東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

活動紹介

「ふるさとの田んぼに包まれて」藝大生インタビュー2024|美術教育専攻 修士2年・炭屋ももさん

2025.01.19

 

晩秋の木々に包まれた東京藝術大学取手校舎。研究室にたどり着くと、灯りがぽっとともったような炭屋さんの笑顔が迎えてくれました。部屋の中央には、どこか懐かしさを感じさせるカラフルなタイルと、地面を切り取ったような重量感のある作品が並んでいます。

― 修了制作の作品について教えてください


私の修了制作の作品は「包まれる」というテーマで、あたたかいものに包まれたいという思いを込めています。温泉が大好きで、ひとり用の壺湯の「浴槽」を作っています。


まだ暑い9月上旬に、ふるさとの佐賀県の親戚の畑に穴を掘り浴槽の形にして、そこにコンクリートを流し固めて作りました。掘り上げた浴槽の周りに付いてきた畑の土をそのまま残すために、樹脂でコーティングしています。

佐賀で作った浴槽は、底部と側面の5つのパーツに分けて藝大まで運びました。それを元の形につなげて内側にタイルを貼っていきます。浴槽の底には空から見渡した佐賀の田んぼを、側面には山並みや田んぼの風景を、絵を描くようにタイルで表現していきます。

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畦に囲まれた田んぼの区画をモチーフにした四角いタイルや、山の形をしたタイルを作りました。陶芸用の絵の具を刷毛で描くように色をつけ、透明釉(光沢のある透明無色の釉薬)をかけて焼きました。下描きをして貼るわけではないので、タイルの数が足りるかどうかも、やってみないと分からないんです。

― 作品を作るうえでどのようなことを大切にされていますか


素材を活かすこと、そして佐賀の畑で制作を始めたように、作る場所を大切にしています。東京に出て6年が経ちますが、ずっとホームシックなんです。大好きな佐賀の景色や空気、田んぼを東京に持ってきたらおもしろいだろうと思いました。

私には、「いいな」と思うものそのものになってみたいという気持ちがあります。この浴槽に入ったら、稲穂に囲まれ、田んぼに包まれる気持ちになり、大好きな稲や田んぼそのものになる体験ができたらと思います。卒展では屋外に展示する予定です。お湯は入れませんが、見に来てくださる人にも中に入ってもらえるものにしたいと考えています。

 

― なぜ修了制作でお風呂をモチーフにされたのでしょうか

 

よく家族で山登りをして、その後に温泉に行った思い出があり、幼いころから温泉が大好きでした。コロナ禍で外に出られなくなり、実家のお風呂に絵を描いたのをきっかけにお風呂をモチーフにするようになりました。お風呂はあったかく包んでくれて、何もしなくてもいい場所です。

修了制作作品の壺湯の周りには、3m×3mの白い布に絵を描いた、目隠しののれんをかけます。以前作ったのれんには、滝に打たれた体験を思い出して、包まれるように滝を描きました。今回は何を描くかはまだ悩み中です。

お風呂グッズも作りました。お湯に浮かべるおもちゃのアヒルは、はにわのイメージで野焼きをしました。

銭湯でよく見かける「ケロリン」と書いてある黄色い風呂桶をモデルにして、小松石を彫って桶を作りました。この桶は、重さが5キロもあります。グラインダーを使って彫る桶は、石から思った形がどんどん現れてくる楽しい作業でした。ですが、磨くのは大変で、爪が削れてなくなりました。

 

高校までやっていた書道の経験を生かして、拾ってきた板材に「壺湯 すみ屋」と筆で書き、壺湯の看板にします。興味があることには何にでも手を出すんです。

― ふるさとの佐賀ではどんな子ども時代を過ごしていましたか

小さい頃から、ずっと何かを作り続けている子どもでした。自然の中で育ち、泥団子を作ったり山に登ったり。今の制作活動も、すべて子どもの頃の体験の延長線上にあると思います。素材や作品に向かい合い、体を動かして何かを作りたいという気持ちは変わりません。


高校は美術コースのある学校で、先生に勧められて油絵を始めて、気づいたらここにいるという感じです。多摩美術大学への進学が決まった時には東京に行くことが不安でしたが、担任の先生が多摩美出身だったので、多摩美に行けば美術の先生として、佐賀に戻ってこられるかなと考えていました。先生にも「佐賀で先生をやりたいのなら1回外に出た方がいいぞ」と言われて、確かに外の景色を見ておいた方がいいかなと大学に行く決心をしました。

― 学部卒業後に東京藝術大学の美術教育研究室に進んだ理由を教えてください


私が藝大の美術教育研究室を選んだ理由は、実技制作と理論研究の両方をできるからでした。私は多摩美の油画専攻出身ですが、こうしてお風呂を作ったり、絵を描いていたりしていても、ずっと作品制作だけをしていてはだめだなって思っていたんです。作品と社会とのつながりを形にするためには、言語化することの大切さ、必要性を感じていました。でも言葉にするのは苦手だったので、きちんとものが言えるようになりたいと思っていました。

藝大の学びで印象に残っていることはなんですか

先生の紹介で、2024年に開催していた、静岡県島田市の「UNMANNED 無人駅の芸術祭/大井川」という芸術祭にインターンとして行かせていただき、実際に運営側を経験することができたことです。それ以外にも、あちこちの芸術祭に足を運べたことがとても貴重な経験になりました。

藝大の研究室はいろいろなワークショップの委託を受けているので、アシスタントとして様々な場所に行かせていただいたことも勉強になりました。学部2年生の時からコロナ禍が始まって、あまり外に出て活動することができなかったので、大学院に入ってから、実際に子どもたちと関われたことは楽しい学びでした。自分も制作者として、作ること自体をとても楽しいと思っているので、アートを通して子どもたちに、作る楽しさを伝えられたのではないかと思います。
将来は自分も人の役に立つことをやりたいと思うところがあって、それには、私の作品だけでは限界があると感じていました。作品と人とのつなぎ手となることで人を笑顔にしたいという気持ちを実現するために、もっと社会的な広がりのある、町や地域単位でプロジェクトをやりたいと研究室での体験を通じて考えるようになりました。

― 将来の夢を聞かせてください


地域芸術祭に興味があり、自分でも芸術祭を作ってみたいという夢を持っています。学部4年生の時に、新潟県の「大地の芸術祭」を見に行き、過疎化が進む地域にもかかわらず、たくさんの人が来ている様子に、アートってこんな力を持っているのかととても驚きました。その体験は、こういうことを九州に帰ってやりたいと思うきっかけになりました。

もちろん作品を作る側も好きですが、芸術祭を実行する運営側になるためには、人に論理的にものを伝える力が必要だと思いました。自分が考えたことを形にするだけでなく、多くの人と合意したり、協力したり、みんなで力を出していくためには、言葉の力が必要で、それを学ぼうと自覚したということなんです。芸術祭を実行するという夢がはっきりしてきたので、来年から、熊本県の湯前町の「地域おこし協力隊」として働くことを決めました。

 

― 湯前町とはどういうご縁があったのでしょうか


球磨郡湯前町の少し離れたところに祖父母が住んでいて、小さい頃からよく遊びに行っていました。日本三大急流のひとつ、球磨川の流れに沿って走るくま川鉄道が大好きなんです。くま川鉄道は、2020年の水害で線路や橋が流されて、今も復旧の途中です。湯前町はくま川鉄道の終点の地域ですから、沿線に沿ってアートで何かできるんじゃないかと考えています。あの場所で受け取った大事なものを残して、伝えていきたくて、湯前町役場の方々にアートで地域おこしをしたいと話をしたら賛同を得られました。この活動でなら藝大大学院での2年間の学びが生かせそうだなと思いました。今も教育にも興味があるので、地域おこしの仕事が学校教育に活かせるかどうかわかりませんが、将来的にまた教育方面でも何かできたらと考えています。
私は地域おこしにアートを持ち込みたいと勝手に考えていますが、町の人が本当はどう思っているのかわかりません。ですから最初は、ワークショップなどの交流を通じて地域の人たちが求めていることを理解した上で活動したいと考えています。また、レジデンスで国内外のアーティストを呼び、空き家の活用もやりたいと思います。

― これからの作品制作についてはどのようにお考えですか


大学院を修了してからも、作品制作は続けていこうと思っています。湯前町とも住む家を決めるにあたり、地域おこしをしながら作品の制作をやりたいと相談しています。今はとにかく石を彫りたい。石を彫るきっかけとなった温泉で見た20トンもある岩のお風呂のように、自分の手で石に触れ、包まれながら、大きな作品を彫れたらと思います。

― 地元の子どもたちに伝えたいことはどんなことですか


やはり佐賀と都市部は全然違います。美術館の数も、文化に関する情報量もとにかく違う。私は、油絵の先生に油絵制作を教わったことが、自分の興味関心を見つけることにつながっていったと思います。そこから東京の美術大学に進んでみたら、さらに立体作品や、インスタレーション作品など多様なアートの楽しさに気づいていきました。そんなふうに子どもたちの視野を広げてあげられる人になりたいと思います。外に出た人間が地域に戻ってくるということも、子どもたちが選択肢を広げて、自由になることに影響するんじゃないでしょうか。湯前町の地域おこしでもワークショップを開いて、子どもにいろんな創作体験をさせてあげたいなと思っています。
作品を作るって本人をそのまま表すと思います。アートは自分を表す手段としてとても有効なので、頭でいろいろ考えなくていい、心を開放する体験ができる学びなんじゃないかなと思います。

― 卒展を見に来てくれる人へのメッセージをお願いします


みなさんは、私の作品を見て何を思うのでしょうか。私はお風呂を作りたい、田んぼに包まれたいと思ってこの作品を作っているのですが、見てくださる方には、同じように思ってもらいたいということはないんです。温かいものに包まれたいというテーマで、温かい気持ちになる作品にしたいという思いはありますが、見たまま、感じるままに受け止めてもらえればいいと思います。
本当は、社会的なコンセプトもあるのですが、それを外に出して伝えるべきかは、慎重に考えたいと思っています。作品の素材も、思うところがあって、あえてコンクリートで作っています。
言葉はとても強く、作品の横に置くと見た印象に大きく影響すると思います。私の作品は、見て体験できたぐらいがちょうどいいと思っています。「佐賀の田んぼ持ってきました」という感じが伝わればいいんです。
私の作品を見て、特に地方から出てきた人からは「なんかすごく落ち着く」、「懐かしい」と言われることが多いので、やっぱり田んぼの景色を知っている人には言葉がなくても伝わるものがあるのだと思っています。

 

終始ほほえみながら楽しそうにお話してくださった炭屋さん。ふるさとの佐賀への愛情、作品に込められた想い、活動への情熱が、言葉や瞳の輝きから伝わってきました。柔らかな癒しの力をまとう芯の強さを感じます。

卒展で、完成した作品「壺湯 すみ屋」に入るのが楽しみです。作品に包まれ、ほっこりと優しい気持ちに満たされて、ついつい長湯をしてしまうかもしれません。


(参考)


新潟県十日町市・津南町「大地の芸術祭」
https://www.echigo-tsumari.jp/news/20230721/

静岡県島田市・川根本町「UNMANNED 無人駅の芸術祭/大井川」
https://shizuoka-hamamatsu-izu.com/shizuoka/shimada-city/unmanned-mujineki/

総務省「地域おこし協力隊」
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/02gyosei08_03000066.html


取材:井戸敦子・小木曽陽子・曽我千文・谷口圭
執筆:曽我千文
撮影・編集:越川さくら(とびらプロジェクトコーディネータ)

 

インタビューは炭屋さんがこれまでの出会いの中で感じたこと・大切にしていることにじんわりと包まれるような美しくて素敵な冬のひとときでした。(11期とびラー:井戸敦子) 

                           

故郷への想いがぎゅっと詰まった炭屋さんの作品に触れると、不思議と懐かしさがこみあげてきます。いつか佐賀県や熊本県湯前町に足を運び、温泉と大自然を味わってみたいです。(11期とびラー:小木曽陽子)

                           

炭屋さんとお話していると、時にやわらかく、時に力強い、田んぼを吹く風を感じる気がしました。佐賀のバルーンフェスティバルで風にのる熱気球から、田んぼや山なみを眺めてみたいです。(11期とびラー:曽我千文)

                           

初めて目にするのにどこか懐かしい気持ちになる作品と、炭屋さんご本人の柔らかな佇まいから、こんこんと湧き出る不思議な力を受け取りました。(12期とびラー:谷口圭)

「『粘菌ギャル』になりたい!」藝大生インタビュー2024|デザイン専攻 修士2年・柴田美里さん

2025.01.19

 12月4日、私たちとびラーは東京藝術大学(以下、藝大)取手校地を訪れました。迎えてくれたのは、デザイン科修士2年の柴田美里さん。柴田さんがアトリエのあちこちから椅子をかき集めてくださり、インタビューは車座で始まりました。

 

 

― 作品を見る前にまず、卒業制作のテーマを教えてください。

 

 「粘菌″ャ」レ 曼荼羅(まんだら)」というタイトルで、ギャルのフィギュアを2体作っています。「年金」ではなく生き物の「粘菌」のギャル。「″ャ」レ」は「ギャル」のギャル文字表記です。

 

 卒業後の自分の人生について思うところがあって。今までは、藝大に入って作品を作るという目標に向かって進んできたけど、今後の生きていく意味をまだ見出せていなかったので、人生の道しるべを作りたいと思って卒業制作を始めました。

 

 私のためだけの仏像というか、偶像崇拝っぽい展示の仕方をしたいと思っています。粘菌とかギャルになりたい願望が以前からあって、そのなりたい姿を私なりに作ってみた、というコンセプトです。昔の人がありたい姿を偶像に投影してお祈りしていたように、私のなりたい姿、目指したいものを形にしています。

「ギャル」、「粘菌」、「偶像崇拝」。インタビューの冒頭から強烈なワードがたくさん飛び出しました。気になることばかりです。

 

 粘菌とギャル、なんで?と思いますよね(笑)。粘菌が元々好きで、学生生活を通してずっと粘菌関連の作品を作ってきました。すごく変な生き物で、菌なのに動くんですね。森の中を自由に駆け巡っている姿がすごく不思議でかっこいいなと思っていて、そんな粘菌になりたいんです。

 

 ギャルも、その存在が好きです。好きな服をまとって、人目を気にせず街中を厚底ブーツで闊歩していたり、その姿がかっこよくて、ああなりたいと思う存在なんです。ギャルの力強くて自由な立ち居振る舞いと粘菌が、私の中ですごくリンクしていて、ある意味似ているのかなと思っています。その2つを組み合わせて作品を作ってみました。粘菌も、進路に虫がいてもアスファルトの上でもガンガン突き進む強さがあります。

 

― 藝大に入る前はどういったことをされてたんですか?


 中学校のときに美大に行きたいなと思って、それ以降真面目に勉強していました。藝大は国立なので試験科目が多いし、そのデザイン科に行くなら実技以外の勉強もある程度必要、と聞いていたので、中学ではセンター試験レベルの勉強をがっつり頑張って、高校からは美術予備校でがっつり実技の勉強をしました。


― 最初に粘菌とギャルに出会ったのはいつ頃ですか?

 

 粘菌は中学校ですね。仲が良かった図書室の司書さんに、新しく配架した粘菌の図鑑を「絶対好きだと思うんだよね」と見せてもらったのが最初です。「なんこれ?うわ!カッコよ!」みたいな出会いでした。どの本かもう忘れちゃったんですけど、何回も読んで粘菌がすごく好きになりました。

 ギャルは大学に入ってから、ギャルっていいなと思い始めました。私自身はそれまでそんなにギャルではなかったです。今もギャルではないんですけど(笑)。

「私はギャルじゃない」と謙遜(?)する柴田さん

 

― 学部時代の卒業制作の写真を拝見したのですが、そちらでも粘菌をテーマにしていたのですよね。

 

 

 あれは粘菌になるための装置というか、棺です。私が死んだらロープの塊に入って土葬されて、微生物に分解される。そこを粘菌が通ったら、粘菌に吸収してもらえるというコンセプト。粘菌には触れたものを体内に吸収して記憶する性質があるので、そうすれば粘菌の一部として生まれ変われるなという妄想を、そのまま棺の形にして作ってみました。


 学部の卒業制作の延長というか、粘菌になりたい同じ思いを持ったまま、修士課程の修了目前まで来ています。

 

― フィギュアは木彫りで作っているそうですが、どういった形で出会ったり、始めたいと思ったんですか?

 

 元々趣味でフィギュアが好きで、粘土で作ることは良くあったのですが、粘土って足し算の作業で、形がなかなか決まらないのが嫌だったんですよ。毎回おおざっぱに形を作って、粘土が固まってからやすり、形を整えていたんですけど、ふと「初めから彫ったらよくない?」と気づいて、2023年の11月頃から木彫りを始めてみました。完全に独学で、木彫の技術はまだまだです。

 

 素材としての作りやすさだけでなく、「ギャルの格好したやつが木でギャル彫ってたらおもろくね」と思ったのもあります。3Dプリンターで作る樹脂のフィギュアは既にポップアートとして人気だけど、「え、木彫りなんだ」みたいな意外さ、新しさがあるかなと。

 

― 柴田さんのイメージする具体的なギャル像はありますか?

 

 子どもの頃から好きでした。2000年代のギャル文化は意識しています。時代によってギャルのイメージは変わりますが、そんなに特定の時代のギャルは意識していません。いろいろなギャルがいていい。格好は今っぽいギャルでも、スマホではなくガラケーにキーホルダーをじゃらじゃらつけていたり、混ぜこぜなギャルです。

 

 ギャルの誰かではなく、私がなりたいギャル像を作品にしています。私は最近髪型を姫カットにしているので、彫っている作品をみんな姫カットにしたり、私がよくする格好や着てみたい服装を作品に着せたり、作品と自分を寄せていく意識です。

 

― 柴田さんはギャルだけでなく粘菌にもなりたいとのことでしたが、なりたいものを作品に投影してる感覚があるのでしょうか。

 

 そうですね、自分の理想としてぼんやりと思い浮かべたものを無心に彫っていって、彫り続けるうちに理想の姿がわかってくる感覚があります。仏像を作っていた人たちも「彫る」行為自体が一種の信仰で、私と近い感じ方をしていたんじゃないかな。

 

 デザインは社会とのかかわりが大きいので、他者のためのものを作ることが多いと思います。私もデザイン科に入りましたが、なかなか社会に興味が向きませんでした。外に向けて作ることが減っていって、内向きで自己表現的な作品が多くなっていますね。

 

― 作品のタイトルにある「曼荼羅」というのはどういうことですか?

 

 「曼荼羅」の語源に「本質を有するもの」というような意味があるのと、複数のギャルが登場するのが、仏がたくさん描かれている曼荼羅の図にも通じるのではないかと思っています。それから有名な粘菌の研究者で南方熊楠(みなかたくまぐす 1867-1941)という人がいて、粘菌を研究しつつ、宇宙や民俗についても考えていた方です。南方熊楠は宇宙のいろいろな物事の関係性を表した「南方マンダラ」という図を作っていたので、そこから〇〇曼荼羅ということで「粘菌ギャル曼荼羅」というタイトルになりました。

 

椅子から立ち上がり、いよいよ実物を見ることになりました。

 

 粘菌の中でも特に好きだった2種をギャルにしました。題材にした粘菌の色や見た目の要素をファッションとして取り入れていて、ポージングのうねりも粘菌を意識しています。

 

 こっち(写真左)が、<ルリホコリ>という好雪粘菌、雪が好きな粘菌の子です。多くの粘菌類には子実体(しじつたい)という、キノコみたいな状態になるときがあるのですが、ルリホコリの子実体は虹色っぽくてギラっとしているんです。粘菌好き界では人気の粘菌で、私もこの子が一番好きです。ところどころに銀箔を貼って、硫黄で焼いて虹色にしています。

 

 こっち(写真右)は<ウツボホコリ>という粘菌の子です。子実体がピンクなので、ピンクっぽい木材を組み合わせて寄せ木して、髪型と服装で子実体のモフモフ感を作りました。

「焼き鳥とか刺せそうなまつげですよね」と柴田さん。

 

― 二体でキャラクターが違う感じがしますね。

 

 性格のコントラストを意識して作っています。この子(右・<ウツボホコリ>)はぶりぶりしているイケイケな感じで、こっちの子(左・<ルリホコリ>)は静かめなダウナー系のギャルです。どちらかと言うとルリホコリの方が私に近いかな。

近頃、ご自身もレッグウォーマーをよく着用するとのこと。

 

― 首から下もかわいいですね。

 

 体形は私のなりたいむちむちのギャルです。「太ももは太ければ太いほどいい!」、「ギャルはガリガリよりもムチムチ!」という主義で彫っています。そのこだわりは私の願望で、粘菌はあまり関係ないです。

 

ここでとびラーが気になるものを発見。

 

― このスケッチは何ですか?


 これから仏像(ギャル像)の後光と台座を作る予定で、下書きだけしてあります。


 今年度の1学期にこのアトリエで粘菌を観察しながら飼っていたんです。その粘菌に竹の炭を食べさせながら布の上を歩かせて、すると布に粘菌の「足跡」がだんだん残っていくんです。その粘菌の歩いた足跡の模様を後光のデザインにしました。

柴田さんが飼っていた粘菌の「足跡」

 

― この布には像と同じ2種類の粘菌がいるんですか?

 

 いや、これはイタモジホコリという粘菌です。もうこの布にはいないんですけど、学校の理科の実験などでよく使います。粘菌としては1番オーソドックスで飼いやすい種類です。

 

柴田さんの机のすぐ隣にあった、生活感あふれる箪笥。以前このアトリエを使っていた学生が持ち込んだものとのこと。この箪笥で粘菌を飼っていた。

 

― 箪笥で飼っていたんですね。

 

 そうです。日光が当たって子実体にならないように、暗くて温度が一定になる引き出しに入れて、梅雨の時期に合わせて飼っていました。粘菌は温度と湿度が高くないと活発に動かなくて、乾燥している冬は苦手なんです。寒いのは嫌、でもお腹は出していきたい、足も出さないといけない、という意味でギャルと共通点がありますね。

 

― ご自身では内面もギャルだと思われますか?

 

 ギャルになろうとしてます(笑)。性根は全然ギャルではないので、ギャルになりたいっていう気持ちで頑張ってギャルに擬態してます。もちろん環境的な要因もあると思いますが、ギャルって生まれ持った性質だと思うんです。ギャルはなるべくしてギャルになる気がします。結局ギャルにとって1番大事な要素ってその内面だと思っているので、私はたぶんギャルにはなれない(笑)。私は中身は結局ギャルではなくて、なれたらいいなとは思っています。

 

― 粘菌やギャルのあり方を聞いてきましたが、社会に出たらどう生きていきたいですか?

 

 そうですね。藝大は自由だし、教授たちも見逃してくれていることが多いと思う。社会人になったら、いろいろなルールの中でしっかりと頑張って生きていかなきゃいけない。私は早めに死んで早めに粘菌に生まれ変わりたいけど、でもギャルみたいに社会を生きられたらそれもそれでいいかなと思っています。

 

 「今後の人生頑張んなきゃ」、「死なないように頑張ろう」、そういう感じですね。この先格好は変わるかもしれないけど、いつも心にギャルを!」と思ってやっていきます(笑)。

 

終始笑顔で、粘菌への深い愛情とギャルへの真っすぐな憧れを率直にお話ししてくれました。柴田さんの今後のご活躍を応援しています。

取材:松井健悟、平林壮太、足立恵美子、小林有希子(アートコミュニケータ「とびラー」)

執筆:平林壮太

撮影・編集:竹石楓(美術学部日本画専攻3年)

 

 

 

今でもこんなにも粘菌のことが好き、ということを図書室の先生が知ったら嬉しいだろうなと思います。(平林壮太)

 

 

 

 

作成途中の背後に立てられるパーツや配置の構想図から作品の今後の展開を垣間見て、完成した姿を見るのが楽しみになりました。

(松井健悟)

 

 

 

「ギャルと粘菌になりたい」という真っ直ぐな想いがとても魅力的でした。これからのご活躍も楽しみです。(足立恵美子)

 

 

 

 

仏師のように黙々とギャルを木彫りする柴田さんの姿を想像してみると、後光がさしている光景が目に浮かびました。(小林有希子)

 

「社会全体から変わっていかないとどうしようもない。 難しいとは思いつつ、なにか少しでも変えられたら」藝大生インタビュー2024|先端芸術表現科 学部4年・杉田碧さん

2025.01.19

 2024年12月4日、快晴の窓からは利根川がきらきらと輝いて見える東京藝術大学(以下、藝大)取手キャンパス原田研究室で、美術学部先端芸術表現科4年生の杉田 碧(すぎた あおい)さんに、卒業制作や学生生活、これからのことを伺いました。

 

〇 卒業制作展に向けて制作中の作品の内容について

 

 

 はじめに作品を観させていただいてよいでしょうか。

 

 今制作している作品は、会場に設置する映像インスタレーションです。ここには作品を設置していないので、今手元にある映像や記録の写真をご覧ください。会場では、スクリーンを部屋の真ん中に張り、後ろの壁にも映像を映します。手前ブラウン管テレビにも同時に映像が流れます。CGや画像で作った、鑑賞者に語りかけるキャラクターをスクリーンに映し、浮かび上がって見えるようにしつつ、ブラウン管テレビ、スクリーン、壁の三層の映像が同期して鑑賞できるようになっています。映像では自分で作曲した音楽も流ます。

 社会に存在する偏見や問題をリサーチし、現実にあるものを非現実的なものに変換して、リアリティを抑えつつ、観ている人にじわじわ影響を与えるという作品をつくっています。

会場で流れるピアノの曲も自身で作曲している

 

― この作品をつくろうと思ったきっかけはなんですか。

 

 以前、卵子を提供すればお金を稼ぐことができるという発言をしている人を見ました。その発言から、お金に引っ張られて、軽はずみに命が誕生してしまう状態に危機感を覚えました。しかし、この話は自分とはそんなに遠い話ではないと思っています。自分ももし同じ立場だったら、同じこと(卵子提供)をしてしまうかもしれない。そのような懸念を作品で表現できたらと思い制作したのが、〈Gift〉(2023)という2チャンネル・ビデオインスタレーションです。

 そこから卒業制作に向けて、遺伝子操作やデザイナーズベイビーについても調べ始めました。そして、誕生する前から、親から子への理想像や価値観の押し付けができてしまうことにも疑問を抱きました。これらが技術の進歩によって不可能ではなくなっていることに対する注意喚起ができたらいいなと思っています。

 作品は3部構成で、第1章では生殖医療の進歩によって引き起こされる問題、第2章では世界で起こっている戦争や身近なところに存在する大変なことに気づかないふりをしている人々について、第3章では優生思想やルッキズムといった、他人に自分の理想を押し付けてしまうことをテーマにしています。

 人形劇などから着想を得て、できるだけ生身感がなくなることを意識しながら制作をしています。実際に存在する人はコントロールできず、いやでもその人固有の要素が出てきてしまう。今自分がコンセプトをもって作品として出す上で別の要素が入ってほしくない。できるだけ自分の思ったかたちにできるという点で現実にいない人のほうがやりやすいと思っています。

 

― いつからこのようなスタイルで制作されているんですか。

 

 去年くらいから始めました。それより前は映像の制作はやったことがなくて、平面の細密画を描いたり、立体の作品をつくったり、映像とは違うことをいろいろ試していました。1、2年生ぐらいまでは、こういうものを作ろうと思って作品をつくるというよりは、描くことによって楽になる、救われるという、自分主体の制作でした。でも、あるときから、そのような制作のスタイルは自分をさらけ出す行為で、自分がすり減っている気がして、自分主体でつくることがしんどく感じるようになってしまいました。3年生の時に、他人に向けてアプローチする方法が自分には合っているかもしれないと気づき、テーマは変えずに少し視点を変えて、今の感じになりました。

 

― 生殖医療や優生思想、ルッキズムに関心をもったきっかけはなんですか。

 

 1年半くらい前からニュース、SF的な小説を好んで読むようになりました。なかでも村田沙耶香さんの小説が好きで、その世界観に触れ、関連するテーマを調べるようになりました。日頃生活する中で、SNSや人との会話で引っかかる発言やちょっとした疑問が積み重なり、なんでルッキズムに支配されなければならないのかとショックを受けることもありました。そうしたことがきっかけだと思います。

 

― 生殖医療や戦争、優生思想に対する課題をどう感じていますか。

 

 やっぱり、危ういなとは思います。この状況は変えようと思ってもなかなか変わらないし、進み過ぎてしまっている。情報も錯乱していて、消費社会になってきている。子どもも命も自分の都合のよいように扱われてしまう。このことに対して、何にも感じない人はいないと思っています。育ってきた中で培われてしまうものがあり、そもそも社会全体から変わっていかないとどうしようもない。難しいとは思いつつ、なにか少しでも変えられたら。自分への自戒にもなるので、向き合っていきたいという気持ちでいますね。

 

〇 今の制作スタイルについて


― インスタレーションという方法を選んだのはなぜですか。

 

 大学に入って一時期からずっとインスタレーションをやっていて、空間づくりが好きです。平面の作品も素晴らしいと思うけど、私は(鑑賞者が作品の中に)入ってほしい。世界観として引き込まれる構図にしたい。暗いところで外の情報を遮断するような感じで、いつも空間づくりをしています。

 

― どのような手順で作品を制作されていますか。

 

 いつも同じようなテーマから作り始めています。最近は生殖医療に関心があるんですけど、もともとルッキズムを作品で扱ってきました。今回も、ルッキズムに含まれる排他性が、優生思想やデザイナーズベイビーにも通じるというところから始まっています。言葉先行なので、基本はテーマを決めて、言葉やストーリーを考えてから全体を組み立てるという作品のつくり方をしています。

 

 メッセージを伝える時に、他の方法よりもアートがよいと思う部分はどこですか。

 

 アートの好き嫌いは置いておいて、社会問題だけを直接伝えられると気が引けてしまう気がするけれど、アートはビジュアルや、空間、世界観という、社会問題と別のところで組み立てることで相手にとって入りやすくなると思っています。少なくとも私はそのほうが親しみやすい。一見社会問題とは別物だと思って作品を見始めて、あとからじわじわ気づかされるほうが効果的だと思っていて、そのことを意識してつくっています。何これ面白いみたいな感じで見始めたら、実は重たいテーマだったという感じがいいかなと思って。何かを渡せて持って帰ってもらえたら嬉しいなと思って制作していますね。

 

― 音楽と映像を合わせたことでよかったと感じたことはありますか。

 

 音楽と映像を合わせたことで、今までやってきた中で一番鑑賞者に伝わっている感じがします。映像はやらないと決めつけていたんですけど、いざやってみたら向いているかもと思いました。3年生の時にレディメイドという既成のものを使って作品をつくるという課題がありました。聖母マリアの肖像画、チャップリン監督・出演の映画『独裁者』の中のスピーチを語らせ、その音声を無理矢理楽譜に起こし、ピアノで弾くというパフォーマンスをしました。聖母マリアからイメージされる理想の母像とは乖離する言葉を語らせることでイメージの乖離を表し、さらに言葉を音にすることで言葉すら原型をとどめていない状態をつくることで、情報を信じることの危うさを表現したいと思って制作しました。周りからよい評価をもらったので、映像をやってみようかなと思いました。

 

― 作品を展示する際に、好きな場所や理想的な場所はありますか。

 

 まだ経験が浅いので、外部の展示空間で出来ていません。近いうちに何もない、まっさらな展示空間としてつくられたところでやれたらいいなと思っています。

 

〇これまでとこれから

 

― 今の作品のテーマと藝大で作品づくりをしようと思った動機はつながっていますか。

 

 どうなんだろ。もともとそんなに美術を専攻しようと思っていなくて。美術はもちろん好きだったし、高校の授業でも楽しくやっていたんですけど。ずっとピアノや作曲をやっていて、どちらかというと音楽の方が得意でした。ピアノも既成の曲を弾くより自分でつくったり、即興で弾いたりするのが好きで、あるものをなぞるより自分でつくる方が得意という自覚がありました。曲をつくる感覚と映像をつくる感覚は近いと思っています。高校生の頃は、何かに囚われているような感覚を発散するために、定期的に絵に落とし込んでい、それをポートフォリオとして出したら運良く藝大に合格しました。

 ルッキズムは直接的にはつながっているかわからないですが、日々の悶々とした、漠然としたものと、作品に落とし込む前のもやもやは、間接的にはつながってはいたのかなと思います。

 

― なぜ先端芸術表現専攻を選んだのですか。

 

 純粋に楽しそうと思ったのが一番です。自分の興味範囲が広くて、ドローイングもしながら画像編集も趣味でやっていました。それらを融合できる学科で、何をやってもいいので面白そうだなと思って選びました。

 

― 原田研究室を選んだのはなぜですか。

 

 原田愛先生は、舞台美術を専門にしている先生で、大がかりな設営に詳しく、自分が制作したいものと近いので選びました。これまでもいろいろと相談に乗っていただき、学びの多い環境です。ゼミの先輩方に、劇団を立ち上げている人や、暗室空間での作品をつくっている人がいて、自分の作風が演出的な作品づくりという点で合っているのかなと思って選びました。

 

― 藝大での学生生活はいかがでしたか。

 

 最初は入学できたのが嘘みたいで不思議な感じでしたが、環境にだんだん慣れてきました。周りの人たちは、話したいことが似ているので、とても居心地がよく、充実していたなと感じています。取り組んでいるテーマが同じ人は少ないですが、自身が探求していることでなくても深掘りしてくれて、対話ができる環境なのでありがたいと思っています。

 2年生から取手キャンパスに通うようになりましたが思っていた以上に自然豊かで驚きました。身近に自然があるのは嬉しいです。

 

― 大学院に進んで、このままずっとアーティストとして活動をされる予定ですか。

 

 結構悩んでいるんですけど、自分のために作るより他者がいる方が作りやすいです。アーティストとして一人で活動していかなくてもいいのかなっていうのがあります。空間づくりに関心がずっとあるので、空間演出にも興味があります。あとは、自分で文章を書いてストーリーを考え、空間をつくることを卒業制作でやっていますが、それらをメディア別に分けて、自分が書いたストーリーを本にしてみたり、空間だけで作品化することにもチャレンジしたいと思っています。

 

 

取材を終えて

 卒業作品展では、杉田さんが制作された作品である展示空間がどのようになっているか楽しみです。また、杉田さんは、絵画も、映像も、音楽もできる多才な方なので、今後どのような表現活動をしていくのかとても楽しみです。貴重な時間をいただきありがとうございました。

 

取材・執筆:正木伶奈、長沼千春、山中大輔

撮影・編集:竹石楓(美術学部日本画専攻3年)

 

 

 多様な技術を組み合わせて、社会問題に対しての一貫した興味と危機感を表現してきた杉田さん。制作の紆余曲折や背景を知れたことで、卒展が一層楽しみになりました。これからの活動も応援しています!(正木伶奈)

 

 

 やわらかい雰囲気の中にもしっかりと自分の軸を持って受け答えしている姿が、とても素敵だな〜と感じました!個人的にも興味のあるテーマなので、卒展の会場で実際に展示された作品を見るのがとても楽しみです。(長沼千春)

 

 

 杉田さんは、ドローイング、映像、音楽をすべて自分でつくられていて、かつテーマが社会的な内容で、それを空間を作品にした時にどのような場になるのか実際に作品を観てみたいと思いました。これから先もどのようなアーティスト活動をされるのかとても楽しみです。応援してます!(山中大輔)

「死ぬまで漆にかかわりたい」藝大生インタビュー2024|文化財保存学専攻 修士2年・間瀬春日さん

2025.01.19

上野公園の銀杏が一気に色づいた11月下旬、東京藝術大学(以下、藝大)の上野キャンパスに、同大学大学院美術研究科の間瀬春日(ませ はるひ)さんを訪ねました。間瀬さんは、文化財保存学専攻で保存修復工芸研究室に在籍しています。
文化財修復の研究室は地下にあり、中に入ると木の香りが微かに薫る「和」の空間でした。しかも靴を脱ぐという手順を踏むことで、ちょっと異空間に入るような感覚になりました。

 

 

-修了制作はどんな作品に取り組みましたか?

 

 紫陽花で有名な鎌倉の明月院に織田信長の弟、織田有楽斎が100揃い(100個セットのお椀)寄進したものと言われている「明月椀*(めいげつわん)」というお椀の復元模造制作です。今回の制作のプロセスを見せたいので、卒展では出さないものも含めて今日は工程順に素材を並べてみました。

 文化財の模造は2種類あります。傷みなども含め現状のありのままを再現する「現状模造」、もう一つは当時の技術を再現しながら、その当時の状態の作品を制作する「復元模造」があります。明月椀については後者で取り組みました。貝片で装飾をする「螺鈿(らでん)」の技法は特殊な技術なので、その再現として、素材の貝を桜の花びらの形に抜くところから取り組みました。

明月椀と制作プロセスが並ぶテーブル

 

 この椀の螺鈿には「割貝技法」が用いられていて、この技法は椀の複雑な形状に合わせて貼り付けるので、1枚1枚にあらかじめ割れ目を入れて面に添わせるようにしています。現代の作品でも割貝は使われていますが、普通は貝を椀の面に押し当て、パキパキと割っていくことが多いです。明月椀のように、ここまで細かい割れ目を入れるようなパターンは珍しい技法なので今回、螺鈿部分を中心に復元しようと思いました。

 素材はアワビ貝で、0.15mm程度の比較的厚い貝です。調べるとどうも鏨(たがね)*で打ち抜いたものではないと考え、今回糸鋸で一つ一つ自分の手で形を切り抜きました。

 

*明月椀(めいげつわん):桜花文散し螺鈿椀。朱塗りに螺鈿(らでん)の桜花文が埋め込まれた桃山・江戸時代の輪島塗の木製椀。

*鏨(たがね):鋼鉄製の加工用工具。

 

貝から花びらを抜く工程

 

-なぜ糸鋸機を使わなかったのですか?

 

 「技法の再現」もテーマなので、当時存在した手段を用いました。仮に椀を100個とした場合、計算すると全部で花びらを約29,000枚用意しなければならないので、量産も加味しながらアプローチしました。

 螺鈿の桜花文の花びらの部分は、貝片を6枚重ねにして切ることで半量産を意識しました。貝片はデンプン糊で接着させているので、水に浸ければバラバラになります。花びらの真ん中のポツッとした柱頭はとても小さいので、鏨(たがね)で1個1個打ち抜きます。この柱頭を中心に、丸く切った和紙の上で桜花文を作りますが、花びらとの間に隙間をあけることで桜の形がパキッと見えます。そして花びらに、あらかじめ割れ目を入れておきます。

これに注目!花びらの中心にある点「柱頭」

和紙で裏打ちした桜花文

 

 こうして和紙で裏打ちした貝ができるわけですが、大変なのは貼り付ける過程です。紙から貝が剥がれて落ちてしまう・・また貝は自然物なので当然天然の傷や割れはあり、そこから予期せず砕けることもあります。

 貝を貼り込む明月椀の器の素地は、文献調査と、オリジナルの椀の透過X線写真を撮ることで、ヒノキと推定できたので今回ヒノキから椀の形を作り、縁の部分に薄い布を着せ、その上で全体に砥の粉と漆を混ぜたものを塗り重ねて下地を作りました。

復元模造のためのヒノキ椀

 

 最初は刷毛目などが残って表面が粗いので砥石を使ってひらすらツルツルになるまで砥いでいきます。そして下地が出来た段階で螺鈿を貼り、そこに上から漆を塗り重ね、乾いたら、炭などを使って螺鈿部分を見せるために砥ぎ出していきます。これを繰り返して作品が出来上がります。形態は素地の段階で完成しているので、あとは目指した仕上げのレベルになるまで繰り返します。同じ工芸でも陶芸などは、一度焼き上げたものがそのまま作品になりますが、漆は同じ工程(塗って砥いで!塗って砥いで!)をひたすら繰り返すので、周りから「(すごすぎて)おかしい!」と驚かれることもあります。(照れ笑)

 

-とびラー3人「うんうん(ごもっとも!)」(笑)

 

工程見本の板

 

<主な制作工程>

木製の蓋つきの椀の縁に麻布を着せ漆で下地を塗る→乾かす→貝を型抜き桜の模様を制作し椀に貼る→桜の模様の上から漆を全体に塗る→乾かす→桜の模様の部分だけ漆を剥ぎ起こす

 

螺鈿の漆を剥ぎ起こす

 

-作品制作に掲げているテーマはありますか?

 

 自分にとって明月椀の復元模造は挑戦でした。学部は金沢美術工芸大学で漆を学び卒業後、一度京都で社会人を経験し、そこで漆屋さんとのお付き合いがありました。もともとは乾漆造形をつかったオブジェを制作していたので、藝大に来て初めて螺鈿に触れました。

 藝大美術館所蔵の明月椀一揃いが、修復予定の作品として研究室に来ていたのですが、私が鎌倉出身で椀づくりと所縁があり、また漆を学んだ関係で材料や業者といった制作への見通しが立ったので、やってみようかという気持ちで、この椀と向き合うことになりました。

 過去にも明月椀の復元に取り組んだ人はいましたが、記録は残っていないので、この修了制作を通じて後続の人たちの参考になればという想いはあります。

 

-いつも明月椀とどんな気持ちで向き合っていますか?

 

 シンプルに面白い。これだけ合理的で突出したカッコいい技術が備わった作品をスパッと出されてしまうと勝てないな、という気持ちになります。特にわざと凹凸があるところにこれ見よがしに螺鈿の桜模様を貼り、それを400年前に100個揃えるというセンスには驚かされます。そんなカッコいいものに、藝大に入って触れることができたことはとても贅沢なことだと思います。

 

-苦労して取り組んだ修了作品について、どういうところを見て欲しいですか?

 

 まずは意匠のカッコよさを見て欲しいです。特に螺鈿が複数の凹凸部に貼られているところ。制作は大変だろうなとは思っていましたが、想像以上でした。

中塗りが終わったところ

 

-間瀬さんにとっての漆の魅力とは?

 

 高校の時、美術予備校の先生が漆をやっていて興味を持ち、藝大の卒展で見た漆の作品がめちゃくちゃカッコよかったので、大学で漆をやりたいと思いました。祖父は、手書きの看板職人と大工だったので、もともと手に職がある仕事に非常に憧れていたこともあり、進路は自然に決まりました。それと、わからないものに興味があります。宇宙も海洋も大好き。漆もわからない。わからないことがあるから面白い。昨日はきちんと乾いたものが、今日は乾かない。そんな漆のご機嫌伺いをしながら暮らしています。だからこそ面白いのであって、死ぬまでずっと漆に触っていたいです。

 

-ここまで漆にたずさわってきて作品づくりで思うことはありますか?

 

 最初はデザイナーを目指していましたが、デザインのためのアイデアを考えるのがつらい一方、手を動かすのは苦にならないので、工芸志望にしようかなと思いました。漆の素晴らしい作品を見て、結局漆を専攻することになりましたが、並行して作家としても活動していて物づくりであればいくらでもできます。作家として作品のアイデアを考えるのは相変わらず苦労していて、寝ていてハッと思い付き、それを忘れないうちにスケッチして、みたいなこともあります。

 自分が創作する作品は、今の時代に通用するカッコいいものをと思いつつ、やっている技術はひたすら磨くことを繰り返す・・めちゃくちゃ伝統的なもの。面白い形の中に隠された技術的なところ、これはどうやって作ったのかということを聞いてもらえると嬉しいです。

 

-大学を卒業した後、一度社会人を経験されていますが、そこからなぜ修復に進んだのでしょうか?

 

 学部を卒業した時がコロナの大流行と重なり、大学院進学は難しいと感じ、一度社会人になってみようと考え、ギャラリーが付いた京都のホテルで働いていました。目の前で美術品が大量に売買されている一方、博物館では残すべき作品が朽ちていくという現実を目の当たりにしました。でもそれを担う人材がいない、そういう現実の中で働きながら作家を続けていましたが器用にできてしまい、自分のキャリアはこのまま兼業作家でいいのか?という迷いがありました。そんなとき「作品はいつか壊れる」という恩師の言葉から、100年後に自分の作品が残って使ってもらえるようにしたいと思うようになりました。そのためには、作家とは別の角度からも漆を極めておきたいと修復の道に進みました。

 

-ワークショップで金継ぎなど修理を教える・伝えるということと、作り手という立場は、各々どういう意識でのぞんでいますか?

 

 皆が関心を持つ金継ぎを教えることで、人が漆器などにも興味をもってくれるのであれば、喜んで出向いていきたいです。微力ながら100年後の世にも漆を残せるようにしたいと思っています。どんなにいいものでも見た目がカッコよくないと見てもらえないので作家としては作品としてカッコいい作品を作りたいですし、金継ぎをSNSで発信する際も、オシャレに写そうとかを意識しています。見せ方がまずはカッコよくなくっちゃと(笑)。

 

-これからどういう人間になりたいですか?

 

 将来は、「漆だったら間瀬」と言われたいです。研究もしたいし、作品も制作したいし、死ぬまで漆に関わっていたいです。それぞれの領域とのいい距離感を保つためにも、制作で悩んだら、研究で修復に学ぶというスタイルが個人的にはいいと思っています。

 

 間瀬さんは、藝大の研究室を受験する前、藝大生インタビューの記事をみつけ、内容を見ながら学生生活を想像していたそうです。今回インタビューに選ばれたことがとても嬉しく、記事が完成するのが楽しみとのこと、ご期待に応えることができたらと思います。

 

取材:染谷都、志垣里佳、菊地一成(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:菊地一成  

撮影:竹石楓 (美術学部日本画専攻3年)

 

 

「死ぬまで漆にかかわりたい」この言葉が一番印象的でした。一生かけて添い遂げるものがある、それはとても羨ましいことです。今後の間瀬さんの作品を追いかけていきたいです。( 菊地一成)

 

 

「将来は『漆だったら間瀬』と言われたい」。極めたいという職人気質に心うたれました。出身地、鎌倉の名椀に出会える強運の持ち主の未来がたのしみです。 (染谷都)

 

 

漆と螺鈿を観る目がこれから変わりそうです。先人のこれ見よがしの職人技に向き合う、二刀流ならぬ三刀流の間瀬さんの覚悟に敬服しました。(志垣里佳)

 

「ルーツと共鳴する、それは旅にも似たArt Journey」 藝大生インタビュー2024|GAP 修士2年・Ye Feng(イェ ・フェン)さん

2025.01.16

 

武蔵野の面影を残す雑木林が点在する、のどかな丘陵地帯。東京藝術大学(以下、藝大)取手校はその中に広大なキャンパスを構えています。

ほどなくして、校舎から続く丘の小道を勢いよく駆け下りてくる一人の方が…。それが今回インタビューするYe Feng(イェ・フェン)さんでした。

「お待たせしました、早速スタジオをご案内しますね!」

お互いに軽い自己紹介をすませ、私たちはグローバルアートプラクティス(以下、GAP)内のFengさんのスタジオに向かいました。

(以下のインタビューは全て英語で行われ、取材したとびラー3人が翻訳・編集しました。)

 

香港に生まれロンドンで育ったFengさんは、国際的・言語的に様々なバックボーンを持っています。

「それが私の創作のルーツ、アートの源になっているんです」瞳をキラキラと輝かせながら語るFengさんは、パワフルそのものです。聞けばこのインタビューの翌日に Evaluation Show※を控え、制作も大詰め。

「今日のタイミングで、皆さんに制作のプロセスをお見せすることができるのは、本当に嬉しいです。 まずはこの作品を見てください」

※Evaluation Show=卒業のための最終審査。

「インタビューのために、制作途中の作品を用意しておきました」 最初に案内されたのは、工場のような本格的な作業場。目の前には建築用の鉄筋を使った立体作品がありました。制作過程を聞けば、「太さの違うむき出しの鉄の棒を様々な長さにカットし、溶接や表面の加工を繰り返し、環(circle)の形に組み合わせています」とのこと。工具を併用しながらも、鉄筋を自らの手で細かく曲げていることに驚かされました。

 

 

ーこの場所で制作されているんですね

はい。組み合わせた鉄筋が、まるで浮かんでいるようにしなやかに輪を描いているでしょう、地面に置くと自立するけど、重い素材のはずなのに、指で押すだけでゆらゆら動く。硬さや柔らかさ、そして強弱。様々な対比を大事にして制作しています。

 

ーこの作品のコンセプトはなんですか?

自分のルーツから、「言語」が中心となっています。

小さい頃から、国際的な環境が当たり前で、言語を通して様々な文化や歴史を知ることも多く、甲骨文字を含め様々な言語のルーツを研究し、人類学や文学を深堀りしてきました。当たり前のように使っている言語ですが、そこには誤解やすれ違いも伴います。大人になるにつれて、小さい頃には感じなかった、コミュニケーションの難しさを知るようになりました。

 

言語はたくさんの意味を抱えて存在しています。選びながら、構築しながら、私たちはそれぞれ自分自身の言葉を紡いでいます。

バラバラだった直線の金属が曲がり、つながり、環を描いていくことが「言語の伝達」への表現とつながっています。

 

ーつながって、揺らいだり自立したり、ですね

私の作品にみられる流れるような金属の線は、抽象的な表現ではあるものの、言葉や文字のように、何かのシンボルとして存在しているとも捉えています。

本来、機械を使って磨き上げたり、綺麗な環に繋げたりもできます。でも私はそうはしません。私たち人間も「完璧ではない」からです。

 


 

形状や動きがユニークな立体作品ですが、近くで見るとさらに細かいこだわりが見つかります。時間を経てさびていく金属の材質を活かし、表面のテクスチャを様々な表情に仕立て、溶接のつなぎ目もゴツゴツとした個性のある関節のようです。個性がありユニークであるのが人間。そのありのままの姿が、作品を通して表現されています。Fengさんの「金属で描いている」という言葉がよく伝わります。

「次に、Evaluation Showの部屋をご案内しますね。さっきの環(circle)がここでは様々に形を変えて空間を構成していますよ」

 

Evaluation Showの会場は、天井の高い四角い部屋。

その中に、金属の立体作品、油絵の平面作品、ライトで作り出された光と影、そして手作りのスピーカーから流れる音。たくさんの要素が集まった部屋全体が一つの作品であり、作品どうしが共鳴する空間が創られていました。

 

ーこの空間はどのように創られたのですか?

最初から様々な表現を組み合わせようと決めていたわけではなく、自分の感性に従って創作を進めて、最終的にこのような空間ができあがりました。直感を信じて進めるのが私の創作スタイルなんです。

 

ー先ほどの作業場で見せてもらった金属の環の作品が、ここではさらに形を変えていますね

そうです。地面に置かれたものもあれば、小さく繋げて空気をまとうように空間に浮かせたものもあります。金属の環の一つ一つが、様々な文字をバラバラにして再構築するようなイメージなんです。作品自体のユニークさだけでなく、壁に映る光と影のバランスも見てくださいね!

流れている音は、金属素材を扱う時の音を録音して作りました。壁の高い所にスピーカーを設置したので隣の壁から響きわたるような幻想的な聞こえ方になっているでしょう。

 

 

ー金属、絵画、音楽、光と影。立体作品と平面作品など、組み合わせが考えられた空間ですね

絵画は、サイズが違うものを壁に並べて空間を創る飾り方を考えました。基本的には油絵具をキャンバスの上でそのまま混ぜて自由に描いています。実際の展示では触れないことも多いけど、触ったりもできるインタラクティブな展示が理想的ですね。この組み合わせた空間ごと身近に感じてもらえたら嬉しいです。金属の環は中をくぐれるくらいの大きさでしょう?私は自分の体と同じくらいの大きさの作品をつくることが好きです。

 

 


 

「次に油絵を描いているアトリエの方へ移動しましょう」

私たちはEvaluation Showの会場を後にし、日差しが降り注ぐアトリエに向かいました。照明を落とした部屋から、天井が高く明るいアトリエに来て、どこか異世界から現実世界に戻ってきたような感覚でした。

 

ーこのアトリエも素敵ですね。たくさんの油絵がありますが、これらも卒展作品ですか

ちょっと散らかっているんですけど(笑)。今、ここにある油絵も、気に入ったものはさっきのインスタレーションに加えるかもしれません。

 

 

ーここであらためてFengさんご自身のルーツや、アートへの想いを伺えますか?

私は香港に生まれ、ロンドンで育ちました。小さい頃は空想や考え事をすることが好きで、もちろん絵も描いていました。ロンドンにはミュージアムがたくさんあり、展覧会にもよく行っていましたが、本を読むことも好きで将来は医療や経済を学ぶのだろう…と思っていました。

でも高校生の時に気づいたんです。医療や経済は一つのことを掘り下げるイメージだけど、アートという分野は、そこを通じてもっと広い世界や深い歴史に触れることができるのでは?と。

 

ー高校卒業後、ロンドンで美術大学に通われたんですよね?

そうですね、高校時代、進路を決める時に当時の学校の先生に相談したら背中を押してくれて、大学への推薦状をいただけたんです。美大への入学が私の人生にとって大きな転機となり、さまざまな事を学びました。「アートジャーニー」とも呼べる流れが始まったんです。

 

ーGAPでの生活、創作活動はいかがですか

ロンドンのアートスクールを卒業した後、いったんは就職しましたが、日本の藝大のGAPコースの事を知り、入学することができました。素晴らしい先生や仲間たちに囲まれ、本当に充実した2年間を過ごしました。アートジャーニーがここに繋がっている感じですね。

自分にはマルチカルチャーで複数言語のバックグラウンドがありますが、成長するにつれ、それは私のユニークな個性であることを自覚するようになりました。カルチャーや言語についてさらなる思索を深めて、GAPでの作品制作にもその意味合いを込めるようになりました。

アーティストは自身の言葉・信条を表現し、どんな場所にいても、アートの事を考えることができます。私にとっては自然なプロセスで、あらゆることが繋がっています。それが私の人生そのものなんです。

私が今回選んだ金属・絵画・音響など、素材とも言えるものは昔から取り組んでいました。GAPに来てから他のさまざまな素材でも試してみましたが、金属や絵画は、以前より私にフィットしているように感じています。これらは私にとって大事な、変えることのできない血液型のような感覚なのです。

 

ーアートジャーニーは続く、ですね。卒業後のこれからについてお聞きできますか

そうですね、GAP卒業後も私のアートジャーニーは続いて、実験的な創作を繰り返したり今後の表現の種となるものを探していくでしょう。

日本には引き続き滞在しますよ。ずっと学校中心の生活をしていたので、キャンパスの外の世界も経験したいです。

私を表現するアートの創作も続けていきたいです。将来、どのような表現を展開していくのか未知な部分も多いですが、自分自身の変化や未来の姿に期待しています!

 

ー藝大の卒展は、どのような展示をお考えですか

そうですね、Evaluation Showと違う会場なので調整はしますが、自分の表現を届けられるように最終的な準備をすすめています。自身のコンセプトとアイデンティティがあってはじめて、自分の作品になると思っています。

だけど見てもらう人たちにとっては、まずは興味を持ってくれれば良いと思っています。複雑なことも哲学的な意味も必要ではないし、何も気にせず自由に楽しんで!と言いたいです。

 

ーインタビューを終えて

Fengさんの印象的な言葉があります。 「ひとは皆、ある意味『一つの言葉』=自分だけの言葉を話しているんだと思います。それが英語、中国語、フランス語、どの言葉を話していても、それは自分から発信された、自分らしい表現をもった、『自分だけの言葉』なのだと思います」

一つ一つ独立したように見えるモノやコトも、どこかで循環したり、次の何かに繋がったり。 Fengさんがテーマとしている環(circle)と表現したものが、日本でも古くから言われている「縁(ゆかり)」にも似た感じを受けました。

今日のインタビューでできた接点はどんな環になり、次はどこに繋がるのか。同時に、何気なく紡ぐ言葉の大切さや自分らしさを、改めて感じさせられたインタビューでもありました。

 

帰りのバス停に向かう時、私たちが見えなくなるくらいまで、身体をいっぱい使って手を振りジャンプしながら「またね!」と見送ってくれました。

熱意あるアーティストであると同時に、とてもキュートでフレンドリーな一面も持ち合わせたFengさん。 この環(circle)を大切にして、藝大の卒展でまた会えるのを楽しみにしています。

 

取材/翻訳/執筆 前田 浩一 劉 鳴子 星 久美子(アートコミュニケータ「とびラー」)

写真/校正 樋口 八葉(美術学部芸術学科2年)

 


 

私は、自分の作品に込めた想いをキラキラした瞳で熱く語り続けるFengさんに魅了されていました。 彼女は、その時々の直感を信じそれを作品に込めて表現できる人、加えてその作品についての思いをしっかりした言葉にできる素敵なひとでした。(前田 浩一)

自分自身や作品と向き合い続け、アートへの情熱を伝えてくれたFengさんは本当にカッコよかったです。 その上で、オーディエンスには自由に楽しく見てもらいたい、と笑顔で言い切る姿がとても印象的でした。今後の作品も楽しみです!(劉 鳴子)     

彼女の信じられないくらいのパッションから、あの作品が生み出されたと思うと、こちらまで元気になってきます。 アートだけではなく、人としての魅力や情熱をたくさん受け取っ た一日でした。彼女のアートジャーニーがこれからどのような道をたどるのか、楽しみです。(星 久美子)

                           

 

2024鑑賞実践講座⑧|「ファシリテーション研究」「1年間のふりかえり」

2025.01.07


第8回鑑賞実践講座|「ファシリテーション研究」「1年間のふりかえり」

日時|2025年1月7日(火)10:00〜15:00
会場|東京都美術館 アートスタディルーム、スタジオ
講師|三ツ木紀英(NPO法人 芸術資源開発機構(ARDA)、熊谷香寿美(東京都美術館アート・コミュニケーション係長 とびらプロジェクトマネジャー)、越川さくら(東京藝術大学 芸術未来研究場 ケア&コミュニケーション領域 特任助手 とびらプロジェクトコーディネータ)
内容|ファシリテーションの言葉の編集作業について/1年間のふりかえり


第8回の講座では、ファシリテーションにおける「言葉の編集作業」について理解を深めました。また、1年間のまなびをふりかえり、今感じている疑問や気づきを全体で共有する時間を持ちました。

午前中は、子どもたちとの鑑賞プログラムの様子を収録した映像を視聴しました。特に「ファシリテータが、鑑賞者の対話の流れをどのように編んでいくのか」に注目し、繰り返し見取りながら分析しました。

午後は、1年間の講座と並行してとびラーが参加してきた鑑賞プログラムをふりかえり、実践を重ねてきたからこそ生まれた疑問や新たな気づきを全体でシェアしました。

この全体シェアは、事前にとびラーから集めた質問をもとに、講師の三ツ木さんと熊谷さんが答えるQ&A方式で進められました。

 


今年度は、全盲のとびラーが仲間に加わったことで、「見えない人と鑑賞体験をどのように共有するのか」を考えながら講座を進めてきました。毎回の講座では、スタッフが制作した「触図」(触ることで、モチーフの輪郭や全体の構図がわかるもの)を使って、情報を補足しながら鑑賞を補助しました。「触図」を制作する際には、どこまで・どのように触れる部分を作るとわかりやすいのか、フィードバックをもらいながら検討しました。

後日、全盲のとびラーがファシリテータとなり、作品画像を鑑賞する会をとびラーとスタッフで実施しました。

鑑賞会とは別の事前準備の日には、複数のとびラーが集まり、作品選びと、作品研究を行いました。選んだ作品を細部まで観察し、想定される意見を出し合いながら、全盲のとびラーの「脳内マップ」に作品の視覚的な情報をマッピングする作業を行いました。また、ファシリテーション時の立ち位置などについても検討しました。

鑑賞会当日には、モニターに投影した作品画像を使って鑑賞会を行いました。ここで初めてファシリテーションを担当した全盲のとびラーは、講座でのまなびを最大限に活かし、鑑賞者の新たな視点や対話を引き出していました。

また、ここで鑑賞者の役割をしていたとびラーが、次の鑑賞会を自主的に企画するなど、次の動きにもつながっています。


2024年度の鑑賞実践講座がすべて終了しました。今年度もとびラーは、小さなお子さんから高齢者まで、また、様々な文化的背景を持った方々と作品との出会いの場を作ってきました。

3年目の11期とびラーは、とびらプロジェクトを任期満了し、それぞれの道へ。

1・2年目の12・13期とびラーは、2025年度のまなびと実践の場へと進みます。

7月からの半年間をともにした三ツ木さんから、激励とともに挨拶がありました。

「VTSのファシリテーションには、これでOKという完成はありません。常に模索しながら、一緒にアート・コミュニケーションの活動を作っていきましょう。またお会いしましょう!」

みなさんのこれからの活躍を期待しています!


 

(とびらプロジェクト コーディネータ 越川さくら)

【開催報告】おしゃべり鑑賞会

2024.12.20

一緒に畳にこしかけて
~上野アーティストプロジェクト2024「ノスタルジア―記憶のなかの景色」~

 

執筆:11期とびラー 曽我千文

 

おしゃべりしながらノスタルジア展

2024年11月16日から2025年1月8日まで東京都美術館で行われた、「上野アーティストプロジェクト2024 ノスタルジア―記憶のなかの景色」(以下「ノスタルジア展」)で、私たちとびラー(東京都美術館アート・コミュニケータ)は、「おしゃべり鑑賞会」を行いました。普段は静かに鑑賞している展覧会で、初めて出会った人や世代の違う人とお話をしながら鑑賞する楽しさ、ひとりでみるのでは得られない視点の広がりを体験していただこうと思ったからです。

あわせて、「ノルタルジア―記憶の中の景色」をテーマにしたこの展覧会の作品を通じて、ご自身の中にしまわれていた想い、過ぎ去った時代を懐かしむノスタルジアと向き合い、出会った人との対話により生まれる、新たな感情を味わうことで、豊かなひとときを過ごしていただけたらと考えました。

 

■あらかじめじっくりみる作品を選ぶ

ノスタルジア展で展示されている8人の作家による作品の中から、グループに分かれてじっくりみる作品を、あらかじめとびラーたちで考えて選びました。まず、4グループで各2点、計8点の作品を、8人の作家の作品からひとつずつ選んで鑑賞することとしました。  

次に私たちは、8名の作家の作品を、鑑賞者にどこか懐かしい風景だなと思わせる作品を「ノスタルジー系」、実在するとは思えない不思議な世界を描いた「ファンタジー系」と名付けて2つに分けました。ひとつめの作品では、参加者のみなさんがお話ししやすいように、どちらかというと、個人の思い出と接点を見つけやすい「ノスタルジー系」を、2つ目の作品では「ファンタジー系」の不思議な世界から、自由に話題を膨らませていただけるようにと考えました。その上で、展示室内でグループの鑑賞ルートが交錯しないか、他の来館者のご迷惑にならない位置にあるか、鑑賞を言葉にして伝えやすい要素の多寡や、二作品の関係性など、準備のための打ち合わせやリハーサルをやりながら、様々な視点で検討して決めていきました。

ノスタルジア展が始まる2か月ほど前に、東京都美術館の担当学芸員の方が開いてくださった事前勉強会で、作家の紹介やどのような作品が出展されるのかの情報をうかがいました。その世界に惹かれたことが、おしゃべり鑑賞会をやりたいと思うきっかけになりましたが、ラボで準備を進めていても、会期前には具体的にどのような作品があるのか分かりません。そのため、待ちわびた会期初日には、どんな作品と出会えるのだろう、どの作品を「おしゃべり鑑賞会」で見たら話が弾むだろうと、わくわくしながら会場に入りました。「どの絵を選ぼうか?」と前のめりになっていたとびラーたちに、とびらプロジェクトスタッフからいただいた「まずは、作品との最初の出会いを大切にしてくださいね。展覧会を楽しんで!」とのアドバイスにはっとさせられました。対話型鑑賞のやりやすさ、グループが絵の前に立つための展示場所の広さや位置などを考慮して、作品を「選ぶ」気持ちで展覧会に臨もうとしていたことに気が付き、作品に対して申し訳ない気持ちになりました。まずはひとつひとつの作品に向き合い、作家の心に思いを馳せ、素直に鑑賞して展覧会を楽しむことの大切さを再認識しました。それは、おしゃべり鑑賞会に来て下さる参加者みなさんに、ご一緒に体験していただきたいことでもあったのです。

 

■会場をみんなでお散歩

「おしゃべり鑑賞会」を行ったのは、12月20日の金曜日。東京都美術館の2024年の最後の開館日でした。集まってくださった参加者は事前にお申込みいただいた14名のみなさん。ギャラリー入口であらかじめ入場券をお求めいただいた方から受け付けし、3人から4人の4つのグループに分かれていただきました。

 

会場受付 参加者が集まってきました

 

ノスタルジア展は8人の作家による作品を、地下2階と地下3階のギャラリーで展示していました。はじめに、散歩をするように会場をひととおり歩いて見てまわりました。短い時間ですが、展覧会全体の雰囲気をつかんでいただくことと、「おしゃべり鑑賞会」が終わった後にも、ひとりでじっくり見るために気になる作品を見つけていただくことが目的です。

作家ごとにまとめられた展示では、それぞれの作風が鮮やかに主張されていて、歩きながら世界旅行をしているようです。参加者には、ご自身で感じる思いを大切にしていただくために、ファシリテータから説明や印象などは伝えずに、みんなで会場の雰囲気を味わうことを意識しました。

 

 

■グループで鑑賞する

グループ鑑賞は、ひとつの作品の前で足を止め、ファシリテータが「みなさんで、この作品をじっくり楽しみたいと思います。」と声をおかけして始めました。まず作品を、各自が自由に、近づいたり離れたりしながらじっくりと見ます。横長の大きな作品では、歩いて見る位置を変えるなどして、丁寧に味わっていただきました。そのあと全員が集まって、感じたことや、気づいたことを一人ずつ話して共有していくのですが、ここでは一緒に鑑賞している方の発言をよく聞いていただくことが大切です。一人の参加者がお話しするたびに、自分では気づかなかった発見を知り、「ほぉーっ」とため息がでたり、感じたことに同感して瞳を輝かせたり、自分の感想とはまた違う視点に「なるほど」と大きくうなずく姿が見られ、他の人の感想への共感によって、グループの中で、ひとつの作品に対する新たな視点や共通の見解が、どんどん広がっていきました。

 

 

■リラックス・スペースでおしゃべりタイム

2作品のグループ鑑賞を終えた時には、全員が旧知の仲のように打ち解けて、会話も弾む様子に、鑑賞を共に分かち合う場の力を感じました。

本展会場では、吹き抜けの天井を持つ広いフロアの真ん中に、八畳間ほどの畳敷きの休憩スペースが用意されていました。畳は触れるとほんのり温かく、腰かけてもよし、靴を脱いで上がってもよしのリラックス・スペースです。展覧会が始まる前のとびラー向け事前勉強会で、担当学芸員の方から「くつろぎながら鑑賞できるように、会場に大きな畳敷きのリラックス・スペースを作ります。」とうかがっていた私たちは、絶対この場所を楽しんでいただかなくてはと張り切り、鑑賞の体験をここで語りあおうと、「おしゃべりタイム」を用意していました。広さの関係から、2つのグループにリラックス・スペースを使っていただき、もう2つのグループにはそれぞれ見た絵のそばのベンチに座っていただきましたが、どのグループものんびりと、ノスタルジア展ならではの時間を過ごしていただけたようです。

 

リラックス・スペースでおしゃべり

 

あるグループでは、鑑賞後のおしゃべりタイムで、ファシリテータから2つの問いかけをしました。1つ目の「どんな時間でしたか?」の問いには、

「1人で見ると1つの考えしか持てないけど他の方の言葉を聞けて発見があった」

「2作品が対象的でメリハリがあって楽しかった」

「絵をみる醍醐味を味わった感じ」

「見た時に生まれるモヤモヤする気持ちを、一緒に見た人と共有できて安心できた」

という感想がありました。

2つ目の「ノスタルジアを感じましたか?」の問いに対しては、

「川の絵を見て、実家の近くに川が流れていて水の音に癒されていたと改めて感じた」

「描かれた場所を知っており、見慣れていた風景だとわかった」

「2作品目は原体験からアジアやルーツを表しているみたい」

という言葉があり、それぞれの思い出を想起したり、作家のノスタルジアに思いを寄せたりしたというお話をうかがうことができました。

 

おしゃべりタイムも楽しく

 

 

 

 

もうひとつのグループは、それぞれ友人同士の世代の違う2組でしたが、4人の息がとっても合い、「世代の違う方から違った視点での鑑賞ができてとても楽しかった」という声をいただきました。鑑賞会が終わり解散してからも、しばらく4人で仲よく絵を見ている姿が印象的でした。高校生からは、「今まで、展覧会で感想を話す人の声をうるさいと思っていたけれど、これからは何と話しているのか聞いてみようと感じられるようになりました。」という心の変化もうかがうことができました。

 

■いただいた感想から

終了後のアンケートからは、14名の方全員から、参加して「とても満足」とのお答えをいただきました。たくさんの方が印象に残ったことに、「初めて会った人との鑑賞」をあげており、その理由として、

「自分が見ていなかったこと、気づかなかったこと等おしゃべりしながら見つけられて嬉しい」

「いろいろな見方や感覚・視点があることを実感して面白かった。絵画を通じたコミュニケーションで、初対面の相手でもその人の深い部分を知れたようで新鮮な感覚だった」

「1人でみるより何倍も楽しかった。皆さんの視点で想像力がふくらんでいくいのが、これまでにない経験でした。」

というような感想が寄せられています。

 「美術館って、黙って作品を見なくちゃいけないところだと思っていました。」

この言葉が教えてくれるように、おしゃべりをしながら絵を鑑賞する初めての体験を、みなさん新たな美術館の楽しみ方として手ごたえを感じていただけたようです。

みんなで鑑賞することで、今までになく作品をじっくり観察し、発見や思いを言葉にして伝えることで、自分の感情や、新たな価値観に気づくことができたのではないでしょうか。そして、一緒に見る方の視点を理解することで、さらに鑑賞が深まっていきました。私たちとびラーも、何度同じ絵を見ても、一緒に見る人によって新たな気づきや感動が生まれる「おしゃべり鑑賞」の楽しさに憑りつかれています。また、ぜひとびラーと一緒に展覧会を楽しんでいただければ嬉しく思います。

 


執筆:11期とびラー 曽我千文

 

以前は美術館も映画も独りでみていました。とびラーになり、仲間や初めて会う方と、発見や心の動きを分かち合って作品をみると、その時々で輝きや形が変わる虹のような魅力があることを知りました。 

 

 

2024鑑賞実践講座⑦|「作品選びについて」

2024.12.09

 


 

第7回鑑賞実践講座|「作品選びについて」

日時|2024年12月9日(月)10:00〜15:00
会場|東京都美術館 アートスタディルーム、スタジオ
講師|三ツ木紀英(NPO法人 芸術資源開発機構(ARDA)
内容|事前準備。作品を選ぶ。作品のシークエンスを作る。テーマ:〜鑑賞者の鑑賞プロセスをイメージする〜

 


第7回の講座では、Visual Thinking Strategies(VTS)で鑑賞する作品の選び方について考えました。鑑賞者の年齢や、作品鑑賞の経験、人生経験の違いを踏まえて作品を選び、鑑賞体験をデザインすることはファシリテーションの第一歩です。

まず、講師の三ツ木さんが「美的発達段階」という概念について説明しました。これは、人が作品を理解していく際に、ある程度体系化された鑑賞体験の段階のパターンがあるという考え方です。この考え方を手がかりに、どのように作品を選ぶかについてのレクチャーがありました。

レクチャーのあとは、あらかじめ選ばれた2つの作品を題材にしてグループワークを行いました。このワークでは、作品選びの5つの観点に沿って、それぞれの作品の特徴を話し合いました。

続いて、開催中の「上野アーティストプロジェクト2024 ノスタルジア─記憶のなかの景色」展にて、鑑賞者の属性(年齢や参加プログラム)を想定し、そこに向けた2作品の鑑賞順序を考えました。

このように、VTSのファシリテータは、作品を選ぶ過程で鑑賞者の立場を想像し、対話の展開をイメージしながら、鑑賞の場を作る準備を進めます。その過程を通じて、ファシリテータ自身の「作品をみる力」も養われ、鑑賞者の気づきを受け止める土台ができていきます。

講座も残り1回となりました。

VTSの奥深さに気づく一方で、その難しさを感じるタイミングでもあるかもしれません。しかし、実践で出会う鑑賞者との経験と、講座での学びを互いに影響させながら、さらにステップアップしていけることを願っています。

 

 

(とびらプロジェクト コーディネータ 越川さくら)

【当日受付・先着18名/日本語対応手話あり・定員2名】トビカン・ヤカン・カイカン・ツアー(11月)

2024.11.25

 

 トビカン・ヤカン・カイカン・ツアー  

 

夜の照明に浮かぶ東京都美術館を散策する金曜の夜間開館時限定の40分ツアーです。
夜ならではの建物のみどころをとびラー(アート・コミュニケータ)がご案内します。
美術館全体が、まるで宝石箱のような輝きを放つ夜。昼とは違うその表情を一緒に楽しみませんか?

【当日受付・先着18名/日本語対応手話あり・定員2名】

 


日時|2024年11月29日(金)   19:05 – 19:45
会場|東京都美術館
対象|東京都美術館に興味のある方、建築ツアーに興味のある方
定員|18名(当日受付・先着順※日本語対応手話あり・定員2名
参加費|無料

 

参加方法|
先着順。当日17:00より東京都美術館LB階ミュージアムショップ前にて整理券配布します(混雑時は場所変更の可能性あり)。
※LB階自動扉の入り口付近にて整理券の配付場所をご案内いたします。
※整理券は先着順です。先着人数に達し次第、受付終了となります。

 

ツアー集合時間・場所|
18:50 東京都美術館 LB階中庭(自動販売機側・入口横)
※整理券をご持参ください。

 

その他注意事項|
※サポートが必要な方は受付時にお申し出ください。
※メールなどによるお申し込みは受け付けておりません。
※広報や記録用に撮影を行います。予めご了承ください。

 

【とびラボ開催報告】一村展でバードウォッチング

2024.11.23

 

執筆:11期とびラー 曽我千文

 

2024年9月19日から12月1日まで、東京都美術館で「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が開催されました。

田中一村(たなか いっそん)は、昭和を代表する日本画家で、幼少期から絵の才能を発揮し神童と呼ばれていました。東京美術学校(現在の東京藝術大学)を中退した後も、生涯にわたって多くの名作を生み出しました。田中一村の画家人生のうち、前半生の千葉時代には、関東地方の郊外や農村で見られる身近な風景や自然を、後半生は鹿児島県の奄美大島に移住し、そこで見た奄美特有の自然を描きました。本展覧会で紹介された生涯を通じた作品の多くに、生き生きとした植物や昆虫、魚、そして鳥たちが描かれています。

 

野鳥が好きで、奄美大島にも野鳥の観察に訪れている私は、会場に幾度となく足を運びながら、バードウォッチングの気分で、作品の世界に野鳥の姿を探していました。出展作品数が300点以上ととても多い中でも、延53点とおよそ6分の1の作品に野鳥が描かれているのを見つけることができました。体がはちきれんばかりに声高らかに歌うアカヒゲ。ひっそりと森の奥で薄目を開けるトラフズク。岩の上で凛と佇む炎の鳥アカショウビン。かつて出会った野鳥たちの姿を想い、いつの間にか奄美の湿度の高い空気に包まれて、時がゆっくりと流れていく気がしました。

 

囀るアカヒゲ 撮影:鳥飼久裕

 

絵の中の鳥たちについて、名前や、どこに棲んで何を食べているか、どのように子育てをしているのかなど、その姿や暮らしぶりが分かると、一村の作品世界が現実味を帯び、生命の躍動が伝わることで鑑賞がぐっと深まるのではないか。そう考えて、東京都美術館のアート・コミュニケータ「とびラー」たちと、野鳥を通して一村世界を楽しもうと「一村展でバードウォッチング」というラボを、会期中に2回行いました。

こちらの展覧会に伺いました。

田中一村展 奄美の光 魂の絵画 (会期:2024年9月19日(木)~12月1日(日))

 

延53点の作品に見つけた24種の野鳥を「身近な鳥」「山の鳥」「旅先の鳥」「奄美の鳥」に分けて、図録を使ってみんなで一緒に作品を見ながら、それぞれの野鳥の特徴、文化とのかかわり、行動などのエピソード、ほかの鳥との見分けのポイントや鳴き声などを紹介していきました。自然と話題は、モチーフである鳥たちに対する一村の造詣の深さ、観察の鋭さを深掘りする場になっていったことは言うまでもありません。

本当なら実際に展覧会場で作品の森を歩き、双眼鏡で野鳥を探しながら話をしたらおもしろいだろうと考えたのですが、一村展の人気はすさまじく、連日混雑している会場内では、さすがにそれは叶わず、館内のアートスタディルームで、スライドを使ったインドア・バードウォッチングとなりました。そこで出たいくつかの話題をご紹介します。

※(P、№)は「田中一村展 奄美の光」図録掲載ページと作品番号です。

アートスタディルームでのラボ風景

 

■風景の中に鳥の姿を探す

『秋晴』(P101、№132)という大きな作品は、農家の母屋と納屋、ケヤキの巨木の枝に真っ白なダイコンが干してある秋の夕暮れの風景です。黄金色の空には小さく、飛んでいる3羽の鳥が描かれています。これを私はヒヨドリではないかと考えました。そう思った理由は、まずヒヨドリは人里の環境でよく見られる鳥であること。描かれた翼の幅や、長めの尾のスタイルがヒヨドリに近いこと。何より3羽のうちの一番下を飛ぶ鳥が、翼を畳んだ細長い「かつおぶし」のような形で描かれていることです。ヒヨドリやセキレイ、キツツキの仲間は「波状飛行」といって、羽ばたきと翼を閉じることを繰り返して、波形を描いて飛びます。この3羽目の鳥は、まさにヒヨドリの飛んでいる姿を表していると思いました。この謎解きを、とびラーたちも大変おもしろがって聞いてくれました。

ヒヨドリの波状飛行

 

■ぬえの鳴く夜を聞く

本展の中でも代表的な作品『白い花』(P98、№131)で、満開のヤマボウシの下に止まるトラツグミ。黄色と黒のトラのような斑模様からその名があります。一見派手に見える姿ですが、ひとたび地面に降りると、落ち葉に姿が溶け込んで、どこにいるのかわからなくなります。夜に鳴く、鳥とは思えないその声から、その昔『平家物語』にも、顔は猿、体は狸、脚は虎、尾は蛇の「鵺(ぬえ)」という妖怪として登場します。トラツグミの声の録音を聞き、「ヒョーッ」という、消え入るような声にみんなで耳をすませながら、闇に包まれた森で鳴く姿を思い浮かべました。

トラツグミ

 

■種と亜種

島のように地理的に隔てられた環境で、独自の進化を遂げた野鳥の中には、同じ種の中でも、少しずつ異なる特徴を持つ「亜種」というグループに分けられたものや、かつては同じと考えられていた種が異なる種、別種であることが明らかになったものがいます。

奄美で見られるオオアカゲラ(P221、№296)は、オーストンオオアカゲラというオオアカゲラの亜種で、本州などに棲むオオアカゲラに比べて全体に黒っぽく、翼の白い班も目立ちません。

また、一村が描いた、声高らかにさえずる奄美のアカヒゲには、同じ南の島である沖縄本島に、ホントウアカヒゲという、そっくりの別種がいます。奄美のアカヒゲには、脇腹に漆黒の班があるので、違いが分かります。(P194、№246ほか)

そのような島の鳥独自の特徴、色の違いも、一村はひとつひとつ正確に描いています。

ちなみに、本展で見られるトラツグミの作品(P132、№167ほか)は、一村が1958年に奄美に渡る前に描かれているので、本州のトラツグミだと思われますが、もしも一村が奄美でトラツグミを描いていたとすれば、それはミナミトラツグミという、トラツグミとそっくりの別種の鳥だったはずです。

奄美のアカヒゲ 脇腹に漆黒の班はあるのが特徴 撮影:樋口公平

 

■情熱の赤い鳥

田中一村の絵といえば、鮮やかな朱色の鳥、アカショウビンを思い浮かべる方も多いでしょう(P198、№249ほか)。録音で「キョロロロー」という物悲しい声を聴いてみると、真っ赤な羽色、がっちりとした嘴の情熱的な姿態から感じていた印象がちょっと変わります。その声が、「雨ふれふれふれー」と歌っているように聞こえることから、「ある日、火事で焼けて赤くなったアカショウビンは、体を冷やすために悲しげな声で鳴いては雨降れと天に乞うている」という言い伝えがあること、鮮やかな体も、陽の当たらない森の中では、深い緑色の木々に姿が溶け込んでしまうことにも、みな納得してくれたようです。

いかにも南国の雰囲気漂うアカショウビンですが、実は夏に日本に渡ってくる鳥として、北海道から沖縄まで広く生息しています。奄美や沖縄にいるのは、これもまたリュウキュウアカショウビンという亜種で、本州などにいるアカショウビンよりも、背中に紫色の光沢が目立ちます。

アカショウビン 撮影:樋口公平

 

■驚くべき観察眼

一村による野鳥の描写を追いながら感嘆するのは、その観察の鋭さです。スケッチブックの素描には、ひとつの鳥の多様な姿勢をさまざまな角度で、羽根の一枚、一枚まで描き分けています。(P88、№112ほか)たくさんの鳥を飼っていたとも聞きます。

今回、お借りしたカケスの翼の羽根を、一村の「かけすの羽」のスケッチ(P89、№116)と、みんなで見比べてみると、羽根の一枚一枚まで正確に描写していることが分かりました。

 

カケスの翼

 

一村は野鳥の体の細かいパーツまでも克明に描写しています。本展ではアカゲラ(P130、№164)と、オオアカゲラ(P221、№296)の2つのキツツキ類が登場していますが、キツツキの行動には木の幹に垂直に止まるという特徴があります。野鳥の趾(あしゆび)は、前に3本、後ろに1本あるものが多いのですが、キツツキは前2本、後2本の指で、しっかり体を支えて幹に止まります。加えて2本の脚だけでなく、羽軸の硬い尾羽を幹に付けて体を支えています。クライミングの基礎、3点支持の技法ですね。趾の数、幹に当てた尾羽のどちらの特徴も一村は正確に捉えて描いています。

また、アカショウビンやカワセミは、2本の前趾(まえあしゆび)がくっついています。脚をスコップのように使って、土に巣穴を掘るのに都合がいい形になったと言われていますが、アカショウビンを描いたスケッチブックのすみに、鉛筆で小さく描かれた趾も、しっかりその形態を写し取っているのを見つけた時には、本当に驚きました。(P205、№259)図録の写真ではそこまではっきりとは見えないのが残念です。

 

鳥の趾

 

■羽根を顕微鏡で見てみる

鳥の光沢のある羽根の色は、色素によるとは違い、光の波長によって、見える色が変化する「構造色」と呼ばれるものです。お借りしたアカショウビンやカワセミの翼を実体顕微鏡で拡大して見て、その輝く美しさの秘密を楽しみました。リュウキュウアカショウビンの体は、色素による朱色をしていますが、光の当たり具合で、構造色による赤紫色の光沢が現れます。

また、実物の野鳥の翼を手にしてみると、想像していたものよりかなり小さいことにも、多くのとびラーが驚いていました。

 

 

下の写真でお分かりになるでしょうか、アカショウビンの腰には鮮やかな水色の羽根があります。本展で展示には、アカショウビンの腰が見える作品はありませんでしたが、一村作品の中にも、例えば『白花と赤翡翠』(岡田美術館所蔵)のように、しっかりアカショウビンの腰の水色が描かれているものもありますので、機会があればぜひ観察してみてください。

腰に青い羽根がのぞくアカショウビン 撮影:樋口公平

 

一村の心身には、自然の中で生きる野鳥の輝きが鮮やかに刻まれ、常に創作意欲を掻き立てられていたのではないでしょうか。私たちも野鳥の姿やその生態を知り、感動の追体験をすることで、正確で細やかな描写による一村の作品世界に深く入っていくことができました。最初はラボで、鳥好きのオタク話なんて関心を持ってもらえるだろうかとも思いましたが、とびラーたちの知的好奇心の豊かさで、話題を引き出してもらい、自然の美しさを想う感性溢れる場になったと思います。参加したとびラーからは、

「まさに格闘するようなスケッチ」

「神童と言われた一村は、天才というよりは努力の人」

「鳥によって声が違うのもおもしろい」

「もう一度一村の鳥を鑑賞しに行かなくては」

などの声が聞かれました。次にみんなが、一村の絵の前に立った時には、きっと葉の影から鳥たちの声が聞こえてくることでしょう。

その後も、

「ラボ以降、見た鳥の名前を図鑑で調べるようになりました」

「関心を持つと街中にもこんなに鳥がいたのかと驚いています」

などの嬉しい報告もいただいています。一村の深い観察、魂の絵画は私たちに、美術への感動を与えてくれるだけでなく、自然に関心を寄せる気持ちや行動を誘う力があると確信しました。これからもアート・コミュニケータとして、野鳥というひとつの扉から、人とアートと自然をつなげることができればと思います。

世界でも奄美大島、加計呂麻島、請島のみに棲むルリカケス 撮影:樋口公平

 

最後になりましたが、ラボを行うにあたり貴重な資料である野鳥の羽根をお貸しいただいた(公財)日本野鳥の会参事の安西英明様、生き生きとした野鳥の写真をご提供くださった奄美観光大使の樋口公平様、奄美大島の鳥飼久裕様に心からお礼申し上げます。みなさま野鳥の暮らす大切な自然の保護に日々ご尽力されている方々です。どうもありがとうございました。

 

(参考)樋口公平さんのYouTubeで奄美の野鳥の声を聴くことができます

アカヒゲ
https://youtu.be/2_XRdDkRyCU
亜種リュウキュウアカショウビン
https://youtu.be/3tslWjD08x8
奄美の森 野鳥たちのオーケストラ
https://youtu.be/BtrWw5eNB70?feature=shared

 

(表)とびラーが見つけた「田中一村展」のなかの野鳥たち一覧

 


執筆:11期とびラー 曽我千文

野山でふらふら鳥を見ていた子どもを、鳥好きのよその大人がかわいがってくれたおかげで、鳥が好きなまま50年が経ちました。誰かと一緒に楽しむことで、アートも自然も守り伝えることができるかもしれない。とびラーとして学んだことのひとつです。

 

 

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