2023.01.25
12月26日午後、晴天の東京藝術大学取手校地。メディア教育棟校舎から小走りに待ち合わせ場所へ高橋瑞樹さんがやってきました。作品は野外にあるとのことで、校舎の階段を上りさっそく案内されたその先に、シンボリックな黄色のドラム缶が設置されている作品が目に飛び込んできました。インタビュアーであるとびラー4名は存在感あふれる作品を前にし、高橋さんが制作に込めた思いやプロセスを聞かずには居られない、全員がそう感じた瞬間でした。
作品名《いつかすべてが消えてしまうけど》
■〜振る舞いを感じさせる作者としてのドローイングマシーンを目指して〜
高橋さんの拘りと一途な思いに迫る
―これはどんな作品ですか
絵を描くドローイングマシーンです。最初に武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科に入って、現在の東京藝術大学美術研究科先端芸術表現専攻に至るまで、ずっと「絵を描く機械」をつくり続けています。
―「絵を描く機械をつくる」という発想はどこから来るのでしょう
目指しているのは、誰も見たことのない絵画を生み出し、それを見ることです。自分自身が描くのではなく、機械を使って描くということに挑んでいます。「誰も見たことのない絵画」というのは、自分も含めてということで、好きな作家が居なかったということも、きっかけとしては影響していたと思います。完成した絵を見た時にも、自分自身を驚かせられるような絵画をつくりたい。それを実現するには自分以外の存在を介して絵を生み出す=絵を描いてくれること、すなわち絵を描く作家自体をつくる事が一番良いのではないかと考えました。
―この作品で一体どのように絵を描くのですか
下地処理されたキャンバスを、上部に取り付けている大きなフックへ下向きになるよう吊るして設置します。
1分間に120リットル噴射できるポンプを使い、容器の中にある染料をキャンバスに向かって噴射して描きます。それに対して反対側にある大型のモーターを使った装置を往復運動させ、噴射している染料を時々塞ぐように設計しています。染料はつねに大きな容器の中に溜められて過剰に供給され噴射されてゆく。噴射の強弱をランダムにプログラムで設定し、キャンバスに噴射された染料で痕跡を残していきます。「画家の振る舞いの痕跡が残る事」で絵画となると考えているので、機械の振る舞いを通して絵画を描くことを大切にしています。単純に染料を噴射して、一定の動作を繰り返すのではなく、機械だけどちょっとだけ意思や感情があるのではないか?と錯覚させるような動きをさせることで、機械に振る舞いを与えるようにプログラミングをしています。ドラム缶は「循環させる・過剰に供給している」というイメージを表すシンボルです。キャンバスを高い位置から吊るすのは、風などがキャンバスに与える影響を取り入れることで自分の意図しなかったものが偶然に入り込める、その隙のある状態を作っています。本当は出来る範囲で限りなく高い5メートルのタワーにキャンバスを吊るして染料を噴射したり揺らしたりするつもりでしたが、危険だということもあり新しい形状に変えて高さは抑えて制作しました。もしかしたら、卒展の頃にはさらに異なる形状になっているかもしれません。
―以前の作品では油絵具を使用していましたよね。今回使用するのは染料なのですね。
油絵具だと痕跡を残すという意味では一番適しているのですが、粘性が高いために機械では扱いにくい。逆に染料だとさらさらしているので電動ポンプでは扱いが容易なため、今回は過剰に噴射するという目的で、染料を使いました。人間だと筆を持って描きますが、機械では自分の内部から噴射するという動作が出来るので、機械にしかできない事を生かして、人間ではできないアプローチで制作することも意図しています。
また、同じ事をアクリル絵の具で行うと、顔料に対する展色材(※1)の影響で泡がたつので、この作品では染料を水に溶かし、少しだけアルカリ性の溶剤を混ぜています。染料なので顔料と比較すると、どんどん変化して色褪せたり、少し変色したりしてしまう。いつか消えてしまうかもしれないけど、それに対して過剰な強いエネルギーで絵を描き、痕跡を残そうとするという作品です。この作品のタイトルは《いつかすべてが消えてしまうけど》と名付けています。色があせたり変色したりする染料で描くけれど、過剰なパワーで噴射させて描くことで、見ている人にどこかエモーショナルなものを感じてもらえたらと思っています。
※1…絵の具・塗料などで、顔料を均等に分散・付着させる媒体となる液状成分
―機械に振る舞いを与えるということを、もう少し詳しく教えてください。
単純に機械が回転している或いは動いているというだけではなく、ひょっとしたら何かを考えて描いているのではないか?という一瞬見た人に振る舞いの意味を喚起させることを考えています。そして、どれだけ見出せるのか、プログラミングする上で余白として残せるのかということも。どういう絵画が出来るのか?という事は全く想定していません。型にはめた振る舞いをプログラムするのではなく、素朴に止まる、動く、正転・逆転などのプリミティヴな動きをどれだけ意味深に連続させていけるかを追求しています。自分の設定したルールの範囲の中でランダムに機械自身が動作するようにプログラミングしているので、常に電源を付けたら同じ動きをする訳ではなく、ランダムに時間の間隔や動きの連続の仕方が変わってくるという事です。機械の中に偶発的に得られる表現をどれだけ取り入れるかを重視して、見た人が、「あ、これってもしかすると、今機械が自ら考えた動きなのでは・・・」と思ってもらえるような振る舞いを生成できることを目指しています。
―この機械は何台目でしょうか?最初の作品も気になります。
大体6〜8台ぐらいは作っていると思います。最初の作品はポール・ジャクソン・ポロックから着想を得て制作した作品でした。ポロックの高度なテクニックは新しい技法を発明したというだけではなく、実際その絵も科学的に見て凄い。「フラクタル」という部分と全体とが同じ形となる自己相似性を示すフラクタル構造を作品の中に含んでいて、人間が好ましく思うような性質を持っているものを理解したうえで作品の中に紛れ込ませていたのかもしれません。
ポロックの試みは新しい描き方を開発しただけではなく、絵画的に見ても素晴らしい。そうしたポロックの高度な技術が数値制御のコンピューターに近いと感じ、一見意味の無いような振る舞いも、実は意味があるというようなところから、それに近い形で機械の作家を作ってみようと思って、最初の作品を制作しました。フラクタルはフランスの数学者ブノワ・マンデルブロが発見したのですが、ポロックの絵画はマンデルブロが発見したよりも前に、そういう構造を実現できていた。ポロックがドローイングマシーンだったら完璧だと思います。
■一貫して絵を描くドローイングマシーンを創り続ける高橋さん
その源と今後の活動について伺う
―美術大学への進学は最初から考えていましたか
実は全く美術とは関係無い高校生活を送っていました。何でもできそうなところを探していて、それがたまたま武蔵野美術大学のデザイン情報学科でした。大学のパンフレットをみて魅力的に感じ、気づいたら入学していました。絵画は昔から好きでしたが、大学に入学してからもこれといって好きな絵画が見つからず、自分の描く絵もいまいち納得がいかなかった。ならば自分が、絵を描いてくれる存在自体をつくり出そうと思い、設計やプログラミングも勉強し始めました。それから今までずっと一貫して絵を描く機械を創り続けています
―プログラミングや設計はどこで習得しましたか
機械を動かす為に必要な工学的なことは、ゼロから美術大学に入ってから始めて、何度も失敗しながら身に付けていきました。今のプログラミングが本当に合っているかはわからないのですが、自分が機械に実現させたい動きはすでに出来あがっています。誰かが特別に教えてくれるわけではないのですが、藝大にはいろんな事をやっている人がいるので、藝大の中の人と話していく中で教わったり、時には自分が教えたりしながら出来るようになって行きました。
―作品をつくる中で一番楽しい時や興奮する瞬間はどんな時ですか
機械で絵が完成した時より機械を作っている時の方が好きです。作品を展示する場合は安全に配慮して展示するのですが、作っている時は機械の限界を探りながら作っているのでその時が一番楽しいです。ものすごい速さでモーターやポンプを回転させたりすると危なくて展示できないので、自分がみている時だけで、展示できないぐらいのギリギリのラインで動かしたりしています。過去に自分だけしかいない状態で、ポンプの威力を最大にして操作した時は、塩化ビニールの管が破裂したことがありました。そのぐらい強いパワーが出せるポンプを使っているので、本当は限界ギリギリの威力を出して展示したいのですが、安全性なども考慮して展示する場合は少し抑えています。
―機械の作家がつくり出す絵について高橋さんご自身は気に入っていますか
機械に描かせた絵はまだ全く気に入るものが出来ていません。絵に対しては満足するものが作れていないので、機械の作家を育てています。自分も含めて「まだ誰も見たことの無いような絵画」を生み出すことを目指しているので、死ぬまでに満足する絵が出来るか?出来ないのか?という感じだと思っています。常に成功しないし完成しない、いまだに全然満足のいくものが出来ていないので、いつか完成したら良いという気持ちで創り続けています。
―成功するまで機械自体も進化し続けていくということでしょうか
絵を描く機械は初号機から連続しています。1つ機械をつくるとダメな部分と良い部分が生じるのですが、次に機械を新しくつくるときには、機械だけれども作家として誰かがいる感じや佇まいを感じさせてくれる「だれか」の気配の断片を拾い集めて残して次につなげていくことを意識しています。機械というよりも、進化した作家を完成させたいという気持ちです。
―今後の活動について教えてください
絵を描く機械の制作は今後も続けていきたいです。日本で材料を揃えると高いので、海外も視野に入れて資材が豊富で安く調達出来る場所に移動してつくり続けていきたいと思っています。本当は、キャンバスの大きさや展示場所の制約が無ければ、もっと大きくて、もっと危険なもの、場所を汚しちゃうようなものを制作したい。機械を使って作家をつくり続けるからには、大掛かりな事を制約なくやりたいという願望は持っています。自分が扱える制御できるギリギリのラインでモーターやポンプを使って、それを最大限に生かして創りたいですね。
■インタビューを終えて
絵を描く機械の作者であり、同時に機械が制作した作品を見る鑑賞者でもあり続ける高橋さん。インタビューを通してまだ世の中の誰も目にしたことのない絵画に出会う為の一貫した思いを感じました。機械にしかできない可能性を探りつつ、作者の痕跡や振る舞いという、対極の事柄を共存させようと奮起している姿を見ていると、いつか私たちを「まだ見ぬ世界」に連れて行ってくれるのではないかと思えてなりません。高橋さんが理想とする、限界ギリギリのパワーと人間らしい振る舞いを兼ね備えた最高の作家に出会えることを、私たちも心待ちにしながら、今後も注目し続けていきたいと思っています。
取材・編集:藤牧功太郎・吉水由美子・小屋迫もえ・山田理恵子
執筆:山田理恵子
藤牧功太郎 とびラー2年目になりました。藝大生インタビューは、作者の制作意図など生の声が聞けて、とても楽しく、意義深いひとときを過ごせました。寒風吹きすさぶ屋外で「もっと危険なものにしたい。」と熱く語ってくださった髙橋さん。偶然を微妙に制御しながら制作する姿が活き活きとしていました。
吉水由美子 仕事柄(マーケティングです)、インタビュー大好き、人の話を聞くこと大好きです。今回の高橋さんのお話から、アートというと作品としてのアウトプットがあるイメージですが、進行形なこと、そのプロセス自体アートなのが今の感覚だと、あらためて感じました。
小屋迫もえインパクトのある巨大な機械から、風や波紋といった“その瞬間”を閉じ込めた繊細な絵が生まれる。なんてワクワクするのでしょうか。まだ見たことのない絵を追い求め続けたいという高橋さんの姿が印象的でした。
山田理恵子 とびラー1年目として今回インタビューに参加しました。作品に対して自分が見て感じた最初の印象と、とびラーと高橋さんご本人を交えた思いやプロセスを伺った後では全く見方が変化する。まさに現代アートを生々しく体感出来る幸せを感じました。高橋さんのことを心で応援し続けていきたいです。
2023.01.25
ーまず、どんな研究をしているのか教えてください。
「スマルト」という青色ガラス顔料を専門に研究しています。これはコバルトを含むカリウムガラスの粉末で、合成顔料として15〜19世紀にアジア・ヨーロッパで使われていました。ウルトラマリンやアズライトなどの天然顔料に比べ安価で手に入りやすいことから、16世紀頃からはヨーロッパで主に油彩画顔料として使われるようになり、日本にも輸入されます。油彩画で使うと乾性油と化学反応を起こし、短期間で茶色く変色してしまうことが知られています。また、ガラス顔料なので透過性が高く下地が透けてしまうので、仕上げに使うには適さないという特徴もあります。これらの理由に加えて、18世紀にプルシアンブルーが発明されるなどより良質な顔料が登場したことで次第に使われなくなりました。
一方、ガラスを細かく砕いて作るので、光に反射してキラキラと輝く特徴も持っています。日本画においては水面の描写に使われている事例も見つかっていますが、これも輝きや立体感を表現するための技法として使われていたと言い切れるほどに事例の研究が進んでいるわけではありません。日本におけるスマルトの使用や流通に関する先行研究はほとんどないため、この顔料がどのように使われたのか、今後さらに調査を積み重ねていきたいと考えています。
たくさんのスマルト(全部違う種類!)
ー作品の色材を調査することで、なにが分かるのでしょうか?
ある作品に使用されている色材を特定することで、その作品の劣化状況やそれに応じた修復方針、今後の適切な保存方法を考えることができます。また、スマルトのように経年で褪色や変色が生ずる色材が使用されている場合は「制作当初はいま見えている色ではなかった」という可能性を示すことができます。さらに、作品中の色材が限られた時期に使用されたことが分かっている場合は、作品の制作年代を絞り込むこともできます。
色材分析のために作品の一部を採取して分析すればより精度の高い情報が得られますが、私が行っている調査は「非破壊・非接触」の調査法です。具体的には光を使った分析手法で、現在国立西洋美術館で展示されている《悲しみの聖母》の色材分析を行った際には、蛍光X線分析と顕微ラマン分光分析という2種類の分光分析法を中心に実施しました。また、修士研究では主に蛍光X線分析と反射分光分析を使用しました。
この「非破壊・非接触」の分析方法は試料採取をしないので、精度の高い分析結果を得ることは難しいのですが、大切な作品を非破壊で分析できることに意味があると考えています。現在の技術で分からないことは無理に知ろうとせず、将来の技術に委ねるというのが、私たちの基本的なスタンスでもあります。
謎の計測機器(実は携帯型の蛍光X線分析装置)
ー作品の制作者や美学・美術史の研究者などが集まる藝大という環境は、寺島さんの研究にどのような影響を与えていますか?
顔料の分析を進めていくにあたっては、日本画や美術史など各分野の専門家にご相談できることがとても重要です。実験に必要な模擬試料作りでも、保存修復日本画研究室の同級生に手伝ってもらいました。今の研究室にも制作出身や考古学出身などいろいろな専門分野の経験者がいて、分からないことをすぐに聞ける環境が整っているのがありがたいですね。作品制作の経験者には実験用の治具(補助工具)作りのアドバイスをもらったりします。
実験に使う模擬試料
修論ではスマルトの組成分析をメインに行なっています。ガラスは人工物なので、時代と場所で原料や製造方法が異なるのですが、組成分析をすることで原料の製造地や輸入経路の推測ができる可能性があると考えています。そうすると、例えば江戸時代の輸入記録や顔料の製造レシピなど、文献調査を進める必要性も感じていて・・・今回は顔料の分析調査を中心に行っていますが、さらに研究を深めるためには自然科学だけではなく、人文科学の側面からのアプローチも必要になってきます。そう考えるとやはり、藝大という環境だからこそできた色々な人との出会いや関係性が、私にとってとても重要な財産になったと感じています。
実験室の一隅でお話を伺う
ー美術的な関心と自然科学的な関心は、寺島さんの中でどのように結びついたのでしょう?
もともと、子供の頃から近くに美術館や博物館がある環境で育っていて、遊び場のような感覚でいたんです。その頃から、なにかを明らかにしたり発見したりすることが好きで、はじめは動物の研究をしたいと思っていました。骨からその生態を明らかにするような。大学では一般大学の理学部で化学を専攻して、自然科学のベースとなる化学の知識や経験を身につけました。今の研究室に入ったのは、大学3年生の時に文化財科学に関わったのが直接的なきっかけです。ずっと好きだった自然科学と芸術のどちらも扱えるなんて、「私のためにある学問じゃないか!」と思いました。大好きな美術館や博物館にある大切な作品や資料を、これからも多くの人が見られるように守っていきたい、というのが一番の思いです。そこに自分がこれまで学んできた化学的な研究調査を通じて貢献したい、と。
ただ、残念ながらあまりこの研究分野が知られていないということもあり・・・今回インタビューをお受けしたのも、「もっと文化財科学や保存科学という分野の存在を知ってほしい」という思いがあったからです。例えばヨーロッパでは文化財の科学分析が広く知られていて、調査することの敷居も低いと思います。美術館でも展示をしながら調査や分析が行われていて、その過程自体を展示として見せているような状況があります。日本でもフェルメールの塗りつぶされたキューピッドの修復はニュースになっていましたし、少しずつ状況は変わっているのかなと思います。
ー最後に、この研究を通じてやりがいを感じるところと、今後の展望や活動予定について教えてください。
同じ分野の研究者だけでなく、一般の方からもこの研究に興味を持ってもらえることが一番うれしいです!自分の研究が社会に貢献していることを感じられる機会はなかなか多くないので、私が参加させて頂いた作品調査の分析結果が、展示パネルとして美術館で作品と共に展示されているのを見た時には、「私も貢献できるんだな」と思えて本当にうれしかったです。
いまは科学分析に理解のある所有者の作品を分析対象としていますが、今後は私たちも科学分析の意味やリスクをしっかり説明して、より幅広く、多くの作品について分析調査の協力を得ていく必要があるなと感じています。顔料の研究もまだまだやりたいことがあるので、来年度は博士過程に進学してさらに研究を続けたいと考えています。また、どうしたら一般の方たちに私たちの研究をおもしろいと思ってもらえるか、常に考えています。制作が華やかで発信力の高い藝大だからこそ、私たちの研究も美術の一分野としてもっと知っていただけるといいなと思っています。
由緒ありそうな実験室の看板
■インタビューを終えて
ほとんど先行研究のない「国内におけるスマルトの使用例」の調査に取り組み、将来的にはスマルトを系統化して分類するという壮大な目標を視野に入れている寺島さん。「研究時間が足りなすぎるんです!」と言いながら、目を輝かせてご自身の研究内容を話してくれる姿が印象的だった。
取材:石川泰宏、篠田綾子、曽我千文(アートコミュニケータ「とびラー」)
執筆:石川泰宏
動物にも興味があるという寺島さんと恐竜の話で盛り上がりました。確かに、「色材から作品のあり方を知る」のと「骨から動物の生態を知る」のはほとんど同じことですね!(石川泰宏)
西美で展示されている『悲しみの聖母』の色材調査(寺島さんも参加)を熱心に見る人たちを見て、
植物ホルモンをガスクロで分析していた学生時代を思い出す研究室。寺島さんが見つける科学の力で、芸術がより多くの人と繋がっていくことを心から願うひと時でした。(曽我千文)
2023.01.24
「作品をつくり、場もつくる――それぞれを行き来しながら融合していけたら」 美術教育専攻 修士2年・保坂朱音さん
温かい日差しが降り注ぐ冬の昼下がり。東京藝大上野校地にて大学院美術研究科 美術教育専攻修士2年、保坂朱音(ほさか あかね)さんへのインタビューを行いました。
┃一人一台のろくろ、手作りの道具
総合工房棟陶芸研究室を訪れると、ストーブを囲み学生たちが何やら真剣に話し込んでいます。その輪の中に保坂さんはいらっしゃいました。
――こんにちは!今日はよろしくお願いします。
「こちらこそよろしくお願いします。」
柔らかい物腰の保坂さんが笑顔で迎えて下さいました。保坂さんは現在、2つの場所で制作を行っています。ここでは主にろくろを挽いたり、形を整える造形作業を行ったりするそうです。まずはろくろについて説明をしていただきました。
「ろくろは一人一台いただけています。造形作業はここで行うのですが、彩色などの作業は別の場所で行っています。ここだと土が舞ったり、他の学生の場所を取ることになってしまうので。」
――2つの作業場を行ったり来たりして制作しているんですね。
「最近は家でも作業しているので、道具も持ち歩いています。道具によって作れるものが変わるので、みんないろんな種類の道具を持っていたり、自分で作ったりしています。」
たくさんの道具を広げて見せてくれました。初めて見る数々の道具に、とびラーは興味津々です。
┃陶芸×音
一通り道具の説明を受けた後、制作中の作品を見せていただきました。
研究室に繋がった屋外には、窯で焼く前の作品がズラリと並んでいます。
「最近は陶器で楽器を作っているんですよ。」
――音が出るような焼き物を作っているというのは意図があるんですか?
「2022年4月に羽田空港で『美×音×うたをみる』展という藝大生による展示がありました。音楽学部の学生・卒業生の有志と一緒に展示と演奏会をするという企画で、音楽と作品をどう組み合わせるか悩んでいました。もともと私はワークショップもやっていたのですが、“人との繋がり”が作品を作る大きなモチベーションになっていて。そこから、陶器で楽器を作れるんじゃないか、作った楽器を実際に触ってもらえるんじゃないかと考えたんです。」
――作品に触れることでコミュニケーションが生まれると考えたんですね。
「陶芸って人に使ってもらうという部分がすごく大切なんですけど、ただ使うのではなくて、楽しく使ってもらいたい。人とコミュニケーションが取れるようなものを作りたい、というところから、触れてもらえる楽器の制作がしっくりきたんです。」
┃同じ窯の友との「窯会議」「窯ごはん」
次に窯を見せていただきました。大きな窯が何台も並んでいます。
――先ほどの作品はどの窯で焼く予定なんですか?
「1号の窯で焼こうと思ってます。焼く時は私だけじゃなくて、他の人の作品も入れて一緒に焼きます。温度によって仕上がりが変わるので、温度調節や窯の予定もみんなで決めます。」
――チームでの作業という感じがしますね。
「翌月の窯予定を決める会議のことを私たちは“窯会議“って呼んでいるんですよ」
――窯会議!!!
「上級生が窯を立てて予定を組むのですが、みなさんが来る前もちょうど“窯会議”を行っていました。」
――作品を作る人って、ひとりで全部を作り上げているイメージがあったのですが、制作の過程でもコミュニケーションをとって作り上げていくのですね。
「工芸分野っていうのは、ひとりでは作れないことがたくさんあって。例えば大きなものを作る時は作業を手伝ってもらったり、窯もひとりじゃ埋めきれないので一緒に焚かせてもらったり。“協力”というのはずっと意識しているかもしれないですね。」
――電気窯の他にどんな種類の窯がありますか?
「ガス窯や灯油窯、取手キャンパスには薪を使う窯もあります。実際の炎で焚くものは、コントロールをするのがすごく大変で。先生の意見を仰ぎつつ、みんなで格闘しながら焚いています」
――どの窯を使うかは、どうやって選定するんですか?
「窯によって出てくる表情が変わるんですね。電気窯で表情が出る作品もあれば、灯油で火を使わないと出ない作品もあって。特に電気窯と薪窯では全く違います。自分が狙いたい表情に合わせて窯を選定します。」
――陶芸は凄く奥が深いですね。
「私は学部までしか陶芸に触れていないので、深く追求まではまだできていないなと思うことがあります。院では美術教育に進んでいるので、それまで得た知識や経験を、“人との繋がり”のなかでどう展開していくのかを考えていこうと思っています。」
制作にあたっても、他の生徒たちとの連携や協力が必要となる陶芸科。コロナ前は、窯の日にみんなでご飯を作って食べていたそうです。
「窯ご飯っていうんですよ。コロナ前は1〜2週間に一回、みんなで作って食べていました。」
――自分で作った器で食べるんですか?
「歴代の先生、先輩たちが作ってくれた器があるんです。今はコロナで集まることは少なくなっているのですが、この棚から自由に使っています。」
――受け継がれていく感じで、歴史を感じますね。
「それでは美術教育実習室に移動しましょう」
保坂さんの声掛けで、紅葉が残る小径をおしゃべりしながら中央棟へ移動します。
┃触れてもらうことで、「人と繋がる作品」をつくりたい
「こちらにどうぞ!今ここで作業してます。」
入ってすぐの机に、彩色されたいろいろな形の楽器が並んでいました。
その愛らしい形と色に興奮を抑えきれないとびラーたち。
――可愛い!これは卒制に展示する作品ですか?
「これも何個かは飾ります。これからもっと作ろうと思っているので、数が増えると思います。
修了作品は大学美術館のエントランスに展示して、実際にお客さんに触ってもらおうと思っています。
もしよかったら鳴らしてみますか?」
――叩き方によっても音が違いますね。これはポヨンポヨンって、まるで赤ちゃんのお腹を叩いてるみたいです!
「厚みや形によって音が変わることが作っているうちに分かってきました。アフリカのウドゥという楽器を参考にしています。それはもっとふっくらとした丸い形だったんですけど、形を変えてもいいかなと思い、工夫しました。」
――触り心地もそれぞれ違いますね。こちらはなんですか?可愛い音がしますね。
「これはマラカスです。この前のワークショップにいくつか作品を持っていったんですけど、子どもたちは『どんぐり!』と嬉しそうに反応してくれました。」
――作品を作る上で保坂さんが大切にしていることはなんですか?
「今までは作品を作る時、“自分の中の何か”を絞り出すような過程が苦しく感じられることがありました。一方ワークショップでは、美術の楽しさを伝えると同時に、人と繋がることで得られるものも多くありました。
それらを大切にして作品を作りたい、というのが今回の制作で大事にしていることです。また、今後作品制作を続ける中で、自分の作品を人に使ってもらい、可能性を探ってみたいと考えたんです。だからこそ『触れる作品』であることが自分の中で大きなテーマなんです。」
┃土の偶然性を楽しみたい
――楽器もいろいろな音がしたり、形も様々です。それはコミュニケーションがどんどん膨らんでいくように工夫しているんですか?
「それもありますが、形を決めて作るっていうよりも、作っていてこんな音が出てきたとか焼いて初めてわかることとか、それを作品にいい具合に落とし込めないか探りながら作っています。今回は『土の息吹』というテーマにしました。ろくろを挽いていると、思った形にならない時があるんですね。でも、ちょっとした歪みが可愛く思えちゃって。今までは、しっかりとしたイメージで作ろうと思ってきましたが、制作中の『分からないけどなんかいい!』みたいな気分を大切にしています。」
――制作中も土と対話をしてる、そんなイメージなんでしょうか?
「そうですね。今まで土と向き合いきれていない部分もあったので、修了するタイミングで一度、土を触りながら『陶芸好きだな』と思えるような作品を作りたいと思っています。いろんな形や、土が出す音に向き合って作っています。」
┃卒制の展示について
――会場での展示イメージを教えてください。
「思わず『触りたい』『これ触ったらこっちも触ってみたくなる』というような、来場者が“遊べるスペース”を作りたいと思っています。楽しんでもらうことが一番大事だと思うので。」
――お客さん同士も、作品を手に取ってセッションっぽくなるかもしれないですね。そこで見知らぬ同士が繋がったり。人と人を繋いでくれる作品って素敵ですね。
「そんな場ができたら嬉しいですね。」
┃学校の先生に憧れて……子どもから学ぶことが多くある
――美術教育に興味を持ったきっかけを伺いたいです。
「美術教育に行くことは学部に入学する前から決めていました。学校の先生に憧れを持っていたのですが、そんな中、美術を専門的に学んだら教えられることが広がるのではと思ったんですね。でも美術というものが自分の中で分からなかった。だから藝大を受験しました。予備校時代にお世話になった美術教育出身の先生の影響も大きかったと思います。」
――そもそもの方向性が「作ることを極める」というより、「コミュニケーション」に向いていたということでしょうか?
「そうですね。一年生の時からワークショップもやっていました。そのときに制作した陶器の楽器も持っていったんですけど、子どもたちが物凄い勢いで叩いていて『こんなに叩いても割れないんだ』と発見がありました。あと『ここツヤツヤだけど、ここザラザラだね」など思ったことを全部口に出してくれるので、そこでまた会話が広がって、次こういう素材で作ったら違う反応が見られるかもしれないなど、気づくことが多いです。」
――コミュニケーションの中からインスパイアされている感じですね
「そんなやりとりが好きなので、ワークショップは今後も続けていきたいと思っています。」
子どものワークショップの話をうけ、保育士とびらーが日頃考えている疑問をぶつけてみました。
――普段保育の中に「制作」を取り入れているのですが、大人の一方的な押し付けになっていないか、疑問に思いながら試行錯誤しています。保育の中に美術を取り入れる中で、どんなことを大切にしたらよいと思われますか?
「作ることも、もちろん楽しいんですけど、ワークショップはきれいに仕上げることが目的ではないんです。私の想像しないところで、子どもたちが何か学びを見つけてくれることが大切なことだなと思っています。
実は私の母が保育園の先生で、保育園で制作のお手伝いをすることもあります。この前は、“廃材で楽器を作るワークショップ”をしました。一日だけの日程で陶芸は難しかったので、ダンボールなど保育園でいらなくなったものを集めて楽器を作りました。楽器を作って満足してしまうのはもったいない気がしたので、『音を聴いて音を形にする』というワークも行いました。」
―― 具体的にどんなワークをしたんですか?
「例えば大きい丸と小さい丸を用意し、丸を見せながら『今から先生が音を出します。最初の音はどちらの大きさでしょう』と問いかけます。すると、音の大きさを形で表現できる。次に『バリバリ』『シャカシャカ』といった擬音を表現した絵を見せる。そして『バリバリの音はどれでしょう』と問いかけます。どの音がどの形にリンクするのかを子どもたちが考え、表現できるようになればいいなと思います。」
――形と音とをリンクさせるということですね
「そうです。でも別に正解はないんです。例えば『ふわふわ』の音に対して『バリバリ』という形を選んでもいいんです。次に、廃材でつくった楽器の音を絵にするワークを行いました。そうしたら、みんな違う絵を描けたんです。似たような作品ができるかなと思ったんですけど、全然お友達と被る子がいなくて驚きました。」
――保坂さん自身も新たな発想を得ているんですね。
「子どもたちの発想はすごいです。最後は廃材で作ったステージで、クリスマスソングをかけながら、それぞれが作った楽器を演奏しました。クリスマスソングなんか聞こえないくらい盛り上がり、子どもたちは素直で自由だなと思いました。そういう経験が、私の作品作りにもつながっているんだと思います。」
――予想できない感じがワクワクするということですね。
「参加するひとりひとりが違うし、その子のその日のコンディションによっても、ワークへの関わり方が違ってくる。その日できなくても、時間をおいたらできることもあります。いろんな子がいますが、自分のペースでつくれることがすごいなって思います。そんなきっかけ作りができればいいなと思います。」
┃作品をつくり、場もつくる人になりたい
――将来のご予定を聞いてもいいですか?
「はっきりとは決まってないんですけど、今後も美術教育に携わることができそうです。創作を続けるのはもちろんのこと、 “つくる”ということをゆっくり一緒に考える立場、またはそういう場を作る人になりたいです」
――作品もつくるし、場もつくるということですね
「そうですね。“場をつくるために、ものをつくる”という感じかもしれないです。
学部で学んだ陶芸と、今学んでいる美術教育では、同じ美術といっても違うことを学ぶ分野なんですね。
だから美術教育と陶芸を行き来していると学ぶことが多くあります。」
――それぞれどんな学びを得ていますか?
「美術教育ではいろんな感覚を味わうことができています。例えば、陶芸以外にも、油画を書いている学生や、写真に刺繍している学生が同じ美術教育の中にいます。一方陶芸では、制作を通して『この感覚大事だったな』という素材の向き合い方に気づくことがあります。」
――それぞれのいいところを持ちながら行ったり来たりしてるわけですね。
「どっちつかずになりたくはないですけど、いい塩梅に融合して納得できる作品を作りたいと常に思っています。」
――「陶芸」「美術教育」と分けて考えるというより、その奥にある美術の根っこのような「根底」を大事にしたいということなんですね。
美術教育では、ワークショップなど参加者とのコミュニケーションを取りながら場を作り、
陶芸では、同じ釜を使う仲間や、素材である土との対話を通して作品と向き合っている。
保坂さんの陶芸と美術教育に向き合う姿勢に共通点を感じます。
――では、最後に卒業制作を見た方に伝えたいことやメッセージをお願いします。
「触ってみないとわからないことがいっぱいあるので、ぜひ触ってください(笑)コロナの関係で自由に触っていただくのは難しいと思うのですが、私がいるときはいつでも声をかけてください。近づいてきてくだされば、私から声をかけます。」
――目で見て耳で聞いて手で触って、楽しい時間を過ごすことができました。この感覚をぜひみなさんにも味わっていただきたいです。今日は貴重な時間をいただきありがとうございました。
場をつくり、その場のコミュニケーションからインスパイアされて作品をつくり、それがまた場をつくる。その循環がきっと素晴らしい場・作品を作っていくんだろうなとこれからの活動に期待がいっぱいです!(梅浩歌)
「藝大生インタビュー」を3年連続で体験できたのは、ラッキーでした。毎回学生さん達の創作に向き合う姿勢や、情熱に刺激をもらってます。(遊佐操)
普段保育士をしています。子どもたちのリアクションを楽しむ保坂さんの姿勢が、とても参考になりました。子どもたちが学びを見つけられるようなワークショップを、私も保育の中で実践していきたいです。(小木曽陽子)
2023.01.24
上野公園も冬の装いを纏い始める11月下旬、デザイン科4年生の新海友樹子さんにお会いしました。インタビューが行われた藝大総合工房棟にある広い部屋の中は段ボールで仕切られた空間となっており、新海さんの制作スペースは、色づく樹々が見渡せる明るい窓際にありました。(後でお聞きしましたが、インタビューのために作品のスケッチを壁に貼ってくださったそう!)
1.過去の作品から新海さんを知る
ー今までの作品を見ると、人との関係性や繋がりが可視化されているように感じられ、そこがとても魅力的です。その原点はどこにあるのでしょうか?
入学して直ぐに100枚ドローイングという課題がありました。自由なテーマで100枚の絵を描くという課題だったのですが、私は自力で老人ホームにアポを取りお年寄りの絵を100枚描きました。その時、世の中にはいろいろな場所で、自分より長く生きてきた人がこんなにもいる、という事実に衝撃を受けました。同じ人間だけど、お年寄りは自分よりも死に近い人たちだと感じ、同時に自分自身の命のはかなさも実感しました。この体験が、自分と人との関わりについて、強く意識するようになった原点だと思います。
作品「死ぬのに 生きてた おじいちゃん」
ーこの作品で「死」についてどのようなことを感じたのでしょう?
自分の祖父が亡くなったとき、人の死に初めて触れ、火葬場で見た真っ白なおじいちゃんの骨の美しさに驚きました。どんな人生を歩んだ人にも、最後は死という美しい終末がパッと訪れる事を、ポジティブに捉える事ができました。苦しみや悲しみにも終わりがあり、死によって綺麗さっぱりなくなってしまうのであれば、多少山あり谷ありの人生でも、楽しめる気がします。恥ずかしいことがあってもあと60年くらい経てば消えるので、最後は大丈夫だという感覚です。
ーこの「死ぬのに 生きてた おじいちゃん」というタイトルに込めた思いは何でしょうか?
ちょっと冷たく聞こえるかもしれませんが、自分が素直に感じたことをそのままタイトルにしました。人は死ぬと決まっていて、いつかは終わりが来ると分かっている。それなのになぜ生きているのだろう、なぜ頑張るのだろう、でも自分も同じだよな、と思うとなんだか面白く感じ、そういう不思議さを伝えたいと思いました。
作品「わざとハンカチを落としたら私の声が聞こえた」
ーハンカチを落とすことで、人はどう反応するのかを表現した作品にも魅かれます。この作品を作ろうと思ったきっかけは何だったのでしょう?
路上に落ちているもの、例えば片方だけのイヤリング、片方だけの靴下など、どういう人がどういう事情で落としたのか・・そして、それは自然に存在するものではなく、人がいるからこそ、存在できたもの。そこに興味が湧きました。普段ならわざわざ確かめないような事を突き詰めると、より人を理解することに繋がるかなと思いました。
ー制作する中で、どんなことを感じたのでしょうか?
100回やってみて、ほっこりしてみたり、しょんぼりとしてみたり、いろいろな気持ちになりました。拾う、拾わないの割合は6:4でしたが、ハンカチを拾う人は善い人、拾わない人は悪い人と考えるのは違うなと思いました。拾わない理由にもいろいろあり、拾わなかった人なりの「拾えなくてすみません」という感情や、微妙な仕草の中にある人の温かさを感じることができました。
ーどういうふうに人を見ているのでしょう?
どちらかと言えば、人は「善いもの」だと信じています。疑ってかかると不安が生まれて、その不安が相手にも伝わってしまう気がするので…できる限り先に「いい人に出会ったぞ」と信じて決めてしまうと、とても楽しい気分になります。悪い人に騙されてしまったら…その時はその時です。目の前の人をどう捉えるかは大抵自分次第だと思うので、「私はそう信じる」ことができればそれでいいと思っています。
ーいろいろな体験を通じて、多くの人と関わることで、最後にはそれが一つの作品になっているのですね。ご自身で制作することを大切にしているのですか?
自分がやったという痕跡が消えてしまうと、何をしてきたのか分からなってしまうので、自分の手で作るということを大切にしています。自分で考えて手を動かしていると、自然にいろんな感情になって伝えたいことが生まれてくる気がします。作品の中に素朴な自分の気持ちがちゃんと詰まっているかをいつも気にかけています。
2.卒業制作の話
ー卒業作品はやはり人との関係をモチーフにしたものなのでしょうか?
卒業制作を始めるにあたり、これまで一貫してやってきた事は何だろうと考えました。色々な作品を作り、なるべく色んな技法に手を出してきましたが、最終的にはそれを通して自分自身を作ってきたということに気が付きました。様々な人と関わりながら作品制作と向き合ったことで、ようやく自分らしさが見えてきたので、勇気を持って作品タイトルを「私になりたい」にしました。卒業制作展では、空間の中に30体の私を模した人形を配置し、それを作る過程をまとめた映像を流す予定です。3分ほどの映像がループしているので、ぜひ立ち止まって見て頂きたいです。
ー「私になりたい」という思いはどういうふうに表現されているのでしょうか?
なかなか一言で表すのは難しいですが、このタイトルには「そのままでいいよ」というメッセージが込められています。私が自分を受け入れた過程を映像にして見せることで、どこかの誰かにもこの考え方が届けば良いなと思っています。あとは、作者がやりたいことを自由にやっているという喜びが人形のテキスタイルや形から直感的に伝われば嬉しいです。
今日が作品模型の〆切です。本当は一部屋全部を使って展示をしたい作品なのですが、もう少し小さな空間での展示になりそうです。
3.新海さんが藝大を目指すまで
ーもともと芸術に興味があって、この道を選んだのでしょうか?
最初は大学進学に全く興味が無く、とにかくバレエに夢中でした。ただただバレリーナになりたかったです。でも、現実的にバレエで食べていくのは難しいと思い始め、「大学はとりあえず行ってみたら?」という親のアドバイスもあり、高校2年生の頃、大学への進学を考え始めました。4年間も学ぶなら興味のあった芸術がいいな、ということで藝大を目指すようになりました。それまで本格的に絵を描いたことがなかったのですが、お試しに美術予備校の体験授業で絵を描いてみたら、意外と楽しかったんです。木炭デッサンで食パンで線を消したり、粘土をこねて物を作るのが楽しくて、どんどんのめり込んでいきました。藝大を受験すると親に報告した時は、「何を言っているの?」という反応でしたが、あの時、私のはじめの一歩を止めなかったことに感謝しています。
ーかなり大きな方向転換ですね!
そもそも藝大の存在を知らなかったのですが、ネットで藝大神輿を見て感動し、この大学面白そうだなと思いました。入るのがとても難しいと言われても、そもそも知らなかったので、運よくチャレンジできたんだと思います。
ーバレエに一所懸命に取り組んできた経験が、この先、また繋がっていくのではないでしょうか?
今、バレエを踊っても技術的には絶対上手に動けませんが、人前で自分を表現することは4年間みっちりやってきたので、なんだか昔より魅力的に踊れる気がしています。ダンサーは自己表現をしながらも舞台上で作品の一部になっていると思うのですが、私も作品の全体を見つつ「自分はこれをやりたい、これで幸せになるぞ」という積極的な気持ちを持っていたいと思います。
4.藝大に入ってからの思い出と今後の目標
ー藝大に入って、どんな刺激を受けましたか?
大学では、教授は技術的な事をあまり教えてくれません。「あなたはどう考えたの?」と問われることが多く、私個人の視点が求められていると感じます。私にはそのスタイルがとても合っていたので、そういう環境で他の学生が作った作品を見る事ができたり、先生にコメントをいただける事はとても嬉しかったです。
ーフリーのデザインの仕事をされていましたが、きっかけは?
開業したきっかけは、ハンバーガー屋さんの仕事です。この仕事自体も、音楽学部の友達の友達の友達…みたいな、人とのつながりの中で生まれたものです。最初は友達の手助けのつもりでアイデアを出していたのですが、知らぬ間にそれが採用試験を兼ねていて実際の仕事に繋がりました。
ー作品作りと同じ感じですね。石川さゆりさんのプロジェクトへの参加も人とのつながりからでしょうか?
それは大学のプロジェクトに応募したものです。このプロジェクトには、私以外にも6人の学生が参加しており、全員それぞれが作品をデザインするということだったので、作品として世に出るかわからない状況でした。そういう中で、どういう気持ちでデザインすればいいのか悩みました。描いても無駄になるかもしれないし、何を求められているのかよく分からない。いろいろと考えてしまいましたが、最後は自分の好きなことを描くしかないと思いました。迷ったときは、自分の好きなことをすることで前に進んでいます。
ー次に挑戦したい表現手段はありますか?
今、音楽学部の先生の繋がりで、舞台美術を制作しています。舞台芸術にとても興味があるので、いつか自分で脚本を書いて、舞台をデザインして、演出してみたいと思っています。
ー今後も人間関係をモチーフにした作品は作っていきたいと思いますか?
是非作っていきたいです。ただ、決め過ぎてしまうと上手くいかないので、そのときそのときに自分の心に響くものを表現していきたいです。その表現手段は、もしかすると絵を描くことではないかもしれません。今やっていることがずっと続くか分からないので、興味があることにはなんでも挑戦して、自分が納得するまで続けたいです。
インタビューを終えて
新海さんは、自分の中にしっかりと芯があり、自分が信じたことに一所懸命取り組むという姿勢にインタビュアー3人ともすっかり魅了されました。これからも大きな転機があるかもしれませんが、新海さんならば、ぶれずに乗り越えていくと思います。そんな新海さんの集大成である作品を、是非卒展でご覧になって下さい。
新海さんの作品は、Instagramでも見れますので、ご興味のある方は是非ご覧下さい!https://www.instagram.com/yukiko_shinkai/
自己紹介
インタビュアー 滝沢智恵子
私自身、ずっと「ご縁」を大切にしてきて、「人の優しさ」に支えられてきました。初めてお会いする新海さんが同じようなことをお話しされて、とても嬉しくなってしまいました。明るく優しくそして強さも備えた新海さんのこれからがとても楽しみです。
インタビュアー 井戸敦子
新海さんの作品に惹きつけられたご縁でインタビューとなり、柔らかで忘れられない時間を過ごさせて頂きました。新海さんのお話と作品を通して、わたし自身もこれまでの出会いや経験がネックレスのように繋がって思いもかけない「自分」になっていることへの、感謝や発見がありました。ありがとうございました。
執筆 菊地一成
とびラーの活動では日々新しい気付きをもらいますが、今回のインタビューでは人生を楽しく生きる方法を今更ながら教えてもらった気がします。新海さんより遥かに短いものの、残りの人生、この心持で臨みたいと思います。
2023.01.23
漁網や漆など普段は建築に使われない素材を手に、材料と建築を結びつける研究の話から始めてくれた鶴田さん。彼がインタビューを通じて何度か繰り返す「今ある世界を受け入れ、そこから作り始める」という言葉。その言葉がどのような事を意味し、彼がどのようにしてその考え方に至ったのか、さらに修了制作にまでどう繋がっていくのかお話を聞きました。
ー建築に興味を持ったきっかけは?
きっかけは進路を模索している高校生の時に、街の書店でたまたま手に取った一冊の本です。その本は構造設計家のセシル・バルモンドの「informal」という本で、エンジニアリングの内容でありながらグラフィカルでとてもおしゃれでした。内容は詳しくわからなくてもとにかく楽しくてどんどん読み進めてしまいました。本に出てきている建築や建築家を調べることから始め、本の日本語版監修者である藝大の金田充弘さんのことも知りました。直接研究室にメールを送ったところ、高校生ながらいきなり講評会に参加できることになりました。その講評会で教授と学生が垣根なくフラットに議論している様子を見て「これは藝大しかない!」と思いました。最初に出会ったのが「ものがどう成り立つのか」ということを考える構造設計家であったことは、建築を学ぶ上で大きく影響しました。
一冊の本との偶然の出会いから建築の世界へ「自分でもでき過ぎていると思う」と笑う
ー留学していたとのことですが、どのようなことが印象に残っていますか?
トータル2年間スイスに滞在しました。留学先では、国も年齢層もバックグラウンドもバラバラな人たちと一緒に研究することで大いに刺激を受けました。建築だけでなく、グラフィックデザインや材料エンジニア、AI研究者もいて、その人たちが一つになることで今までにないもの、どの視点から見ても質の高いものが生まれることを体験できました。特に刺激を受けたのは、彼らが「一見取るに足らないように見えるものの中に、建築としてのポテンシャルを見出す力」に長けていることで、どんな物でも常に可能性を捨てずに一度テーブルの上に置いてみる姿勢を学びました。それは研究をするにあたりとても大切な能力だと思っています。今まで建築に使われなかった材料を建築に用いようとすれば、誰もやったことがないので失敗するのが当然です。ただ、その失敗の中にヒントが必ずあるので、「失敗という価値ある情報」が増えたと捉えて、へこむことなく淡々と前へ進む姿勢が身についたかなと思います。
ー留学2年目は「助手」の立場だったとのことですが、その経験で得たことはありますか?
自分が一番若かったこともあり、教えるというよりも協働して一緒に進めるコラボレーターとして関わる方が良い結果になることに途中で気づきました。今思えば、それは金田さんが自分にフラットに接してくれていたことと同じなのですが、自分自身の体感として得られたことは大きかったです。また、教えることで俯瞰した視点を得られ、数多くのアイディアの中から「今は取るに足らないものでも宝物になるかもしれないもの」を判断できるようになりました。そのことによって、製作者として集中する視点と評価者として引いて見る視点の両方を得て、自分の中で役割を変えながら製作を進められるようになりました。
留学中の作品を動画を使いながら説明
ー研究対象を決めるときの基準はありますか?
まず大事なのは本当に自分が没頭できるかどうかです。一方で、個人的な興味を掘り進めた先に、他の人も共感できる普遍的な領域に広げていける可能性があるかどうかを同時に考えています。建築の普遍的な価値という意味では、環境に良いだけでなく、建築的にどう面白いものになっているかという点を大切にしています。そうすることで初めて建築として普遍性を持つものができると考えています。
素材については、今まで見過ごされていた素材を「見方を変えることで新しい使い方ができること」に関心があります。そのときにコンピューターによる解析を行って、より深く今までとは違う視点で見ることができたり、ロボットを用いることで人の手ではできないレベルで再現することができると感じています。今までは職人が体で覚えてやっていたこともデジタルの力を使うことで違う領域まで到達できるのではないかと思っています。
初期に検討していた砂の構造体の痕跡
ー修了制作について教えていただけますか?
《人間の土地》という作品で、サン=テグジュペリの本からタイトルをとっています。その本の中に砂漠の話があり、「砂漠の砂」をテーマとしています。砂漠の砂は大量にあるにもかかわらず、角が削られて丸く摩擦力が弱いため工業的に使えないのですが、それを建築に使えないかと考えました。当初は、砂自体を構造材として使うことを想定していましたが、何度実験をしても建築構造材としての強度を得ることができませんでした。そこで視点を変換して、砂をコンクリートの型枠として使うこととし、さらに鉄筋の代わりに麻繊維(ヘンプ)を使ったコンクリート「ヘンプクリート」を利用することで、型枠もコンクリートも100%現地調達でき、分解・再利用もできることを考えました。この砂の研究をベースとして、形と工法、建築設計にどう落とし込めるかを考えていきました。
砂漠の砂の主成分が二酸化珪素(石英SiO2)であることに注目し、二酸化炭素と反応して炭化ケイ素というガラス質になり硬化する性質を利用
ー砂による形とは?
砂によって作られる形を建築に活かせないかと思い、「風」と「重力」の2つの力でできる砂独自の形を建築に応用しようと考えました。まず「風」でできる形は、砂と風によってできる、いわゆる砂紋や砂丘の形を応用しました。砂と風の方向をプログラムすることで、風によってできる砂の形をシミュレーションできます。そこへ何か物を立てることで、欲しい砂丘の形ができることがわかりました。簡単な壁を立てて置くだけで、あとは風によって形ができ、それを固めていけば自然と協働して独自の形を作れるのではないかと考えました。
風によって砂の独自の形ができることをシミュレーション
次に「重力」によってできる形は、砂を穴から落とすと自然に止まる時の安息角という角度を利用して、柱と屋根の接合部の形を決めました。砂の入ったプレートの柱位置に穴を開けておくと安息角で自然に砂が落ちるのが止まります。その砂の形状を型枠とし、コンクリート(※)で固めて屋根面と柱を作ると柱上部に分厚い形状ができます。造形的に自然に作られた形が、同時に構造的にも柱周りの強度を高める形になるのが面白いと思っています。
(※厳密には砂利の入らないモルタル。以下同じ。)
左上が砂による型枠。右がその型枠からコンクリートで作った屋根形状。手前は安息角の説明
施工方法としては、砂の上にコンクリートをそのまま流すと落ちていってしまうため、砂にコンクリートを吹き付ける工法を考案しました。吹き付けるためのノズルを3Dプリンターで作成したり、吹き付けたコンクリートの厚さを計測する3Dスキャナとそれを投影するプロジェクターの仕組みも自ら手作りをし、必要なコンクリート厚を確認しながら、繰り返し吹き付ける施工装置を作りました。
3Dスキャナ(写真中央上)とプロジェクター(左)を組み合わせた施工装置
最後に、今まで検討した造形と工法をまとめて、どのような建築ができるかを考えました。風によってできる砂丘を活かした構造体を3箇所組み合わせて、屋根状の砂丘が山脈のように連なった形をデザインしました。できた模型だけ見ると荒々しくて、テクノロジーを使っているようには見えませんが、実際は裏ではテクノロジーが支えています。また出来上がった形が完成ではなく、形状を反復して拡張させていくことや、できた建築が次の形状を作るきっかけとなり自然と次々と繋がっていく可能性も想定していて、移り変わりの激しい砂漠ならではの形ができるのではないかと思っています。
型枠であった砂を掻き出した後の模型。洞穴のような内部空間ができる
ーどのような用途の建築ですか?
用途としては、砂漠の強い日差しを防ぐ半屋外の休憩所です。地下水を利用した灌漑施設であるカナートを稜線に沿って配置することで屋根の下に湖ができ、そこでラクダのキャラバンとかが水を飲んだり泳いだりできる砂漠のオアシスのような空間になります。
建築の模型と図面。オアシスの周りに人や動物が集まり、畑で麻を栽培すれば、材料の現地調達も可能に
そしてここまでだと「本当につくれるのか?」となるので、実際のスケールでも作ってみました。
実寸模型の表面にはまだ砂が残っており、古代遺跡の一部のようにも見える
実寸模型は型枠を外す時までちゃんと立つのかドキドキでした。表面を触ると型枠だった砂がまだ残っていますが、その砂を洗い流してコンクリートだけにしても良いですし、CO2を吹きかけて砂を固定するという選択肢もあると思っています。今回の研究は、材料の研究から始めて、形の決め方のスタディと施工方法、そして提案の形にまとめ、実際に製作まで一連のパッケージとしてできたと思っています。
柱の脇に残された初期のスタディ。「次につながる可能性を見出すプロセスを大切にしたい」という鶴田さんの姿勢が表れている
ー現代的な建築とは趣がかなり違う建築ですね
それは意識的にしています。一般的な建築は作りたいものが先にあってそれを実現しやすい形や素材を選んでいきますが、そうではなく、既にあるものを用いることから建築ができないかということを根本的な問いとして考えていて、それが今回は砂だったということです。そして、コンピューターを用いることで再現性のある形で、ある種普遍的な材料として提案することができ、出来上がったものは「既に存在しているこの世界から建築を始める」ことになる。自分の周りにあるものを受け入れ、読み取り、理解することから建築の一歩を始める、これほど魅力的なことはないと思っています。
ーこれからについて教えてください
スイスで博士課程として研究を続ける予定ですが、今回の修了制作で実際の建築の作り方を知らないことを痛感したので、建築の現場を知る必要性も感じました。正直なところ、研究と建築の実務をやりたい気持ちが半々で、研究を進めつつ建築の実践もしたいと思っています。
今後も「今ある世界から作り始める」というテーマは大事にしたいと思っていて、そこにある世界を認め受け入れることで、自分の固定概念や先入観から解放される瞬間を感じられるよう活動を続けて行きたいと思っています。
金田研究室の修士1年生が主体となって行う、藝大工芸科の鍛金技術を参照した金属仕上げの研究。コンピューターによって伝統的技術の可能性が広がることが面白いと語る
■インタビューを終えて
砂が風に流されて美しい形を作るという、コントロールされていないところに材料としての砂の面白さを感じたという、鶴田さんの視点の斬新さ。そして、扱いにくいという理由で建築的にあまり利用されてこなかった「砂」で建築ができるのであれば挑戦する価値があると語る鶴田さんに、未知のものへ挑戦する強さを感じました。高校生のとき偶然出会った構造設計家の本から出発した彼が、これからどのような作品でまだ見ぬ新たな景色を見せてくれるのか楽しみでなりません。
取材:飯田倫子、尾駒京子、中村宗宏(アートコミュニケータ「とびラー」)
執筆:飯田倫子
執筆協力:尾駒京子、中村宗宏
一つ一つの経験が全て作品に繋がっていく、鶴田さんのお話はまるで小説のようで、インタビューを通じて作品だけでなくそのプロセスをとても魅力的に感じました。(飯田倫子)
AIやロボット技術を通して、この世界の美しさ、自然の面白さを改めて知るような鶴田さんの取り組みからは“あたたかさ”を感じて、描く未来の景色を私も見てみたいと思いました。『卒業』は始まりなんですね。お話から私もたくさんの刺激をいただきました。ありがとうございました。(尾駒京子)
環境によいだけが目標ではなく、建築としてどうおもしろいものになっているか大切にしているというお話。今後もグローバルな視点から、世界で活躍されるだろうと想像しています。お話を聞いてやはり藝大生インタビューはやめられない。(中村宗宏)
2023.01.21
「修了制作は、VR作品になります。」
事前に美しい油絵のポートフォリオを見せてもらっていた私たちは、そのメールに驚いた。
12月初旬の取手キャンパス——出迎えてくれたのは、今日お話を伺う、東京藝術大学大学院美術研究科 修士課程 グローバルアートプラクティス(以下、 GAP)専攻の橋場みらんさん。素敵な笑顔と、鮮やかな金髪が印象的!
油絵からVRへ…… 一体何が彼女を新たな道に導いたのか、昼下がりの教室でゆったりとお話を伺った。
「まずは、ぜひ作品をみてください」
壁には映像が投影され、椅子の上にはVRゴーグルが置かれている。
橋場さんが制作した作品は、 映像とVRを組み合わせたインスタレーション。とある1つの物語を、異なる角度——すなわち平面と立体(VR)という2つの形態の映像で鑑賞する、という作品だ。
— 物語のあらすじ —
《We are Avatars, We are Avatared》
その部屋には、メガネを装着し、一心不乱にキャンバスに向かう2人の女性がいる。メガネを装着した彼女たちは、その中に映し出された自身の『アバター』しか見えていない。
あるとき、2人はメガネを外す。2人は初めて『アバター』ではなく、本物の『他人』と出会う。そこにいたのは、思い描いていた『アバター』とは様子が異なる、現実のなかの『他人』。
「何かが違う……」
メガネの中でみていた『アバター』と、目の前にいる『他人』との違いに混乱する2人。やがて、メガネの中の世界=自分のなかの世界には存在しなかった、『境界』に気づき……
この続きは、ぜひ修了作品展にてご覧いただきたい。
展示室に入った鑑賞者は、まずはじめに壁に投影された平面の映像を鑑賞する。それはまるで、実況のような映像……キャンバスに向かう2人の女性の様子を、ワイプに現われたそれぞれのアバター達が解説する、というものだ。平面の映像という形態自体は、見慣れたもののはずなのに、そこには強烈な違和感が残った。
続いて鑑賞者は、同じ世界観・同じ設定で描かれた別視点の立体映像を、VRゴーグルを被って鑑賞する。こちらには実況をするアバター達はいない。まるでその世界に入り込み、2人の様子を覗き見しているかのようだ。
だんだんと現実と非現実、自分と他者の視点、その境界が曖昧になっていく、不思議な感覚が残る……
◼️違う視点を持つ人間同士の関係性を描く
ー興味深く、ドキドキしました。この作品をみていると、私とあなたの間にある『境界』というものを考えさせられます。作品を作ろうと思ったきっかけについて、教えていただけますか。
ありがとうございます。確かに、『境界』というキーワードは意識していました。私は学部時代、多摩美術大学の油絵専攻に所属していました。当時も『境界』を意識していて、特に『違う視点を持つ人間同士の関係性』ということを制作のテーマにしていました。
私が油絵で描く人物や風景は、架空のものです。『存在しない世界』を、自分で構築していました。けれど、GAPでの2年間で、実はその『存在しない世界』も現実の自分の身体に関係して生まれたもの——『無意識』に関係して生まれたものなのではないか、と感じるようになったんです。
ー今回、作品の形態は油絵ではありませんが、制作テーマは一貫している、ということでしょうか。
そうですね。この作品でも『違う視点を持つ人間同士の関係性』というテーマを意識しましたが、特に今回は『同じ』と『違う』という二つの矛盾した要素を両立させる作品を作りました。そのきっかけは、自分が双子だということ。作品に登場している2人の人物のうち、1人は私で、もう1人は私の双子の妹です。双子は、外見などの要素から『同じ』人物であるかのように一括りにされてしまうことがありますが、全く『違う』人物です。
実はここ2年間、作品に出演した妹と二人暮らしをしているんです。ずっと長く過ごしてきたけれど、二人暮らしをすることによって、改めて自分たちが『違う』人物なんだということを意識しました。
ー具体的にどんな出来事から『違う』と感じられたのでしょうか。
例えば、ケンカをするということ。ケンカって、相手とのズレがあるからしてしまうんですよね。二人暮らしをはじめて、結構考え方のズレがあるんだなあと感じました。『違う』けれど、『同じ』ところがたくさんある双子同士ということもあって、相手に対して理想を抱いて期待してしまっていたんだと思います。他人を理想化することによって、無意識に相手を「アバター化」していたんです。
ー「アバター化する」というのは、自分の都合のいいように、無意識で他人を理想化し、別の人物のように仕立て上げてしまうということでしょうか。妹さんに対して、ズレを感じるということは、理想を抱いて「アバター化」していたのでしょうね。
そうですね。元来、私は「自分と妹は別々の存在だ」と思っていました。けれど、二人暮らしを始めてからは、逆に「互いに切り離せないものだ」と意識するようになったんです。そこで、「自分にとって双子の妹は、自身のアバターのような存在なのではないか」と考えるようになりました。こうして振り返ると、2年間の二人暮らしがなければ、この作品は生まれていなかっただろうと思います。
ーなるほど。アバターは、自分の分身であり、理想の投影とも言えるということなのでしょうか。
はい、そうです。タイトルの「Avatared」という言葉は、「アバター化する」という造語です。
作品自体は、双子であるという自身の生まれ持った特性を活かして撮影しましたが、こういうことって誰にでも当てはまるんじゃないかな、と思うんです。双子だけでなく、日常の現実世界でも「他者に対してアバターを作り出す」ということってあるよなあと。また、インターネット時代の現代においては、誰でも理想の自分を仮想世界にアバターを作ることができますよね。そういうことも、アバターを意識するきっかけになりました。
ー作品としても、前半は見慣れた平面の映像なのに、アバターに実況されているということで、不思議な印象を受けました。
前半とは対照的に、後半はVR。仮想世界として、立体的に見せています。作品の形態を工夫することで、鑑賞者の中の『境界』を曖昧にしたいと考え、映像とVRを組み合わせた作品にしました。
「VRゴーグルをつけた人間ってすごく異星人みたいなんです。同じ人間のはずなのに、違う人間・違う人種みたい。アバター的ですよね。」と語っていた。なるほど、確かにVR星人は、なんだか不気味だ
ー『境界』というキーワードは、ずっと意識しているんですか。
はい、そうですね。私は帰国子女です。幼い頃から海外で暮らしていました。その頃のことを思い返すと、無意識的に違う文化で生まれ育った人たちに対して『境界』を作っていたんです。
例えば、アメリカに住んでいた時のことなのですが、私は英語がうまく話せているのかがわからず、不安でした。そうしてどんどん引っ込み思案になり、あまりしゃべらなくなってしまったんです。心の中では相手に近づこう!と思っていたはずなのだけれど、実際には自分自身が壁=『境界』をつくっていたんですよね。こういう経験も、作品の中に落としこまれています。
ー橋場さんは『境界』というキーワードに対して、どのような印象を持っているのでしょうか。
私が感じているのは、あくまで『境界』は事実としてそこにある、ということ。それを作品の中で提示したいんです。『境界』は、良い面も悪い面もあります。それが両立して存在しているものです。けれど、『境界』のもつ分断性が目立ってしまうんですよね。本当は『境界』は、分断するだけのものではない、ということを示すことができれば……と考えています。
ーそうだったんですね。では、橋場さんが作品を作る上で、内からこみ上げてくる「何かを表現したい」という思いは、どこからきているのでしょうか。
私の原点は、絵です。幼稚園から小学校の途中までアメリカに住んでいたのですが、その時にたくさんの習い事をしていました。なかでも、1番好きだと感じたことが、「絵をかくこと」だったのです。当時、あまりおしゃべりではなかった私ですが、絵はよくかいていました。
ー橋場さんにとっては「絵をかくこと」が、おしゃべりをすることのような存在になっていたんですね。
私にとっては「絵をかくこと」も、言語の一つだったのかもしれません。日本語と英語、そして絵も……自分を表現するツールだったのかな。
ーその話を聞いて、橋場さんのポートフォリオを思い出しました。油画の作品とともに紡がれる言葉が、とても丁寧ですよね。心のうちにあるものを表現するために、絵と言葉どちらも使っているんだなぁと感じました。
◼️自らの作品から新たなインプットを得て、また新たな『物語』のページをめくる
ー油絵の作品から、VRへ。そこにはどんな心境の変化があったんですか。
映像作品を作ること自体、初めてです。これまで描いてきた油絵作品では、自分の意識をインプットして、絵画としてアウトプットしていました。
映像作品の面白いところは、そこに『次元』が生まれるところです。この経験も、今後作っていく油絵作品のためのインプットになると感じました。近い将来、今回のインプットが新たな作品としてアウトプットされるといいなと思っています。
ー鑑賞前は、油絵とVRは形態が全く違うので、それぞれ分断されたものなのかなと思っていました。けれど橋場さんの中では、作品の形態による違いはなく、つながったものなんですね。橋場さんの中には、「こういう表現・形態でなければならない」という固定概念がないんだなあと感じました。
自分の作品を、自分の経験にしたかったんです。自分自身の経験が、別の形態の作品のインプットになるということを目指していました。油絵は二次元ですけど、バーチャルリアリティという違う次元を扱った経験から、新しい異次元が生まれるかもしれない。自分が描く油絵の中の架空の世界に、うまく影響しないかなと狙っていました。だからこそ、特に作品の形態には拘っていません。「絶対に、これだ!」というものはないんです。
ー自分の作品からのインプット、という考え方が興味深いです。自分が生み出した作品なのに、そこからもインプットがあるんですね。橋場さんは自身の経験を作品に活かすことが多いようですが、経験から制作までの間に時間は空いているんですか。
そうですね……経験したことから、作品に落とすまではちょっと時間が空いています。私は作品の内容を考えてから、作品の形態を考えるんです。それが油絵とは限らない。1番大事なことは、最適化。どういうメディアなら、自分の伝えたいことが最も正確に伝わるかを考えながら、作品にあった形態を考えています。この選択には、正解がありません。正解があったら、きっと辞めちゃいますね。正解がない世界だからこそ、続けたいと思う。油絵を描いて、インスタレーションを作って、また油絵を描いて……そういう制作する流れ=サイクルは、自分の中で正解を決めていないから、続くんです。
「次は絵画を描きたいな。でも、まずはこれをやり切らないと!VRは作り直す予定なんです。でも、髪型変えちゃった。」と笑う橋場さん。こうしてみると髪色が違うだけなのに、映像の中の黒髪の女性とは、別人に見えるから不思議だ。
◼️新しい形態の作品を作り続けたい
ー最後に、「これから先、こんな風に過ごしていきたい」という将来像があれば教えてください。
今は油絵を描いたり、VRと映像でインスタレーションを作ったりしているんですけど……私の制作の基本として、「新しいカタチを作りたい」という思いがあります。だからこの先も、新しい形態の作品を作っていきたいです。
ーこれから先、橋場さんが紡いでいく『物語』の続きが楽しみです!今日はありがとうございました。
■インタビューを終えて
VRを使ったインスタレーションということで、メカっぽい無機質な質感の作品を想像していた私たち……けれど、実際の作品はとても温度感のあるものだった。そこには、鑑賞後も思わず「どう感じた?」と誰かと話したくなる、余韻があった。その奥行きは、橋場さんの人がらや経験から生み出されるものなのだろう。(取材を終えた3人は、すっかり彼女の虜になっていた!)
橋場さんの作品は、東京藝術大学卒業修了作品展にて鑑賞できる。この先、橋場さんがどんな形のどんな『物語』を紡いでいくのか……今後の更なる活躍が楽しみだ。
取材:大沼隆明、設楽ゆき奈、大石麗奈(アートコミュニケータ「とびラー」)
執筆:大石麗奈
インタビュー前、自己と他者の境界について云々考えていたところで、橋場みらんさんの作品を拝見することとなり、セレンディピティを感じずにはいられませんでした。(大沼隆明)
作品そのものとその制作過程に、みらんさんの素敵な世界が広がっていました!最後にみらんさんから、話せて楽しかったと笑顔をいただきました。とびラーと藝大生の対話、素敵な時間でした!(設楽ゆき奈)
「とびらプロジェクトは、gift×giftな場!」と感じている、3年目とびラー。三年間での出会いや変化が、自分の視野も広げてくれました。藝大生インタビューもそんな素敵な場。これからの未来の可能性に、ワクワクしています。(大石麗奈)
2023.01.08
「1年間のふりかえり」
日時|2023年1月8日(日) 13:30〜16:00
会場|東京藝術大学 第3・4講義室
講師|小牟田悠介(東京藝術大学)
熊谷香寿美(東京都美術館)
最終回は、一年間をふりかえりました。それぞれのプログラム等に実際に参加したとびラーの生の声を聞き、
参加した人もしていない人も一緒に感想などをシェアすることで学びを深めました。
また、改めてICOMの定義に立ち戻り、とびらプロジェクトにおけるアクセス実践講座の意味・意義を考えました。
(とびらプロジェクト コーディネータ 工藤阿貴)
2022.12.25
お子さんとのお出かけ先の一つとして美術館はいかがですか?このプログラムの募集はそんな誘い文句からはじまります。
【こどもとおとなのはじめのいっぽ!美術館へようこそ♫】は、家族で一緒に安心して美術館を楽しむためのプログラムです。
とびラー(アート・コミュニケータ)と作品の楽しみ方などを体験して、じっくり鑑賞します。お子さんと美術館に行くのは、初めてという方にピッタリな内容になりました。
上野アーティストプロジェクト2022「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」と、コレクション展「源氏物語と江戸文化」は、源氏物語から着想したさまざまなアーティストの作品が集まった展覧会です。いろいろなアーティストの織りなす世界を味わい、美術館での楽しみ方を知り、とびラーと一緒に鑑賞体験をしました。
実施日がクリスマスということで、メンバーが折り紙でクリスマスツリーを作って温かな気持ちでお出迎えしました。
「はじめまして」の二組の家族が出会い、自己紹介とおしゃべりの準備体操。アートカードを使って、共通点探しゲームをしました。色や形、雰囲気が様々な作品の中から探して、どこが共通なのかおしゃべりします。
子どもたちの発言に思わず、「あー!」「へぇー!」と声が出てしまうほど。大人よりも柔軟な発想で展開されるゲームは、とても盛り上がりました。
次に、展覧会の作品のカードから自分の好きな作品を探します。
なぜ選んだのか、どんなところが好きなのかを紹介し合いました。
カードの作品を観察し、実物の作品がどんな風なのかと想像が膨らみます。展示室へ行くのがわくわくと楽しみになりました。
準備体操もバッチリ。いざ展示室へ
自分が選んだ作品やお友だちが選んだ作品。「これ、お母さんが良いって言ってたよね。」展示室で作品を見つけると、足早に作品へ足を運びます。
カードでみるよりもとても大きな作品やとても緻密に書かれた作品。本だと思った作品はガラスで出来ていました。先にカードでお気に入りの作品を選んでいたので、実物の作品をじっくり観察することができました。
そしてみんなで見ると自分では気づかなかった発見もあり、家族の会話も弾みました。
たくさんの作品を通して、家族の会話が増えていきます。
子どもと同じ目線で作品を観ると、大人には見えなかったものに気づかされ、自分の興味が湧かなかった作品でさえ、相手が選んだ作品だと自然と興味が湧いてきます。一人で見るよりも視野がどんどんと広がって面白い発見に出会うことができ、楽しい鑑賞体験となりました。
一時間ほど子どもたちも大人たちもじっくり集中して鑑賞しました。
そろそろとびラーともお別れです。その後はカフェで休憩したり、まだまだ見足りないともう一度家族で回ったりと、それぞれが思い思いの時間を過ごしていました。
アンケートによると、「絵の味わい方を知り、自分にない視点を得るなど、子どもと一緒に美術館を楽しみたい。」「子どもに色々なものに触れ、美術館を回るきっかけにしてほしい」と思っていらっしゃる保護者の方の期待があったようです。
感想は、とても満足という回答がほとんどでした。
とびラーが一緒に鑑賞したことで心強く、今日は子どもたちと話しながら回れて新しい見方ができたと感じた、導入のカードゲームで興味を持って観ることができたという感想もありました。
子どもからの感想には嬉しいコメントが多く、実施して良かったと思いました。
カードゲームで絵を見たけど、本当に見てみるといろいろな発見があった。実物は迫力がぜんぜん違って面白いと思いましたなどのじっくり観察したからこそ感じる体感があったようです。
子どもたちの感想から感じるのは、カードで見る作品よりも本物の作品の繊細さや素晴らしさに気づくことができたようでした。カードで観察した視点を実際の作品で見ることで大きな発見があったようです。わくわくしながら鑑賞している子どもたちを見ていると、こちらもご一緒できて嬉しくなりました。
作品を介して、子どもの豊かな発想に大人が関心を持ち、同じ視線でおしゃべりをする。お互いを認め合い共感し、豊かな楽しい時間を共有する。そんなアート鑑賞の時間は、とても豊かで穏やかな “こどもとおとなのはじめのいっぽ!”となるのではないでしょうか。
とびラボを立ち上げたとき、2022年6月に実施した、「ベビーとゆったり美術館」をもう一度開催してみようと思っていました。だけど、指とましたメンバーのほとんどが腰を据えて取り組める余暇がなかったのです。子育てのフェーズはその時その時の環境で変わっていきます。夫や子ども、家族、自分の体調など、その時その時の関わり方の濃淡があるのがママという役割なのかもなぁと思います。
そんな時に、とびラー三年目の私は、開扉(任期満了)まで数か月でした。最後の指とまなら自分の原点へ立ち戻り、あの時感じた自分の不安に寄り添えるプログラムを考えたいと思いました。
子どもと作品を介して対話することへの喜びをみなさんにも伝えたい。とびラーになったことで安心して小1の息子を連れて美術館へ来れるようになったこと。息子が作品に対して観察し発見し、それを共有する喜びを感じて育っていることを実感していたからかもしれません。
タイトルの“こどもとおとなのはじめのいっぽ!”には、このプログラムによって、美術館に安心して次また行ってみようと思ってもらえるように、初めて美術館を訪れる家族の不安を軽減し、安心や楽しさに変える場を作りたい、そしてはじめのいっぽ!を踏み出すきっかけづくりにしてほしいという思いが込められています。
とびラボが動き出し、仲間とミーティングにミーティングを重ね、コミュニケーションも楽しく、いざ実施へ向けてという時に私の家族に不幸がありコロナ禍もあり、私が全く動けなくなってしまいました。そんな中、メンバーの一人ひとりが自分にできることや自分がやりたいと思ったことを実行し、遂行して行ってくれたのです。
甘えかもしれませんが頼れる甘えられる仲間がそこにいてくれる安心感。とびらプロジェクトというコミュニティの凄さかもしれません。どうにも心身ともに動けなくなった私は、メンバーを信用し信頼して、お任せすることができました。
そんな仲間に支えられ、このプログラムを実施しました。
東京都美術館は私たち親子の大好きな場所の一つです。子どもと安心して楽しんで行ける美術館。みなさんもお出かけ先の一つとして、足を運んでみませんか。そこには温かく豊かな時間があるかもしれません。
新谷慶子:アート・コミュニケータ(とびラー9期)
“私らしく”全てのことに面白がって取り組むことを楽しみながら活動しています。
2022.12.24
2022年12月24日、「ミュージアムは好きだけど、もっと楽しみ方を知りたいなあ」という方におすすめのワークショップを開催しました。
クリスマスといえば、贈り物をおくったり、温かな気持ちになるシーズン…
アート・コミュニケータ「とびラー」として、参加した人がアートを介して温かな気持ちを感じられる場を作れないだろうか?
というコンセプトのもと、企画しました。
当日は、2つの展覧会*を舞台に…
・グループで作品をみて、気づいたこと・感じたことを語り合う
・とびラーと一緒に「本物との出会い」を楽しむ
ということを行いました。
鑑賞した展覧会:
・上野アーティストプロジェクト2022 「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」
■ワークショップが生まれるまで 〜どんな場になってほしいかを、考える〜
準備を始めたのは、10月末…
「クリスマスってあったかい気持ちになるよね〜。」
「プレゼント交換とか、いいよね。」
「美術館でクリスマスイブを過ごしませんか?っていう企画、どうかな。」
「いい!」
「美術館でもあったかい気持ちになれるって知って欲しいね。」
まず、コンセプトの核となる思いをすり合わせた私たち……
「どうしたら参加してくださる方々に美術館で過ごす温かい気持ちと時間を届けられるだろう?」「その想いを実現するためには、どうしたらいいだろう?」と、何度も何度もメンバーで話し合いを重ねました。
そこで最終的に決定したのが、「アートを介した対話をしながらの鑑賞」です。
これは、とびらプロジェクトが大切にしている、複数人で対話をすることで様々な視点を共有できる鑑賞法の一つです。アートを介した対話によってそれぞれの視点や思いを伝えあい、許容しあう。アートが参加者同士をつなぎ、温かな時間を生み出すことを期待して、これをワークショップのメインコンテンツとします。コロナ禍であり、展示室で実際の作品をみながら話すことはかないませんでしたが、モニターを使って鑑賞することとしました。
対話をしながらの鑑賞後は、「本物との出会い」の場を作ります。
実際の作品に出逢い、新たな発見をする時間にしたい!というのも、メンバーの一致した想いでした。ちなみに、当日鑑賞した展覧会2つは、いずれもテーマが「源氏物語」!当日がクリスマスイブということで、少し違和感があるかもしれません。
ですが、「源氏物語」はたくさんの『愛』が語られる作品。クリスマスの温かな雰囲気に合うのではないか?と考え、この展覧会での作品を参加者と鑑賞することに決定しました。
■プログラム構成を考える 〜想いを生かす設計とは?〜
コンセプトをかなえるために設計したプログラム構成は、このようなものです。
まずモニターで展覧会の作品を全員で対話しながら鑑賞します。じっくり見ることができるように、作品を2点選びました。
その後、各自で展覧会へ。本物の作品を鑑賞したのちに、また全員で集まり、感じたことを語り合います。
前半は作品をじっくり見るために対話する時間。後半は感じたことを伝えるための対話の時間。
「初めて会う人達が、スムーズに対話ができるような時間にするには、どうしたらいいだろうか?」と、さらに話し合いを続けます。
そこで生まれたのが、源氏物語に則った名札を用意するというアイディア!
美術館という日常から少し離れた空間で過ごすこの日は、普段の自分と少し離れる仕掛けがあることで、感じたことを口にしやすくなのでは?と考えたからです。そこで参加者もとびラーも「源氏物語」の世界に浸ってもらおうと、当日の呼び名を「源氏物語」の帖名(じょうめい)から取る事にしました。そして各帖名と対応する、源氏香(げんじこう)の図を配した名札を用意しました。
進行役や会場のセッティングも決まり、進行時間などを確認するためトライアルも行いました。
さあ、これで準備は整いました。
後は当日を参加者の皆さんと一緒に楽しむだけです。
■ワークショップの様子 〜アートでつながるミュージアム〜
ここからは、当日の様子をお伝えします。
受付開始。
とびラーはバンダナをつけてお出迎え。
続々と参加者の皆さんが集まってきます。
当日は10代から60代の8名の方が参加してくださいました。
プログラムが始まります。
今日の時間をどんなふうに過ごしていただくか、ご案内しています。
まずはみんなで対話をしながらモニターに投影した作品を鑑賞します。
こちらは1作品目。
歌川豊国(三代)作・《源氏四季ノ内 冬》という浮世絵の作品を鑑賞しました。隅々までよくみて、気づきや感じたことをシェアします。
じっくりと時間をかけて見ることで、作品の登場人物や場所など…様々な意見が出てきました。どんどん皆さんが作品に集中していくのがわかりました。他の人の意見を聞いて、新たな発見に気づくといったシーンもありました。
2作品目は、渡邊裕公作・《千年之恋~源氏物語~》。先ほどの作品とは打って変わって、現代の作家さんの作品です。
すると、ある方がこんなことを言いました。
「これ、やってみたいです!」
えっ?!
どういうことですか?と聞いてみたところ…
「この女性のように、作品を広げた上に横になってみたいです。自分の好きな絵の上に横になる……いいじゃないですか!」
おお〜!そういうことですか。
皆さんも思わず笑顔になります。
他にも作品の登場人物を静止画だと思っていたはず、なのに…。
タイムマシンに乗って時空を超えているのかも!という動きを感じる意見も飛び出します。
そんなふうに色々な発言を受けて、皆さんの姿勢がだんだんと前のめりになっていきます。
皆さんの意見は、後からふりかえることができるように、ホワイトボードに書き残していました。
みんなで鑑賞した後は、他の人の視点も胸に、
さあ!実際の展示室へ本物の作品と出逢いに行きます!!
ここからはひっそりと、作品と自分……一対一の時間を味わいました。
それぞれ気になる作品を鑑賞しています。
とびラーは時に寄り添い、参加者の「本物との出会い」の時間を温かく見守ります。
短い時間ではありますが、展示室での鑑賞を終え、もう一度みんなで、実際の作品をみて感じたこと、改めて発見したことなどを話しました。
「本物の作品」と出会った参加者の皆さんは、表情がさらにキラキラに!どんどん対話が盛り上がり、お互い興味深そうに他の参加者の話を聞いていました。
私たちとびラーも、参加者の皆さんの眼差しを分けてもらい、たくさんの目で鑑賞してきたような気持ちに!みんなでみると、ひとりでみるよりも、さらにたっぷりと作品の魅力を味わえるなあと、改めて感動してしまいました。
最後は参加者の皆さんと、とびラー全員で記念撮影!みなさん、いい笑顔ですね。
当日の名札は、ささやかなプレゼントとしてお渡ししました。
〜参加者アンケートより〜
●普段あまり見ることのない日本美術について、皆さんの意見を聞きながら楽しむことができた。
●源氏物語はあまり知らなかったが、調べてみようかと思いました。
●皆さんから多角的な気づきをシェアする時間が面白い。自分からはみない作品もじっくり見れた。
●初めて会った方達だけれども共通なところがあったのがおもしろかったです。
●思ったより個人感があった。
●自由に話しながら絵を見るのって楽しいな!と思いました。
●ニックネーム方式で話しやすくて良かったです。
●やっぱり対話が大事。対話があれば美術館はもっと面白くなることが実感できた。
●さらっと通り過ぎるのではなく、この絵はどういう感じなんだろう?と考える視点をもらった。
初めて会った方々が、同じ作品をみて対話をするプログラムーー
普通に生活していく中で、おそらくこのプログラムに参加しなければ出会うことのなかった人々が、対話を紡いでいける。
それはそこに「作品」があるからこそ。
まさに『アートでつながるミュージアム』を、私たちも体感できた幸せな時間となりました。
執筆者:梅川久惠(とびラー 10期)
とびラー2年目にしてやっと活動が本格化した気がします。残り1年となりましたが、もっと楽しみたい!という思いがむくむくと湧いています。
2022.12.11
家庭や仕事で忙しい社会人を対象に、日常を離れて美術館で「ミチクサ」する2日間のプログラム、『大人のミチクサビジュツカン』。2022年12月4日と11日、いずれも日曜日の午前中に開催しました。
東京都美術館で展示される作品を介して交流するステップ1、都美の中で「居心地よい場所、心地よいひととき」を見つけるステップ2。2日間の交流により参加者同士のゆるやかな仲間意識が生まれ、いつもと違う美術館の過ごし方や魅力をみつけていただけました。
なぜ2日間、なぜ「ミチクサ」?
ふだんどんなふうに美術館を利用しているか? 自ら忙しい社会人でもあるとびラー同士の、そんな話合いからこのプログラムはスタートしました。「以前はお目当ての展覧会に向かって直行直帰だったけど、とびラーになってからは都美建築の中に自分のお気に入りの場所をみつけられた」「作品の鑑賞を他の人と一緒に行うと自分とは違う視点に気づけて楽しい」などの体験が語られました。そして家庭や仕事での役割から離れて一人で静かに過ごす時間も、美術館で出会った人とアートをめぐって対話する時間も、両方貴重だという気づきを得られました。そこで2日間をかけてその両方を実現しよう!とメンバーの意思がかたまりました。
「大人のミチクサビジュツカン」というプログラム名には、展覧会への直行直帰だけではない美術館の過ごし方をみつけてほしいというメンバーの思いを込めました。忙しい日常から少し離れて、家庭や仕事で背負っている役割から脱して、自分に戻って自分らしく「ミチクサ」することを美術館で実現してみたい。そんなふうに考えました。
1日め:展示作品を介して交流
7名の参加者をアートスタディルームでお迎えした後、2グループに分かれて、各テーブルにとびラー2名が進行役としてつきました。まずは「今回呼んでほしいお名前」と「ふだん美術館でどのように過ごしているか」というテーマの自己紹介からスタートです。
次に、アートカードを使った「関係探しゲーム」でウォームアップ。このゲームは11枚のカードをよく見て2枚の間に何らかの関係をみつけてペアをつくるものです。色が同じ、形が似ている、ふわふわしていそうといった目に見えることでもよいし、この人疲れていそうだからこの心地よさそうな椅子に座らせてあげたいといった想像を勝手にふくらませてもOK。同じペアをつくった人の間に連帯感が生まれたり、同じペアでもみつけた関係性の違いになるほどと感心したり。独創的なペアをつくる人もいて、場は笑いに包まれながら、和んでいきました。
場が温まったところで展示室へ向かって出発。今回鑑賞する展覧会は、ギャラリーで行われた『上野アーティストプロジェクト2022「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」』(会期:2022年11月19日(土)~2023年1月6日(金))です。永遠の古典である源氏物語を題材にした、現代作家の絵画や書やガラスといった作品が展示されています。ここでは各々の参加者が「心に残る」作品をみつけるべく個人鑑賞にしたのですが、作品と向き合う皆さんの姿勢は真剣そのもの。50分という鑑賞時間は、あっという間に過ぎました。
そしてアートスタディルームに戻って、再びグループごとに自らの「心に残った」作品を図録や撮った写真で共有。美術の知識の交換ではなく、自分がみて受け取ったものや気がついたことを話すこと、他の人の発見を聞くこと、その楽しさは皆さんにとって新鮮な体験だったご様子。進行役のとびラーも、皆さんの気づきの深さに驚くとともに、とても楽しい時間を過ごしました。
2日め:「居心地よい場所、心地よいひととき」をみつける
前回から1週間後に、同じグループで再集合。各グループ2名の進行役とびラーは交代しましたが、参加者は既に顔なじみな雰囲気で、プログラムスタート前からおしゃべりが弾んでいます。2日めのテーマは、都美の中で「居心地よい場所、心地よいひととき」を見つけること。「心地よさ」感度を上げるために、普段の生活の中での「居心地よい場所、心地よいひととき」を各々語っていただき、それを付箋に書いて、見える化しました。人によって違う「心地よさ」のバリエーションに共感したり、そんなこともあるのかと感心したり、話が弾みました。
そして館内散策にグループごとに出発。アートラウンジでフィン・ユールのソファに座ってくつろいだり、エスプラナードで暖かい陽射しや少し冷たい風を感じたり、公募棟2階の休憩スペースから上野の森や美術館に出入りする人々を眺めたり。時々一人の時間も味わいながら、今まで知らなかった都美建築の魅力や自分にとっての「居心地よい場所、心地いいひととき」をみつけました。
最後はアートスタディルームに戻って、グループごとに各自の「居心地よい場所、心地いいひととき」をマップや撮った写真で共有。今までは美術展をみることが中心だったけど、それだけではない美術館の過ごし方や楽しみ方を、皆さん各々に満喫されていました。離れてしまうのが名残惜しいような気持ちで、2日間のプログラムは終了しました。
2日間を通して参加者が気づいてくれたこと
参加者のアンケートから、一部を抜粋してご紹介します。
〈1日め:展示作品を介して交流〉
〈2日め:「居心地よい場所、心地いい時間」をみつける〉
〈美術館の過ごし方で発見したこと〉
プログラムを通してとびラーが気づいたこと
1日めの自己紹介で、参加者の一人が「美術館では子ども向けプログラムは充実しているけど、大人向けが少ないと思っていたので、いい機会だと思って来ました」と、コメントされました。私たちメンバーが目指していたのも、まさに大人がほっとしたり何かを発見したりできる場所、日常生活から離れて「ミチクサ」できる時間、サードプレイス(家庭でも職場でもない第三の場所)的なゆるやかなつながりです。アンケート結果や途中のコメントからも、そんなニーズがあると認識しました。4月に立ち上げて12月に実施というとても長い企画準備プロセスでしたが、最後まで諦めずに実施してよかったです。その間応援してくれたとびラーやスタッフの皆さま、ありがとうございました。
参加メンバー:飯田倫子、小川恵奈、腰原好海、高崎いゆき、千葉裕輔、中村宗宏、橋本啓子、堀内裕子、森淳一、山中みどり、山本順子、吉水由美子
執筆:吉水由美子(アート・コミュニケータ「とびラー」)
9期とびラー。アートだけでなく、美術館という場所も好き。自分に戻れたり、思いがけない出会いや発見があったり。そんな楽しさをより多くの人に味わってもらいたいと思い、活動しています。