどを書くようにしていて、チケットやスタンプ、シールも貼ったりしています。貼るとテンションあがります!」

 

 

日記を書こうと思ったきっかけは?

 

「自分の好きな音楽アーティストが日記から歌詞を作っていると知ったことです。考えたことを言葉にするトレーニングにもなるのと、作品制作にも生かせると中2から日記を書き始めました」

 

見せていただいたノート以外にパソコンでも日記を書いていらっしゃると伺い、とびラー全員びっくりです!

 

 

| 新型コロナ感染拡大についても伺いました。

 

コロナ禍で制作への影響や考え方の変化はありましたか?

 

「制作自体に大きな影響はありませんでした。日常生活では、特にSNSなどを通じて一人ひとりの考え方の違いが浮き彫りぼりになった一年でした。本来はみんな違っていいはずなのに、他人の意見につっかかる、他者への不寛容さがあらわになりました。ここ数十年は個々の強さが大事にされる時代だったと思います」

「今の時代のようによく分からないものに対峙するために、自分の基盤をしっかり築いていることはもちろん大事ですが、その上で、自分以外の他者とどうかかわっていくのか、他者を排除するのではなく、どのように交わっていけばよいのかをみんなが考えられるようになっていくと良いなと思っています」

 

| 作品を通して伝えたいこと

 

 

加納さんにとって作品制作とは、「描く」だけではなく日々の生活で感じたことや残したいと思ったシーンなどのインプットも含めてとのこと。卒業制作の作品から伝えたいことを伺いました。

 

「作品にメッセージ性はありません。見る人によって勝手にくみ取られてもいいと思っています。積極的に何かが思い出されたり、発動されるような、見た人のスイッチに触れたら嬉しいですね」

 

インタビュー時間の1時間半があっという間でした。インタビュー終了後、校内にある<藝大食堂>でランチをご一緒するなど、延長戦にもお付き合いいただきありがとうございました。

加納さんの卒業制作は、鑑賞者それぞれの経験や思いが想起される素敵な作品です。卒業・修了作品展の会場でぜひご覧ください。

 

 

<卒制のモチーフの場所で作中の女性を真似ての記念撮影。

左からとびラー竹中・細谷・加納さん・中田・岡庭>

 


インタビュー&執筆:8期とびラー竹中大史・細谷リノ・中田翔太・岡庭正行

 

普段は建築の環境設備設計をしています。アートや建築を介して多様なモノの見方を知り、広める活動に興味があり、とびらプロジェクトの様々な場で刺激をもらっています。(竹中)

 

 

藝大生インタビューをはじめとする色々な出会いを大切に、ワクワクドキドキのアート体験を拡散していく活動を続けていければと思います。(細谷)

 

 

普段は日本橋茅場町にて「JCAGallery」を運営し、多くのアーティストと接しています。アートを介して創出される「人と人」との繋がりを大切にしています。(中田)

 

 

初の藝大生インタビュー。様々な視点から物事を見るきっかけを与えてくれるアートの役割は、これからの時代に益々大事になってくるように思います。 (岡庭)

 

 

「私を私自身の内側に囲っているあれをぶち壊したい」藝大生インタビュー2020|彫刻科4年・三谷和花さん

2021.01.28

12月16日、外壁工事のネットに覆われた彫刻棟に彫刻科の三谷和花さんを訪ねました。インタビュアーは、美大彫刻科出身の鹿子木、彫刻を観るのが趣味の水上、最近彫刻に関心を持ちはじめた有留の3人です。そこにファッションセンスの良いキュートな女性が現れました。案内されたアトリエの扉を開けると……

”彫刻“がない!?

 

 

―― 一体これは、なんなのでしょう? 何を制作されているのですか?

 

人形のストップモーション・アニメを作っています。

もともと私が彫刻科を目指したのは、彫刻の存在感に惹かれていたことや、彫刻の魂とはなにかということに興味があったからでした。しかし、彫刻はそれだけなのだろうかと感じ、「the 彫刻」らしさから興味が移り変わってきたんですね。

今年の卒業制作の提出は、コロナ禍の影響で2作品以上から1作品以上になりました。最初は石彫作品と映像作品の2つを制作しようと考えていたのですが、どちらも時間がかかります。

遺された時間でどちらか一方を制作することを考え、石や粘土を触る手の感覚と表現したい気持ちがせめぎ合った結果、今の気持ちを選び映像作品を制作しています。

 

―― 映像はどなたかに習うのですか?

 

ストップモーション制作者の制作動画を調べたり、ストップモーションの映像を研究している方にご連絡をお取りして教えていただいています。「彫刻科なのに映像?」と思われそうですが私は自分が彫刻をやっていない、とは思っていません。彫刻と映像はグラデーションで繋がっていると考えています。

 

―― なぜ「人形」というモチーフを選んだのですか?

 

人形に興味をもったことの中に、自分にとって人形が、無償の受容性をもっているようにこちらが勝手に感じ得る存在だと感じたところが一つあります。

また、自ら動かない人形が映像では一瞬にして生きているように見え、モノと生き物の中間地点ともいうべき不思議さが人形にはあります。

そして、人形は大理石の彫刻とは地点にいることも、面白いと思いました。

 

―― 卒業制作について詳しく教えてください!

 

これは「メルちゃん」という一般に販売されている玩具で、全部で55体あります。

ひとつの塊みたいなものが宙に浮いていて、その塊の裂け目からメルちゃんが沢山こぼれ落ちてきます。そして地面にベチャッと落ち、起き上がって歩き出し、散り散りになる……というのが、映像の流れです。

 

―― なぜ、メルちゃんにしたのですか?

 

「生殖」を作品の裏テーマにしていて、小さな子どもの姿を模したものを選びました。他にも候補がいましたが、目が開いたり閉じたりするためちょっと「生き物」寄りになってしまうことから最終的に、みんなが手に入れられ、かわいらしいメルちゃんに落ち着きました。

 

―― 制作中の映像を見せていただくことはできますか?

 

まだ短いですが、ぜひ見てください! これから作る映像では音もつきますよ。

 

 

 

 

 

 

作品のワンシーン:こぼれ落ちるメルちゃん

 

 

―― わぁ、すごい。面白いですね! 

メルちゃんがどんどん落ちていく……。

そしてあるき出した!

 

コマ撮りは1秒12フレームです。現在は2分くらい作ったので、 12枚×120秒で1440枚、10体いるとすると14400枚。シーンごとに速度を変えるので、例えば1.4倍にすると2万枚くらいになりますね。

完成まで3分ほどの長さなので、最終的に何枚になるんでしょう……(笑)

 

―― メルちゃんに洋服を着せようと思わなかったのですか?

 

「生まれ落ちる」をキーワードにしているので、本来のむき出しの姿で作りたかったんです。新生児が服を来ていたらおかしいですよね。

実はこの作品の前に制作した作品では、最初に裸のメルちゃんを街に置いて撮影したものがあります。今の作品とは違うコンセプトではありましたが、ある先生に「これでは被虐待児にも見える」と言われたことがあります。

ご指摘いただいたことを踏まえつつ、でもこの作品では素体で撮影することを選びました。しかし、制作と共に季節が進んでいくと「冬で裸、寒いかな…」と気にしたりして(笑)、メルちゃんはモノなのにどんどん自分の愛情が移り、大切に思っています。

 

 

―― 「生まれ落ちる」というのは、女性独特の身体感覚ですね。

 

たとえば月経のたびに自分の出血に驚きます。私の身体に生殖機能が課せられていることが怖いのだと思います。

自分が認知していない機能が備わっていることが、自然だけれど、自然として受け入れるのは難しい。そもそも自分の身体はどこからどこまでなのだろう。自分の身体を定義することは難しいです。

細胞も自分でコントロールできない膨大な数があり、想像すると気持ち悪いです。

細胞が分裂していくその気持ち悪さの上で、普通に成り立っている生活が、ちょっと距離を置くと不思議に見えるんですよね。

 

―― メルちゃんが生まれ出てくる、ふわふわしたものは、何かを模した形ですか?

 

これは「何も見たくない」という逃避の姿勢をイメージして作った人の殻です。

2年生で制作した石の作品も、大きな石の内側がドロドロに溶けて、割ってみたら中身が無いというもので、「いつのまにかこぼれ落ちている内部」が作品のテーマでした。

今回の作品とも通じるところがあると思います。

 

2年生で制作した石の作品

 

―― 作品のタイトルは?

 

《私を私自身の内側に囲っているあれをぶち壊したい》です。

ケイト・ザンブレノ(Kate Zambreno)の『グリーンガール(Green Girl)』という小説からヒントを得ています。

女性の主人公が自分を俯瞰している視点で描かれた作品で、まるで自分が別のキャラクターを演じていて、誰かのセリフを自分の口が勝手にしゃべっているだけのような、現実世界の中で演者として振舞っているところに共感しました。

 

―― もう少し具体的に言うと……?

 

たとえば子どものころは小学生の自分を演じて、20代、30代になったら、世間一般のそれらしいイメージに合わせた自分を演じている。

常に自分に求められている姿に反発しながら、同時に受け入れて演じているということです。

 

―― なるほど。これって、誰にでもあるように思います。

 

自分を型にはめたジェンダー観で見ないでほしい。その反面、女性として見られたいとか、消費されることを願う瞬間もあり、私も矛盾の中で生きていく演者です。

俯瞰して見ていくと本当の自分が何なのか、それがいつこぼれ落ちたのかもわからない、どこに行くのかもわからない といった感覚です。

 

藝大に入ることがひとつのゴールだと思っていたら、いざ入ってみたら何も変わらない自分がいて、藝大生を演じたらいいのかなと思ったり。

なんて自分は何もない人間なんだろう。ある意味、空っぽな自分でした。それが今のテーマに繋がっているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―― 三谷さんの少女時代を教えてください。どんなお子さんでしたか?

 

子供の頃は、絵を描くのが好きな、ちょっとひねくれた子供でした(笑)

みんなの話についていけなくても「面白くないヤツ」と思われるのがいやで、そもそも興味ないフリを演じていたり。自分も周りも俯瞰して見てしまうような子供でした。

藝大に入りたいと思ったのは小学生の頃からです。大船にある美術学院に小学校の頃から通っていて、半端なエリート意識がありました。

 

―― イタリアに留学されていたそうですね。

 

現地の修復士を紹介したNHKのドキュメンタリーを見たことがきっかけで、ローマ時代の彫刻を修復する仕事に就きたいと思いました。それで高校生のときに交換留学でイタリアで一年間学びました。

でも、今思えば、美術をやるのにまわりから認められる理由が欲しくて留学したのかもしれません。理由が必要でない、純粋に美術を楽しんでいる子たちが羨ましかったですね。

 

―― イタリア語で表現する、考えるという経験はいかがでしたか?

 

イタリア留学をきっかけに、何かを表現するときに日本語よりこの言語のこの単語の方がスムーズに当てはまるという感覚を得ました。モチーフを選ぶのは、言語の中からちょうど良い言葉を選ぶという感覚と似ています。

今、人形を研究しているのですが、別の言葉がスポッと当てはまるようなモチーフが見つかれば、それを研究したいです。

 

 

―― 作品や作家で好きな人はいますか。

 

菅実花さんの作品です。特に《ラブドールは胎児の夢を見るか?》は人形の扱い方が絶妙で、人形と人間って何が違うんだろうと考えてしまいます。

 

―― やっぱり「人形愛」があるんですね!

 

人形観は人それぞれですが、私にとって人形は鏡に映ったもう一人の自分であり、私が望むように動いて、私に意見を言ったり慰めてくれたり、自分自身の味方をしてくれる「イマジナリー・フレンド」のような存在です。

圧倒的に自分を肯定してくれる守護天使みたいな…。すごく勝手だけど、大事な友だちです。

 

―― 身体性と向き合うということが当面のテーマでしょうか。

 

美術って自分一人の体から生まれるので、自分の体を直視することは避けられないです。私の日常と結びついた身体性が、今後のテーマです。

 

 

―― 卒業後の進路についてはいかがですか?

 

大学院は映像研究科を受ける予定です。技術を学びたいのと、今は、彫刻いなくてもいいかなと。

彫刻でよく用いられる「強さ」、「存在感」、「物体の持つ力」といったワードにとらわれず、もっとのびのび表現してみたいです。

「彫刻じゃない」と言われるような作品でも、私が言いたいことが自然と作品に現れてくるものを作れれば、それは彫刻とみなされるようになるかもしれません。

 

―― さらに、その先は?

 

漠然とですが、教える立場になってみたいとも思っています。

先端芸術表現科の荒木夏実先生にも影響を受けています。作品の見方と受け止め方がするどくて、かつビジュアルだけでないところにも突っ込んでくれます。さきほどの「(メルちゃんを裸で外に置く作品の表現方法が)被虐待児に見える」と指摘してくださったのも荒木先生です。自分が気づかないうちに誰かを傷つける可能性があることを学びました。

 

―― 素敵な先生ですね

 

また、あるとき教員さんに「なんで教授はおじさんばかりなの? ちょっと息苦しい」と言ったら、「じゃあ、あなたが成果をあげて頑張るしかないよ」と言ってもらいました。

私の作品のように、女性としての自分の身体と向き合うというものは、男性にはなかなか理解しがたいところがあると思います。それは「この性別だから悪い」ということではなく、色々な受け皿があったほうが、教わる側も選択の自由がもっと持てるのではないでしょうか。

私が頑張って「教える」という立場になれば、私のようにちょっと息苦しい人の気持ちや考えを少しでもすくい取れるかもしれません。

 

 

―― 表現者だけを目指すのではない?

 

そうです。誰かをキュレーションしてみたり、一緒に考えていったりしたい。

自分の作品に対しても誰かの作品に対しても、よりテーマに落とし込める言葉を探して、美術の言語化をできる人になりたいです。

誰かに作品について言葉にしてもらえた時に「しっくりきた!」というところがあれば気持ちいいですよね。

いつも作品を作る人に囲まれているので、作家ではない見方をする人たちとも、これから交流したいです。

 

―― それならとびラーがうってつけです! 私たちはいつでも居ります。

 

 

次世代を担っていく、女性として革新的な視線を持つ三谷さんのお話、いかがでしたか?

一人の作家として、未来に向けて「他の作家に対しても、自分では見つけられない言葉を私が見つけられる人になれたらと思っています」という熱い彼女を、私たち3人は今後も応援していきます。

 

(インタビュー・文・とびラー)


取材:有留もと子、水上みさ、鹿子木孝子(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:鹿子木孝子 編集:水上みさ、有留もと子

 

とびラー1年目の初インタビューです。彫刻科の女性からみた 現状や彫刻家として教授から求められる課題など多くの女性が彫刻科に入り抱える問題意識を沢山共有できましたが、実は載せきれませんでした。世界の現代アートの傾向やドイツで5年に1度開催されるドクメンタでの彫刻は今の社会問題が多くの作品に反映されています。三谷さんの抱えるフェミニズム意識や作品表現には新しい彫刻家のあり方を垣間見ることができ、これからの活躍を期待しています。私は普段はデザインの仕事をしていますが、女性としてこちらが勇気をもらった貴重な時間でした。

鹿子木

 

 

「自分の中の大切な思い出をいろんな題材を通して表現していきたい」藝大生インタビュー2020 | 絵画科日本画専攻 学部4年・芳野春惠さん

2021.01.25

心地よい冬晴れの 12月11日、東京藝術大学絵画棟へ絵画科日本画専攻の芳野春惠さんを訪ねました。

 

 

アトリエに入ってすぐに芳野さんの作品が目に飛び込んできます。大きなパネルに、青を基調とした落ち着いた色彩で描かれた一艘の船。象徴的な「船」を描くにあたって、絵に込める思いなどをお話しいただきました。

 

 

 

 

ー どのように制作されているのですか?

 

「パネルに描き始める前に下図を用意するところからはじめます。スケッチブックサイズで書いた線画の下図に色を落とし込んでいきます。実際に岩絵具で描いてみると、画面で見るよりも落ち着いた色合いになります。」

「今は二種類の下図を前に実際に描きながら、どちらの案で進めていこうか検討しているところです。2枚の下図は、トーンの明暗の違うものを用意しました。下図を参考に明度、彩度をみながら描いていきます。」

 

 

「制作は8月からスタートしました。まずは作品の取材からです。実在する公園の遊具を描こうとしたので、足を運んで写真を撮ったりスケッチしたり、作品の構想を練ったりしました。描き始めたのは9月ごろですね。」

 

ー 船と青が印象的な作品ですね

 

「描いているのは船をモチーフにしている遊具です。幼い頃によく連れて行ってもらった公園なので、その時の思い出、記憶を踏まえて制作しています。船をモチーフにした作品はいままでも描いてきました。船とか港町に馴染んできた幼少期の大切な思い出を絵にしようと、目の前の風景の実像を残すというよりは自分の記憶とイメージをもとに、あいまいで、不思議な感覚を残すように描いています。」

 

「この船の遊具そのものを忠実に描こうとはしていません。パースを付けて手前を大きく誇張して見せています。船のマストも実際にあるものとは違っています。」

 

 

 

ー 船にどんなイメージを抱いていますか

 

「幼い頃から船が好きでした。船って、港に着いて荷物を運び入れている時間は長いのですが、それが終わるとものすごい速さで去っていってしまうんです。そこに寂しさ、郷愁やストーリー性を感じています。飛行機や車にはそういうイメージを抱かないのですが、船には物悲しさ、寂しさを感じるんです。」

 

ー 青色を基調としている理由は

 

「日本画は一般的にはセピア系が多くて、そういった色も好きなのですが、私は寒色系の色を好んで使っています。実はパネル一面に下地としてオレンジや赤を塗っています。制作し始めたころは一面オレンジでした。塗り進めていって青がうるさくならないように、補色となる暖色系を下地に入れて落ち着いて見えるようにしています。」

 

「赤や黄色からは温かみを感じますが、青色には寂しいイメージを持っています。船から抱くイメージと同じで、寂しさが感じられるところが好きです。」

 

 

ー 寂しさに惹かれるのはどうして

 

「人物を描いたときも、どこか寂し気な顔をしているねと言われることがあります。寂し気であったり、真剣に何かを考えていたりするような人の絵って、なんでこんな表情をしているのだろう、とイメージが想起されるんです。真剣な表情をしているその瞬間の決意や陰りが感じられる暗いところに本質が出るのではないか。そういった意味で暗い色を使ったりしています。」

 

「何かを決めようとしているときってニコニコした表情にはならないと思うんですよね。ニコニコしている表情は”楽しそうだ”というイメージで終わってしまう。逆に寂し気な世界観にすることで、どうして?と観ている人もいろんなイメージを持ってくれるのではないでしょうか。」

 

ー 日本画との出会いは?

 

「中学生のときに『皇室の名宝』という展示で、川端龍子の《南山三白》をみたときにびびっときました。日本画ってこんなかっこいいんだと。あの時の体験が日本画に興味を持ったきっかけです。」

 

「その後、高校の美術部に入部しました。美術の先生が日本画出身の方で、岩絵具を使わせてもらったり、指導をしてもらったりしました。その先生と出会えたことも大きいです。」

 

ー 日本画の良さと大変さ

 

「絵の具の発色がきれいですね。油絵も鉱物系の色を使うのでルーツは同じですが、膠(にかわ)を使って自然の色を乗せていくときの表情や、線の美しさは日本画独特のものがあると思います。『神は細部に宿る』じゃないですが、そこがよさかもしれません。」

 

「油絵との決定的な違いは混色ができないという点です。油絵や水彩では、例えばピンクを作りたい場合は赤と白の絵の具を混ぜれば作れますが、日本画ではそうはいかないんです。砕いた赤と白の石の粒子を混ぜてもまだらな粒子にしかならないので、使いたい色の数だけ岩絵具を用意しないといけません。色の数だけ絵の具を溶いた皿を並べて描いていきます。」

 

 

「日本画は和紙に描いていきますが、このパネルでは土佐和紙を使っています。硬めの和紙を選び、裏打ちもして割れないようにしています。和紙によって特性が違っていて、雲肌麻紙(くもはだまし)というものはやわらく伸び縮みするなど、和紙それぞれの特性があるのでそれを活かして描いていきます。和紙職人が減ってきて、和紙そのものが少なくなってきているのは残念です。」

 

 

ー 美大を目指したのは

 

「単純に絵がうまくなりたいという思いで目指していました。絵がうまくなりたい!一番絵がうまい大学はどこだ。藝大だ!という感じです。」

 

ー 芳野さんの思う「うまい」絵とは

 

「受験中は『リアルな絵=うまい』という考えでしたが、大学に入ってからはうまさではなく、制作をする上で大事にしているものは何か、どういう絵を描いていきたいのか、ということに重点を置いて学んでいます。」

 

「1年生のころから本質的なところは変わっていないと思いますが、どういう絵を描きたいのかが自分の中で見えてきている気はします。」

 

ー 藝大に入っての学び

 

「学ぶ機会は多いです。印象に残っていることの一つは、古美術研究旅行(古美研)で寺社仏閣を回ったことですね。古美研だから見ることができる場所もあるなど、特別感がありました。」

 

「日本画は講義より制作がメインになっています。絵具の溶き方、裏打ちの仕方、膠の使い方などの講義もありますが、それよりも自分がどういう絵を描きたいのかを講評してもらう事が多いです。」

 

 

ー 制作のインスピレーション、モチベーション

 

「気持ちを落ち着けたいときは海を見に行きます。埠頭から見えるクレーンとかコンテナ船とかをずっと眺めています。観光地的な海ではなく、工業地帯の見える海の景色が好きです。実家のまわりはビルが多い環境だったので、人工物、無機物に囲まれた空間のほうが落ち着くんだと思います。」

 

ー 気にしている作家さんはいますか?

 

「有元利夫さんの絵が大好きです。シュールな絵を描かれています。若くして亡くなってしまった作家さんなんです。」

 

ー 人物と景色とで、描くときの気持ちに違いはありますか?

 

「描くものは違いますが考えていることは一緒です。記憶、思いなど、その時感じていたことを表情にのせたり、いろんな題材を通して表現していきたいというのは変わらないです。」

 

ー コロナ禍で制作に影響はありましたか?

 

「この状況でずっと家にいて参ってしまった時期がありました。本来であればアトリエで描いているところなのに、家にこもって根を詰めて描いていました。絵を描き詰めていくというのはこういうことか、とわかった気がします。どんな絵を描きたいのか、この先何をしたいのかを考える貴重な時間にもなりました。いつもどおりだったら忙しいままにあっという間にこの時期になっていたと思う。一旦足をとめて、何が大切で、この先どうしていくべきか、良くも悪くも自分自身を見つめる時間になりました。」

 

「これまでは周りに誰かがいて一緒に絵を描く環境が普通でした。それが一変した今、制作は孤独なことなんだなと痛感しています。結局は自分自身がどうしたいのかが大事なんです。絵を作るのはその人自身なので。」

 

 

「どういう絵にしたいのか?と先生から問われます。その問いに答えられないことも多々あります。先生方からすると、自分自身がはっきりわかっていないところを聞いてくれているんだと思います。無意識にはいられないです。言葉にしたり形にしたり。」

 

ー これからのこと

 

「大学院への進学を考えています。まだまだ学びたいことが多いので。その後は、画家になるというよりは裏方として作家を支えていくような仕事ができたらと思っています。」

 

 

ー インタビューを終えて

 

「自分の中の大切な思い出をいろんな題材を通して表現していきたい」と語ってくれた芳野さん。例年とは異なる環境の中で、自分自身と向き合い制作を続けています。「結局は自分自身がどうしたいのかが大事なんです。絵を作るのはその人自身なので。」とおっしゃっていたように、絵を描き詰めていくことの難しさ、大変さを教えていただきました。

 

芳野さんの作品を前にどんなイメージが想起されるのか、今から卒業作品展が楽しみです。みなさまもぜひご覧いただければと思います。

 

(インタビュー・文/とびラー)

 


取材:小林正彦、卯野右子、尾駒京子(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:小林正彦

とびラーになって多くの出会いや学びがあり、アートを介して人と人がつながることのおもしろさを実感しました
アート・コミュニケータとして、アートを楽しむ体験をみなさんと作っていきたい。

「笑顔とかなづちで作品を生み出す現代の鍛冶職人」藝大生インタビュー2020|工芸科・鍛金研究室 学部4年・加藤貴香子さん

2021.01.21

寒空の12月11日、コロナ禍で入構が厳しく管理されているキャンパスは、いつもより人もまばらで、少し寂しげです。

待ち合わせ場所は藝大正門から少し奥まった所にある金工棟近く、「ここであってるのかな」と不安げにしていた私達を先に見つけてくれた加藤さんは、両手を頭の上で大きく振って「おーい」と歓迎してくれていました。

彼女の人柄のわかるその全身を使ったおーいは「今日のインタビューはなんだか上手くいきそうだな」と感じさせてくれました。

 

はじけるような笑顔がすてきな加藤さん。インタビュー中も沢山笑ってくれます。

 

■卒業制作について

カン、カン、カン。。鍛金研究室の工房に近づくと金属を叩く大きな音が聞こえてきます。そんな中、加藤さん制作中の作品が出迎えてくれました。

-卒業・修了作品について教えてください。

加藤さんの卒業制作。現在75%くらいの完成度とのこと。

 

ご覧の通り、クマを作っています。頭部と胴体部分で表現を変えていて、胴体はリアルに、頭部はキャラクターっぽい感じで作っています。

コンセプトとしては、人間特有の社会性です。社会を生き抜く上で人は皮をかぶったり、役割を与えられたりして生きていかなければならない。例えば女らしくしなさいとか、お兄ちゃんなんだからしっかりしてとか。これは人間が社会で生きるために獲得した、他の動物では見られない面白い行動だと思っています。

またクマに対して私たちが持つイメージって、リアル系だと強くて大きいとか、人を食べてしまう、という怖いものから、人間社会に流通している多くのクマのキャラクターの様にかわいらしいというものもありますよね。リアルのイメージと人間社会におけるイメージのギャップが激しいのがクマだという点と、多くのクマのキャラクターが生み出されており、上手く人間社会に取り込まれているな、という点からクマを作っています。

-そのテーマに至ったきっかけは何ですか。

実はお笑いが好きで、、、笑 このクマの顔も、とあるお笑い芸人さんをモチーフに作っているんです。芸人さんってとても明るくてみんなに元気をくれるけど、裏ではそんな人間じゃないかもしれない。もしかすると自分を押し殺す、と言ったら変ですが、このクマの様にマスクを被っているかもしれない。命を削って活動しているのが本当に尊いなと思っています。芸人さんは私たちが日頃している皮をかぶる行為のプロフェッショナル版だと思っていて、その尊さを作品にしようと思いました。

 

-鍛金の作品はどのように作るのですか。

 

こういった板状の金属から形を切り出して、それを叩いて形を作っていきます。またそのままだと硬いので、一回火に当ててあげます。「なます」と言うんですが、火で金属の組織をゆるゆるにしてあげて、その状態からかなづちで叩く事で、組織を締めつつ形を変形させていきます。昔は一枚の大きな板から作る技法が主流だったんですが、今は溶接技術が進んでいるので、金属板からパーツを三角とか四角に切り出して、つぎはぎで作っていきます。叩いて形を変えて、また動かなくなったら、なましてゆるめて、と永遠に繰り返していく感じです笑 ずっと火を使うんです。

実際に火の前での作業の様子を見せてくれる加藤さん。

鍛金研究室では火が命なので、工房にふいごの神様を祭っている。(写真上部)

毎年11月にはOG・OBも集まり「ふいご祭り」を開催する伝統があるそう。

 

― 神棚の下にあるかなづちは実際に使われているものですか。

 

はい。持ってみますか?笑 結構重いんですよね。1.5㎏くらいあります。金属によって使い分けていて、銅は冷えても叩けるので小さいかなづちで細かく。鉄は赤いうちに叩かないといけないので一発で決められるように大きなものを使います。鉄は温めて叩けるのは10秒位なんですよね笑 大きいかなづちを使うと一日中手が震えて鉛筆も持てません笑

そしてこちらには炉がありまして、小さい炉や大きい炉、火加減のしやすい炉などいろいろ使い分けています。

これは比較的小さいガス炉。金属の一部だけを温める事が多い。

人によっては自宅に置いてる人もいるとか。

大きめの炉。分銅を押し下げて重い扉を上げる。

コークス炉。緻密な温度調整が必要な際に使われるそう。

 

道具や設備について教えてもらった後、再度作品について伺いました。

― 粘土のクマもあるようでしたがあれはどういう工程ですか。

作品の道しるべとなっているクマの胴体部分の粘土。

作品の方も頭と胴体部分は取り外せる。

 

ひとそれぞれでやり方が違うんですが、私はあまり絵が得意じゃなくて、粘土の方が感覚的にできるので、最初の工程で粘土で小さく形を起こしてそれを見ながら拡大して製作するスタイルですね。

 

― 卒業制作を作り始めてどのくらいになりますか。

コロナで登校禁止期間があったんですが、工芸科は制作に設備が必要なので開けてもらうのが本当に早くて、6月から着手出来ました。夏休みも作業出来ましたね。頻度としては週5で9時-18時で作業します。へとへとになります笑 休憩いっぱい取ってやってます笑

鍛金の私たちは、コロナで制作ができなかった期間は短かったので悪影響は少なくて、むしろその制作が出来ない2か月間の間にコンセプトを練られたり、自分と向き合う事が出来たりしたので良かったですね。あとは早く作りたい、よし作るぞー!という気持ちも強まりました。

― このクマの胴体部分も色は塗るんですか。

はい、薬品を使って化学反応で色を付けます。金属に応じて薬品を使い分けていて、例えば鉄だったら錆液を付けて錆びさせます。 車の内装で、シルバニアファミリーの人形みたいにフワフワにする塗装があって、細かい繊維を吹き付けて毛羽った感じにしています。本来鍛金には日本伝統の着色技法があるので塗装はあまり、、、という感じなんですが、やりたかったので新しい試みですね。

今胴体が虹色に見えているのは酸化膜と言って、なました後にこうなります。綺麗ですよね。

 

― 素材はどのように選んでいますか。

 

扱いやすさ、溶接の相性、出したい表現に適しているか、あとは値段とか笑 結構違うんですよね、さっきお見せした銅板だと8000円とかですが、彫金の人達は金とか銀を使うので、工芸科はみんなずっとバイトしてます。鉄とかは安い方ですね。

 

― お気に入りの素材はなんですか。

 

今回クマの頭部分で初めて触ったんですがアルミですね。溶接する時、通常は接合部分同士を溶かしてくっつけるんですが、アルミの場合はアルミ製の「溶棒」というものを溶かしてさしこみながらくっつけます。それで形を盛り上がらせたりできて、若干粘土っぽい感覚で形が起こせて楽しかったんです。大学院に行ったらアルミで作品をいっぱい作りたいです。

粘土も好きな加藤さん。

 

■美術、藝大、鍛金。それぞれとの出会い

 

― 高校は美術系だったんですか。

美術の授業すらない高校でした。。笑 美術は高校卒業後の美術予備校で1年やって、、という感じですね。でも部活は美術部でした!幽霊部員でしたが。。笑

 

― 美術との出会いやきっかけは何でしたか。

幼稚園の時に、親に言われて通っていた絵画教室ですかね。その時に賞をよく貰えて、成功体験になっていたのがきっかけだったと思います。小学校に入ってからは勉強ばかりで絵は描かなくなったんですが、中学校の時にすごく映画が好きで沢山見るようになりました。その時に俳優の伊勢谷友介さんの映画を見て、ネットで彼の事を調べた時に東京藝大卒というのを知って、そこで初めて藝大の存在を知りました。

 

― 大学で鍛金を選んだ理由はなぜですか。

工芸科の中には6専攻あって、私は鍛金にした訳ですが、受験課題に向けて1年間粘土を触っていたので、陶芸とかが肌に合っていて楽しいな、と元々思っていたんです。でも金属は触っていなかったので親しみが無くて、扱ってみても全然うまくいかない。その時にせっかくなら大学でしか取り組めないことを学びたいと思ったんです。あとはやっぱり鍛金ってかっこいいんですよね。かっこよさに惹かれて続けられてるところもありますね。

 

― この先はどのように考えていますか。

大学院に行きたいと思っています。あと1年間ドイツに交換留学にも行きたいと思っています。ドイツはコロナ前から好きで良く旅行にも行っていたんです。また私が小さい時に犬が大好きで犬の図鑑をよく見ていたんですが、その時に自分の好きだった犬がドイツ産ばかりで、、笑 その頃からドイツには良い印象を持っています笑

 

■加藤さんの作品作りや鍛金の捉え方について

作品のインスピレーションはどこからきますか。

ふとインスピレーションが降りてくる事はあまり無くて、沢山音楽を聴いたり、映画を見たり、本を読んだり、自然を愛でたり、、そうしてインスピレーションを集めておいて、その中でグッと来たものを作る、という感じですかね。常に自分の中でネタがいくつもある状態で、今回はこれを作ろう、と選ぶ感じです。なのでずっとインプットをしているので、経験が沢山欲しいです。

加藤さんが「経験がたくさんほしい」と話してくれている時の、

ストレートなまなざしが印象的でした。彼女の芸術への真摯な姿勢が強く感じられた瞬間。

 

― 最近インスピレーションを受けた事はなんですか。

まだ本当に最近過ぎて深掘りできていないのですが、ヒップホップカルチャーですね。最初はヒップホップの「ダンス」の要素しか知りませんでしたが(ラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティがヒップホップの4大要素と呼ばれている)、だんだん「あ、グラフィティもヒップホップなんだ」とか「ヒップホップって何かのジャンルだけじゃなくてカルチャー全部なんだ」と気付いていった感じです。

ダンスは、中学から高校3年生まで友人とストリート系のダンスチームを組んでいたんです。高校の美術部で幽霊部員になってしまった原因でもあるのですが笑 そこから大学でサンバ部に入って人生初の打楽器を始めて、そこでリズムの楽しさを知り、、、ヒップホップに関してもそれまでより一段と理解が深まりました。

鍛金も聞いもらえると分かると思うんですが、作業時のリズムがあるので、そことも関連性があったら面白いなと思っています。教授とかの音は凄くリズミカルで、その人独特のリズムがあるんです。誰が叩いてるとか分かりますよ笑

 

そこから加藤さんとのお話は鍛金と音の関連性に広がっていきます。

金属を叩いた時に100%の力で叩けた時の音と、すこし外した時の音は違うんです。なのでその音を聞きながら手元を修正したりします。また、叩く時にリズムが生まれるのにも理由があって、一発で決めようとしてミスをしないように、軽く叩いて場所を確認してから再度叩く、という成功率を上げるやり方なんです。先に触っているような感じですね。

音楽学部の友達に楽器の製作を依頼されたこともあるそう。

鍛金の話をする加藤さんは職人の顔になります。

 

― 鍛金の魅力はなんですか。

うーん、、つまるところ「ロマン」ですね。鍛金は、作業はつらいのですがそれを上回るロマンがあります。金属そのものの光沢や、かなづちという道具で叩いた時の独特の表情。。これらは機械では出せない、と言ったら軽い言葉ですが、手仕事ならではなんです。あとは金属に対する硬そう、冷たそうという印象があるなか、火を当てる事でこんなにも優しく動いてくれるんだ、というギャップにも萌えます。

加工が難しい分、自分が欲しい表情になってくれた時の感動が大きいというのもロマンです。全然形にならない、辞めたい!と思って作業している中であるとき急にパッと良い表情を見せてくれると「天才だ!」となりますね笑

 

最後にサービスで少し作業の様子を見せてくれた加藤さん。

金属を磨くサンダーという機械から飛び散る火花がかっこいい。

鍛金はロマンだという加藤さんの言葉に大いに納得の瞬間。

 

鍛金の難しさや金属を扱う事からうまれるロマン。そして合理性に裏付けられた制作音とリズムとの関係性など、加藤さんへのインタビューを通じて今まで見えていなかった鍛金の魅力をいくつも発見する事が出来た、とても贅沢な時間でした。

 

■ インタビューを終えて

常に制作のインスピレーションを蓄積している加藤さん。まだ作品化されていない彼女の中に眠るアイデア達が今後どんな作品として生み出されるのか、とても待ち遠しいです。まずは皆さんも1月の卒業・修了作品展で、完成した加藤さんのクマに会いに行きませんか。

 

加藤さんの他の作品が見れるインスタグラムはこちら:kiki.kikako

 


 

取材|古林美香、大石麗奈、草島一斗(以上アート・コミュニケータ「とびラー」)

撮影|茂泉芽衣(とびらプロジェクト アシスタント)

執筆|草島一斗

昨年の藝大生インタビューを通じて作り手の皆さんの持つパワーに魅了されました。これからもアートコミュニケーターとして多くの作家さんの魅力を発信していきたいと思います。お話を聞かせて頂ける作家さん募集中です。

「イメージの本質だけを汚さず、清潔に、軽やかに描き続ける」藝大生インタビュー2020|絵画科油絵専攻 学部4年・那須佐和子さん

2021.01.18

12月11日(金)冬晴れの朝、鮮やかなイチョウともみじのアーチをくぐり抜け、絵画棟7階のアトリエに伺いました。天井まである大きな窓に広がる風景と光、那須さんお気に入りのアトリエだそうです。

アトリエではサイズの異なる大小10数点の作品が同時に制作されていました。

制作中の卒業制作の作品について】

 

―現在こちら全部を制作されているのですか、卒業制作はどのような構成になるのでしょうか―

 

 

「卒業制作は基本的に全てここで制作しています。油画の卒業制作展では複数の作品を展示することができるので、空間の構成をイメージして作品を制作しています。卒制だからと言って特別に大きなサイズで制作するのではなく、思考を精査して納得のいくサイズで描くことに意味があるのかなと思っています。気負いなく取り組もうと思っています(笑)。

 

卒業制作のタイトルは<Landscape fini/unfini   Portrait fini/unfini>で、『風景画と肖像画の未完と完成』という意味です。風景画では『絵の終わり』『絵の在り方』を問う表現をテーマに、3年次から取り組んでいるフレームと作品の関係にあえてずれを生じさせる表現を深めていくつもりです。肖像画では自画像といくつかのポートレートを組み合わせています。既視感や痕跡表現をしたいと考えていて、セザンヌなどの「かつていた画家の手先」の感覚を意識しています。タイトル<Landscape fini/unfini   Portrait fini/unfini>は展示会場につけ、連続して作品を見ることで、意図が伝わればといいなぁと考えています」。

 

―風景画のフレームについてもう少し詳しく教えてください―

 

「1、2年生の頃は、生と死などの概念のぶつかり合い・せめぎ合いを色の対比で表現していました。ぶつかり合いの接点に生まれる美しさへの関心は、現在にも繋がっていますが、その時はびっくりするほど暗い絵だったんです(笑)。この時期、表現媒体にも悩んでいたのですが、3年次に絵画表現のコースを選んだことで、”絵画”や”油絵”について深く考えるようになりました。『絵を描くという行為』を見直すことで、キャンバスの際という四角・画家が決めた風景を区切る四角・額の四角という複数の四角いフレームが現れ、私の中でフレーミングという考え方が生まれました。あえて絵の『終わり』や『在りか』がわからない状況を作り出し、鑑賞者にも絵について考えてもらいたいと思っています。以前は木製の額を付けていましたが、今ははみ出していく表現に変わってきています。油絵と言う素材を生かした表現方法を面白く展開していきたいですね」

 

―肖像画の表現やテーマについて 教えてください―

 

「肖像画の表情を描いていないのは…。真っ白なキャンバスに自分が何かを描きたいという欲望があまりないからです。『かつていた画家の手先』、画家の手が表現したことを通して描いている感覚で、服の色も画家のイヴ・クラインや聖母マリアを想起させるような象徴的な青を使っています。

テーマは『夏草や 兵どもが 夢の跡』という芭蕉の俳句の世界観です。

印象派が盛り上って終わった後の景色を描くことで、この世界観を表現したいと考えました。表現したい“既視感”をだすために、実際のモデルには過去の肖像画(モナリザ)のような、特徴のないポーズをとってもらっています。この表現のきっかけは、2年次にモンドリアンの亡くなる直前の作品に出会ったことでした。キャンバスに貼られた原色のテープが生々しく、そこに『かつていた画家の手先』を強く感じたんです。この感覚を『油絵にしかできない表現』でと考えていく中で、油絵で使うワックスに興味を持ちました。過去の肖像画にはレンブラントのようにワックスをかけて、ツヤツヤにすることで画面を統一する美しさと、セザンヌのようにわざとワックスをかけずに、油絵具だけを見せることによって平面性を高めようとする美しさがあります。かける場所とかけない場所で、絵画の劣化のスピードも異なることから、そのような時間の違いに興味を持ちました。どちらも美しいと思っていて、一つの画面で二つの美しさを表現したいと思いました。」

 

―今の世界観は、いつ頃生まれたのですか―

 

「長い話になります(笑)。

高校生の頃から人物を描いており、ジャコメッティやフランシス・ベーコンを尊敬し、どっぷり浸かっていました(笑)。同じく直立している人体と言う意味で仏像にも親しみがあり好きでした。二十歳のころ、仏像巡りで真言宗のお寺を訪ねたとき、ほこりっぽくて匂いも強烈で、祈祷の場での人間の強い祈りに…、悪夢を見てしまいました。この時、自分の考える世界はこのようなものではないと、気づいたんです。

私はもともと、俳句が好きだったので、その花や雲などの軽やかな世界を見てみたいと思うようになりました。そして、苦しんで描いていた時期を経て自分が苦しまないように、気持ちよく描けるように徐々にシフトしていくようにしました。ベーコンみたいに暗くて狭い部屋で『うわー』って言ったりして、苦しみたくないですね。(笑)」

 

―制作はどのように進められるのですか―

「エスキース(構想)で、まず線を引いて消すという作業をし、そこで生まれた『清潔さ』『軽やかな感じ』『一番きれいな状態』を見つけます。そこからそのイメージを失わずに制作していくには、どうしたらよいのかと、自問自答しながら進めていきます。

デッサンはしっかりと描きますが、自分にとって、この状態は汚いと思っていて…。エスキースのような『清潔な状態』にもっていくために、デッサンからそぎ落として、削っていくイメージですね。ジャコメッティや仏像・俳句など本質を捉えるための引き算の作業にも通じると思っています。

アンリ・マティスの言葉で『目の前にある美しさを枯らしてしまう、陳腐な考えを消すために全集中力を捧げなければいけない』と言うのがあります。これは描いていく過程で迷わず、本質だけをどう残せるのかに集中することだと思っていて、私が考える『清潔さ』とは『本質的なもの』と言う意味なのかもしれませんね。以前、教授から『マイナスの作業がプラスになっている』と、言葉をかけてもらい、そうなんだ!と思いました。」

 

―那須さんの本質を見る目はどこから生まれて、どこで養われたのでしょうか―

 

「小さな頃から絵を描くことは好きで、上手だと言われてきましたが、中学生の頃は、部活にも入らず無気力な子どもでした(笑)。転機は芸術系の高校に入学して油絵に出会ったことです。描く事が楽しくて楽しくて!ずっと絵を描いていました。特に人物を描くのが好きで、お風呂の中で家族をモデルにスケッチをしていました(笑)。描いている時、人体の線を追っている時が幸せなんです。ですから高校生の頃から「山のよう」に描いてきました(笑)。

一見、自分の作品は描きこんでいないように思われがちですが、その時期があったのでデッサンをしてから引き算ができるのだと思います。

 

―表現をする上で、ご家族や環境の影響はありますか―

 

「家族が演劇関係だったので、始めて描いた肖像画も、女優の母が舞台で演じている時の写真を使いました。肖像画で役者を描くことは、本人であり本人でない人格の『二つの状態』を描いている面白さがあります。自身のテーマである、『目の前のモデルを描きたい訳ではない』ということに繋がっているのだと思います。

 

また、あまり意識はしていませんでしたが仏像やベーコン、ジャコメッティが好きなのは、劇場の構造である『暗闇の中に立っている人体』からきていると思うんです。そしてこれは、私が考えている空間を意識した展示との親和性が高いと思っています。」

 

―油絵への思いを教えてください―

 

「3年次に絵画表現コースを選択したのは、自分の中に油絵に対するフェチズムがあるので、絵画表現から逃れられないと思ったからです(笑)。私には自分自身が考える『油絵の美しさ』というものがあります。自分の見たい『油絵の美しさ』を表現するために妥協せずに求めていこうと思っていて、これが私の絵を描き続けるモチベーションなんだと思います。

 

油絵を描き始めた段階から、白を乗せると汚いと感じていていました。余白を残して白を表現するために、セザンヌの水彩画集を参考にしています。(水彩画で白を描くときには、紙の色をそのまま塗り残して「白」を表現するのが基本)そのような意味では、水彩的な思考の部分もあるのかものかもしれませんが、油絵ならではの膜の重なる美しい表現を追求していきたいですね。

 

 

―藝大に入ろうと思ったきっかけは―

 

「絵を続けるために藝大に入ろうと思っていましたが、失敗して一人で制作をしていました。その時は、もともとベーコンやジャコメッティなどの過去の作家に興味があったので、作品を見ることができればいいと思っていました。現在の作家にあまり興味が持てなくて…。そんな時、モントリオール出身の演出家の一人芝居に出会いました。俳優・演出・舞台美術とすべてひとりで作り上げた世界はとてもエネルギッシュでとても魅力的でした。今生きている人の力強い姿に、とても感動したんです。絵とは関係ないのですが、これをきっかけにもう一度大学に行って勉強し直そうと思いました。」

 

―卒業制作の中の思い入れのある作品は―

 

「う~ん…。あまり思い入れと言うのはありませんが、上手くいったと思うものは金色のプレートが乗っている作品です。最初の清潔さを保てていて、本質が捉えられていているのかなぁと思っています。卒業制作はこれを主軸に組み立てていくつもりです。このプレートは金属で、キャプションのような形に設え、クラシカルな表現により近づけたいと思っています。展示空間としては、作品がただ壁に張り付いている感じが嫌なので、学内展はここのアトリエに照明やビニールの幕を設置し、鑑賞経路も考えて自分なりの構成を考えたいと思います。楽しみにしていてください!ぜひ来てくださいね!!」

―卒業後の進路はどうされますか―

 

「現在、藝大の大学院で取手校地の研究室へ進学を希望しています。学びたい教授が取手にいらっしゃるということと、アトリエも広く周りに何もない環境で集中できそうなので…。2年間何もないのも良いのかなと思います。」

 

―インタビューを終えて―

 

卒業制作の追い込みのさなかにインタビューをお引き受けいただくことができました。人体の線を追っている時が幸せで、油絵がどんなに美しいかを語ってくださる姿に、『美しさの在りか』を求める純粋さと貪欲な姿勢を感じました。油絵への強い思いから選んだ、油画・絵画表現コース。絵画と素材の二つとひたすら向き合う場にこそ、大きな転機があると確信しました。そして、ずっと追い続けてきた、『二つがぶつかる地点の美しさ』が軽やかに進化しています。いえ、もっと本質に、真実に近づいているのでしょう。彼女が現時点で見つけた『本質=清潔さ=真実』の作品たちは、潔く、どこか懐かしく、研ぎ澄まされたフォルムが広がります。是非、この空間に身を置いて、そこに広がる景色を感じてください。

 


インタビュー:遊佐操、岡野三恵、中嶋弘子

執筆:中嶋弘子

とびラー2年目で、対話型鑑賞を中心としたプログラムやラボに参加・活動をしています。藝大生インタビューは作品の前で、生の声だから伝わる感動があります。この経験はアートを楽しみ広めていくための大事な宝物です。

 

「『なんだこれ?』を大事にする」藝大生インタビュー2020|デザイン学科 学部4年・森真柊さん

2021.01.05

12月1日、美術学部の総合工房棟で制作をする、デザイン科4年 森 真柊さんにお話を尋ねました。卒業制作についてのインタビューから、ものを作ることへの想いを、香坂小夜子、鈴木理子、山中みほ、3名のとびラーが伺いました。

 

——今制作している作品について教えてください

 

今作っているのは水の作品です。チューブから液がでて、水滴が水面上にたまっていっては、消えていきます。現在、最終講評・卒展に向けてブラッシュアップしている段階で、提出する作品自体はまだ全然できてないのですが、現時点で全進捗の80%ぐらいできているといいなという計算です(笑)。

もともとは、作品を横に並べて4mぐらいの長いやつを作ろうと思っているのですが、実現可能かどうかお金の計算をしています(笑)。何度もメンテナンスが必要になるのも、水道から水を出しっぱなしになるのも嫌なので、液が循環する仕組みにしました。

 

——わぁ!水ってこんな動き方するんですね

 

水滴が水面を走る現象自体は、コーヒーを淹れたとき、雨粒が庇から床に落ちるときとか、水でも結構起きてるんです。水分子は極性があるんですけれど、水のまわりに空気の膜ができるため、水が玉として出現する。だいたい1~2秒で消えてしまうから、普通の水では作品にするほどもたない。どうしたら水滴が長持ちするかなと考えて調べていたら、コーヒーとか、絵の具の廃液とか、泡が立ちやすいものが長持ちするということがわかり、今回の作品には石鹸水を使いました。

 

——最初にその現象がおもしろいなと思ったきっかけは?

 

以前、水の波紋の作品を作ったのですが、それを発展させようと思って実験していたとき、水の玉が水面を走っているのを見つけて、卒業制作にしたいと思いました。それで論文を探したり、身近なものをみていたら、この現象って身の周りでたくさん起きていることにも気づきました。

(卒業制作で水の作品にとりくむきっかけとなった “水の波紋の作品”)

——中間講評の手ごたえはいかがでしたか

 

作品を作るのに夢中になって、「どうみせるか」をあまり考えられていなかった。透明なアクリル板を使ったらみせたくない構造部分がみえてしまったり、木の板を貼ったら質感が木ばっかりになってしまったり、見た目が難しかった。

講評では先生にライティング(照明)がなー・・・って言われて(笑)。水って透明だから、光の向きによって見え方がぜんぜん違う。中間講評では、どこからどう光をあてたら水の粒がきれいにみえるかについて、指摘されました。そのとき作品は2つだけだったので、「この作品の大きさ感でいくなら、もう1個なにかほしいよね」とも言われました。

 

——もう一個ですか、簡単に言いますね(笑)。森さんはすぐに「できない」と言わない方ですか?

 

どうしたらできるだろうと考えます。できないならできない理由があるはずなので、納得できるまで考え続けます。最初に思っていたものと全く異なるものができあがることもありますけど、コンセプトは曲がりません。一番大事なのはコンセプトで、次に見た目ですね。

 

——これまでにものの見方が変わった瞬間はありましたか?

 

SF作家 伊藤計劃さんの『ハーモニー』を読んで、人によって価値あるもの、幸せが何かは違うんだなと気づきました。あとは高校の授業で小林秀雄さんの文章を読んだとき、すらすら読めるけど情報がたくさん詰め込んであってすごいなと思って、文字を書くことへのターニングポイントになりました。ずらずら書かなくても、詩的な表現でちゃんと情報が入っている、意味のないことは書いてないところがすごいと思います。

 

——これまでの経験で考え方が変わった出来事はありましたか?

 

僕は元々理系なんです。子どもの頃からロボットとかが好きで、エンジニアになりたいと思っていました。高校2年生の終わりくらいまで工学部受験を目指して理数系の勉強をしていたんですけど、親に「本当にエンジニアになりたいの?」と聞かれて、エンジニアについて詳しく調べてみました。そうしたら、エンジニアは機械を作る仕事だった。消費電力を抑えてどれだけパフォーマンスを上げられるか、どれだけメンテナンスなく使えるか等、最適化する仕事でした。  「こういう仕様のものを実装して欲しい」という希望を叶えるのがエンジニアだと知ったとき、それも好きなんですけど、僕がやりたいことと何か違う、やりたいことができるのはデザインじゃないかと考えて、進路を変えました。

それから受験のために予備校で絵を描くようになったんですけど、理系の勉強は手堅く理論的にやっていけば結果が出る世界だったんです。でも、美大受験はそのやり方で通用するのは8割のラインまで。その先へ行くには感情面が必要だなということを知って「こういう世界があるんだ」と驚きました。それまでは感情ってあってもなくてもいいと思っていたけど、その経験をしてから感情っていうのも大事なのかもしれないと思いました。

 

——理系か文系か芸術系か

 

高校生の頃の自分は理系が好きだったけれど、今は結局どの知識も使いますね。作品でも、光の点滅をプログラムで動かしたり、什器の設計はCADを使いました。大学で留学生とのグループワークをしたとき、彼らの国の文化を知らないと話のニュアンスが全くつながらないと感じたことがあり、歴史的・文化的な背景を知っていると、相手を深く理解するのに役立つと思いました。文章を書くには、国語が大事。結局自分がやりたいことやろうと思ったら、理系、文系、芸術系、全部の知識が必要だと実感しました。

 

——どんなプロダクトデザインをしたい?

 

ソフトウェアよりみんなが持てるハードウェアの “物” を作りたい。
質感とか、ボタンの押し心地とか、ダイヤルの回し心地とか。手で触れるものが好きです。なのでオンラインで発信するにしても、展示作品の真価は伝わらない。展示作品はそこに来た人しか見られない。実物を持っていじっていると真価がわかるという強みが、ハードウェアが好きな理由です。ソフトウェアを使うにしても、指とか目とか、どこか体の一部を使って情報へアクセスしないといけないから、触れるものが大事だと思っています。 誰もが物理的な移動なしに、どこにいても触れるプロダクトデザインをやりたいです。

 

——新型コロナの影響で休校になった時期は何をされてましたか?

 

勉強や作品制作はほとんどできなかったですね。大学のアトリエに入れなくて、家で作品を作ると木の粉とかが舞うから、制作は全然できなかった。4年生でこういう状況になったのは辛かったですね。あの時期は、IT系のアルバイトでリモートワークをしてました。あとは、プリンをひたすら作ってました。美味しいものが好きで、自分の家で丁寧に作ればデパ地下で売ってるものぐらい美味しいものができる。硬めで卵の風味がきいていてキャラメルが苦めなプリンが好きなんですけど、巷にあまりないから自分で作ろうと思いました。単純に、ものを作るのが好きなんです。

 

——作ること全てに興味があるんですね

 

高校生の頃に毎日の朝ごはんを作っていた時期があって、料理をしていると台所が汚れるんですよ。レシピ本通りにきちんと軽量して作っていると、洗い物がどんどん増える。慣れてくると必要ない器がわかってくるんですけど、料理の本とか番組は調理の部分だけがフィーチャーされている。料理して洗い物しては一連の動作だから、どのタイミングで料理して、洗い物してっていう順序も大事だし、料理の本から抜けているのは変だなというのは感じたんです。これからどんどん忙しくなる社会で、僕も将来働くようになったら、学生の今より使える時間も限られるようになる。自分で家事をするときに料理以外にかかるコストも考えたいと思って、「炊事を初める本」という作品にしたこともありました。

 

——これからどんなものを作りたいですか?

 

学部生の今は自分が作りたいもの、感動できるものを作っていて、誰かに「きれいだね」と言われることを目的にしていません。でもデザイン科だし、そろそろ自分以外の誰かのためにものを作らないとな、と思っています。

きっと僕の作品を実際に目にする人は限られているし、僕の作品の形態だとwebで発信しても本当のところは伝わらない。動画で見せることもできるけど、実際目で見るような魅力は伝わらない。届く人にだけ届けばいいって考え方もあるけれど、僕の場合は世界をひっくり返したい。人型ロボットは結局世界をひっくり返せなかったですけど、ASIMOとかが全盛期の頃は、ロボットで世界が変わるんじゃないかっていう期待感があった。そんな感じのことを僕もやりたいから、ものが作りたい、プロダクトを作りたいです。

一人では金銭的にも技術的にもできることは限られる。どんなかたちでものづくりに関わることになるかまだわからないけど、いつか形があって、手にとって触れる自分のものを世の中にだしてみたいと思いますね。それを見て「新しいな」「これがあったらこういうこともできそうだな」みたいなアイデアが勝手に生まれていくようなものを作れたら、と思っています。

——作品から伝えたいことはありますか?

 

この作品の水の現象をみて「きれい」で終わるのもいいんですけど、どうしてこんな現象が起きるんだろうっていうのも考えてほしいんです。普段みんなそういうことを気にしてないなと感じているので。「なんで?」って思ってもネットで検索して、正しいかどうかわからない答えをすぐ信じてしまうところがある。個人的には理屈を話したほうが誠意ある対応だと思うんですけど、大抵の人は答えだけを欲しがっている。でも、どうしてその答えがでるのか、根元の部分を知ることが大事だと思っています。

僕の作品をみた人に、「水の玉や波ができるのは不思議だな。それはなぜ?」って思ってほしくて、きれいにみえるような仕掛けを用意しています。みる人が「きれい!素敵!」だけではなく「なんだこれ?」と思うことを大事にしてこの作品を作ってきました。

作品だけではなくて、いろんなものを見たときに、なぜこんなことが起きるんだろう?この人どうしてこの考えに至ったんだろう?なんでこんな話し方をするんだろう?と考えることが大事だと思います。なぜ仕事捗らないんだろう?と捗らない理由をさがしてみたら、机の上が散らかっていた、隣の人の話し声がうるさかった、単純に朝から何も食べてなかったとか、昨夜あまり寝ていないとか、部屋の温度が若干暑かったとか、隠れた理由があるかもしれない。「なぜ?」と考えることが大事だと思うので、作品をみた人がいろんなことを考えるきっかけになったらうれしいなと思います。

(インタビュー・文・写真/とびラー )


取材:香坂小夜子、鈴木理子、山中みほ(アート・コミュニケータ「とびラー」)
執筆:山中みほ

ものの見方を変えたり、人と人をつなぐアートの魅力を伝えたいと思い、とびらプロジェクトに参加しました。
普段は高校で保健室の先生をしています。

「作品にとって一番良い方法をどの時代も探していく」藝大生インタビュー2020|文化財保存学専攻 保存修復日本画研究室 修士2年・谷口陽奈子さん

2020.12.15

空が清く澄み渡った秋の季節、歴史を感じさせる朱色が印象的なレンガ造建築「赤レンガ2号館」に文化財保存学専攻 保存修復日本画研究室 修士2年 谷口陽奈子さんを訪ねました。

笑顔で玄関まで出迎えてくれた谷口さんに連れられて階段を上ると、木造の梁が目を引き、様々な道具が整然と並ぶ装潢室がありました。

 

 

■作者の描いた順番や筆使いも想像して描く

はじめに実際に作品を見せていただきながら、作品のこと、制作について伺いました。

 

 

 

-卒業・修了作品について教えてください。

 

「現在、修了研究として、大学院に入ってから二作品目の現状模写に取り組んでいます。現状模写というのは、顔料の剥落しているところや汚れなどを含めて現在の状態を忠実に写す模写のことで、今回は東京藝術大学大学美術館所蔵の『孔雀明王像』という作品を現状模写しました。」

 

-この作品を選んだ理由は?

 

「修士課程が二年間ある中で、一年目も現状模写をしているのですが、江戸時代の『風俗図屏風』という作品で、6曲あるうちの一面だけでしたけど、それは人物が小さく、着物などの模様もすごく細かい作品でした。幅広く材料を扱いたいと考え、日本画特有の金属材料も使用された作品を選んだのでそれはそれで勉強になりましたが、二作品目としては全然違うものがやりたかったので、これくらい本尊が大きくて、大らかな感じの作品を選びました。あとは絹本。前回のものは屏風で紙の作品だったので、今回は絹を選びました。」

 

-実際絹を取り扱ってどうでしたか?

 

「紙だとあまり下地がどうなっているのか気にならなかったので描きやすかったのですが、絹は、とくにこういう鎌倉時代の作品は絹目が粗くて、粗いと描き味が紙とはだいぶ違って、描けているような、描けていないようなというのがあります。あと裏から作業できるというのが紙とはだいぶ違うので、とても勉強になりました。実際に掛け軸になった本物の裏面は見られないのですが、(作業中は)想像したり、修理中の写真があれば参考にしたりします。」

 

-絹本は技術的に裏面から描くことがあるのでしょうか?

 

「裏から描くと表だけから描くより定着がよくなります。絵の具が落ちにくくなったりするので。ムラなく塗るのにも裏から作業して表から少し描くほうがきれいにできたりします。今回の作品でも、本尊の白く塗ってあるところは裏からも一回白い色をかけています。」

 

 

 

続いて、現状模写の工程について話をおうかがいしました。原寸大のカラー写真の上に薄美濃紙をおいて、墨線を写し取っていく『上げ写し』、その後色を塗り始めていく中で、実物を見ながら色カードをつかって細かな色の違いを観察し、調整していく『熟覧』、実物の隣で作業を行う『臨写』を中心に、実際に行なってきたことをふりかえっていただきました。

 

-『上げ写し』だけでも大変そうですね。

 

「そうですね。かなり時間がかかります。原本と同じカラー写真を用意して、その上で薄美濃紙を丸めながら、描いてあるものをよく見ておいて残像を利用して描いていきます。この時点で剥落や傷も写し取り、作者が描いた順番や筆遣いも想像しながら行なっています。先生からは設計図みたいなものと教わりました。この時点で本質的なところとそうでないところも判断しながら行なっています。」

 

 

-色カードを使って実物と色を合わせるのは何種類くらいでしょうか?

 

「本当はいろいろ合わせたいのですが、時間に限りがあり、コロナ禍で30分くらいしか出来なくて、取れたのは4つくらいだったと思います。後は取れたもので工夫しました。例えば青っぽい色、群青だと一番残っているところを取っておいて、そこと比較して暗いはずだなとか。」

 

-色とか材料は時代背景から調べたりするのでしょうか?

 

「日本画の場合は古いものになればなるほど、使っている色は限られてきます。明治より前か、明治より後かでだいぶ違います。鎌倉時代になると色をみれば、おそらくこれだろうとわかります。水色ならこれ、青ならこれなど。明治より後になると西洋からもいろいろ新しい顔料が入ってきて、調査をしないとわからないです。」

「たとえばこの本尊のあたりには截金(きりかね)といって、細く切った金箔を線上に乗せているのですが、こういうのはこの作品の描かれている時代までしかやらないはずだとか。」

 

 

-昔使っていた色にも何かを混ぜて古くみせたりするのでしょうか?

 

「日本画の絵の具だと、まず岩絵の具というものがあって、染料があって、合成された材料もあるのですが、岩絵の具だと群青と緑青は加熱するとどんどん黒っぽくなる。それを混ぜたりもします。透明水彩絵の具を使った方がはるかに楽でも、できるだけ昔からあるものを工夫して使っています。また、どういうふうに変化するのかということも勉強になります。見た目を似せるということもしないといけないし、元の状態を想像することもしないといけない。先生にも結構相談しました。」

 

-『臨写』について教えてください。

 

「臨写は重要な期間で、藝大美術館所蔵の作品の場合約10日間行うことができます。大学美術館でやらせてもらいました。そこで完成するのがベストですが、細かい模様は描ききれなかったので、截金もその後にやりました。本物があると進みが全然違います。こうかなと思って描くのではなく、正解がすぐ目の前にある。」

 

-昔の人の技術というか、今回の模写で見えてきたものはありますか?

 

「例えば金泥で細かい模様が服に入っていて、本当に細かく描いているなぁと思いました。どこから見ても完璧だと思いました。」

 

 

-今回の現状模写で難しかったところは?

 

「背景が大変でした。経年劣化した状態を再現するのが。描いた感じが出てしまうとやっぱり違うので、薄く顔料が残っている感じを表現するのが難しかったです。おそらく一色で塗られていたと思うのですが、本物は筆で描いた感じがしないけど、でも模写だから描かないといけない。」

「絹って順番に絹糸、空白、絹糸、空白となるので、(構造が)空白のところには色がのらない。裏彩色がされていれば平滑に近くなっているのですが、背景は裏から塗っていないだろうから、そういうところは埋めてしまうのも違うし、埋めないと裏打ち紙(作品の裏に貼り付け補強するための紙)が透けてちらちら見えてしまって違うし、そういうところも難しかったです。」

 

 

■日本画から文化保存修復へ

谷口さんは、学部時代、東京藝術大学で日本画を専攻し、現在は大学院で文化財保存学を学んでいます。そこにいたった経緯や大学院での学びについて伺いました。

 

 

-学部時代に日本画を専攻していて、現在は文化財保存学を学ぶことに至った経緯は?

 

「学部と大学院の違いでいうと、学部の時は、作家になるための勉強だったと思うのですが、大学院は作家になる人がいてもいいし、修復の世界を目指す人がいてもいいし、間口は広い感じがします。私は、修復がやりたくて藝大に入ったので、学部時代に日本画を学んだのもここにくるための準備だったと思います。」

 

-修復がやりたいと思ったのはいつ頃ですか?

 

「もともと伝統工芸は好きで、高校生の頃にこういった世界があることを知って、その頃から漠然といつかやりたいと思っていました。」

 

-大学院で現在はどのようなことを学んでいるのでしょうか?

 

「今はこういう模写を自分の研究としてやりながら、週一回授業で修理や表具を学んでいます。(いずれは)材料をきちんと扱えるようになるのが目標です。模写は絹があって、表からも裏からも描いてあって、顔料がどうしてこう落ちているのだろうと考えることや、あとじっくり観察できたのも将来にとってよかったと思います。忙しかったですけど、楽しかったです。」

「修士課程の一年生の時には、保存科学のこととか、日本画以外の分野についても保存のことを一通り学ばせてもらいました。建造物、彫刻のこととか、油画のこととか、工芸にも行きました。」

 

 

■研究室に受け継がれる伝統

室内にある見慣れない数々の特殊な道具についても話を伺いました。

 

 

-コロナ禍で制作に影響はありましたか?

 

「大学の構内でもうちょっとやりたかったです。7月頃には少し入れるようになったのですが、制作できるようになったのは9月からで、その間は、家でやらざるをえなくなってしまった。家では場所の問題もありましたし、場所は何とかなっても照明が暗いことも問題でした。表具ももっとやりたかったですけど、こういった台(装潢台)も家にはないので。」

-確かに特殊なものがたくさんありますね。

 

「(装潢台は)裏打ちといって中腰で作業することが多いのですが、絶妙な高さですね。」

 

-たくさん気になるものがありますが、あの桶みたいなものは何に使うのでしょうか?

 

「この研究室では生麩糊(しょうふのり)という粉から炊いた糊を使うのですが、炊いた糊をこして、その糊を水で薄めたり、練ったりするときに使います。ここで作った糊は修理の時などよく使います。一年生の頃は毎週炊いていました。」

「一年生の仕事でいうと、1月とか2月頃に残っている糊を全て炊いて、大きな甕(かめ)にいれ、ここの建物の地下に保存しておきます。今も古糊(ふるのり)といって2013年頃の糊をつかったりします。」

 

-糊を代々引き継いでいるわけですね。

 

「新しい糊は、接着力が強く固くなり易いのですが、古い糊は接着力が弱く柔らかく仕上がるので、使い分けています。そういうのも面白いです。」

 

-あちらの青いバケツには何が?

 

「青いバケツには、水につけた糊のもとになる粉が入っています。その上に水があるのですが、その水を時々替えないと全体的に腐ってしまうので、それのお世話をしないといけない。ペットボトルには染料が入っています。矢車とか天然の染料を煮出したものですね。今回の現状模写でも裏打ち紙に真っ白なものではなく、矢車で染めたものを使いました。」

-この部屋をざっと見渡しただけでもたくさんの道具や物があるのにとても整理されていて、整然と並んでいますね。

 

「研究室の先生の影響というか、代々みんなが自然とそうしてきているのだと思います。研究室でも一人でできないこともあるので協力をしたり、そういう意味でも研究室の全員で作っている環境です。」

神は細部に宿るという言葉がありますが、文化財保存修復に関わる人として、道具を大切にする、整理整頓といったことが、先生から学生へ受け継がれる。そして先輩学生から後輩学生へも代々伝統のように受け継がれ、文化財保存修復に関わっていく思いも育てられているように感じました。

 

最後に、保存修復への思いを伺いました。

 

「こういうものは永遠ではなく、古びていく。良くなることはなくて衰えていく。修復の世界のそれを理解してやっているところにすごく感動して。自分たちにできることの限界も知りながら、でも作品をなるべく後世に伝えていこうという謙虚な姿勢に魅かれました。私もそういう技術者になれたらいいなぁと思います。」

 

学部から大学院まで日本画に真摯に向き合ってきたからこそ、迷いなく、まっすぐに語られる言葉が印象的でした。

 

来週は絹を木枠から外して、表具の工程に入るので緊張しているという谷口さん。絹は一層目の裏打ちが難しく、浮いてしまったりするそうです。また、仏画の形式だと仕立ての工程が倍くらいになるので、慎重にやらないといけないと話してくれました。
卒業・修了作品展で展示される現状模写『孔雀明王像』。表具を終えた谷口陽奈子さんの作品をぜひご覧いただければと思います。

 

 

■インタビューを終えて

谷口陽奈子さんにどうして東京藝術大学で学ぼうと思ったのか尋ねると、少し考えた谷口さんから返ってきた答えは、「一番になりたかったので」でした。他人と比べてではなく、自分自身が一番納得できるようにありたい、そんなふうに私には聞こえました。彫刻家イサム・ノグチは、完全な芸術家とは「みずからの芸術がさらに含意するものの探究に身を捧げる芸術家だ」としていますが、「これからも全てが勉強です」と話す谷口さんの姿が重なります。
先人たちから受け継がれた文化財を次世代へ、知識や技術とともにその思いも受け継がれていることを感じました。

 

 


取材:木村仁美、和田奈々子、中嶋厚樹(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:中嶋厚樹

 

とびラー2年目、普段は美術館学芸員をしています。とびラーとして、たくさんの人に出会い、刺激をもらい、共に過ごす時間が財産になることを実感しています。

「ファストファッション全盛の今だからこそ、あえて自分で糸から紡いで織ってみたい」藝大生インタビュー2019|工芸科・染織専攻 学部4年・千田華子さん

2020.01.26

クリスマスも間近の12月18日。

工芸科・染織専攻(学部4年生)の千田華子さんにお話を伺うため、総合工房棟4階の染織研究室にお邪魔しました。

岩手県がご出身という、色白美人の千田さん。

 

■母のマフラーがきっかけで織りの世界へ

 

― 染織専攻に進んだ理由を教えてください。

 

高校生の頃、たまたま地元の岩手県にmina perhonenの展覧会が巡回していて、皆川明さんのトークショーで少しだけ皆川さんとお話できたんです。

ちょうど進路に悩んでいたときで、「その目の輝きを忘れなければ大丈夫」と、一言だけでしたがものづくりに悩んでいる私に皆川さんが声をかけてくださいました。

そのとき飾られていた衣服がとても輝いて見え、着る人のことを想像しながらファッションを生みだしている皆川さんに刺激されて、テキスタイルに興味を持ちました。

 

― 染織専攻では「染め」と「織り」の両方の技法を学びますよね。卒業制作にあたってなぜ千田さんは「織り」を選んだのでしょうか。

 

織りを選んだのは、大学三年生のときに実家にあった母のマフラーにふと目が留まったことがきっかけです。ピンクと赤の混じったような糸でざっくりと織られていて、「これ、いいな。どこのだろう?」と思ったら、なんと地元の伝統産業の1つ、『日本ホームスパン』のものでした。地元のおばあちゃんたちや、若い織り手さんたちが工房に集まってコツコツ織ったんだと知って、とても興味をひかれました。

 

「ホームスパン」とは「家(Home)」で「紡ぐ(Spun)」という意味を持つ造語で、元々はイギリス発祥の毛織物のことです。ただイギリスは産業革命によって早々に機械化したため、伝統としては残らなかったそうです。

日本に入ってきたのは明治時代で、岩手県ではホームスパンが農家の副業として、あるいは未亡人になった女性たちの生活を支える仕事として、つくり続けられてきました。今でもいくつか工房が残っています。そういう歴史も調べていくと興味深いと思いました。

「母がホームスパンについての本(『てくり別冊 岩手のホームスパン』まちの編集室2015)を送ってきてくれました」(千田さん)

 

機械化が当たり前というこの時代に、どの工程も手作業でやっていることに魅力を感じ、夏休みに工房にお邪魔して勉強をさせてもらいました。

初めてホームスパンで織ってみたのが、この青いマフラーと赤いマフラーです。工房で織られたものと比べると、全然違いました。

 

大学では、三原(さんげん)組織といって、綾織りと平織りと朱子織りの基本的な3種類は習うのですが、力加減やリズムなどはたくさんの織りに触れながら自分に合ったやり方を見つけていきます。

ホームスパンは柔らかい手触りや軽やかさを意識するために、打ち込む筬(おさ/縦糸が通っているプレート)の重さだけで、空気を含めるようにゆっくりと織るのが衝撃でした。

織り方でこんなに変わるんだということを発見し、織りの面白さに目覚めました。

千田さんが織った赤と青のマフラーは、素朴で温かみのある色が特徴です。

 

■色、形、ものづくりのゴールが「工芸」だった

 

― 美術学部にはたくさんの科がありますが、千田さんが工芸科を志望した理由を教えてください

 

子どもの頃を振り返ってみると、4歳年上の姉と一緒に絵を描いたり、段ボールで家をつくったりと、何かを創作する遊びをよくしていました。

形にも興味があって、保育園に通っていたころは幾何模様が描ける製図用の定規を使ってシンプルな絵を描くことにハマっていました。

小学生の時は、自由研究で自宅の間取りの縮図を書くほど建築家に憧れを持っていて建物の形を見るのも好きでしたが、勉強、特に数学が得意ではなかったので諦めました(笑)

 

高校は地元で唯一の美術系の学校に進学しましたが、まだ本当にやりたいことがわからず迷走していていました。

一年生で専攻したのは油絵科です。でも絵の具の色がたくさんないと楽しくないことから、私は色にもすごくこだわりがあるんだとわかりました。自分の欲しい絵の具をそろえるにはお金がかかると悩み、二年生で彫刻科に行きました。形には興味があったので彫刻自体はしっくりきたんですが、ずっと木や石を削っていたらやっぱり色が欲しくなっちゃって(笑)色と形を扱えるということで、三年生になってデザイン科に行き、グラフィックを主に勉強しました。

 

色があって、形があって、ものがつくれる。紆余曲折したけれど、最終的なゴールが「工芸」だった感じです。

千田さんのデスク。窓の外には森があり、鳥のさえずりが聞こえてきます。

 

― 工芸の中でも染織専攻に進んだのは?

 

藝大の一、二年生は、日本画、油画、木工、ガラスなどさまざまな表現技法を学びます。その中に共通の表現を見出したり、自分に何が合っているのかを見つけたりするんです。私は基礎の2年間で、色や形のほかに素材も好きで、マテリアルをいじりたいということがわかりました。

 

また、以前は幾何学的な形に興味がありましたが、人間の生みだす有機的な形に関心が移ってきたんですね。

人の手に渡るなら、温かみがあるものを作りたいと思い、染織を選びました。

また自分にとっても色がある方がワクワクするので(笑)

人々の生活を素敵な色と形で豊かにしたいと思いました。

 

三年生の1年間は染めと織りを交互に勉強し、四年生になって卒業制作でつくるものによってどちらかを選択をします。

本人の性格によって合う・合わないがあるみたいです。正確なデータを取るのが好きという慎重派の人は染めに向いていて、織りはもうちょっと大らかというか(笑)失敗しても糸を戻してもう一回織り直せるんです。私はすでに母のマフラーがきっかけで織りに目覚めていましたが、性格的にも向いていたと思います(笑)

 

― 美術の道に進むことに対して、ご両親は?

 

幸い、我が家はけっこう芸術に理解がある家庭でした。

小さいころから両親がチェロを弾いていて音楽が常にそばにあり、姉もベースを弾いたり、私もピアノを習っていたので、どちらかというと音楽色の強い家庭でした。

ただ、芸術という視点では音楽と美術には通じるものもあり、私の進路も理解してもらえたのはありがたかったです。

 

 

■織りは心を映す鏡

 

― どうやって織るのですか?

 

最初は「染色」です。

羊の毛は繊細なので急な温度変化によって縮んだり固まったりしてしまいます。だから沸騰させすぎないように温度を注意深く管理し、染織していきます。

染める前の原毛。「真っ白!」「ふわふわだ!」「やわらかーい!」(とびラーたち)

 

色の濃さは、染料と被染物の割合によって決まっています。

毎回染料の割合などは計算して記録しますが、風が吹いて染料が数ミリグラム飛んでしまうこともよくあり、同じ色を出すことは難しいです。だからいつも奇跡的に生まれた色なんです。

千田さんが染めた糸。鮮やかで元気が出る色です。

 

次に「カーディング」といって、様々な色の糸を混ぜ合わせて一緒に梳かし、1本の糸にしていきます。ここも一期一会の糸をつくる作業ですね。

先ほどの糸を組み合わせ、カーダーにのせて一定方向に梳かします。

 

そして糸を「紡ぐ」。足踏み式の昔ながらの糸紡ぎ機で糸を紡いでいきます。

集中すれば、30分で1玉くらい紡げます。染織って無になれる瞬間が多くて、慣れてしまうと呼吸するみたいな感じで作業ができます。

子どもの頃に読んだ童話に、こういう糸巻機が出てきたような……。

 

縦糸を織り機にセットし、ようやく「織り」に入ります。シャトルを使って縦糸に横糸を通していきます。

糸を紡いだ状態と織った後では色の雰囲気が全然違います。最終的にどうなるか私には想像できないので、織りのサンプルをつくります。後は出たとこ勝負で(笑)、その時の状況に任せて織っていきます。

「ジャングルジムみたいですが、これが織り機です」(千田さん)

 

― たくさんの工程があるんですね!どれが一番好きですか?

 

やっぱり織っているときです。作業した量が長さになって目でわかるから、やりがいも感じます。朝の9時から夕方の6時まで、途中休みながらずっと織っていることもあります。1日あればマフラー1本半くらいは織れます。

 

じつは織りの作業は、けっこう感情が影響するんですよ。自分がニュートラルな気持ちだと織り目がきれいに揃いますが、心が乱れていると縁がボコボコに歪んでしまったりします。だから悲しいときはやらないです(笑)悲しみが入っちゃうから、織りに。

織り手さんたちは、「急ぎ過ぎないように」って自分に合ったペースでハッピーに織っているんですよ。

このスマイル! 千田さんが織ったものもハッピーに満ち溢れているに違いない。

 

■人が触れ続けるものをつくりたい

 

― 卒業制作の作品について教えてください。なぜ洋服をつくろうと思ったのですか?

 

以前は特に用途を決めずに好きなものをつくっていましたが、ホームスパンに出会ってから、人が触れ続け、使いこんでいくにつれて味が出てくるものをつくりたいと思うようになりました。

母のマフラーも最初は固かったはずですが、20年使い続けることによって空気が入り、より柔らかくなじんでいったのだと思います。

 

ホームスパンの製品は、織るのに時間がかかるためマフラーが多く、現在はほとんど服地をつくっていません。私にはせっかく1年という時間があるのだから、思い切って服地を織り、着られるものをつくろうと思いました。

最初にあったのは色のイメージです。鮮やかで温かみがあり、大好きな秋に似合う色にしたい。着心地も考え、ウール100%で緩めに織り、温かく柔らかく仕上げました。

 

タイトルは「Autumn Leaves」です。真っ白い羊毛が、染められ、織られることによって複雑な表情になっていく様子が、いろいろな色が重なる秋の紅葉の景色とリンクしたので、そう名付けました。

また、葉っぱに含まれる色の要素を抽出した色味にしています。

素朴で力強く、モダンな感じもする千田さんの作品。左側がレディス、右側がメンズです。

作品のアイディアとデザイン画。糸の色のイメージも。

 

― デザインのこだわりやイメージはありますか?

 

ところどころにオーガンジーを織りこんだり、あえて表面をボコボコさせたりして、服地としては十分にインパクトがあります。だから凝ったデザインや複雑な縫製にしなくてもいいと考え、最小限の布でシンプルにつくられている民族衣装を参考にしました。

二枚のスクエアの布を肩のところではぎ合わせて前身頃と後ろ身頃にし、筒状の布を絞ることで袖にしています。スカートもベルトで抑えているだけです。同様にメンズ服もつくりました。

左右で色が違う袖。スカートにはオーガンジーのリボンが織り込んであります。

 

実際に知り合いに着てもらって撮影したときは、ちゃんと使えるんだって感動しました(笑)

ディテールが強い服地なので、着ている人の動きによってかなり表情が変わります。

卒展では、白い全身マネキンに着せて、背景にモデルさんが着用した写真を飾る予定です。これから写真を撮るのですが、目の前の森で撮ろうかな。落ち葉がいっぱいでこの服のイメージにぴったりなので。

こちらはデモで撮った写真だそう。2人のモデルさんが素敵に着こなしていました。

 

― 卒業後のことを教えてください。

 

もし大学院に行ったら、そのまま織りを究めていくんだと思います。あるいは落ち着いて制作できて少しずつ形にしていけるようなものを見つけるのかな。

でも全然違うことをしているかもしれません(笑) その時の自分に託します(笑)

 

私は多分、何が自分に合っているのかを一生探し続ける性質(たち)なんだと思います。ものをつくるのには満足やゴールがないから。

この4年間も、取捨選択や創意工夫をしながらブラッシュアップして、ちょっとだけ道が開けた方向に進んでみる……そんな毎日を過ごしてきました。

 

私にとって美術は、高尚なものというよりは「衣食住にプラスするもの」という立ち位置です。

生活に寄り添いながら静かに糸を紡ぐとか、好きな色の組み合わせを考えるとか、そういう単純なものの中に豊かさを見つけていけたらいいなと思っています。

見る角度によって表情を変える、千田さんの織り。たくさんの色が心地良く調和しています。

 

★取材を終えて★

千田さんのやさしい語り口と木製の糸巻機や織り機に囲まれ、すっかり癒された90分でした。カラフルで温かくて一目見たら忘れられない千田さんの織りは、身に着けられるアート作品です。これからも千田さんの活動に注目していきたいと思います。

千田さんのインフォメーション……Instagram:@hanako.chida


取材|岡野三恵、草島一斗、河野さやか、有留もと子(以上アート・コミュニケータ「とびラー」)

撮影|原 千夏(とびらプロジェクト・Museum Start あいうえの アシスタント)

執筆|有留もと子


とびラー8期。ゆめのたねラジオ東日本チャンネル『artは野となれ山となれ/毎週土曜日11:30~12:00』(https://www.yumenotane.jp/)のパーソナリティとしても活動中。アーティストをゲストに呼びお話を聞いています。(2020.1.10)

 

 

 

 

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