2013.07.20
「とびの人々」第6回目は、学芸員の大橋菜都子さん。
「疲れて、食事を作るどころか、食べることすら面倒になることもあります」。
東京都美術館(以下、都美)の学芸員、大橋菜都子さんは今とても忙しい。世界一有名な美術館 のひとつ、フランスのルーヴル美術館の展覧会を 2 か月後に控え、カタログ作りの真最中だ。展覧会開催 が決まってからは、展示作品の検討、現地での調査、カタログ制作、広報宣伝活動、展示方法の検討、作品の到着、展示…と、ひとつクリアするとすぐに次の課題が迫ってくる。
最近では、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」で話題となったマウリッツハイス美術館展やエル・グレコ展 を担当した。名画を扱うというイメージから、華やかな印象があるけれど、その裏では苦労もあるのではない か。何か話を聞き出そうと水を向けるが、なぜか大橋さんの口からは愚痴は一切出てこない。バタバタと走っている姿すら想像できない、落ち着いた印象通り、クールに淡々と仕事をさばける人なのかもしれない。
「基本的に負けず嫌いなんです」と笑う。「正直きついなあと思う仕事でも、頼まれたら、 何とかいい形にしてお返ししようとします」
意外なことに、中学、高校の時は美術部ではな く、テニス部に所属していた。ポジションは前衛。「ノーバウンドで相手の嫌がるところにボールを返 すのが私の役目でした」。
なるほど、断る前に何とか応えられないか考える、『急ぎ』、『無理難題』という名のボールも確実に相手に打ち返す…その底力はテニスコートで育まれたのかもしれない。
そんなテニス少女がアートに出会ったのは、大学受験を控えたころ。東京・京橋にあるブリヂストン美術館で開かれていたルノワールの展覧会だった。
「フワフワとした幸せそうな感じで、こんな世界もあるのかと思いました。しかも、その世界は1枚1枚違うものでした。時代も地域も違うからこそ、当時、自分が悩んでいるような受験などの悩みは小さく感じられました」

大学では当初日本史を専攻するつもりだったが、3年生の時に学芸員過程が出来たのを機に、美術史 に変更、19 世紀後半のフランス近代絵画について学ぶ。卒業論文も修士論文も、テーマはルノワール。 「アートに興味を持ち始めていたタイミングでしたし、今の社会と関わる仕事をしたいと考えました。美術史に関わりながら、発信もできる仕事として学芸員を選びました」 その後、江戸東京博物館の学芸員として社会人のスタートを切った。
「学芸員がこんなに人前で話すこと、書くことが多い仕事だとは思っていませんでした」
江戸東京博物館は、来館者の年齢が比較的高い。その人たちを前に、20 代の自分が作品について語るということに緊張する日々が続いた。その一方で、学芸員だからこそ得られる喜びも感じている。
「作品が到着し、初めて梱包を解く時、その作品が目の前に現れる瞬間は、やはり感慨深いですね。海外の作品を日本で展示するにあたり、事前に現地の美術館で作品を確認するのが基本ですが、世界中から作品を集める場合には、それができないこともあります。リストでしか確認できなかった作品が目の前に現れた時、はるばる日本までよく来てくれたね、と…」
展覧会の企画をたてることは、マスコミやイベント会社で働くという選択をしても出来るかもしれない。しかし、 作品のそばにいられるのは、作品の居場所、美術館で働いているからこそ、なのだ。
作品だけではない。それを見に来る人の反応も、大橋さんに力を与えてくれる。都美では、障害を持つ人のための特別鑑賞会を実施している。関東だけでなく、全国からたくさんの申込が来るそうだ。
「来てもらえるだけで嬉しいのですが、美術館という非日常的な空間でゆったりと作品と味わう皆さんの様 子や、『このために久しぶりに外出しました』という声に接すると、鑑賞することが日常生活のアクセントにな ること、その人が感じた何かを心にとどめ、持ち帰ってくれていることを実感します。展覧会はすべての人の 生活に必要不可欠ではないだろうけれど、今の日本で生きている人に少しは何か残せたかな、と」。
7月のルーヴル美術館展では、これまでのルーヴル展にはなかった取り組みがある。 ルーヴル美術館には、古代エジプト美術、イスラム美術、彫刻、絵画、美術工芸品など8つの美術部門がある。約 37 万点という膨大な数の収蔵品は、その8部門のいずれかに属し、基本的には部門別に展 示される。このため、同時代のものであっても、彫刻と絵画のように部門が違う場合には、同じ部屋に展示されることはほぼない。それを今回は、部門の枠を取り払ってテーマごとに展示するという。8部門が「地 中海」というテーマに沿って選び抜いた作品を一緒に見ることができるそうだ。
「ひとつひとつの作品を見るというよりも、複数の作品をひとつのグループとしてとらえて見ることで初めて意味 を持つ作品構成です。本場フランスでも見ることができないルーヴル、です」。
なぜ人は美術館に行くのだろう。ひとりになりたい、暇つぶし、好きな人とのデート、お目当ての作品…理由はさまざまだ。美術館での数時間がその人の人生に劇的なインパクトを与えるとは言えないかもしれない。でも、自分の心や、毎日の生活にちょっとした変化をもたらすことは出来る。その小さな作用を感じ取ってもらいたい、鑑賞がその人にとって意味のある体験であってほしいと大橋さんは考えている。
「何百年、何千年という時間をかけて人々が大切にしてきたもの、偶然が重なって今まで残っているものを、私たちは展示のために、もともとあった場所から遠い日本まで運んで来ます。輸送・展示には破損などの危険も伴います。もちろん、そのような危険を最大限に取り払って実施していますが、それでも展示するのは、今日に伝わるまでのさまざまな背景をもった「本物」にしかないエネルギーがあると信じているからです。 今はインターネットや本で簡単に作品を見ることができる便利な時代になりましたが、やはり、画面上や紙の上の平面ではない、リアルな作品を見てもらいたい。もちろん、作品によっては自分が感動するどころか、落ち込むことだってあるかもしれません。でも、本物を見て心が動く、何かを感じる、その体験がその人の糧になることを願っています」
2013.07.03
これまで東京都美術館で働く人々を取材してきたこの「とびの人々」企画。今回はとびらプロジェクトのプログラムに深く携わる方を取り上げます。このブログでも日頃の講座の様子などをお伝えしていますが、その中でとびラーがどんな方と関わりながら学んでいるのかを知って頂ければと思います。
5回目の今回は三ツ木紀英さん。「鑑賞実践講座」の講師として昨年度より関わってくださっています。記事を担当してくださったのは、とびラーの山本明日香さんです。 (プロジェクトアシスタント 大谷)
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記憶にある最初の美術館体験は、たしか小学生の時に行った上野の国立博物館だ。何の展示だったかは忘れたが、沢山の人が行き来し、高い天井に話し声や足音が反響する独特の雰囲気に、わくわくしたことを覚えている。
「走らない、触らない、しゃべらない」は、美術館や博物館で先生や両親から口酸っぱく言われる3大ルールだ。これを破って、おしゃべり(対話)で作品を鑑賞するプログラムがある。Visual Thinking Strategies(以下、VTS)と呼ばれるこのプログラムは、ニューヨーク近代美術館の元教育部長フィリップ・ヤノウィンが中心となって開発したもので、世界各国の教育現場で実践され、成果が報告されている。ここ東京都美術館(以下、都美)では、子供を対象にした「対話による鑑賞プログラム」があり、都美で活動するアートコミュニケータ(以下、とびラー)が、VTSをベースとした鑑賞の進行役・ファシリテータを務めている。その鑑賞実践研修を担当するのが三ツ木紀英(みつきのりえ)さんだ。
VTSとは、具体的にどう鑑賞するのか。鑑賞と言うと、ひとりで静かに作品を観るイメージが強いが、VTSは大きく異なる。まず、ひとりではなく複数の人と一緒に作品を観る。そして、感じたことを具体的に言葉で表現する。しかも、作品の解説は一切ない。
数分間、静かに作品を観た後、たとえば作品が絵画なら、何が描かれているか、どう感じたか等、気がついたことを自由に発言し合う。VTSが〝対話による鑑賞“と呼ばれる理由だ。同じ人物像について「悲しそう」、「前向きな表情に見える」と相反する意見が出ることもあるが、どちらも否定されることはない。進行役であるファシリテータは、それぞれの発言を受け止め、作品のどこをみてそう思ったのか、発言者の視点を整理しながら鑑賞を進める。
「これはゴッホが1888年に描いた作品で、特徴は…」という解説があると安心して作品を観られるという人は少し戸惑うかもしれない。VTSでは、こうした知識を与えることよりも、鑑賞者自身が観て、感じて、作品について考えることに重きを置く鑑賞方法だ。
三ツ木さんは、大学で美術史を専攻し、学芸員の資格も取ったが、卒業後は一般企業に就職した。会社員の傍ら、時間をみつけてはアートプロジェクトに参加したり、現代アートのギャラリーを巡る。アートプロジェクトに関われば、その世界の仲間が増え、アートへの想いも更に強まった。数年後、会社を退職、イギリスへ飛んだ。
[三ツ木] 学生の時から、作品の研究より、アート作品と観る人の出会いや、観る人の心の中に起こることに興味がありました。
イギリスでは、アートとの出会いの場が沢山あった。中心地にある大きな美術館だけではない。地域ごとにアートセンターと呼ばれる小さな施設があり、そこでは地元作家の展覧会やパフォーマンス、映画が上演され、子供たちが参加できるワークショップも当たり前のようにあった。気軽に観られる作品、観に行く場所がすぐそこにある。「日本にも身近な場所にアートやアーティストと
出会える環境があればいいのに」という想いを強くした。
数年後、帰国した日本では、まだワークショップという言葉すら一般的には知られていなかった。「アートとの出会いの場が無いなら、自分で始めるか…」そう考え始めていた頃、美術関係者にある人を紹介される。自宅から自転車で5分の距離にある児童センターの館長だった。「うちでは、色々な活動をしているけど、現代アートっていうのはまだやったことがないから、何かやってみたい」。2000年、都内の児童センターで日本人の現代アートの作家の展覧会とワークショップが実現した。以来、美術館や児童館など様々な施設や街で展覧会やワークショップを手掛けながら、VTSのファシリテータの育成に積極的に取り組んでいる。
ある小学生とのVTSで、担任の先生から「発言者に偏りがあり、対話が活発でなかった」と言われたことがあった。思ったことを言葉で的確に表現することは簡単なことではない。どう言えばいいかわからない、間違っているかもしれない…。特に小学校高学年になると、周りの目を意識して発言をためらうようになる。しかし、届いた感想文には「みんなでたくさん話をして楽しかった」、「絵の中に入ってしまったような気持ちになった」、「今迄で一番意味のある図工の時間だと思う」という声があった。
[三ツ木] 傍目には、盛り上がらないVTSだったかもしれませんが、手を挙げない子供の目もキラキラしていました。発言が無い=何も感じていない、ではありません。心はちゃんと反応し、頭もフル回転していました。
ひとりで観ると、自分の感想だけしかない。複数の眼で観るVTSでは、自分が全く気付かないところに注目する人がいて、新たな気づきや発見がある。対話を重ね、作品について考え続けるうちに、もともと他人の意見だった見方が、次第に自分の見方の一部になってくる。まるで自分も最初からそう感じていたかのように。一緒に鑑賞した仲間との一体感も手伝って、作品をいつもよりも深く、じっくり味わうことが出来たと満足する子供が多い、と三ツ木さんは言う。
[三ツ木] 作品の見どころはここ、というある種の“答え”にたどり着くように大人が誘導しなくても、子供たちは自分で作品と向き合えます。
「複数の眼で観る楽しさを味わうなら、VTSでなくても、何人かで作品を観て意見交換すれば十分なのでは?」と思った人もいるかもしれない。VTSは何が違うのか。それは、ファシリテータの存在だ。
VTSでは、鑑賞者から発言が出るたびに、ファシリテータが「あなたは作品のこの部分に注目して、こう感じたのですね」と言い換えてから次の発言を促す。発言者本人の言葉だけでは、発言の意図がわかりづらい場合もあるからだ。この“視点の整理”を鑑賞者ではなく、ファシリテータが担うのがポイントだ。ファシリテータの言葉を共通言語として、視点を共有することにより、「今の発言はどういう意味なんだろう…」とモヤモヤすることなく、作品を観ること、考えることに集中できる。『そんな見方をするのか!』と驚いたり、『自分もそう思っていた!』とうなずきながら、自分の気持ちを表す言葉を探し続けられる。一方、ファシリテータがいない場合は、鑑賞者それぞれが発言の解釈をすることになる。そもそもの目的である「観る」ことに集中しづらいだけでなく、発言の趣旨を正しく理解しないまま、意見交換することにもつながりやすい。
三ツ木さんがVTSをする時は、「全身をアンテナにして、言葉だけでなく、表情、しぐさからも、その人の伝えたいことを感じ取ろうとする」そうだ。VTSという手法によって、鑑賞者から言葉を引出し、同時に、観て考えることに集中できる環境づくりも行うファシリテータ。果たす役割は大きい。
自分自身の鑑賞の仕方を振り返ると、この作品好きだな…と思っても、作品のどこを見て好きだと思ったのか、いちいち突き詰めずに、次の作品に目を移すことが多かった。特に好き嫌いも意識しないまま、作品名を確認するだけの場合もある。これに対してVTSは、その“何となく”の感覚をそのままにしない。敢えて言葉にする。これはとてもエネルギーが要る作業だ。実際にやってみて感じたのは、言葉にしようとすると、おのずと自分の心に目が向くということ。「あんな見方も、こんな見方もある。自分はどう感じる?」。対話による鑑賞は、他の人との意見交換だけではなく、自分の心と対話することでもあると感じた。「見どころは何?特徴はどこ?」に対する答えではなく、「この作品を観て何を感じた?何を考えた?」への答え。カタログに書かれた見どころを確認し、解説を読んで納得するのとは一味違う、より主体的な鑑賞だと思った。
[三ツ木] 何よりも感動するのは、自分の気持ちを言葉に出来た時の、子供の自信に満ちた表情です。VTSをやるたびに、人間は本当に考えること、感じることが好きな生き物なのだと思います。
間違いを恐れずに発言できること。その発言を受け止めてくれる人がいること。想いを言葉で伝えることの難しさ、その言葉を見つけた時の喜び。異なる意見を受け止めること、そして考え続けること。VTSには、アートの鑑賞だけではなく、私たちが社会で生きていくために大切な要素が含まれている。常に正解を問われる学校生活、短期間に成果を求められる大人社会。じっくり考える機会が減った今、大人にも子供 にも、意味のある体験だと思う。都美で活動する私達とびラーも、三ツ木さんや学芸員の元でVTSのファシリテータの練習中だ。より多くの人がVTSを体験することで、作品と出会う楽しさを知るだけではなく、日常生活での人との関わり方にも変化をもたらすきっかけになればと思う。そしていつか、VTSをやらなくても、ファシリテータがいなくても、ひとりで豊かに作品を味わうことが出来るようになれたら、嬉しい。
VTSの日の三ツ木さんはモノトーンの服が多い。その理由を尋ねると、「特に意識していなかった」と前置きしつつも、こんな言葉が返ってきた。
「空気みたいに存在感が無いファシリテータっていいな、と。その存在を意識せずに、参加者が作品と向き合えることが一番だと思っています」
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筆者:山本明日香(やまもとあすか)
美術館を観に行くところから関わる場所にしたくてとびラーに。VTSのファシリテータ練習中。
2013.01.25
2012.12.27
とびらプロジェクト(以下「とびら」)スタッフの近藤美智子さんより一通のメールが届いた。<今度、都美の学芸員の中原さんのインタビューをプロジェクトルームでしてみませんか?>私はパソコンの前でふと一枚の絵画を連想した。ゴッホの《糸杉》である。中原さんは、メトロポリタン美術館展(以下「メット展」)を担当された学芸員さんである。先日BS日テレの『ぶらぶら美術・博物館』で、ネクタイスーツ姿で、おぎやはぎや山田五郎氏を案内している場面をご覧になった人もいるだろう。あるいは、11月の都美の講堂での講演会をお聞きになった人もいるかもしれない。
(ニューヨークでの研修生活を語る中原さん。毎週日本に向けてレポートを送り続けていたそうだ。)
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さて、私と中原さんとの出会いは、とびらの研修プログラムにおける中原さんのメット展解説を、とびラーの仲間と一緒に拝聴したのがはじまりだった。中原さんの作品語りは、的確かつ冷静で、当意即妙なものだった。また、とびラーの仲間たちとメット展で“まなざし”を共有したことも、鑑賞に深みをあたえてくれた。 だから、私にとって、インタビューはメット展の鑑賞体験の“続編”に過ぎなかった。おそらく近藤さんのねらいもそこにあるのだろう。つまりインタビューには、お互いで“まなざし”を更に交し合おうという意図が含まれていた。言い換えると、中原さんを交えて、アート・コミュニケーションを図ろうという趣向があった。アート・コミュニケーションといっても、建前はインタビューで、表面は雑談のかたちをとる。
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当日は、とびラーから玉井あやさん、松澤かおりさん、佐藤史さん、そして私(阪本)が出席し、とびらスタッフの近藤さんと大谷郁さんが同席した。テーブルの中央にはサンタのクッキーが置かれ、窓の外は午後4時を過ぎてはや暮れかかっていた。 玉井さん松澤さんは中原さんのインタビュー記事をつくると張り切り、佐藤さんは気ままにお話をきくだけと嘯いていた。私はここでもやはり、メット展の天井をぼんやり空想していた。病み上がりだったせいもあった。
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去年の3月11日。中原さん、研修先のニューヨークから帰国へ向う飛行機のなかにいた。その刻限に大震災が起こった。インタビューは、中原さんの機内でのエピソードからしずかに語られた。
どうやら日本で大地震が発生したとの連絡が入った。阪神大震災より規模が大きいらしい。緊急事態により機内での携帯電話の使用を許可する。もしかすると飛行機の着陸ができないかもしれない。
まるで昨日のことのように話は鮮明だ。飛行機はなんとか成田ではなく中部国際空港に着陸した。私は現在メット展が開催されている事実に奇妙な安堵感をおぼえはじめていた。(その代わり、メット展作品の保険代は震災の影響下で高騰したそうだが・・・)
インタビューでは、学芸員志望の玉井さんが熱心に質問を繰り返し、松澤さんは美術教育の話題から現在の学校教育の惨状を述べた。 佐藤さんは小冊子『ライぶらり』を手土産に渡して、中原さんはそれをニコリとしながら眺めていた。雑談は続く。( 玉井さん[左]と松澤さん[右]はとびらの情報誌を作成中。 都美のトリビアを採集中。 )
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中原さんいわく。比較的、小さな美術館が好きである。自分にとってゴッホの評価はぶれず、アイドルはジャコメッティ。ニューヨークの美術館でみた、認知症の人のワークショップの作品は感動的だった。都美のアート・コミュニケーション事業の在り方は、これからの美術館を支えていく大きな主題(テーマ)のひとつである……。
中原さんは頷きながらこんこんと語ってくれた。私も共感しながらうんうんと頷いていた。とりわけ私がもっとも印象ぶかくおもったのは、中原さんが学芸員となることを決意するまでのエピソードである。
高校時代に新聞記者か歴史研究家になろうか漠然とおもっていたが、親の「それがあなたの本当にやりたいことなの?」の問いかけから、学芸員を本格的に嘱望するようになった。もっとも身近な人物からの声が未来の動機となったのだ。
そこから中原さんの最初の“アート体験”に話がうつる。それは10歳離れた兄と過ごした時間だった。中原さんは少年時代、画学生の兄が絵を描くうしろ姿がとても好きだったそうだ。また、中原さんのお兄さんも、弟のまなざしを感じながら、絵を描くことを愉快に思っていたそうだ。なんと仕合わせな関係だろうか。ところがどっこい、この兄こそが中原さんにとっての初めての“アーティスト”だったのである。
われわれは、展覧会で作品という対象物をみている。だが、そのじつはアーティストの肩ごしからその世界観を垣間みているのである。まるで弟が兄の肩ごしから絵をそっとながめているように。メット展で、中原さんは《糸杉》をみながら「晩年のゴッホの絵はすばらしい。私はゴッホの人生は幸せだったとおもう」と決然と語った。私はメット展に飾られたその一枚の絵から、中原さんの“まなざし”の秘密を知ったようにおもった。
(今年の10月に長女が誕生したという中原さん。 帰宅したら毎晩抱っこをしてあげているそうだ。)
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とびラー候補生:筆者:阪本裕一(さかもと ゆういち)
現在、台東区で育児に没頭しながらアート・コミュニケーター活動へ奔走する。とびらプロジェクトを街づくりの一環として認識。0歳と100歳のヒトが同等に遊べるようなミュージアム計画を野望している。趣味は相撲観戦。白鵬、日馬富士と同年齢。
2012.08.26
リニューアルした都美には、3つのカフェ・レストラン―1階カフェ「M cafe」、1階レストラン「IVORY」、2階レストラン「MUSEUM TERRACE」―があります。
今回は、3店舗の統括マネージャである田中俊一さんから貴重なお話を聞かせて頂きました。
(*表記は●→とびラー候補生、○→とびらプロジェクトマネージャ 伊藤。)
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●まず、田中さんのご所属と、お仕事の内容を教えてください。
[田中]僕達は、株式会社zetton(ゼットン)という飲食店の企業から、今回都美のリニューアルに際して3店の飲食店を展開しています。僕は店長として主に「MUSEUM TERRACE」で働いています。同時に全3店舗の統括マネージャーを兼任しているので、他の2店舗の店長とやり取りをし、お客様の声を拾い上げて、様々な問題の改善に努めています。また、美術財団のパーティーやレセプションも請け負います。お客様からご相談を受けて、今までにないようなレセプションや場所の使い方を日々模索しています。
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●田中さんは都美に来る以前から飲食のお仕事をなさっていたのですか?
[田中]そうですね。ぼくは学生を卒業してからずっと飲食で働いていて、もともと銀座・日本橋エリアを担当していました。zettonは六本木や渋谷など東京全域にお店がありますが、僕は足立区出身ということもあり、最近は地元から近い東エリアを担当しています。今回の都美での店舗展開のお話も、上野なら是非やりたいと自ら手を上げました。
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●田中さんは、働く以前にも都美を訪れたことはありましたか?
[田中]いや、ないと思います。ただ、もともと学生の時に遊びに来る最初の街は上野だったので、上野公園にはよく遊びに来ていました。記憶にはありませんが、小さい時に課外授業などで都美に訪れていたと思います。今回のお話を頂いてから、都美のリニューアルのことも初めて知りました。お恥ずかしい話ですが(笑)。
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●都美でレストランを営業して、オープンからすでに5ヶ月が経ちましたが、現段階でどのような印象をお持ちですか?
[田中] 一番強く感じたのは「もともと歴史がある」ということです。通常お店を出す時は、「ゼロから始まる」という感覚ですが、都美の場合は、長い間美術館があり、レストランや食堂などの飲食店も、またその長い歴史の中にありました。昔の都美を知り、今でも通っていらっしゃるお客様がすごく多いんですよ。なので、お客様とのコミュニケーションの中から「以前のレストランはこうだったよ」と歴史が垣間見えたり、「これを復活して欲しい」といった要望もあったりと、実際現場に立ってみて、都美でお店を「出させていただく」という意識をさらに強く感じています。都美の歴史の「新たな一ページ」として参加させていただいている、という感覚です。
(2階レストラン「MUSEUM TERRACE」)
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●zettonとしては、美術館というある種特殊な空間での飲食展開は初めてですか?
[田中]いえ、もともと公共施設の中に飲食店を展開する「パブリック・イノベーション」という事業があります。一昔前だと、立地が良く、色々な人が集まる素敵な場所であるにも関わらず、公共施設のレストランの料理のクオリティは正直高いとは言えませんでした。対して、僕達は街場のカフェやレストランで培ってきたノウハウを生かすことで、そうした場所のブランド力をあげ、訪れたお客様の思い出をグレード・アップさせることを目指しています。zettonはこうしたプロジェクトに5年ほど携わっているため、その実績から、今回の都美でのお話を頂けたのかと思っています。前例で言えば、僕は以前三井記念美術館のミュージアム・カフェで働いていました。
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(1階レストラン「IVORY」)
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2012.08.03
2012.08.01
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<美術情報室>
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とびラー候補生:筆者:阪本裕一(さかもと ゆういち)
現在、台東区で育児に没頭しながらアート・コミュニケーター活動へ奔走する。とびらプロジェクトを街づくりの一環として認識。0歳と100歳のヒトが同等に遊べるようなミュージアム計画を野望している。趣味は相撲観戦。白鵬、日馬富士と同級生。
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