2014.12.18
11月13日、小春日和の気持ちのよい午後、藝大絵画棟日本画のアトリエを訪問しました。提出日まで一ヶ月を切り、卒業制作も終盤に入ったお忙しい中、時間を作ってくださったのは、日本画専攻4年生の中根航輔さん、林宏樹さん、塚崎安奈さんのお三方です。
藝大日本画の卒業制作作品は、150号という大きなサイズ(日本サイズの風景画の場合は縦227.30 ㎝×横162.10 ㎝)に決まっているそうで、作品が床に置かれたアトリエでは、多くの学生さんが乗り台に乗った姿勢で制作に取り組んでいました。
3つのアトリエを巡り、それぞれの作品の前でお話を伺いました。
— 卒業制作はどんな作品ですか?
「誕生から死までの時間を含んだものと、生命エネルギーみたいなものの表現を試みています。1年生の時から、このようなテーマをもっていましたが、それは東北の震災と身近な人の死(祖母の死)が考えるきっかけになりました。」
「9月中旬頃に漠然とこのような絵を描きたいと思うようになり、10月に入って取材(動物の骨について科学博物館などを訪問)、11月から描き始めました。色はモノトーンに仕上げますが、下地(白)を部分的に削るなどして、重ね塗りをしている下地の下方の色(赤、黒、グレーなど)が、意図的にまたは偶然に見えるようにするつもりです。」
「日本画の絵具に興味があり日本画を選びました。4年間の集大成としての表現に加え、日本画の画材を自分なりに扱った答えとしての表現が作品になればと思っています。」
— 卒業後の進路は?
「大学院への進学を希望しています。その間にロンドンへ語学留学し、その後機会があれば、向こうでも美術の勉強をしたい。立体なども含め様々な分野のことを学び、自分の表現の幅を広げたい。」
— 藝大に入ってよかったことはどんなことですか?
「作家として活動したいという意識を持っている人が多く、そのような仲間たちの中に身を置くことで、自分も意識を高めていけたことです。」
下地にモチーフを転写した段階の作品を前に、いろいろお話を伺いました。丁寧に説明してくださったので、完成像を少し想像してみましたが……。中根さんの完成作品はどのような姿で現れるのでしょうか。楽しみです。
— 卒業制作はどんな作品ですか?
「テーマは裂け目です。日頃から傍観される世界と分断される自己との関係性を意識します。身体の延長上としての世界は、対象化されることで連続性を失い離散的に分節されていく。世界との不連続性や断裂を広大な裂け目の風景に投影しています。モチーフには実際に訪問したアイスランドの風景を用いました。果てしなく続く荒涼とした世界において、自分の存在が薄れていくような世界との繫がりを感じる神秘的な場所でした。絵画空間のなかで再体験するように対象と世界を媒介する意識で描いています。」
「作品は制作途中ですが、距離感というテーマから色彩効果だけでなく物質的な重層構造も意識しています。」
「自分とモチーフの関係性は、自己と対象との距離が知る行為によって離れていくことをベースにして考えると、素描行為もその要素を孕んでいることに気付きます。しかし経験的に素描は連続性を保ったまま写し取っている感覚もある。今後の方向性として、素描を突き詰めることで連続性を獲得するのか、あるいはむしろ連続性を思想的なメタフィジカルな概念に求めるのかは分からない。見た方が絵と連続性を感じてくれるような作品になればいいと思います。」
— 卒業後の進路は?
「現段階では未定ですが、進学先として大学院では保存修復の道を考えています。」
「日本画に入学して伝統的なことよりも、表現効果を模索することが多かったため、4年間経とうとしたときに日本画の伝統的な技法や材料論を多くは知らないことに不安が生じました。もう少し日本画を研究したいし、より専門性を高める方向で考えています。」
— 藝大に入ってよかったことはどんなことですか?
「やはり人と人とのつながりが大きい、互いの価値観や意見を受けとめる関係があります。また、芸大に在籍していることで繋がる新しいコミュニティがあります。旅先で、自身が芸術を専攻していることがきっかけとなって語らいの輪が広がる経験もしました。そのことで興味があらゆる分野に派生し、見えてくる世界が変化しながら広がり続けています。」
塚崎安奈さん
— 卒業制作はどんな作品ですか?
「今まで日本画の手法で描きたいものがなかったけれど、祖母の家の犬が死んだときに真面目に日本画を描きたいと思いました。画材も今は日本画のものしか使っていません。」
「画面全体に花を敷き詰め、淡い色を塗った上から白を塗って見えないくらいにするつもりです。火葬(花葬?)をテーマにしています。愛犬が旅立ってから少し時間が経った今はただ綺麗に描いてあげたいと。そう思ってこの作品に向き合っています。」
デザインやイラストが好きで、「日本画は苦手だという意識をずっと持っていた」という塚崎さんですが、卒展の直前の作品から作風が大きく変わったそうです。
— 卒業後の進路は?
「テレビ局に入局し、映像デザインの仕事に携わっていきます。就職後も個人的に絵は描き続ける予定です。」
「飽きっぽいから」とご自身を表現していましたが、あくまでも自分らしい表現を求める強い意志が伝わってきました。
— 藝大に入ってよかったことはどんなことですか?
「考える時間がたくさん与えられたことがよかったです。絵が好きなので、絵に時間をかけられたこともよかった。藝大の学生はいろいろなことを深く考えていると思います。他科の友人との交流も刺激的で、人とつき合うことが楽しかったです。」
あえて下絵を描かず一瞬一瞬を刻み込むように画布に向き合う塚崎さん。作品完成の瞬間は、どのような形で訪れるのでしょうか。
日本画専攻は1学年25名という少数精鋭。最後に3人に尋ねました。
— 学友はライバルですか?
「お互いの言ったことを聞いて解釈し合える。」
「お互いの価値観を知り、自身の幅が広がる。」
「人と比べてではなく、自分はどうかを大切にしている。」
「皆意識が高い。」
お互いがお互いを認め合いながら自らの芸術性を追究していく、高い意識に裏付けられた学びと創作の場における関係性を垣間見た思いがしました。
完成した作品と「卒業・修了作品展」で対面できる日を心待ちにしています。
長時間にわたり、興味深いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
(2014.11.13)
執筆|窪田光江・鈴木俊一郎・永井てるみ(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2014.11.30
「物を見るときの光が重要なので、窓はすべて北向き。直射日光が差さないようになっているんです」
アトリエに着くなりすこし高めの元気な声で説明してくれた。インタビューに訪れた天井が高いアトリエは、4人で使っているそうだ。
卒展に向け製作中の作品が台の上にある。いやでも目立つ。実物の人体よりかなり大きめの全裸の男性が、しゃがみ込むように体を丸めている像なのだ。
「作り始めたのは、心棒に粘土をつけ始めたのが6月末くらい」
というその像は、立ち上がったら、身長が3メートルくらいにはなりそうな大きさである。像の前方が高く斜めになった台座に乗っているため、背中が強調されている。
「後ろが正面なんです」というのもうなずける。だが、普通の後ろ姿ではない。特徴的なのが、その姿が歪んでいること。
背中側の正面あたりから見ると普通の像に見えるのだが、少し横に移動してみると何やら違和感を感じる。そのまま、像の周りを移動していくと、その像は体の前後方向に薄く作られているのだとわかる。簡単に言うと、前後から押しつぶしたような縮尺の人体像なのだ。
実は、背面の、ある一点から見たときだけ、ほぼ正しい縮尺の人物になるように作られているのだという。
「正面像だけが見えることがテーマなんです。現在は正面像は画像検索などですぐに見ることができる世の中じゃないですか。側面はあやふやというか。見る人に、ゆがんだ側面から正面を捜してもらう、空間を捜してもらう。あらかじめ正面がはっきりしている平面作品でなく、あえて彫刻作品で正面を捜してもらう。見る人にそんな行為をしてもらいたい。立体物としては弱い、よくわからない物、あやふやな立体物をテーマに作っています。正面しかないわけではない彫刻で、あえて正面を作り、捜してもらうんです。しかも、バッチリなものを作ると、そこで見る人の思考が止まってしまうから、あえて正確でない、人間としてのブレが出てくるように。完璧な正面を持っているわけでも、360度説得力があるわけでもないという……」
なかなか難しいけど、なんとなくわかる気もする。正面に背面を選んだのは
「ステレオタイプの正面ではなく、正面に対する原理主義へのアンチテーゼ」でもあるのだという。
どうも額賀さんは反骨精神が旺盛のようである。
タイトルは現在のところ《unclear》。「不明瞭な」という意味だが、文字通り、まだタイトルがこれに決定しているわけでもないらしい。
作品は大きいが、製作に当たって頼んだモデルさんは、「小柄な人」という注文で来てくれた人なのだそうだ。
「私が小柄なので、モデルさんも小柄でないと、体が見にくいんです」という。
額賀さんの作品は最終的にはテラコッタ(素焼き)の作品になる。今はその原型を作っていることになる。この原型から型を作り、型に粘土を詰めて像にして、最後にその像を焼いて完成する。
アトリエにはすでに完成している他の作品もあった。前述の作品とは逆に、実物よりかなり小さめだと思われる、西洋人らしき男女の肩から上の像。特に、頭の禿げた男性の像は、どことなくユーモラスでもあり、魅力的だ。リアルに思える像だが、これはモデルを使わずに、写真から立体像に起こしたのだそうだ。
こちらもタイトルは《unclear》。
「こちらから見ると、やっぱり歪んで見えるんです」
たしかに見る位置によって、こちらの作品も歪んでいる。サイズが小さくて、全体を見渡せるだけに、近くで見ても歪みが大きく感じられる。
「表情は、あまり語りかけてこないように考えています。オマケと言ったらなんですが、見て見苦しくない程度で、ニュートラルな表情にしています」
このような作風になってきたきっかけは、イタリアの彫刻家ドナテロの作品を見たことだそうだ。
「以前は普通の人体を作っていたんですが、イタリアに旅行に行ったとき、ドナテロのレリーフを見て、正面以外から見たらちゃんと像を結ばなくて、正面の説得力というか、魅力が面白いなと思って、私も私なりにレリーフと彫刻を結ぶ仕事ができたら面白いなと思いました」
歪んだ像を作る以前の作品もあった。こちらは、ふっくらとしている全裸の若い女性の座像で、おだやかな表情と、やさしいピンク色の肌が印象的だ。
「このころ、女の子として生きていくには世間からの要求が多いなと思って。やせていなきゃいけないとか、毛はしっかりそらなきゃいけないとか。そういうのが嫌だなと思って。太っていても美しい人というのをテーマに製作しました。ま、わかるかと思いますけど、作るときの原動力がムカついたことや、嫌だなと思ったこと、マイナスなことなんです(笑)。自分自身が、安直に物を見たり、表現したりすることはまずいな、もう一度よく考えよう、ということでもあるんですけど」
そう言っているが、あまり怒りとかを感じさせないほど、やさしい感じの作品だ。それを言うと
「怒っている人が怒っていてもあまり、聞いてもらえないので。動機は怒りですけど、それがテーマではないので。一応、神様をテーマに作ってみたのでこれでいいかなと」
この作品ももちろんテラコッタだ。
「テラコッタって、弱くて重い不便な素材なので、彫刻の学生もあまり使わないんですよ。でも、焼き上がった色がきれいなので、それを見せてもいいかなと思って選びました」
この作品も重さが70 キロくらいあるという。「古事記」に出てくる、口から食べ物を吐き出す神様、保食神(うけもちのかみ)にかけて《うけ》というタイトルだそうだ。とても魅力的な作品だが、今後この作品がどうなるのか尋ねたところ
「展覧会に出す機会があればいいんですけど、今のところないので、実家の“タンスのこやし”というか“駐車場のこやし”というか(笑)。そうですね、彫刻は引き取り手がつかないと……小さいものだと欲しいと言ってくれる人もいるんですが」
という答えが返って来た。
額賀さんによれば、テラコッタの魅力は、水や視線がしみ込んでいくマットな質感だという。また、中が空洞なところが人間に共通する感じがするという。
「作り手のエゴかもしれませんが……」
原型は、型を取ったあと壊してしまうので、その時点では、この世から像の姿は消えてしまうことになる。型から抜いた像ができるとまるで再会したようで、それも面白いという。それが焼かれ、窯から出てくるので出会いを繰り返すようなのだそうである。
これからもこの空間が歪んだような像のスタイルの製作を続けていくのかと尋ねると
「そのつもりなんですが、これ《うけ》を作っていた頃も、このスタイルでずっと続けて行こうと思っていたんですよね(笑)。だからわからないんですけど」
歪んだ形を作るのは、今の時代の反映だと考えたら深読みし過ぎだろうかという質問には
「多少あるかもしれないですね。ただ素直に物を作っていくのが難しい時代で、言い方は悪いですけど、キャッチーにしないと人は見てくれないということがある。もちろん、意識しなくても、今の時代に物を作っているということは、そういう部分もあるかもしれません」
そんな話をしていたところに、偶然、額賀さんの先生である北郷悟教授がアトリエにいらしたので、額賀さんに関して伺ってみた。
「期待の星です。近頃の作品もいいと思いますよ。彫刻って、物と空間の仕事なので、昔は物だけを徹底的に作っていた時代があったんですよ。だけど、今の彫刻のあり方っていうのは、空間を作るために物を表現したり、内面を表現するために空間を使ったりといったことがあるので、空間を刻むっていうか、時間と空間を刻むっていうのが彫刻って考えに、たぶん変わってきていると思います。その方が、インスタレーションなんかも考えやすいですし、特にフィールドワーク的な仕事も、どこかに物があって人がここにいてっていう、関係性がすごくわかりやすいと思うんですね。時間と空間という意味ではね。そういった意味では彼女の仕事は微妙な心理空間を使って、向こう側の世界も感じ取れるようなことに挑戦していますから。しかも、テラコッタという呼吸感のある素材を使ってくれているのも嬉しいですね。テラコッタというのは水をかけるとしみ込むんですよ。本焼きの物は、釉薬をかけるからちょっと息が詰まるような感じになる。物に変わっちゃうんです。テラコッタは、物にならない領域を大事にするというのがあります。テラコッタは壊れやすいのですが、壊れやすいという痛々しさとかが、人の心と重なってくるところがあるので、壊れやすいってこともいいことなんですね、表現として。生活の中でも、壊れやすいもの、燃えやすいものは意外と残ったり、大事にされたりしますから。なんでもかんでも丈夫な物だけが残るというわけではないですね。でも、まぁ、彼女なりの考え方があるだろうから(笑)、そこを聞いてあげてください」
なんとも師弟愛を感じさせる、優しく温かい言葉だ。しかも、額賀さんを理解する上でもとても参考になるコメントだ。
しかも、真面目なコメントだけでなく「これを『進撃の巨人』みたいな大きさで作ってみてはどうかな」とか、「『見返りなんとか』みたいなタイトルにしたくなる」とか、「卒展ではどこに作品が置かれるかは大きいよね。『捜したけどなかった』とか言われるのは嫌だしね」などと言い残してアトリエを去っていった。なかなか頼りになりそうで楽しい先生だ。
最後に、額賀さんに藝大を目指し、彫刻を選んだ理由を聞いてみた。
「もともと、お絵描きとかが好きな子供だったんですけど、高校生になって美大に行こうと思うようになって。もともとはデザインをやりたかったんですけど、高校1年のときに藝大の卒展を観に行ってびっくりしたんです。それまで彫刻って私にとってはどうでもいいカテゴリーで(笑)、興味がなかったんですけど、物を無理やりにでも実在させられるってところに衝撃を覚えて。ブロンズ像とか、仏像とかってすごい偉い人が作るものだと思っていたんですけど、自分とあまり歳も変わらないような学生が、自分の思い描いた形をこの世に厚みとして生み出しているというところに、感銘を受け、何を思ったか彫刻家を目指すようになりました。自分の思ったものを実在させることが魅力だと思います。絵画のように世界を作ることはできないけど、自分の作ったものを世界に放り投げることはできると思っていて、自分の手で全部決定することができるので、彫刻の中でも塑像を選んでやっています」
次々と新しいことを発見して、それに向かっていくところや、怒りをエネルギーにしつつも、そのままを表現にするのではないところに前向きな印象を持った。
広い背中を持った男性像は、世界に投げ出されるまで、もうしばらく時間が必要なようである。それまで、巨大な後ろ向きの男性を相手にした額賀さんの前向きな格闘も続く。
* * *
製作中の粘土を保管するためには水分が必要だが、水をしみ込ませた布を巻いて3 カ月ほど放っておいたところ、粘土にカビとキノコが生えて森のようになっていたことがあるそうだ(そんな所にも上野の森があったとは……)。こういったこともあるので、製作中は常に像のめんどうを見ながら過ごさなければならず、その分、像に対する愛着も湧くらしい。まだ、完成までには7割くらいの段階だというが、手塩をかけて育てた《unclear》が、額賀さんとの何度かの再会を経て、最終的にどんな姿を表すのか。卒展を見る楽しみが、またひとつ増えた。
執筆:小野寺伸二/アート・コミュニケータ(愛称・とびラー)