東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

活動紹介

「とびの人々」vol.6:「見る」「感じる」体験を糧に〜学芸員・大橋菜都子さん

2013.07.20

「とびの人々」第6回目は、学芸員の大橋菜都子さん。

昨年度より「アクセスプログラム」を受け持って頂き、また特別展ごとに開催される「障害のある方のための特別鑑賞会」の担当ということもあり、都美の中でもより近くでとびラーを見守ってくださっている方の一人です。
美術館の中で活動するとびラーですが、学芸員の皆さんの日頃の様子に触れる機会はなかなかありません。

 

今回大橋さんのもとへ取材に出かけたのは、とびラーの山本明日香さん。作品と人を繋げたいと考える大橋さんの一面をご覧頂ければ幸いです。

 

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「疲れて、食事を作るどころか、食べることすら面倒になることもあります」。
東京都美術館(以下、都美)の学芸員、大橋菜都子さんは今とても忙しい。世界一有名な美術館 のひとつ、フランスのルーヴル美術館の展覧会を 2 か月後に控え、カタログ作りの真最中だ。展覧会開催 が決まってからは、展示作品の検討、現地での調査、カタログ制作、広報宣伝活動、展示方法の検討、作品の到着、展示…と、ひとつクリアするとすぐに次の課題が迫ってくる。

最近では、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」で話題となったマウリッツハイス美術館展やエル・グレコ展 を担当した。名画を扱うというイメージから、華やかな印象があるけれど、その裏では苦労もあるのではない か。何か話を聞き出そうと水を向けるが、なぜか大橋さんの口からは愚痴は一切出てこない。バタバタと走っている姿すら想像できない、落ち着いた印象通り、クールに淡々と仕事をさばける人なのかもしれない。

 

 

 

 

 

「基本的に負けず嫌いなんです」と笑う。「正直きついなあと思う仕事でも、頼まれたら、 何とかいい形にしてお返ししようとします」

意外なことに、中学、高校の時は美術部ではな く、テニス部に所属していた。ポジションは前衛。「ノーバウンドで相手の嫌がるところにボールを返 すのが私の役目でした」。
なるほど、断る前に何とか応えられないか考える、『急ぎ』、『無理難題』という名のボールも確実に相手に打ち返す…その底力はテニスコートで育まれたのかもしれない。

 

そんなテニス少女がアートに出会ったのは、大学受験を控えたころ。東京・京橋にあるブリヂストン美術館で開かれていたルノワールの展覧会だった。

「フワフワとした幸せそうな感じで、こんな世界もあるのかと思いました。しかも、その世界は1枚1枚違うものでした。時代も地域も違うからこそ、当時、自分が悩んでいるような受験などの悩みは小さく感じられました」

 

 

 

 

大学では当初日本史を専攻するつもりだったが、3年生の時に学芸員過程が出来たのを機に、美術史 に変更、19 世紀後半のフランス近代絵画について学ぶ。卒業論文も修士論文も、テーマはルノワール。 「アートに興味を持ち始めていたタイミングでしたし、今の社会と関わる仕事をしたいと考えました。美術史に関わりながら、発信もできる仕事として学芸員を選びました」 その後、江戸東京博物館の学芸員として社会人のスタートを切った。


「学芸員がこんなに人前で話すこと、書くことが多い仕事だとは思っていませんでした」
江戸東京博物館は、来館者の年齢が比較的高い。その人たちを前に、20 代の自分が作品について語るということに緊張する日々が続いた。その一方で、学芸員だからこそ得られる喜びも感じている。
「作品が到着し、初めて梱包を解く時、その作品が目の前に現れる瞬間は、やはり感慨深いですね。海外の作品を日本で展示するにあたり、事前に現地の美術館で作品を確認するのが基本ですが、世界中から作品を集める場合には、それができないこともあります。リストでしか確認できなかった作品が目の前に現れた時、はるばる日本までよく来てくれたね、と…」
展覧会の企画をたてることは、マスコミやイベント会社で働くという選択をしても出来るかもしれない。しかし、 作品のそばにいられるのは、作品の居場所、美術館で働いているからこそ、なのだ。


作品だけではない。それを見に来る人の反応も、大橋さんに力を与えてくれる。都美では、障害を持つ人のための特別鑑賞会を実施している。関東だけでなく、全国からたくさんの申込が来るそうだ。
「来てもらえるだけで嬉しいのですが、美術館という非日常的な空間でゆったりと作品と味わう皆さんの様 子や、『このために久しぶりに外出しました』という声に接すると、鑑賞することが日常生活のアクセントにな ること、その人が感じた何かを心にとどめ、持ち帰ってくれていることを実感します。展覧会はすべての人の 生活に必要不可欠ではないだろうけれど、今の日本で生きている人に少しは何か残せたかな、と」。
7月のルーヴル美術館展では、これまでのルーヴル展にはなかった取り組みがある。 ルーヴル美術館には、古代エジプト美術、イスラム美術、彫刻、絵画、美術工芸品など8つの美術部門がある。約 37 万点という膨大な数の収蔵品は、その8部門のいずれかに属し、基本的には部門別に展 示される。このため、同時代のものであっても、彫刻と絵画のように部門が違う場合には、同じ部屋に展示されることはほぼない。それを今回は、部門の枠を取り払ってテーマごとに展示するという。8部門が「地 中海」というテーマに沿って選び抜いた作品を一緒に見ることができるそうだ。
「ひとつひとつの作品を見るというよりも、複数の作品をひとつのグループとしてとらえて見ることで初めて意味 を持つ作品構成です。本場フランスでも見ることができないルーヴル、です」。

なぜ人は美術館に行くのだろう。ひとりになりたい、暇つぶし、好きな人とのデート、お目当ての作品…理由はさまざまだ。美術館での数時間がその人の人生に劇的なインパクトを与えるとは言えないかもしれない。でも、自分の心や、毎日の生活にちょっとした変化をもたらすことは出来る。その小さな作用を感じ取ってもらいたい、鑑賞がその人にとって意味のある体験であってほしいと大橋さんは考えている。

「何百年、何千年という時間をかけて人々が大切にしてきたもの、偶然が重なって今まで残っているものを、私たちは展示のために、もともとあった場所から遠い日本まで運んで来ます。輸送・展示には破損などの危険も伴います。もちろん、そのような危険を最大限に取り払って実施していますが、それでも展示するのは、今日に伝わるまでのさまざまな背景をもった「本物」にしかないエネルギーがあると信じているからです。 今はインターネットや本で簡単に作品を見ることができる便利な時代になりましたが、やはり、画面上や紙の上の平面ではない、リアルな作品を見てもらいたい。もちろん、作品によっては自分が感動するどころか、落ち込むことだってあるかもしれません。でも、本物を見て心が動く、何かを感じる、その体験がその人の糧になることを願っています」

(2013/5/29)
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筆者:山本明日香(やまもとあすか)

美術館を観に行くところから関わる場所にしたくてとびらプロジェクトに参加。

「とびの人々」vol.5:アートとの出会いをより豊かに~三ツ木紀英さん

2013.07.03

これまで東京都美術館で働く人々を取材してきたこの「とびの人々」企画。今回はとびらプロジェクトのプログラムに深く携わる方を取り上げます。このブログでも日頃の講座の様子などをお伝えしていますが、その中でとびラーがどんな方と関わりながら学んでいるのかを知って頂ければと思います。

 

5回目の今回は三ツ木紀英さん。「鑑賞実践講座」の講師として昨年度より関わってくださっています。記事を担当してくださったのは、とびラーの山本明日香さんです。  (プロジェクトアシスタント 大谷)

 

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記憶にある最初の美術館体験は、たしか小学生の時に行った上野の国立博物館だ。何の展示だったかは忘れたが、沢山の人が行き来し、高い天井に話し声や足音が反響する独特の雰囲気に、わくわくしたことを覚えている。
 
「走らない、触らない、しゃべらない」は、美術館や博物館で先生や両親から口酸っぱく言われる3大ルールだ。これを破って、おしゃべり(対話)で作品を鑑賞するプログラムがある。Visual Thinking Strategies(以下、VTS)と呼ばれるこのプログラムは、ニューヨーク近代美術館の元教育部長フィリップ・ヤノウィンが中心となって開発したもので、世界各国の教育現場で実践され、成果が報告されている。ここ東京都美術館(以下、都美)では、子供を対象にした「対話による鑑賞プログラム」があり、都美で活動するアートコミュニケータ(以下、とびラー)が、VTSをベースとした鑑賞の進行役・ファシリテータを務めている。その鑑賞実践研修を担当するのが三ツ木紀英(みつきのりえ)さんだ。

VTSとは、具体的にどう鑑賞するのか。鑑賞と言うと、ひとりで静かに作品を観るイメージが強いが、VTSは大きく異なる。まず、ひとりではなく複数の人と一緒に作品を観る。そして、感じたことを具体的に言葉で表現する。しかも、作品の解説は一切ない。
数分間、静かに作品を観た後、たとえば作品が絵画なら、何が描かれているか、どう感じたか等、気がついたことを自由に発言し合う。VTSが〝対話による鑑賞“と呼ばれる理由だ。同じ人物像について「悲しそう」、「前向きな表情に見える」と相反する意見が出ることもあるが、どちらも否定されることはない。進行役であるファシリテータは、それぞれの発言を受け止め、作品のどこをみてそう思ったのか、発言者の視点を整理しながら鑑賞を進める。
「これはゴッホが1888年に描いた作品で、特徴は…」という解説があると安心して作品を観られるという人は少し戸惑うかもしれない。VTSでは、こうした知識を与えることよりも、鑑賞者自身が観て、感じて、作品について考えることに重きを置く鑑賞方法だ。


三ツ木さんは、大学で美術史を専攻し、学芸員の資格も取ったが、卒業後は一般企業に就職した。会社員の傍ら、時間をみつけてはアートプロジェクトに参加したり、現代アートのギャラリーを巡る。アートプロジェクトに関われば、その世界の仲間が増え、アートへの想いも更に強まった。数年後、会社を退職、イギリスへ飛んだ。
 
[三ツ木]  学生の時から、作品の研究より、アート作品と観る人の出会いや、観る人の心の中に起こることに興味がありました。
 
イギリスでは、アートとの出会いの場が沢山あった。中心地にある大きな美術館だけではない。地域ごとにアートセンターと呼ばれる小さな施設があり、そこでは地元作家の展覧会やパフォーマンス、映画が上演され、子供たちが参加できるワークショップも当たり前のようにあった。気軽に観られる作品、観に行く場所がすぐそこにある。「日本にも身近な場所にアートやアーティストと
出会える環境があればいいのに」という想いを強くした。
 
数年後、帰国した日本では、まだワークショップという言葉すら一般的には知られていなかった。「アートとの出会いの場が無いなら、自分で始めるか…」そう考え始めていた頃、美術関係者にある人を紹介される。自宅から自転車で5分の距離にある児童センターの館長だった。「うちでは、色々な活動をしているけど、現代アートっていうのはまだやったことがないから、何かやってみたい」。2000年、都内の児童センターで日本人の現代アートの作家の展覧会とワークショップが実現した。以来、美術館や児童館など様々な施設や街で展覧会やワークショップを手掛けながら、VTSのファシリテータの育成に積極的に取り組んでいる。

ある小学生とのVTSで、担任の先生から「発言者に偏りがあり、対話が活発でなかった」と言われたことがあった。思ったことを言葉で的確に表現することは簡単なことではない。どう言えばいいかわからない、間違っているかもしれない…。特に小学校高学年になると、周りの目を意識して発言をためらうようになる。しかし、届いた感想文には「みんなでたくさん話をして楽しかった」、「絵の中に入ってしまったような気持ちになった」、「今迄で一番意味のある図工の時間だと思う」という声があった。
 
[三ツ木] 傍目には、盛り上がらないVTSだったかもしれませんが、手を挙げない子供の目もキラキラしていました。発言が無い=何も感じていない、ではありません。心はちゃんと反応し、頭もフル回転していました。
 
ひとりで観ると、自分の感想だけしかない。複数の眼で観るVTSでは、自分が全く気付かないところに注目する人がいて、新たな気づきや発見がある。対話を重ね、作品について考え続けるうちに、もともと他人の意見だった見方が、次第に自分の見方の一部になってくる。まるで自分も最初からそう感じていたかのように。一緒に鑑賞した仲間との一体感も手伝って、作品をいつもよりも深く、じっくり味わうことが出来たと満足する子供が多い、と三ツ木さんは言う。
 
[三ツ木] 作品の見どころはここ、というある種の“答え”にたどり着くように大人が誘導しなくても、子供たちは自分で作品と向き合えます。

「複数の眼で観る楽しさを味わうなら、VTSでなくても、何人かで作品を観て意見交換すれば十分なのでは?」と思った人もいるかもしれない。VTSは何が違うのか。それは、ファシリテータの存在だ。
VTSでは、鑑賞者から発言が出るたびに、ファシリテータが「あなたは作品のこの部分に注目して、こう感じたのですね」と言い換えてから次の発言を促す。発言者本人の言葉だけでは、発言の意図がわかりづらい場合もあるからだ。この“視点の整理”を鑑賞者ではなく、ファシリテータが担うのがポイントだ。ファシリテータの言葉を共通言語として、視点を共有することにより、「今の発言はどういう意味なんだろう…」とモヤモヤすることなく、作品を観ること、考えることに集中できる。『そんな見方をするのか!』と驚いたり、『自分もそう思っていた!』とうなずきながら、自分の気持ちを表す言葉を探し続けられる。一方、ファシリテータがいない場合は、鑑賞者それぞれが発言の解釈をすることになる。そもそもの目的である「観る」ことに集中しづらいだけでなく、発言の趣旨を正しく理解しないまま、意見交換することにもつながりやすい。
三ツ木さんがVTSをする時は、「全身をアンテナにして、言葉だけでなく、表情、しぐさからも、その人の伝えたいことを感じ取ろうとする」そうだ。VTSという手法によって、鑑賞者から言葉を引出し、同時に、観て考えることに集中できる環境づくりも行うファシリテータ。果たす役割は大きい。

自分自身の鑑賞の仕方を振り返ると、この作品好きだな…と思っても、作品のどこを見て好きだと思ったのか、いちいち突き詰めずに、次の作品に目を移すことが多かった。特に好き嫌いも意識しないまま、作品名を確認するだけの場合もある。これに対してVTSは、その“何となく”の感覚をそのままにしない。敢えて言葉にする。これはとてもエネルギーが要る作業だ。実際にやってみて感じたのは、言葉にしようとすると、おのずと自分の心に目が向くということ。「あんな見方も、こんな見方もある。自分はどう感じる?」。対話による鑑賞は、他の人との意見交換だけではなく、自分の心と対話することでもあると感じた。「見どころは何?特徴はどこ?」に対する答えではなく、「この作品を観て何を感じた?何を考えた?」への答え。カタログに書かれた見どころを確認し、解説を読んで納得するのとは一味違う、より主体的な鑑賞だと思った。
 
[三ツ木] 何よりも感動するのは、自分の気持ちを言葉に出来た時の、子供の自信に満ちた表情です。VTSをやるたびに、人間は本当に考えること、感じることが好きな生き物なのだと思います。
 
間違いを恐れずに発言できること。その発言を受け止めてくれる人がいること。想いを言葉で伝えることの難しさ、その言葉を見つけた時の喜び。異なる意見を受け止めること、そして考え続けること。VTSには、アートの鑑賞だけではなく、私たちが社会で生きていくために大切な要素が含まれている。常に正解を問われる学校生活、短期間に成果を求められる大人社会。じっくり考える機会が減った今、大人にも子供 にも、意味のある体験だと思う。都美で活動する私達とびラーも、三ツ木さんや学芸員の元でVTSのファシリテータの練習中だ。より多くの人がVTSを体験することで、作品と出会う楽しさを知るだけではなく、日常生活での人との関わり方にも変化をもたらすきっかけになればと思う。そしていつか、VTSをやらなくても、ファシリテータがいなくても、ひとりで豊かに作品を味わうことが出来るようになれたら、嬉しい。
 
VTSの日の三ツ木さんはモノトーンの服が多い。その理由を尋ねると、「特に意識していなかった」と前置きしつつも、こんな言葉が返ってきた。
「空気みたいに存在感が無いファシリテータっていいな、と。その存在を意識せずに、参加者が作品と向き合えることが一番だと思っています」
 
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筆者:山本明日香(やまもとあすか)
美術館を観に行くところから関わる場所にしたくてとびラーに。VTSのファシリテータ練習中。

東京藝大生へインタビュー!

2013.01.25

「東京藝術大学卒業修了作品展」の開催に先駆けてとびらー候補生(以下:とびコー)のみなさんが藝大生のアトリエを訪問し卒業修了作品についてインタビューを行ないました。その様子が「インタビュー・ブログ」にまとめられています。アートコミュニケータの率直な視点で見たアーティストたちの素顔です。是非ご一読下さい。
(とびらプロジェクトマネージャ 伊藤達矢)

「とびの人々」vol.4:メットの故郷、兄弟のまなざし。 中原淳行さん

2012.12.27

とびらプロジェクト(以下「とびら」)スタッフの近藤美智子さんより一通のメールが届いた。<今度、都美の学芸員の中原さんのインタビューをプロジェクトルームでしてみませんか?>私はパソコンの前でふと一枚の絵画を連想した。ゴッホの《糸杉》である。中原さんは、メトロポリタン美術館展(以下「メット展」)を担当された学芸員さんである。先日BS日テレの『ぶらぶら美術・博物館』で、ネクタイスーツ姿で、おぎやはぎや山田五郎氏を案内している場面をご覧になった人もいるだろう。あるいは、11月の都美の講堂での講演会をお聞きになった人もいるかもしれない。

(ニューヨークでの研修生活を語る中原さん。毎週日本に向けてレポートを送り続けていたそうだ。)

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 さて、私と中原さんとの出会いは、とびらの研修プログラムにおける中原さんのメット展解説を、とびラーの仲間と一緒に拝聴したのがはじまりだった。中原さんの作品語りは、的確かつ冷静で、当意即妙なものだった。また、とびラーの仲間たちとメット展で“まなざし”を共有したことも、鑑賞に深みをあたえてくれた。
だから、私にとって、インタビューはメット展の鑑賞体験の“続編”に過ぎなかった。おそらく近藤さんのねらいもそこにあるのだろう。つまりインタビューには、お互いで“まなざし”を更に交し合おうという意図が含まれていた。言い換えると、中原さんを交えて、アート・コミュニケーションを図ろうという趣向があった。アート・コミュニケーションといっても、建前はインタビューで、表面は雑談のかたちをとる。

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 当日は、とびラーから玉井あやさん、松澤かおりさん、佐藤史さん、そして私(阪本)が出席し、とびらスタッフの近藤さんと大谷郁さんが同席した。テーブルの中央にはサンタのクッキーが置かれ、窓の外は午後4時を過ぎてはや暮れかかっていた。
玉井さん松澤さんは中原さんのインタビュー記事をつくると張り切り、佐藤さんは気ままにお話をきくだけと嘯いていた。私はここでもやはり、メット展の天井をぼんやり空想していた。病み上がりだったせいもあった。

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 去年の3月11日。中原さん、研修先のニューヨークから帰国へ向う飛行機のなかにいた。その刻限に大震災が起こった。インタビューは、中原さんの機内でのエピソードからしずかに語られた。

 どうやら日本で大地震が発生したとの連絡が入った。阪神大震災より規模が大きいらしい。緊急事態により機内での携帯電話の使用を許可する。もしかすると飛行機の着陸ができないかもしれない。

 まるで昨日のことのように話は鮮明だ。飛行機はなんとか成田ではなく中部国際空港に着陸した。私は現在メット展が開催されている事実に奇妙な安堵感をおぼえはじめていた。(その代わり、メット展作品の保険代は震災の影響下で高騰したそうだが・・・)

 

インタビューでは、学芸員志望の玉井さんが熱心に質問を繰り返し、松澤さんは美術教育の話題から現在の学校教育の惨状を述べた。
佐藤さんは小冊子『ライぶらり』を手土産に渡して、中原さんはそれをニコリとしながら眺めていた。雑談は続く。( 玉井さん[左]と松澤さん[右]はとびらの情報誌を作成中。
都美のトリビアを採集中。 )

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中原さんいわく。比較的、小さな美術館が好きである。自分にとってゴッホの評価はぶれず、アイドルはジャコメッティ。ニューヨークの美術館でみた、認知症の人のワークショップの作品は感動的だった。都美のアート・コミュニケーション事業の在り方は、これからの美術館を支えていく大きな主題(テーマ)のひとつである……。

 中原さんは頷きながらこんこんと語ってくれた。私も共感しながらうんうんと頷いていた。とりわけ私がもっとも印象ぶかくおもったのは、中原さんが学芸員となることを決意するまでのエピソードである。

 高校時代に新聞記者か歴史研究家になろうか漠然とおもっていたが、親の「それがあなたの本当にやりたいことなの?」の問いかけから、学芸員を本格的に嘱望するようになった。もっとも身近な人物からの声が未来の動機となったのだ。

 そこから中原さんの最初の“アート体験”に話がうつる。それは10歳離れた兄と過ごした時間だった。中原さんは少年時代、画学生の兄が絵を描くうしろ姿がとても好きだったそうだ。また、中原さんのお兄さんも、弟のまなざしを感じながら、絵を描くことを愉快に思っていたそうだ。なんと仕合わせな関係だろうか。ところがどっこい、この兄こそが中原さんにとっての初めての“アーティスト”だったのである。

 われわれは、展覧会で作品という対象物をみている。だが、そのじつはアーティストの肩ごしからその世界観を垣間みているのである。まるで弟が兄の肩ごしから絵をそっとながめているように。メット展で、中原さんは《糸杉》をみながら「晩年のゴッホの絵はすばらしい。私はゴッホの人生は幸せだったとおもう」と決然と語った。私はメット展に飾られたその一枚の絵から、中原さんの“まなざし”の秘密を知ったようにおもった。

(今年の10月に長女が誕生したという中原さん。
帰宅したら毎晩抱っこをしてあげているそうだ。)


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とびラー候補生:筆者:阪本裕一(さかもと ゆういち)

現在、台東区で育児に没頭しながらアート・コミュニケーター活動へ奔走する。とびらプロジェクトを街づくりの一環として認識。0歳と100歳のヒトが同等に遊べるようなミュージアム計画を野望している。趣味は相撲観戦。白鵬、日馬富士と同年齢。

「とびの人々」vol.3:店づくりは”まち”づくり~レストラン統括マネージャ 田中俊一さん~

2012.08.26

とびらプロジェクトマネージャ 伊藤達矢です。
東京都美術館(以下:都美)では、とても魅力的な人々がたくさん働いています。そこで、都美で働く人々の横顔を、このブログで時々紹介して行きたいと思います。「とびの人々」3回目は、都美にある3店舗のレストランをまとめる統括マネージャ 田中俊一さんです。そして「とびの人々」は、とびラー候補生(以下:とびコー)のインタビューによって進められます。今回の記事を執筆してくれたのは、とびコーの久保田有寿さんです。
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リニューアルした都美には、3つのカフェ・レストラン―1階カフェ「M cafe」、1階レストラン「IVORY」、2階レストラン「MUSEUM TERRACE」―があります。

今回は、3店舗の統括マネージャである田中俊一さんから貴重なお話を聞かせて頂きました。
(*表記は●→とびラー候補生、○→とびらプロジェクトマネージャ 伊藤。)

●まず、田中さんのご所属と、お仕事の内容を教えてください。
[田中]僕達は、株式会社zetton(ゼットン)という飲食店の企業から、今回都美のリニューアルに際して3店の飲食店を展開しています。僕は店長として主に「MUSEUM TERRACE」で働いています。同時に全3店舗の統括マネージャーを兼任しているので、他の2店舗の店長とやり取りをし、お客様の声を拾い上げて、様々な問題の改善に努めています。また、美術財団のパーティーやレセプションも請け負います。お客様からご相談を受けて、今までにないようなレセプションや場所の使い方を日々模索しています。

●田中さんは都美に来る以前から飲食のお仕事をなさっていたのですか?
[田中]そうですね。ぼくは学生を卒業してからずっと飲食で働いていて、もともと銀座・日本橋エリアを担当していました。zettonは六本木や渋谷など東京全域にお店がありますが、僕は足立区出身ということもあり、最近は地元から近い東エリアを担当しています。今回の都美での店舗展開のお話も、上野なら是非やりたいと自ら手を上げました。

●田中さんは、働く以前にも都美を訪れたことはありましたか?
[田中]いや、ないと思います。ただ、もともと学生の時に遊びに来る最初の街は上野だったので、上野公園にはよく遊びに来ていました。記憶にはありませんが、小さい時に課外授業などで都美に訪れていたと思います。今回のお話を頂いてから、都美のリニューアルのことも初めて知りました。お恥ずかしい話ですが(笑)。

●都美でレストランを営業して、オープンからすでに5ヶ月が経ちましたが、現段階でどのような印象をお持ちですか?
[田中] 一番強く感じたのは「もともと歴史がある」ということです。通常お店を出す時は、「ゼロから始まる」という感覚ですが、都美の場合は、長い間美術館があり、レストランや食堂などの飲食店も、またその長い歴史の中にありました。昔の都美を知り、今でも通っていらっしゃるお客様がすごく多いんですよ。なので、お客様とのコミュニケーションの中から「以前のレストランはこうだったよ」と歴史が垣間見えたり、「これを復活して欲しい」といった要望もあったりと、実際現場に立ってみて、都美でお店を「出させていただく」という意識をさらに強く感じています。都美の歴史の「新たな一ページ」として参加させていただいている、という感覚です。

 

(2階レストラン「MUSEUM TERRACE」)

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●zettonとしては、美術館というある種特殊な空間での飲食展開は初めてですか?
[田中]いえ、もともと公共施設の中に飲食店を展開する「パブリック・イノベーション」という事業があります。一昔前だと、立地が良く、色々な人が集まる素敵な場所であるにも関わらず、公共施設のレストランの料理のクオリティは正直高いとは言えませんでした。対して、僕達は街場のカフェやレストランで培ってきたノウハウを生かすことで、そうした場所のブランド力をあげ、訪れたお客様の思い出をグレード・アップさせることを目指しています。zettonはこうしたプロジェクトに5年ほど携わっているため、その実績から、今回の都美でのお話を頂けたのかと思っています。前例で言えば、僕は以前三井記念美術館のミュージアム・カフェで働いていました。

●美術館のレストランに来るお客様はどんな方が多いですか?
[田中]とても上品な方が多いです。上品な振る舞い方やおしゃれから、普段の生活の中でも、美術館に行くということがやはり特別な行為の一つである、というような印象を受けます。お客様の年齢層は比較的高く、僕の親くらいの年代かそれ以上の方が多いですね。そのようなお客様方が、美術鑑賞を終えてレストランへ来られる時、僕達が思う以上に、ハイセンスでスペシャルな空間や時間を求められているのだと感じます。
(1階カフェ「M cafe」)
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●鑑賞という目的の前後に訪れる方が多い都美のレストランと、お客様の目的がそのお店に行くことである通常のレストランとは時間軸が異なりますよね。お店の回転や料理の提供スピードなど、美術館のレストランならではの違いはありますか?
[田中]バランスが難しいですよね、お客様によってニーズが違うので。鑑賞前に来られる方はすぐに食事を済ませたい一方、鑑賞後にたまたまレストランに入った方はゆっくり過ごしたいでしょうし。そうしたニーズの違いを事前に考慮していたからこそ、都美では3つの飲食店を展開しています。お客様がシチュエーションによってカフェやレストランを選べ、また、次に来る楽しさにも繋がるので、これはとても良かったなと実感しています。色々な提案がある、というのが僕達の店の特徴です。
●展覧会に合わせた、今はマウリッツハイス展に関連したメニューを提案されていますが、そうしたコンセプトもお店で考えているのですか?
[田中]そうですね、やらないわけにはいかない、生まれるべくして生まれた、といった感じです。実際の作品を前にして安っぽいものは出せないですし、とはいえ金額が高くてとっつきにくいものも出せないので、またこれもバランスが難しいですね。今回はシェフがよく勉強してくれで、オランダという場所の郷土料理に結び付け、なかなか目にしたり口にしたりできない「オランダ料理」を紹介するという形が取れました。今回のコース料理は「IVORY」だけで提供していますが、それ以外の店舗でも、オランダ発のショコラや、オランダの紅茶専門店の紅茶を出したりもしています。

(1階レストラン「IVORY」)

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●「IVORY」のコースに対するお客様の反応はどうですか?
[田中]いいですね。コースの値段はランチでも3800円と比較的高いのですが、思った以上に選ばれています。「IVORY」は予約もできますし、味も雰囲気もトータルでゆっくり味わって頂ければと思っています。
●現時点で全体的なレストランの混雑具合はどうですか?
[田中]忙しいですね。嬉しい悲鳴ではありますが。席数には限りがあるので、どうしても待たせすぎてしまう形にはなってしまっています。通常の2倍3倍の数のお客様が並ぶ場合もあります。お昼の時間は待てる限界もあると思うので、できるだけ明確に待ち時間をお知らせするようにしています。ただ、周りに他のお店がないんですけどね…
○都美のお客様にはよかったら東京藝術大学(以下:藝大)の学食を使っていただいていいですよ(笑)。今回、お仕事以外にも、田中さん自身のことも少し知りたいと思っています。休日はどのように過ごされていますか?(笑)
[田中]僕ですか(笑)。ゆっくり起きて、外に行って100%外食しますね。飲食店で働く人間は、実は一番飲食店のことを知りません。OLの方がいいお店を知っていると思います。仕事について勉強するには、他のいいレストランで、料理、サービス、内装などを実際に見ないと、頑張っても引き出しが広がらないじゃないですか。けれど、どうしても365日開けているような商売ですし、自分が飲食で働いていると、基本的にそうした時間がありません。それがこの業界の良くないところですが。だから僕は、勉強、というか好きなので、仕事だと思わず、昼間から気になるお店によく行っていますね。

 

●好きな食べ物は何ですか。
[田中]納豆です(笑)。納豆が家の冷蔵庫にないと気分が悪いです。おかめ納豆じゃないとダメで、小粒が好きですが、たまに大粒に浮気したりもします(笑)。
僕はそんなにグルメではないんですよ。もともと食べることが好きというか、酒場の雰囲気が好きでした。お店があることで、スタッフやその店の雰囲気で自然と人が集まってきて、そこで新しいコミュニケーションや繋がりが生まれていきます。飲み屋の飲んだくれの絡みでも、例えばパリのカフェ文化でも同じことが言えて、そこには常に飲食店があります。zettonには「店づくりは”まち”づくり」という理念があるのですが、僕の考え方はそれにリンクしました。
○それはとびラーと非常に近いものがありますね!!いいお話が聞けて良かったです。実は都美を設計した建築家の前川國男はすごくグルメで、「美術館に来ておいしいご飯が食べられないのはありえない」と、一番正面の一番良い、目立つ場所にレストランを設計したそうです。今の話を聞くと、前川國男の考えていた「ミュージアムの中のレストラン」という建築的な理念と、田中さんの考えていることが非常にマッチしていると感じました!
[田中]それは知らなかったです!
○おいしいものを提供するだけではない、そうした考えが、働いている人の中に息づいているというのは素敵ですね。建物も重要だし、働いている人達の気持ちも重要だし、そうした二つのコンテクストがないと上手く体現できない中、その二つがちゃんと揃っているのは、なかなかない出会いだと思います。
●とびらプロジェクトとのコラボレーション企画として、今後、とびラーとカフェやレストランが連携して新しいプロジェクトを提案することに対してどう思われますか?
[田中]僕としては良いと思います。ただ、お客様にどのように伝わるかがポイントですね。レストランの自己満足にならず、ベクトルがお客様に向いていて、利用したお客様に評価してもらえることが大切です。お客様を選ばず、出来るだけ多くの方に価値を感じてもらえて、都美がいい場所だな!と、ダイレクトに伝わる企画なら良いと思います。また、レストランで働いている人のモチベーションや意識が上がればいいですね。オープンしたての今は、外までしっかりと目を向けられていませんが、お客様にとっては、僕達のレストランはzettonではなく、あくまで「都美の一部」でしょうから、そうした意味では、都美との一体感が取れる企画があれば。僕達のレストランが、都美におけるコミュニケーションのエンジンになるようならいつでも協力したいですね。
田中さんはとても気さくな方で、笑いも交えて楽しい時間となりました。また総括マネージャーとしての確固たるビジョンと情熱がひしひしと伝わるインタビューでした。伊藤さんが、1月の藝大の卒業修了制作展の機会に、とびラーと藝大の学生や教員が一緒になったミュージアム・レストランとの連携を提案されていました!さて、どうなることやら。他にもこれから、様々な形でミュージアム・レストランと関わっていけるといいですね。
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とびラー候補生:筆者:久保田有寿(くぼた あず)
美術史学を研究する大学院生。専門はピカソとモダン・アート。下町情緒とアートが交差する上野・谷根千エリアをこよなく愛し、生まれ育ったこの街を、今日も自転車で疾走中。趣味ダンス。Jazz, Soul, Funkの音楽がかかれば、体がビートを刻まずにはいられない。

「とびの人々」vol.2:すべてのお客様が何かと出会える場所に ~ミュージアムショップ店長 永田愛さん~

2012.08.03

とびらプロジェクトマネージャ 伊藤達矢です。
東京都美術館(以下:都美)では、とても魅力的な人々がたくさん働いています。そこで、都美で働く人々の横顔を、このブログで時々紹介して行きたいと思います。「とびの人々」2回目は、ミュージアムショップ店長の永田愛さんです。そして「とびの人々」は、とびラー候補生(以下:とびコー)のインタビューによって進められます。今回の記事をまとめてくれたのは、とびコーさんの山本明日香さんです。
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「マウリッツハイス美術館展」の来場者は既に40 万人を越え、猛暑の中、入場待ちの都美の敷地外まで伸びる日もある。クーラーの効いたロビーに入ると、まず目に入るのが、明るい光が差し込むミュージアムショップ。ここでも、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」のポストカードを手にした人の列が出来ていた。定番のポストカードはもちろん、アクセサリーや、江戸切子を始めとする日本の伝統工芸品、上野の街にちなんだグッズまで、目移りしてしまう。
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都美のリニューアルオープン以来最も忙しい時期を迎えたミュージアムショップを率いるのは、店長の永田愛さん。永田さんは、ショップを単純に「買ってもらう場所」ではなく、「いるだけで楽しい場所」にしたいと話す。
[永田]「お客様が欲しいものは何だろう」。スタッフと一生懸命考えて商品を選びます。ただ、「欲しいだろうな」と予想出来るものだけでは、平凡なラインナップになってしまう。たとえ売れなくても「都美のショップにこんなものが売っていたよ!」と誰かに伝えたくなるような、「魅せる」、「楽しませる」品物も意識して選ぶようにしています。
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永田さんは京都の美大で染色を学び、自身も作品を制作していたが、たまたま人に頼まれて販売の手伝いをした時、「品物を仕入れて販売する」という仕事に大きな充実感を得る。故郷の熊本の現代美術館のミュージアムショップから販売の仕事をスタートし、住まいを東京に移してからも、ここ都美で店頭に立つ。地方の美術館と都美では何か違いはあるのだろうか。
[永田]この美術館は、特別展だけではなく、ほぼ1週間単位で公募展が開催されるという他にはない特徴があります。このため、来場者の数が本当に多く、年齢層もとても幅広いと感じます。書道の公募展がある時期は、書道関連の品物を、絵画作品が多い時期は、絵画関連の書籍を増やすなどの工夫もしています。
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常設の作品が無く、週単位で展示内容が変わる美術館。売る側からすれば、さぞかし販売戦略を練りづらいだろうと想像するが、永田さんは「それもお店の個性」と考えている。
[永田]もちろん、中心は年齢層の高いお客様ですが、その方だけに受ける品物にはしません。逆に、都美のリニューアルを機に、若い人だけが手に取る品物を並べたら、以前から通ってくださっているお客様が楽しめません。特定の人だけではなく、都美に来るすべてのお客様が、ひとつでも「おもしろい!」と思えるモノと出会えるよう、幅広い品揃えを心がけています。お客様にはお店で「自分には関係ないモノばかり」と“疎外感”を感じてもらいたくないのです。
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改装後の店舗には新しい試みの場所も作った。都美のある上野にちなんだオリジナル上野グッズの販売や、特別展に関連した書籍を集めて「ライブラリー」として紹介するなど、期間限定のイベントスペースだ。
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[永田]小さい規模でもワークショップなど、お客様が参加できるイベントもやってみたいです。学芸員や、とびラーのおすすめ商品なども紹介できたら楽しいですね。
疎外感なく、アートを身近に感じてもらうために何を提供するか。発信するか。販売という方法は持っていないものの、私達ととびコーも永田さんと同じテーマで春から活動を始めた。「自分達スタッフだけではなく、美術館に関わるさまざまな人たちと一緒にアートの魅力を発信してゆきたい」という永田さん。これからのとびコーの活動の力強いパートナーになってくれるはずだ。
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とびラー候補生:筆者:山本明日香(やまもと あすか)
千駄木で夫と2人暮らし。15 年勤めた民放テレビ局を数年前に退職。会社の仕事にかまけて出来なかったことに少しずつ挑戦中。美術以外で気になるテーマは、うつわ、テキスタイル、リフォーム、ニュージーランド、そして食。食べて鍛える「舌の筋トレ」歴10 年。
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「とびの人々」vol.1:アートの書物を届けるひと(美術情報室:重住優さんと、奥田真弓さん)

2012.08.01

とびらプロジェクトマネージャ 伊藤達矢です。
東京都美術館(以下;都美)では、とても魅力的な人々がたくさん働いています。そこで、都美で働く人々の横顔を、このブログで時々紹介して行きたいと思います。「とびの人々」第一弾は、美術情報室で働く、重住優さん(美術情報室チーフ)と、奥田真弓さん(美術情報室サブ・チーフ)です。そして「とびの人々」は、とびラー候補生(以下:とびコー)のインタビューによって進められます。今回の記事をまとめてくれたのは、とびコーさんの阪本裕一さんです。

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<美術情報室>

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都美1階アートラウンジ。佐藤慶太郎の銅像を横目に自動ドアを抜けて、奥の廊下へと進んで行くと、書斎のような小部屋があります。ここは<美術情報室>と呼ばれ、開架図書4500冊・閉架図書35000冊、アーカイブ資料1200点を含めれば、約40000点の資料を保管している都美の“情報センター”です。美術情報室の運営は、図書館流通センター(以下:TRC)が担っており、世界の美術をフィーチャーした書棚の立ち並びがわれわれの目を惹きつけます。
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今回は美術情報室で働く重住優さんと奥田真弓さんのお二人の女性にお話を伺うことができました。
インタビューの場所はとびらプロジェクトの拠点、都美交流棟2階の<プロジェクトルーム>。部屋のホワイトボードはイラストと文字でびっしりと埋まり、黒い壁面はメッセージ入りのカラフルな付箋が貼られ、ひろい窓からは上野の森の緑風が吹く、アイディア溢れる一室です。インタビュアーはとびラー候補生の山本明日香と阪本裕一。そしてとびらプロジェクト・マネージャの伊藤達矢さんとコーディネータの近藤美智子さんを交え、和やかな雰囲気で会話ははじまりました。
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< 写真:重住優さん(美術情報室チーフ) >
──まず、重住さん、奥田さんのお二人が都美の美術情報室で働くきっかけは何だったのですか?
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[重住]TRCは公共の図書館を多く運営していますが、都内の美術館の図書室を運営するのは、ここの都美がじつは初めてなんですね。それで、社内でここの情報室で働く人員募集がありまして。私は3年間新宿の早稲田の公共図書館で勤めていたのですが、美術に興味があったので、「是非!」という志望を出したのがスタートでした。いま、ここの美術情報室は私をふくめて6人のスタッフがいますが、みんな自分から都美の仕事を嘱望してやってきています。
[奥田]はい。私の場合も、もともと専門的な仕事をしたいということを常々社内で相談していたところ、「都美どう?」と声をかけてもらったのがきっかけでした。
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──みなさん自ら望んでこちらへ働きに来られているのですね!ところで、美術情報室は公共図書館とは違った機能をもっていると思いますが、実際働いてみてどんな感想をもっていますか?
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[重住]美術情報室は扱っている対象が美術だということが大きな特徴です。当然、専門知識の勉強や他のミュージアムの情報を学習したり、新たにやるべきことが山程ありました。新しいことを憶えるのは大変ですが、今はやり甲斐を感じています。
[奥田]図書室の機能としては閲覧のみというのが大きな違いですね。公共図書館の場合は予約・貸出・返却の流れがあり、それに延滞というのが普通に加わりますから(笑)
[重住]そういえば、ご年配のお客さまが多いことには正直驚きました。ですから、今までの公共図書館よりも丁寧な対応を心がけていますね。例えば、都美の建物はちょっと複雑なので、一緒にその場所までお連れする場合もありますよ。
[奥田]館内でお客さまをお連れする機会はけっこう多いですね。
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──なるほど。じつはとびラーも美術館と来館者のみなさまをつなぐ存在でありたいという方針をもっています。そのあたりで、マネージャの伊藤さんからは何かご質問はありますか?
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[伊藤]都美には《“コレクション”より“コネクション”》というフレーズがありますね。“コレクション”は都美の収蔵作品数が少ないという現実、一方で“コネクション”は人と人とのつながりから都美で何かを創発させようという美術館の姿勢を、それぞれ意味しています。“コネクション”の考えは、おそらく在来の美術館のもつそれとは異なるものだとおもいます。で、とびラーはその“コネクション”の役割の一端を担っているわけですが、われわれとびらプロジェクトと美術情報室のみなさんで何か“連携”できそうなことはありますか?
[重住]個人的に思いついたことですが、都美のわかりやすいマップなどを作成してくれたら嬉しいかなとおもいます。
[奥田]マップは是非ほしいですね。
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プロジェクトルームの四角いテーブル。「じつはいまとびラー候補生でこんなものを作っているんです」と近藤さんが一枚の紙を二人に差し出しました。それは、現在作成中の“とびラー目線”による都美のマップでした。重住さんと奥田さんは感嘆して、作成途中のマップをじっくり見たあと、さらに熱心に美術情報室の展望を語ってくれました。
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──美術情報室は来館者にどんな“利用”をされていってほしいですか?
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[重住]私たちは美術の情報を発信していきたいとおもっています。いま、私たちが力をいれているのは閉架図書35000冊
をお客さまに閲覧していただけるよう『目録』をつくっていることです。『目録』は情報室に置くようにしています。そしてお客さまが『目録』から閲覧したい本をお届けできるような仕組みを整えているところです。
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──『目録』づくりは大変そうな作業ですね。しかし、利用冊数が増えるということは、図書室としての機能は拡大しつつありますね。
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[奥田]そうですね。またアーカイブ資料(館資料など)の利用拡大にも着手しています。今後、美術情報室が図書室の領域を越えていければとおもっています。
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──美術情報室が“情報交換の場”となるといいですね。さて、お二人にとって、とびラーのイメージ、またこれからのとびラーに期待していることがあれば教えてください。
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[重住]とびラーさんは都美と一般の来館者とをつなぐ大切な役目を担う人なんだろうとおもいます。ところで、プロジェクトはすごく盛り上がっていますよね。
[奥田]今までのボランティアとはちょっと違う動きをされているなぁと感じます。
[重住]たとえば“とびラー通信”のような冊子を発行してくれたらぜひ読んでみたいですね。たまに「私もとびラーになりたいのですが・・・」というお客さまがいらっしゃったり、館内の職員でとびらプロジェクトのブログが話題に上ることもありますよ。

 

 <写真:奥田真弓さん(美術情報室サブ・チーフ) >
^^
重住さんは、学生時分、翻訳の研究に明け暮れ、スランプに陥ったとき駆け込む場所が大学の図書館だったそうです。一方、奥田さんは本のかたちや質感や重さに愛着を持ち続けてきたそうです。そんな書物と縁(ゆかり)のあるお二人に最後の質問として『とびラーにおすすめしたい本は?』とリクエストを出しました。後日、ある一冊の本の紹介がプロジェクトルームに届けられました。
『立体で見る/美術がわかる本』ロン・ファン・デル・メール&フランク・ウィットフォード著(福音館書店)という仕掛けブックです。手に取ってみると、まさに《アートのとびら》を体現するかのような書物でした。この本のように、とびラーも、“コネクション”の力で、美術館の領域を飛び出してアートの価値を届けられるとよいですね。

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とびラー候補生:筆者:阪本裕一(さかもと ゆういち)

現在、台東区で育児に没頭しながらアート・コミュニケーター活動へ奔走する。とびらプロジェクトを街づくりの一環として認識。0歳と100歳のヒトが同等に遊べるようなミュージアム計画を野望している。趣味は相撲観戦。白鵬、日馬富士と同級生。

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