東京都美術館× 東京藝術大学 「とびらプロジェクト」

活動紹介

藝大生インタビュー

東京藝術大学で学ぶ学生のアトリエをとびラーが訪ね、作品が創出されるその現場を取材しています。

「地域に開かれた陵墓、愛されるあるいは陵墓研究を目指して」藝大生インタビュー2024 | 建築専攻 修士2年・力安一樹さん

2025.01.19

 

力安さんの修了作品は、修士制作のような模型等ではなく、修士論文だと伺いました。

修士論文で扱っているテーマについて教えてください。また、並行して進めているプロジェクトがあるそうですね

 

修士論文では「陵墓図空間考」と題して、陵墓(りょうぼ)を題材とした絵図や図面全般を、空間的な観点から解釈する研究を進めています。

また、並行して、建築科から令和5年度吉田五十八奨学金の給付を受け、全国の天皇陵(112陵)を踏査し記録するプロジェクト「リョウボノカタチ」も進めています。

 

まずはじめに陵墓とは何ですか?出会った経緯を教えてください

 

陵墓の定義についてですが、現行の皇室典範第27条にて、天皇・皇后・太皇太后及び皇太后が葬られているところ【陵(みささぎ)】、皇太子等の皇族が葬られているところ【墓(はか)】とされ、それらを合わせて陵墓と呼ばれています。その中でも、歴代天皇が葬られているところは天皇陵と呼ばれ、有名なものだと前方後円形や円形、他には方形堂や石塔など堂塔式のものもあります

 

陵墓との出会いは、小学生のころに遡ります。私は大阪府堺市出身で、世界一広大な墳墓と言われる仁徳天皇陵(大山古墳)が位置する地域に住んでいました。幼少期から身近な存在で「どうしてここに鳥居があるんだろう?」と思いつつ、歴史的で風情のあるものというよりは、友人と「たぬきを見に行こう!」と、遊びに行く場所の一つでした。小学校に入ってからそれがお墓であること知るわけですが、特別神聖なものといったイメージをもつことなく、子ども時代を過ごしていました。もちろん当時は、天皇陵を研究することになるとは考えていませんでした。

 

 

1.卒業制作のこと

 

幼いころから芸術分野に関心があったのですか?陵墓が研究対象になった時期はいつでしょうか

子どものころは芸術への興味は特になく、高校も運動部に所属していました。父が土木の建築士、祖父が大工だったので、大学進学を考えたとき、自然な流れで建築学科を志し、関西の大学に進学しました。陵墓と改めて向き合ったのは、学部4年の卒業設計です。卒業設計では、仁徳天皇陵(大山古墳)を中心とした百舌古墳群に位置する大仙公園を敷地に設定し、一帯を含めた計画を行いました。卒業設計をどうしようか考えたとき、小学生のころから慣れ親しんできた身近な風景であり遊び場だった天皇陵の原体験を思い出したからです。

 

仁徳天皇陵(大山古墳)は航空写真で見る時の印象とは異なり、地上からは一見森のように見えます。その森をある種の風景・景観として設計することを目的に、休憩所や通路など、いろいろな機能をもつ建物を組み入れ、そこを訪れるに身近に感じてもらえるようなランドスケープを提案しました。

 

天皇陵と改めて出会い直したのですね。そのまま、関西の大学院に進学するという選択肢もあったと思うのですが、東京藝術大学の建築を目指した理由と学生生活について聞かせてください

 

学部の設計課題では、模型や図面でのスタディよりも、言葉や思想に考えを巡らせることが多かったんです。そのような意識を相対化したり、より視野を広げてみたいという気持ちがありました。何をやっても真剣に議論をしてくれる先生方が集まっている、という先輩からの助言もあり、東京藝術大学の大学院受験を決断しました。実は、もう退官された青木淳先生の研究室の門を叩いたのですが入ることができませんでした。一浪して再チャレンジしようと決心した頃、ちょうど長谷川香先生が新任として第1期生の学生を募集されていました。

先生は儀礼や政治、特に近代天皇制と都市・建築との関係性について研究されていて、著書や論文を読み進めていく中で、言葉や思想に興味のある私を受け入れてくださるような印象を持ち、研究室訪問をしました。その予想は当たり、学部の卒業設計や皇居の話が盛り上がって、1時間ほど話し込んでしまいました。その際、長谷川先生から「設計いいですが是非文章や論文を書いてみませんか」とアドバイスいただき、研究テーマが近いことにも運命的なものを感じたことから、長谷川研究室を第一志望として受験しました。結果、無事合格し今に至ります。

 

建築学科天皇陵といったテーマに興味を持つ私のような学生は稀だったと思います。私のバックグラウンドとして天皇陵が身近な存在であったことが、研究のきっかけとなっていますが、長谷川先生のようニッチな部分でつながりを持てる教授と出会えたのは、本当に幸運でした。

 

【空間的に解釈】するとは、どのようなことですか?

 

まず、天皇や陵墓を研究対象とすることの難しさをお話しします。陵墓は、神武天皇から続くとされる万世一系の思想や皇室の制度と深く関連しています。そのため、陵墓に関する研究の多くは、考古学や歴史学の分野において行われてきました。また、そこに葬られているとされる被葬者が一致しているかどうかについて、戦後の考古学が問うという構図が顕著でした。被葬者の解明には発掘作業が不可欠となりますが、宮内庁は、象徴天皇制における社会的・政治的な存在としての天皇を前提に、「静安と尊厳の保持」や「現在も継続的に行われてる祭祀」という理由から、ほとんど許可をしていません。

近年は、学会等に向けた限定公開や世界遺産登録に関する動きとも関わり合いながら進展していますが、名目は研究ではなく見学であり、また核心的な部分の発掘には未だ至っておらず、その陵墓が本物か否かという議論が続いている現状です。つまり、考古学や歴史学で取り扱われるような、根本的な部分で陵墓を研究しようとすると、管理や関連資料の公開といった側面から見てもかなりの制限を伴います。

 

私は、そういった制度や儀式、陵墓の真偽を巡る議論よりも、先ほども少し触れましたが、子ども時代に「どうしてここに鳥居があるんだろう」と疑問を持ったように陵墓空間や風景として捉えるということに関心が向いたのです。制度や真偽を巡る議論から距離をとれば、大学院という短い研究期間でも、陵墓について研究することが可能ではないかと考えました。

 

修士論文と並行して取り組んでいる「リョウボノカタチ」について教えてください。プロジェクトでは、およそ1年かけて全国の天皇陵を巡り終えたそうですね

 

吉田五十八奨学基金を研究費として、全国112陵の天皇陵を巡って写真や紀行文といった踏査記録を作成し、最終的には本にまとめるというプロジェクトです。歴代天皇陵と、それらを題材にした絵図や図面を空間的に解釈しようと試みる修士研究に対して、主観的かつ一般的な方法で「形式としての陵墓」を記録する、一連の制作プロセスだと位置付けることができます。私の地元にある仁徳天皇陵(大山古墳)を最後に巡るということだけを決め、東は東京から西は山口まで、1年間の休学期間も活用しながら進めていきました。プロジェクトをやろうと思ったのは、空間的な解釈をする為に、絵図や図面といった過去の史料だけではなく、実際の天皇陵やその周辺地域に足を運び、現場や土地の記憶を知る必要性を感じたためです。

 

実際に訪れてみると、史料を眺めているだけでは経験できない出来事がたくさんありました。例えば、京都のとある天皇陵への道しるべが修理されず折れたままになっていたり、境界が厳密でなかったが為に気付かずに立ち入り禁止の場所へと入ってしまっている人を目撃したりしました。山の上にある天皇陵を訪れた帰りに目印を見失い、軽い遭難をしてしまったこともありました。このような体験や空間把握が強烈に記憶に残っていて、史料と現状の差異を見つけやすかったです。

 

写真は、天皇陵の現在性に着目して撮ることを意識しました。これまで、天皇陵は荘厳なイメージから正面写真として被写体になることが多かったのですが、私は天皇陵の親しみやすさというか、綻びのようなものであったり、周辺や人との関係性に関心があったので、そこを捉えられるように、いろいろな側面から写真を撮りました。天皇陵を含めた陵墓はお墓であり、現在も皇室関連祭祀が行われています。神聖で荘厳なものというイメージを持たれやすいですが、私にとっては子どものころから身近にあった風景であり、近寄りがたさは全くなく、無邪気に周辺を駆け回った記憶の風景として心に残っているので、親しみやすさを感じているのだと思います。

 

また、人工物である陵墓が時間の経過とともに自然からの浸食を受け、どこまでが元の天皇陵で、どこまでが周囲の自然か分からないような状況を、ありのまま、等価に扱うことを意識したとき、住宅のすぐ裏手や、工場敷地内のわずかな隙間から見える天皇陵など、天皇陵周辺の風景も画角に入れることにしています。このプロジェクトの写真は、Instagramでアーカイブしていくことも想定していたのでスクエアのフォーマットとし、色よりも構図として風景天皇陵を捉えたかったので、白黒写真で撮影しました。

一般に想定されているルートで参道を歩くことや荘厳さに寄った写真手法にこだわっていないので、新鮮で独創的なものになっていると思います。卒業・修了作品展までに本完成させ、論文と一緒に展示したいと考えています。

 

<校正中の「リョウボノカタチ」プロジェクトの写真集>

資料やプロジェクトから得られた知見は何ですか

 

図面や資料を見ると、測量当時の陵墓の状況が分かるのはもちろんですが、変遷をたどることで当時どのような位置付けで作られたのか、また国民にとってどのような存在だったのかを概観することができました。例えば、近でみると明治天皇陵・大正天皇陵・昭和天皇陵規模は縮小傾向にあり、時代とともに陵墓のカタチも変わっていくことが示唆されます。他にも、皇国史観や尊王思想と密接に関係していた過去も、崇敬会発行の写真帖や著述家の記述から読み取ることができます。また、現在の陵墓は幕末に整備され、私たちが目にすることができる鳥居や玉砂利などもこの時に付加されたものですが、160年ほど前に形式が統一された天皇陵空間が、それ以降、多少なりとも手が加えられているのではないかという仮説を立て、図面と実際に現地で撮影した写真とを見比べてみました。どのように空間の変化が起こったかを考察したところ、国民に開かれ始めた皇室の一つの側面として、天皇陵という空間もまた開かれた場所になってきているという変化を発見することができました。幕末までは皇室のための祭祀空間という側面が強く、一般の参拝あまり想定していない閉じられた空間だった陵墓が、近代を経てその空間構成を変化させていく様子を明らかにすることは、とても面白かったです。

 

 

 

陵墓が今後、どんな存在になったらいいと考えていますか?

 

仁徳天皇陵(大山古墳)はその昔、ワラビやタケノコを採りに行くことができたり、付近の村の灌漑の役割も担っていました。しかし、管理や整備が進められていく過程で、一般にとって近寄りがたい存在になっていったという歴史的な変遷があります。あるシンポジウムで、元宮内庁職員の方が「都市や市民に開かれた、愛される陵墓を目指しましょう」というような話をされていました。聞いた当時は感銘を受けつつも、どこか夢のような話だと思っていたのですが、部分的ではあるものの開かれてきた陵墓変化、研究を通して知ることができた今、夢では終わらない話だと思っています。私の研究の発端である、幼少期に感じた天皇陵の親しみやすさや、プロジェクトを経て再認識した空間としてのかっこよさなどある側面に限定されずに人々に認識してもらえる存在であってほしいと思っています。

 

卒業後の進路は?

卒業後は建築関係の出版社に就職する予定です。過去から地続きの現在進行形で変容している建築を取り上げることに興味があります。当分はそこで経験を積み、いずれは博士課程に進むことも視野に入れています。修士研究において、制度や歴史よりも、その当時の時代精神反映する、空間としての陵墓に興味があったことと同様、歴史研究をしたというベースは忘れずに、今後は現代建築に携わる精神性に触れられるような声を聞きたいと思っています。

 

インタビューを終えて

 

言葉を大切にする力安さんの発する言葉は、私たちに理解してもらおうという優しさと、研究に打ち込むひたむきさに溢れたものでした。過去の資料から当時生きた人々の思いをくみ取ることのできる力安さんが、今後どんな思いを持ち、伝え、残していくのか、想像しただけでわくわくします。私たちのインタビューが、力安さんの修士研究の魅力を伝える一助となれば幸いです。

取材/ 酒井俊一、塙隆善、吉澤友理(アート・コミュニケータ「とびらー」)

写真・校正/ 樋口八葉(美術学部芸術学科2年)

「日常の中にある普遍的なものを形にする肖像彫刻」藝大生インタビュー2024|彫刻科 学部4年・野川楓真さん

2025.01.19

 

12月3日のよく晴れた午後、緑あふれる上野キャンパスを訪れた。彫刻棟はとても天井が高い建物で、階段を登っていくと微かに木の香りが漂ってくる。アトリエのある3階へ到着すると、ニット帽にフーディー姿の野川さんが迎えてくれた。

 

 

1.卒業制作のこと

 

–卒業制作はどんな作品ですか。

 

卒業制作は、私自身をモデルにした肖像彫刻に祖父の写真をドットに加工して投影し、それを手描きで彫刻に写すことで私の中に祖父の面影が浮かんでくる作品です。

 

私は、日常生活で感じる何気ない幸せといった等身大で普遍的なものを作品にしたい、という想いがあります。だから、スマートフォンで撮影した何気ない日常の写真をもとに彫刻を作っています。自分の中に家族の面影をみることも、普段の幸せの延長線上にある等身大で普遍的な行為だと思うので、これを卒業制作のテーマに選びました。

 

祖父は私が2歳頃に亡くなったため、祖父のことはあまり覚えていません。でも私は祖父の血を引いているので、自分の中に祖父の「形」があるはずです。そこで、23歳の自分をかたどった等身像に、23歳の祖父の写真を重ねて、自分の中にある祖父の面影を表現することにしました。

 

この作品で私が生み出した表現は、「一つの作品の中で、二次元のもの(ドットに加工した写真)と三次元のもの(等身像)が互いに干渉しながら同居している」ことです。立体の中に平面が同時に成立するという普段はあり得ない状態を、この作品では実現しています。

野川さんの等身像の中に祖父の面影が浮かぶ

これが祖父の写真です。昨年、同じ場所で同じポーズで自分の写真を撮って、その写真をもとに私の等身像を作りました。今日とほぼ同じ服装の、日常の自分をかたどった像です。等身像を選んだのは、彫刻としてオーソドックスな形で卒業制作を迎えたかったからです。作品サイズは肖像部分の高さが約167cm、総量55kgで、このサイズの彫刻としては非常に軽いです。

 

祖父の写真(左)

野川さんの等身像

-素材や技法は。

 

技法は塑造と呼ばれるもので、素材はジェスモナイト(水性樹脂)です。

 

最初にエスキース(下絵)を描きます。エスキースはいろんな角度から描く人もいますが、私は正面のエスキースだけ描いて360°の形は粘土をつけて動かしながら考えます。

 

 

エスキース

これは粘土で縮小模型を作って立体の詳細を検討したものです。作品の構想が固まったら原型となる粘土像を作ります。

次に、粘土像の上に石膏をかけて固め、内側の粘土をかき出して石膏型を作ります。石膏の型取りでは、切金という薄い真鍮を入れて、石膏型を分割できるようにします。そうすることで、パーツごとに石膏の蓋を開けて中の粘土をかき出す作業ができます。

 

それから、分割した石膏型の内側にジェスモナイトを刷毛で塗って組み上げます。その際は、離型剤(石膏型を取り除きやすくする液剤)をかけてからジェスモナイトを塗り、ガラスクロス(細いガラス繊維)を貼り付けて全体の強度を高めたり、分割パーツ同士がくっつきやすくします。石膏型を組み上げたら1日ぐらい放置して、ジェスモナイトが固まったところで、石膏型を割って取り除きます。

 

以上のように、粘土像から石膏型を作ってジェスモナイトを流し込む工程を経て、石膏がジェスモナイトに置き換わった像が出来上がります。最後に、型の接合部分にできる凹凸を削って滑らかにして仕上げます。

 

型に流し込む素材として、今回はジェスモナイトを使いました。

 

この後は、ドットに加工した祖父の写真を、プロジェクターで等身像に投影し、像に映ったドットを鉛筆で下描きしたのち、アクリル絵の具で像に手描きしていきます。

 

ドットを等身像に投影しているところ

-立体と平面を重ね合わせるアイディアはどこから思いついたのですか。

 

スマートフォンの写真フォルダを見ていた時に、自分の写真と祖父の写真が連続して切り替わるのを見て、重ねたら面白そうだなと思いつきました。それで、エスキースを描いてみたらかっこよかったので、これでいけるかなと考えました。

 

-卒業制作はどれくらい時間がかかっているのですか。

 

3年生の1月から、この形にしようというイメージを持って制作を始めました。

 

最初は、写真をコピー用紙に印刷して立体に貼り付け、上からロウを塗るアイディアを思いついて、4年生の4月に一つ目を試作しました。しかし、立体に平面を直接貼り付けると平面像が歪んでしまいます。平面像が歪まない方法を試行錯誤する中で、現在のアイディアを思いつきました。ドットは一つ一つが独立しているため平面像が歪みません。そこで6月に二つ目を試作して、これで大丈夫だという手応えを得たので、夏休み明けから最終形の制作を始めました。10月に粘土で原型を作り、11月に型を取って、いま修正しているところです。

卒業制作の一つ目の試作

–制作の過程で苦労したところは。

 

石膏の型取りです。以前、同じくらいの大きさの像を制作中に石膏型を割ってしまい、作品を作れなくなったことがあるので、「絶対に割らないように」と意識して作りました。また、この像は後ろに寄りかかって立つポーズなので、倒れないように台座の大きさを調整したり、像の内側に木材を入れて補強したりしています。

 

-鑑賞者に伝えたい作品の見どころは。

 

「一つの作品の中で、二次元のものと三次元のものが互いに干渉しながら同居している」という普段あり得ないことが起こっているのが、この作品の見どころです。

 

私の希望としては、卒業・修了作品展ではできるだけ広い空間に展示して、鑑賞者には少し離れたところから作品をみてもらいたいです。遠目に見た時に、肖像彫刻の中に別の人物の面影が浮かんでくる面白さに着目してみていただきたいです。

 

2.彫刻づくりのこと

 

―野川さんが考える彫刻の魅力とは。

 

私が感じている彫刻の面白さは、立体なので、作品と鑑賞者が同じ空間に立ち上がって存在すること、360°色んな角度から表現できることです。

 

―作品のインスピレーションの源は。

 

私は、スマートフォンで撮影した写真をもとに、何気ない日常の中にある普遍的なものを切り取って作品を作っています。私にとって等身大で、かつ普遍的であることが大事で、わざとらしいと感じるものは身が入りません。「たまたまいい写真が撮れたからこれを作りたい」と自分が思うものを作ります。

 

―彫刻は展示環境まで考えて作品を作るのですか。

 

彫刻は空間の中に存在するものなので、展示環境まで考えて作品を作ります。例えば、街中の彫刻は風景の一部であり、その街に住む人の記憶の中にもあるものですよね。街中に置く彫刻を作るなら、街の中で作品をどんなあり方にするかを考えます。

 

 

  • 東京藝術大学での学生生活

 

―彫刻科の学生生活は。

 

1〜2年目は塑造、石彫、木彫、金属の実技実習を行って彫刻で扱う素材を一通り学びます。2年目になると、インスタレーション、レディメイド、アクション(パフォーマンスアート等)といった作品の表現方法を学びます。例えば、レディメイドはモノの機能を排して純粋にモノを形として扱う表現で、便器をそのまま展示したことで当時話題となったマルセル・デュシャンの《泉》(1917年)が代表例です。

 

3年目からは自分が興味を持ったものを深く学びます。彫刻科は学部では3つの講座があり、2年生の終わり頃に3年目以降に所属する講座を決めます。3〜4年目は、作品のコンセプト、モチーフ、素材、表現方法などを自由に選んで制作できるので、指導教官にアドバイスをもらいながら自分の作品を作ります。

 

―作品制作以外の活動は。

 

私の地元では、鹿児島県高等学校文化連盟が美術系大学を目指す高校生向けに実技講習会をやっていて、夏休みにそこで石膏デッサンや塑像の講師をしています。母校に卒業生として話しに行くこともあります。

 

―野川さんの1日はどんな感じですか。

 

大学が開く朝8時半頃にアトリエに来て、大学が閉まる19時まで、一日中アトリエで卒業制作に取り組んでいます。彫刻科は卒業制作の提出締切が迫っているので、いまラストスパートです。息抜きは、コーヒー片手にアトリエで他の人の制作過程を見ておしゃべりすることですね。私のアトリエに行ってみますか?

 

野川さんのアトリエに移動して、作品づくりの現場を見せてもらう。天窓から陽射しが降り注ぐアトリエは、明るく清々しい空間だ。制作中の作品がいくつか置かれ、作業台には工具や白い石膏のかけらが重なっている。

 

アトリエ全景

 

―天井が高いですね!

 

大きな作品を作る人もいるので天井が高くなっています。朝はすごく綺麗な自然光が入ってきます。光の当たり方で作品の見え方も変わるので、明るい自然光が入ってくるのは大切です。また、同じアトリエで5人が制作しています。

 

野川さんの作業台

 

4.彫刻の道に進んだきっかけ

 

―どんな子ども時代でしたか。

 

私は高校卒業まで鹿児島で育ちました。格闘技をやったり、小さい頃から絵を描くことやものを作ることが好きでした。

 

また、鹿児島は肖像彫刻が本当にたくさんある街で、彫刻が街の風景に溶け込んでいます。そういう環境で育ったので、私にとって彫刻は身近なものでした。

 

―美術の道に進んだきっかけは。

 

鹿児島に美術科のある高校があり、受けてみたらと勧められたのがきっかけです。美術の他に考古学が好きだったので、美術科に進めば文化財の修復に携われるのではと考えて高校は美術科に進学しました。

 

―彫刻を選んだ理由は。

 

中学3年時に高校見学会に行って彫刻室に入り、ホイストという大きなクレーンがあって粘土が散乱している部屋を見て衝撃を受けたのが、彫刻を選んだきっかけです。彫刻室に入った時に、なぜか自分はここでずっと制作するなという感覚がありました。それから、父が庭師で、庭という空間造形が身近にあったことも、同じく空間造形の要素もある彫刻を選んだ理由です。

 

もともと私が考古学に惹かれた理由は、昔の人が使っていたものや肖像など当時の生活がそのまま残っていることに時を超えた浪漫を感じたためです。そして、私が今やっている「写真をもとに日常の中にある普遍的なものを切り取って彫刻すること」は、いまの人たちの生活を未来に残していくことであり、考古学とも共通するところがあると思います。

 

―藝大に進んだ理由は。

 

母から「やるなら藝大を目指すくらいやりなさい」と言われたのと、通っていた高校が藝大を受験する同級生が多い環境だったからです。

 

 

5.将来のこと

 

―卒業後の進路は。

 

大学院に進学する予定です。彫刻科では学部3年時から自分が作りたいものを自由に作れるので、大学院もそれほど環境は変わりません。大学院進学後は「日常の普遍性と肖像彫刻」という自分のテーマを追及したいです。

 

―卒業制作の次に作りたいものは。

 

人物と風景を組み合わせた作品を作りたいです。それから馬が好きなので馬も作りたいです。卒業制作の技法を発展させて新しい表現を作っていきたいです。

 

―将来の夢は。

 

肖像彫刻の新しい形を生み出したいです。そして、誰かの散歩コースになっているなど日常の一部として人々に受容されている街中の彫刻に憧れがあるので、街中に置いてもらえるような肖像彫刻を作りたいです。

 

また、地元の鹿児島で何かしたいという想いがあります。瀬戸内芸術祭のようなアートフェスティバルを鹿児島で開催するなど、県内で活動するアートグループや若者、そこで暮らしている人々とと外の世界をつなぐことをしたいです。

 

 

6.インタビューを終えて

 

何気ない日常の中にある普遍的なものを洞察し、彫刻として表現している野川さん。一つ一つ飾らない言葉で語ってくれる姿から「等身大で普遍的であることが大事」という野川さんの真摯な思いが伝わってきた。卒展で完成した作品と再会するのがとても楽しみだ。

 

取材:石井真理子、木原裕子、平野七美(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:木原裕子

写真:樋口八葉(とびらプロジェクト アシスタント)


野川さんの表現の探究過程に触れ、グッと作品に惹き込まれ、卒展と彼のこれからがますます楽しみになりました。(石井真理子)

 

何気ない日常を洞察して形にする野川さんの着想と表現の面白さに心掴まれました。卒展もこれからも楽しみにしています。(木原裕子)

 

「血筋」をこういう形でも表せるのかと、野川さんの着眼点とアイデアに驚くばかり。作品の完成と彼の将来が楽しみです。(平野七美)

 

 

「漆芸は自由で実験的で楽しいものだ」藝大生インタビュー2024| 工芸科漆芸専攻 学部4年・新井紗紀子さん

2025.01.19

 

「普段の生活の中で心に響いたものを形にする。それが私の創作の原点です」と語るのは、工芸科漆芸専攻、新井紗紀子さん。日常生活の中で見つけた美しい瞬間からインスピレーションを得て、繊細な乾漆作品を創作しています。私たちとびラーは彼女に会うために東京藝術大学上野キャンパスにある研究室にうかがいました。

 

 

まずは卒業展に向けた3つの作品を拝見しました。

 

卒業制作での新しい挑戦

―こちらが作品ですね。モチーフはありますか?

普段の生活の中で大好きなもの、心に響いたもの、慈しんでいるものをもとに着想しました。

<曲線が美しい壁掛けオブジェ>

 

<水たまりに浸った花から着想を得たオブジェ>

<飼われている愛猫をモチーフとしたオブジェ。制作中の作品を撫でながらインタビューを受ける様子にモチーフへの愛情を感じます>

 

― 作品を作るうえでどのようなことを大切にされていますか


素材を活かすこと、そして佐賀の畑で制作を始めたように、作る場所を大切にしています。東京に出て6年が経ちますが、ずっとホームシックなんです。大好きな佐賀の景色や空気、田んぼを東京に持ってきたらおもしろいだろうと思いました。

―こちらは3つで1つの作品になるのですか?

 

それぞれ別々なものを作っています。ただ同じ世界観で同じ技法でという意味では連作といえないこともない。あんまり同じものを反復して作るタイプではないんです。ずっと同じものを作っていると たぶん1つ1つ違うものが好きなのかな。

―机に猫ちゃんがいますが、これは今回の作品の型ですか?

 

そうです。これが粘土でつくる最初の原型で、次にこの粘土に石膏をかけて型を取ります。原型の粘土を取り出して石膏の雌型が完成です。外す時に原型は壊れることが多いんですけれど、今回はうまく取り出せたので机において愛でています。

こうしてできた型に、布とパテ状にした漆を何度も重ねて層にして固めていきます。ひとつの工程につき0.1㎜~0.3㎜の漆の層が重なって表面の形ができており、乾漆の層の厚みは2~3㎜くらいなので見た目より軽いです。漆の液体はミルクティーのようなこっくりとした色ですが、乾いていくうちに黒くなったり茶色くなったりします。今は黒いのですが、ここからはいろいろな種類の貝を貼って2~3回間を埋めるように漆を塗ります。

 

<白く輝いているところが貝を貼っている場所>

―制作は今まさに貝を貼っていく最中ですか?どんな感じに貼っているのでしょうか。

 

螺鈿(らでん)もいろいろな技法があるのですが、今は貝殻を細かく刻んで貼り付けるという作業をしています。「伏彩色(ふせざいしき)※」といいまして、薄く剥がされた貝の層の片面に色漆を薄く塗り、銀粉のすごく細かくしたものをまぶして漆で定着させていきます。このことによって、貝の種類や加工の仕方によって光の反射や色の出方が変わるんですよ。

※貝の裏から色付けをする方法のこと

<さまざまな螺鈿(らでん)の技法の試作した板を見せてくれました>

―面白いですね!これから貝はどんな風に貼っていくか決まっていますか?

 

今はまだちょっと迷っています。こんな風になったら面白いなって思ったり、 ここどうしよう、グラデーションにしようかどうしようかなって思いながら制作しています。多分じわじわ行くタイプなんです。ちょっと、もうちょっとって考えながら、でもやっぱりやめようかな、って試行錯誤しながら進めています。

 

―今螺鈿にする貝を見せていただいているのですが、貝にもいろんな種類がありますね。貝選びなどで特に意識していることはありますか?

 

 素材が見せる「表情」を大切にしています。同じ貝を使っても、光の角度や加工の仕方で全然違った見え方になるんです。

 

―猫の毛みたいに見えるのは線のように薄貝を細く切っているということですか!細かい!!

 

ひとつひとつ彫刻刀で刻んでいくんですけれども、この通り細かくなります。

―(実演してくれて圧倒される一同)……すごいです!

いろいろな技法を試しましたが、この彫刻刀だと曲線が細く切り出せるんです。

―これから卒業・修了制作展まで制作も佳境だと思いますが、ここまで制作してみてどうですか?

こういう大きい作品をつくることがないのと、今までは平面の作品が多かったので、今回は曲面を使ったものに取り組みたいと思っています。曲面だと光の反射がより複雑になるので、どんな見え方になるのか楽しみです。角度や素材を変えるとどうなるんだろう、どう見えるんだろうなど、確認しながら取り組んでいます。

―卒展が学生時代の集大成ということになると思うんですけれども、創作への思いを教えていただきたいです。

 

集大成というか、たとえば今回の螺鈿の貼り方のような、ちょっと これは面白いぞっていうものを少し過剰にやってみる、っていう新しいことに挑戦しています。今回の作品のように平らなところではなく、曲面になっているところに貼っていったらどのように見えるのかな、っていう試みもあります。あとは、今まで教わったことをどこまで出せるかな、とか。まず乾漆を作り上げるのもひと苦労でしたし、複雑な形のものを抜き取るのも初めての挑戦で結構大変でした。

 

創作の醍醐味

―創作過程では、どの瞬間が一番楽しいですか?

加飾の作業です。貼り付けた貝を研ぎ出した時の発見が楽しいです。思った通りに表現できたり、想定外の出方をしたりすることですね。自分ではこういう色になるんだろうなって予想しながら、慎重に貝を選んで貼っていくんですけど、どうなっていくのかは実際研ぎ出してみないとわからないところがあります。 そこは半分自分の予測を信じながら、あれこうなったんだとか、次にやるとしたら、ここはもうちょっとなんか違う処理にした方が好きかなとか……常に発見ができるところですね。

 

―逆に創作の辛い瞬間はありますか?


最初の粘土原型の時に形が決まらないと辛いです。あとは細かい突起を研ぐ時になかなか砥石がうまく当たらないっていう技法的な面もつらいですね。

学生生活について

―ちょっと話を変えて大学生活のお話を聞きたいのですが、大学4年間、振り返ってみて どうですか?

 

大学生になった時は、まさか自分が漆をするとは思わなかったので、振り返るととても不思議な感じですね。

 

入学していろんなコースを体験して選んでいくんですけど、そこで漆を選んだのは、パッションというか……。漆という素材の変化や性質が、(いままでの)自分の感覚では理解できなかったところや、どうなっているのかわからないからやってみたい、っていうのが1番で、多分化学反応的な感じで漆と出会ったんだと思います。

 

―どうして東京藝術大学に行こうと思ったんですか。

 

美術系のコースが入っている学校に通っていました。友達が美術系だったことと、中学生ぐらいから課外授業でよく美術室にいたので、その流れで進路選択の時になんとなく美術の方にいきました。

進路選択の中では、色々ありました。美術を目指している方はたぶん直面するんですけど、学費が高いということもありますし、身内に美術系の人がいないと、美術系大学の進路への理解を得るのが難しいんです。

 

―入学時にこれをやりたい!とかあったんですか?

 

元々藝大に行きたいと思ったのは、彫金とかやれたらいいな、と思って入学したんです。入学してから、漆はかぶれるから結構大変だぞ、と言われていたのに、漆を選ぶという(笑)

 

―(笑)どんなところが大変だと?

 

一つの作品に長く時間がかかるので、こらえ性が無いといけないですね。まずは素地を作るのですが、これは乾漆という麻布を漆で型に貼り重ねて素地を作っていく技法になります。これはとても時間がかかることで、さらにそのあとに「加飾」といって、表面にどんな装飾をするかということが入ってきます。

 

ーなるほど。長い道のりですね。みせていただいた螺鈿は細かい作業ですもんね。では漆を実際にやってみてどうでした?

 

ちょっとずつ進んでいくっていうのが、自分に合っていたと思います。あとは、技法として本当にまだまだわからないところがいっぱいあって、これからやりようがいくらでもあるっていうのが、とても自由に感じられて私にとってはよかったです。

次はこういうことを実験してみようと思ったり、つくる人と選ぶ技法でそれぞれ違うものになるという可能性も感じられて、そういうところがいいなって思いました。

 

創作と未来への思い

―今後作りたいものはもう考えていらっしゃいますか。

 

乾漆の技法では自由な形のものが作れるので、両手におさまるお弁当箱くらいの箱をいろいろ作ってみたいなっていうのがあります。前回曲面の箱を教えてもらいながら作ったことがあって、面白かったので。

 

―箱がお好きなんですか?

 

うーん、なんていうか何かを閉じ込めている感じが。小世界みたいな感じがあって好きです。 

閉じている感じがいいなって思います。

 

<ふたのある曲線の箱>

 

ー大学4年間の中で、よかったと思うことは何ですか?

 

制作です。大体半年に1個とか、そういうスパンで作品が出来上がるんですが、そのときどきの達成感なのかな。制作時間が長いせいか出来上がった時が一番嬉しい時なんですね。

 

 

―今日お話をしていて、先ほど選ぶ技法によって違うものになる可能性がある、というとこをおっしゃっていましたが、ちなみに「可能性」とはなんだと思いますか?

 

束縛されないことと、毎回発見があるのが楽しいなって思います。昔はなかった色漆の色数が発明されて絵を描いていくように使えるので、可能性を感じられます。いったい、これどうやってやったの?と思わせるようなものがほかにも新しく出てきやすい、そこが「可能性」だと思います。

 

日常から創作のインスピレーション

 

―新しく何かを見つけるのが楽しいっていうことを今日ずっとお話して頂いているなって思っています。

 

発見が楽しいですね。

ひとつのものを作るのに長く時間がかかるからこそ、好きなものでないとできないし、続けられないなって思います。

 

ー身近な存在から着想を得ているということでしたが、それを作品にする際、どのように形にしていくのですか?

 

自分の心に引っかかったものを少しづつ形にしていく感じです。言葉で表現するのは難しいのですが、心が動いた瞬間を追いかけているような感覚です。

 

これから藝大を目指す方へのメッセージ

 

―最後になりますが、これから、漆芸を学びたい人や藝大を目指していこうかなっていう方に、何かメッセージがあったらお願いします。

 

やっぱり時間は無駄にしないでほしいと思います。大学生活は結構あっという間です。やるべきことはちゃんと 自分の中で決めないといけないと思います。藝大にいるとなかなか体験できないことをたくさん体験できるので、それはすごく大事にした方が いいって思っています。楽しいこともあり、苦しいこともあるんですけど、全部贅沢な時間です。

 

―本当に充実した学生生活を送られたんだなってことが伝わってきました。好きを突き詰めているっていうところが すごくいいなと思います。まさにそこが 創作の糧になっているなあと思いました。これから先々のご活躍を楽しみにしています。今日はお時間をいただきありがとうございました。

 

(取材)西田明子、糸井涼哉、久保田裕美(アートコミュニケータ「とびラー」)

(撮影)樋口八葉(美術学部芸術学科2年)
(執筆)糸井涼哉、久保田裕美

 

(以下感想欄)

「漆芸は自由で実験的で発見に満ちている!」とフットワークの軽い笑顔の新井さんに感動しました。卒展で出来上がった「愛するものたち」を拝見するのが楽しみです。これからのご活躍をお祈りしています。(久保田裕美)

 

飼われている猫という存在を非常に精緻に表現しているところに愛着を感じ得ました。また同年代として自身の気持ちやインスピレーションに向き合って作品制作をしているところに尊敬しました。猫、可愛い。(糸井涼哉)

 

漆芸や作品に対する情熱、今それに取り組める楽しさが感じられ、展示が楽しみです。ご自身の気持ちに素直に向き合って作られている様子も素敵でした。(西田明子)

「ふるさとの田んぼに包まれて」藝大生インタビュー2024| 美術教育専攻 修士2年・炭屋ももさん

2025.01.19

 

晩秋の木々に包まれた東京藝術大学取手校舎。研究室にたどり着くと、灯りがぽっとともったような炭屋さんの笑顔が迎えてくれました。部屋の中央には、どこか懐かしさを感じさせるカラフルなタイルと、地面を切り取ったような重量感のある作品が並んでいます。

― 修了制作の作品について教えてください


私の修了制作の作品は「包まれる」というテーマで、あたたかいものに包まれたいという思いを込めています。温泉が大好きで、ひとり用の壺湯の「浴槽」を作っています。


まだ暑い9月上旬に、ふるさとの佐賀県の親戚の畑に穴を掘り浴槽の形にして、そこにコンクリートを流し固めて作りました。掘り上げた浴槽の周りに付いてきた畑の土をそのまま残すために、樹脂でコーティングしています。

佐賀で作った浴槽は、底部と側面の5つのパーツに分けて藝大まで運びました。それを元の形につなげて内側にタイルを貼っていきます。浴槽の底には空から見渡した佐賀の田んぼを、側面には山並みや田んぼの風景を、絵を描くようにタイルで表現していきます。

・・

畦に囲まれた田んぼの区画をモチーフにした四角いタイルや、山の形をしたタイルを作りました。陶芸用の絵の具を刷毛で描くように色をつけ、透明釉(光沢のある透明無色の釉薬)をかけて焼きました。下描きをして貼るわけではないので、タイルの数が足りるかどうかも、やってみないと分からないんです。

― 作品を作るうえでどのようなことを大切にされていますか


素材を活かすこと、そして佐賀の畑で制作を始めたように、作る場所を大切にしています。東京に出て6年が経ちますが、ずっとホームシックなんです。大好きな佐賀の景色や空気、田んぼを東京に持ってきたらおもしろいだろうと思いました。

私には、「いいな」と思うものそのものになってみたいという気持ちがあります。この浴槽に入ったら、稲穂に囲まれ、田んぼに包まれる気持ちになり、大好きな稲や田んぼそのものになる体験ができたらと思います。卒展では屋外に展示する予定です。お湯は入れませんが、見に来てくださる人にも中に入ってもらえるものにしたいと考えています。

 

― なぜ修了制作でお風呂をモチーフにされたのでしょうか

 

よく家族で山登りをして、その後に温泉に行った思い出があり、幼いころから温泉が大好きでした。コロナ禍で外に出られなくなり、実家のお風呂に絵を描いたのをきっかけにお風呂をモチーフにするようになりました。お風呂はあったかく包んでくれて、何もしなくてもいい場所です。

修了制作作品の壺湯の周りには、3m×3mの白い布に絵を描いた、目隠しののれんをかけます。以前作ったのれんには、滝に打たれた体験を思い出して、包まれるように滝を描きました。今回は何を描くかはまだ悩み中です。

お風呂グッズも作りました。お湯に浮かべるおもちゃのアヒルは、はにわのイメージで野焼きをしました。

銭湯でよく見かける「ケロリン」と書いてある黄色い風呂桶をモデルにして、小松石を彫って桶を作りました。この桶は、重さが5キロもあります。グラインダーを使って彫る桶は、石から思った形がどんどん現れてくる楽しい作業でした。ですが、磨くのは大変で、爪が削れてなくなりました。

 

高校までやっていた書道の経験を生かして、拾ってきた板材に「壺湯 すみ屋」と筆で書き、壺湯の看板にします。興味があることには何にでも手を出すんです。

― ふるさとの佐賀ではどんな子ども時代を過ごしていましたか

小さい頃から、ずっと何かを作り続けている子どもでした。自然の中で育ち、泥団子を作ったり山に登ったり。今の制作活動も、すべて子どもの頃の体験の延長線上にあると思います。素材や作品に向かい合い、体を動かして何かを作りたいという気持ちは変わりません。


高校は美術コースのある学校で、先生に勧められて油絵を始めて、気づいたらここにいるという感じです。多摩美術大学への進学が決まった時には東京に行くことが不安でしたが、担任の先生が多摩美出身だったので、多摩美に行けば美術の先生として、佐賀に戻ってこられるかなと考えていました。先生にも「佐賀で先生をやりたいのなら1回外に出た方がいいぞ」と言われて、確かに外の景色を見ておいた方がいいかなと大学に行く決心をしました。

― 学部卒業後に東京藝術大学の美術教育研究室に進んだ理由を教えてください


私が藝大の美術教育研究室を選んだ理由は、実技制作と理論研究の両方をできるからでした。私は多摩美の油画専攻出身ですが、こうしてお風呂を作ったり、絵を描いていたりしていても、ずっと作品制作だけをしていてはだめだなって思っていたんです。作品と社会とのつながりを形にするためには、言語化することの大切さ、必要性を感じていました。でも言葉にするのは苦手だったので、きちんとものが言えるようになりたいと思っていました。

藝大の学びで印象に残っていることはなんですか

先生の紹介で、2024年に開催していた、静岡県島田市の「UNMANNED 無人駅の芸術祭/大井川」という芸術祭にインターンとして行かせていただき、実際に運営側を経験することができたことです。それ以外にも、あちこちの芸術祭に足を運べたことがとても貴重な経験になりました。

藝大の研究室はいろいろなワークショップの委託を受けているので、アシスタントとして様々な場所に行かせていただいたことも勉強になりました。学部2年生の時からコロナ禍が始まって、あまり外に出て活動することができなかったので、大学院に入ってから、実際に子どもたちと関われたことは楽しい学びでした。自分も制作者として、作ること自体をとても楽しいと思っているので、アートを通して子どもたちに、作る楽しさを伝えられたのではないかと思います。
将来は自分も人の役に立つことをやりたいと思うところがあって、それには、私の作品だけでは限界があると感じていました。作品と人とのつなぎ手となることで人を笑顔にしたいという気持ちを実現するために、もっと社会的な広がりのある、町や地域単位でプロジェクトをやりたいと研究室での体験を通じて考えるようになりました。

― 将来の夢を聞かせてください


地域芸術祭に興味があり、自分でも芸術祭を作ってみたいという夢を持っています。学部4年生の時に、新潟県の「大地の芸術祭」を見に行き、過疎化が進む地域にもかかわらず、たくさんの人が来ている様子に、アートってこんな力を持っているのかととても驚きました。その体験は、こういうことを九州に帰ってやりたいと思うきっかけになりました。

もちろん作品を作る側も好きですが、芸術祭を実行する運営側になるためには、人に論理的にものを伝える力が必要だと思いました。自分が考えたことを形にするだけでなく、多くの人と合意したり、協力したり、みんなで力を出していくためには、言葉の力が必要で、それを学ぼうと自覚したということなんです。芸術祭を実行するという夢がはっきりしてきたので、来年から、熊本県の湯前町の「地域おこし協力隊」として働くことを決めました。

 

― 湯前町とはどういうご縁があったのでしょうか


球磨郡湯前町の少し離れたところに祖父母が住んでいて、小さい頃からよく遊びに行っていました。日本三大急流のひとつ、球磨川の流れに沿って走るくま川鉄道が大好きなんです。くま川鉄道は、2020年の水害で線路や橋が流されて、今も復旧の途中です。湯前町はくま川鉄道の終点の地域ですから、沿線に沿ってアートで何かできるんじゃないかと考えています。あの場所で受け取った大事なものを残して、伝えていきたくて、湯前町役場の方々にアートで地域おこしをしたいと話をしたら賛同を得られました。この活動でなら藝大大学院での2年間の学びが生かせそうだなと思いました。今も教育にも興味があるので、地域おこしの仕事が学校教育に活かせるかどうかわかりませんが、将来的にまた教育方面でも何かできたらと考えています。
私は地域おこしにアートを持ち込みたいと勝手に考えていますが、町の人が本当はどう思っているのかわかりません。ですから最初は、ワークショップなどの交流を通じて地域の人たちが求めていることを理解した上で活動したいと考えています。また、レジデンスで国内外のアーティストを呼び、空き家の活用もやりたいと思います。

― これからの作品制作についてはどのようにお考えですか


大学院を修了してからも、作品制作は続けていこうと思っています。湯前町とも住む家を決めるにあたり、地域おこしをしながら作品の制作をやりたいと相談しています。今はとにかく石を彫りたい。石を彫るきっかけとなった温泉で見た20トンもある岩のお風呂のように、自分の手で石に触れ、包まれながら、大きな作品を彫れたらと思います。

― 地元の子どもたちに伝えたいことはどんなことですか


やはり佐賀と都市部は全然違います。美術館の数も、文化に関する情報量もとにかく違う。私は、油絵の先生に油絵制作を教わったことが、自分の興味関心を見つけることにつながっていったと思います。そこから東京の美術大学に進んでみたら、さらに立体作品や、インスタレーション作品など多様なアートの楽しさに気づいていきました。そんなふうに子どもたちの視野を広げてあげられる人になりたいと思います。外に出た人間が地域に戻ってくるということも、子どもたちが選択肢を広げて、自由になることに影響するんじゃないでしょうか。湯前町の地域おこしでもワークショップを開いて、子どもにいろんな創作体験をさせてあげたいなと思っています。
作品を作るって本人をそのまま表すと思います。アートは自分を表す手段としてとても有効なので、頭でいろいろ考えなくていい、心を開放する体験ができる学びなんじゃないかなと思います。

― 卒展を見に来てくれる人へのメッセージをお願いします


みなさんは、私の作品を見て何を思うのでしょうか。私はお風呂を作りたい、田んぼに包まれたいと思ってこの作品を作っているのですが、見てくださる方には、同じように思ってもらいたいということはないんです。温かいものに包まれたいというテーマで、温かい気持ちになる作品にしたいという思いはありますが、見たまま、感じるままに受け止めてもらえればいいと思います。
本当は、社会的なコンセプトもあるのですが、それを外に出して伝えるべきかは、慎重に考えたいと思っています。作品の素材も、思うところがあって、あえてコンクリートで作っています。
言葉はとても強く、作品の横に置くと見た印象に大きく影響すると思います。私の作品は、見て体験できたぐらいがちょうどいいと思っています。「佐賀の田んぼ持ってきました」という感じが伝わればいいんです。
私の作品を見て、特に地方から出てきた人からは「なんかすごく落ち着く」、「懐かしい」と言われることが多いので、やっぱり田んぼの景色を知っている人には言葉がなくても伝わるものがあるのだと思っています。

 

終始ほほえみながら楽しそうにお話してくださった炭屋さん。ふるさとの佐賀への愛情、作品に込められた想い、活動への情熱が、言葉や瞳の輝きから伝わってきました。柔らかな癒しの力をまとう芯の強さを感じます。

卒展で、完成した作品「壺湯 すみ屋」に入るのが楽しみです。作品に包まれ、ほっこりと優しい気持ちに満たされて、ついつい長湯をしてしまうかもしれません。


(参考)


新潟県十日町市・津南町「大地の芸術祭」
https://www.echigo-tsumari.jp/news/20230721/

静岡県島田市・川根本町「UNMANNED 無人駅の芸術祭/大井川」
https://shizuoka-hamamatsu-izu.com/shizuoka/shimada-city/unmanned-mujineki/

総務省「地域おこし協力隊」
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/02gyosei08_03000066.html


取材:井戸敦子・小木曽陽子・曽我千文・谷口圭
執筆:曽我千文
撮影・編集:越川さくら(とびらプロジェクトコーディネータ)

 

インタビューは炭屋さんがこれまでの出会いの中で感じたこと・大切にしていることにじんわりと包まれるような美しくて素敵な冬のひとときでした。(11期とびラー:井戸敦子) 

                           

故郷への想いがぎゅっと詰まった炭屋さんの作品に触れると、不思議と懐かしさがこみあげてきます。いつか佐賀県や熊本県湯前町に足を運び、温泉と大自然を味わってみたいです。(11期とびラー:小木曽陽子)

                           

炭屋さんとお話していると、時にやわらかく、時に力強い、田んぼを吹く風を感じる気がしました。佐賀のバルーンフェスティバルで風にのる熱気球から、田んぼや山なみを眺めてみたいです。(11期とびラー:曽我千文)

                           

初めて目にするのにどこか懐かしい気持ちになる作品と、炭屋さんご本人の柔らかな佇まいから、こんこんと湧き出る不思議な力を受け取りました。(12期とびラー:谷口圭)

「『粘菌ギャル』になりたい!」藝大生インタビュー2024|デザイン専攻 修士2年・柴田美里さん

2025.01.19

 12月4日、私たちとびラーは東京藝術大学(以下、藝大)取手校地を訪れました。迎えてくれたのは、デザイン科修士2年の柴田美里さん。柴田さんがアトリエのあちこちから椅子をかき集めてくださり、インタビューは車座で始まりました。

 

 

― 作品を見る前にまず、卒業制作のテーマを教えてください。

 

 「粘菌″ャ」レ 曼荼羅(まんだら)」というタイトルで、ギャルのフィギュアを2体作っています。「年金」ではなく生き物の「粘菌」のギャル。「″ャ」レ」は「ギャル」のギャル文字表記です。

 

 卒業後の自分の人生について思うところがあって。今までは、藝大に入って作品を作るという目標に向かって進んできたけど、今後の生きていく意味をまだ見出せていなかったので、人生の道しるべを作りたいと思って卒業制作を始めました。

 

 私のためだけの仏像というか、偶像崇拝っぽい展示の仕方をしたいと思っています。粘菌とかギャルになりたい願望が以前からあって、そのなりたい姿を私なりに作ってみた、というコンセプトです。昔の人がありたい姿を偶像に投影してお祈りしていたように、私のなりたい姿、目指したいものを形にしています。

「ギャル」、「粘菌」、「偶像崇拝」。インタビューの冒頭から強烈なワードがたくさん飛び出しました。気になることばかりです。

 

 粘菌とギャル、なんで?と思いますよね(笑)。粘菌が元々好きで、学生生活を通してずっと粘菌関連の作品を作ってきました。すごく変な生き物で、菌なのに動くんですね。森の中を自由に駆け巡っている姿がすごく不思議でかっこいいなと思っていて、そんな粘菌になりたいんです。

 

 ギャルも、その存在が好きです。好きな服をまとって、人目を気にせず街中を厚底ブーツで闊歩していたり、その姿がかっこよくて、ああなりたいと思う存在なんです。ギャルの力強くて自由な立ち居振る舞いと粘菌が、私の中ですごくリンクしていて、ある意味似ているのかなと思っています。その2つを組み合わせて作品を作ってみました。粘菌も、進路に虫がいてもアスファルトの上でもガンガン突き進む強さがあります。

 

― 藝大に入る前はどういったことをされてたんですか?


 中学校のときに美大に行きたいなと思って、それ以降真面目に勉強していました。藝大は国立なので試験科目が多いし、そのデザイン科に行くなら実技以外の勉強もある程度必要、と聞いていたので、中学ではセンター試験レベルの勉強をがっつり頑張って、高校からは美術予備校でがっつり実技の勉強をしました。


― 最初に粘菌とギャルに出会ったのはいつ頃ですか?

 

 粘菌は中学校ですね。仲が良かった図書室の司書さんに、新しく配架した粘菌の図鑑を「絶対好きだと思うんだよね」と見せてもらったのが最初です。「なんこれ?うわ!カッコよ!」みたいな出会いでした。どの本かもう忘れちゃったんですけど、何回も読んで粘菌がすごく好きになりました。

 ギャルは大学に入ってから、ギャルっていいなと思い始めました。私自身はそれまでそんなにギャルではなかったです。今もギャルではないんですけど(笑)。

「私はギャルじゃない」と謙遜(?)する柴田さん

 

― 学部時代の卒業制作の写真を拝見したのですが、そちらでも粘菌をテーマにしていたのですよね。

 

 

 あれは粘菌になるための装置というか、棺です。私が死んだらロープの塊に入って土葬されて、微生物に分解される。そこを粘菌が通ったら、粘菌に吸収してもらえるというコンセプト。粘菌には触れたものを体内に吸収して記憶する性質があるので、そうすれば粘菌の一部として生まれ変われるなという妄想を、そのまま棺の形にして作ってみました。


 学部の卒業制作の延長というか、粘菌になりたい同じ思いを持ったまま、修士課程の修了目前まで来ています。

 

― フィギュアは木彫りで作っているそうですが、どういった形で出会ったり、始めたいと思ったんですか?

 

 元々趣味でフィギュアが好きで、粘土で作ることは良くあったのですが、粘土って足し算の作業で、形がなかなか決まらないのが嫌だったんですよ。毎回おおざっぱに形を作って、粘土が固まってからやすり、形を整えていたんですけど、ふと「初めから彫ったらよくない?」と気づいて、2023年の11月頃から木彫りを始めてみました。完全に独学で、木彫の技術はまだまだです。

 

 素材としての作りやすさだけでなく、「ギャルの格好したやつが木でギャル彫ってたらおもろくね」と思ったのもあります。3Dプリンターで作る樹脂のフィギュアは既にポップアートとして人気だけど、「え、木彫りなんだ」みたいな意外さ、新しさがあるかなと。

 

― 柴田さんのイメージする具体的なギャル像はありますか?

 

 子どもの頃から好きでした。2000年代のギャル文化は意識しています。時代によってギャルのイメージは変わりますが、そんなに特定の時代のギャルは意識していません。いろいろなギャルがいていい。格好は今っぽいギャルでも、スマホではなくガラケーにキーホルダーをじゃらじゃらつけていたり、混ぜこぜなギャルです。

 

 ギャルの誰かではなく、私がなりたいギャル像を作品にしています。私は最近髪型を姫カットにしているので、彫っている作品をみんな姫カットにしたり、私がよくする格好や着てみたい服装を作品に着せたり、作品と自分を寄せていく意識です。

 

― 柴田さんはギャルだけでなく粘菌にもなりたいとのことでしたが、なりたいものを作品に投影してる感覚があるのでしょうか。

 

 そうですね、自分の理想としてぼんやりと思い浮かべたものを無心に彫っていって、彫り続けるうちに理想の姿がわかってくる感覚があります。仏像を作っていた人たちも「彫る」行為自体が一種の信仰で、私と近い感じ方をしていたんじゃないかな。

 

 デザインは社会とのかかわりが大きいので、他者のためのものを作ることが多いと思います。私もデザイン科に入りましたが、なかなか社会に興味が向きませんでした。外に向けて作ることが減っていって、内向きで自己表現的な作品が多くなっていますね。

 

― 作品のタイトルにある「曼荼羅」というのはどういうことですか?

 

 「曼荼羅」の語源に「本質を有するもの」というような意味があるのと、複数のギャルが登場するのが、仏がたくさん描かれている曼荼羅の図にも通じるのではないかと思っています。それから有名な粘菌の研究者で南方熊楠(みなかたくまぐす 1867-1941)という人がいて、粘菌を研究しつつ、宇宙や民俗についても考えていた方です。南方熊楠は宇宙のいろいろな物事の関係性を表した「南方マンダラ」という図を作っていたので、そこから〇〇曼荼羅ということで「粘菌ギャル曼荼羅」というタイトルになりました。

 

椅子から立ち上がり、いよいよ実物を見ることになりました。

 

 粘菌の中でも特に好きだった2種をギャルにしました。題材にした粘菌の色や見た目の要素をファッションとして取り入れていて、ポージングのうねりも粘菌を意識しています。

 

 こっち(写真左)が、<ルリホコリ>という好雪粘菌、雪が好きな粘菌の子です。多くの粘菌類には子実体(しじつたい)という、キノコみたいな状態になるときがあるのですが、ルリホコリの子実体は虹色っぽくてギラっとしているんです。粘菌好き界では人気の粘菌で、私もこの子が一番好きです。ところどころに銀箔を貼って、硫黄で焼いて虹色にしています。

 

 こっち(写真右)は<ウツボホコリ>という粘菌の子です。子実体がピンクなので、ピンクっぽい木材を組み合わせて寄せ木して、髪型と服装で子実体のモフモフ感を作りました。

「焼き鳥とか刺せそうなまつげですよね」と柴田さん。

 

― 二体でキャラクターが違う感じがしますね。

 

 性格のコントラストを意識して作っています。この子(右・<ウツボホコリ>)はぶりぶりしているイケイケな感じで、こっちの子(左・<ルリホコリ>)は静かめなダウナー系のギャルです。どちらかと言うとルリホコリの方が私に近いかな。

近頃、ご自身もレッグウォーマーをよく着用するとのこと。

 

― 首から下もかわいいですね。

 

 体形は私のなりたいむちむちのギャルです。「太ももは太ければ太いほどいい!」、「ギャルはガリガリよりもムチムチ!」という主義で彫っています。そのこだわりは私の願望で、粘菌はあまり関係ないです。

 

ここでとびラーが気になるものを発見。

 

― このスケッチは何ですか?


 これから仏像(ギャル像)の後光と台座を作る予定で、下書きだけしてあります。


 今年度の1学期にこのアトリエで粘菌を観察しながら飼っていたんです。その粘菌に竹の炭を食べさせながら布の上を歩かせて、すると布に粘菌の「足跡」がだんだん残っていくんです。その粘菌の歩いた足跡の模様を後光のデザインにしました。

柴田さんが飼っていた粘菌の「足跡」

 

― この布には像と同じ2種類の粘菌がいるんですか?

 

 いや、これはイタモジホコリという粘菌です。もうこの布にはいないんですけど、学校の理科の実験などでよく使います。粘菌としては1番オーソドックスで飼いやすい種類です。

 

柴田さんの机のすぐ隣にあった、生活感あふれる箪笥。以前このアトリエを使っていた学生が持ち込んだものとのこと。この箪笥で粘菌を飼っていた。

 

― 箪笥で飼っていたんですね。

 

 そうです。日光が当たって子実体にならないように、暗くて温度が一定になる引き出しに入れて、梅雨の時期に合わせて飼っていました。粘菌は温度と湿度が高くないと活発に動かなくて、乾燥している冬は苦手なんです。寒いのは嫌、でもお腹は出していきたい、足も出さないといけない、という意味でギャルと共通点がありますね。

 

― ご自身では内面もギャルだと思われますか?

 

 ギャルになろうとしてます(笑)。性根は全然ギャルではないので、ギャルになりたいっていう気持ちで頑張ってギャルに擬態してます。もちろん環境的な要因もあると思いますが、ギャルって生まれ持った性質だと思うんです。ギャルはなるべくしてギャルになる気がします。結局ギャルにとって1番大事な要素ってその内面だと思っているので、私はたぶんギャルにはなれない(笑)。私は中身は結局ギャルではなくて、なれたらいいなとは思っています。

 

― 粘菌やギャルのあり方を聞いてきましたが、社会に出たらどう生きていきたいですか?

 

 そうですね。藝大は自由だし、教授たちも見逃してくれていることが多いと思う。社会人になったら、いろいろなルールの中でしっかりと頑張って生きていかなきゃいけない。私は早めに死んで早めに粘菌に生まれ変わりたいけど、でもギャルみたいに社会を生きられたらそれもそれでいいかなと思っています。

 

 「今後の人生頑張んなきゃ」、「死なないように頑張ろう」、そういう感じですね。この先格好は変わるかもしれないけど、いつも心にギャルを!」と思ってやっていきます(笑)。

 

終始笑顔で、粘菌への深い愛情とギャルへの真っすぐな憧れを率直にお話ししてくれました。柴田さんの今後のご活躍を応援しています。

取材:松井健悟、平林壮太、足立恵美子、小林有希子(アートコミュニケータ「とびラー」)

執筆:平林壮太

撮影・編集:竹石楓(美術学部日本画専攻3年)

 

 

 

今でもこんなにも粘菌のことが好き、ということを図書室の先生が知ったら嬉しいだろうなと思います。(平林壮太)

 

 

 

 

作成途中の背後に立てられるパーツや配置の構想図から作品の今後の展開を垣間見て、完成した姿を見るのが楽しみになりました。

(松井健悟)

 

 

 

「ギャルと粘菌になりたい」という真っ直ぐな想いがとても魅力的でした。これからのご活躍も楽しみです。(足立恵美子)

 

 

 

 

仏師のように黙々とギャルを木彫りする柴田さんの姿を想像してみると、後光がさしている光景が目に浮かびました。(小林有希子)

 

「社会全体から変わっていかないとどうしようもない。 難しいとは思いつつ、なにか少しでも変えられたら」藝大生インタビュー2024|先端芸術表現科 学部4年・杉田碧さん

2025.01.19

 2024年12月4日、快晴の窓からは利根川がきらきらと輝いて見える東京藝術大学(以下、藝大)取手キャンパス原田研究室で、美術学部先端芸術表現科4年生の杉田 碧(すぎた あおい)さんに、卒業制作や学生生活、これからのことを伺いました。

 

〇 卒業制作展に向けて制作中の作品の内容について

 

 

 はじめに作品を観させていただいてよいでしょうか。

 

 今制作している作品は、会場に設置する映像インスタレーションです。ここには作品を設置していないので、今手元にある映像や記録の写真をご覧ください。会場では、スクリーンを部屋の真ん中に張り、後ろの壁にも映像を映します。手前ブラウン管テレビにも同時に映像が流れます。CGや画像で作った、鑑賞者に語りかけるキャラクターをスクリーンに映し、浮かび上がって見えるようにしつつ、ブラウン管テレビ、スクリーン、壁の三層の映像が同期して鑑賞できるようになっています。映像では自分で作曲した音楽も流ます。

 社会に存在する偏見や問題をリサーチし、現実にあるものを非現実的なものに変換して、リアリティを抑えつつ、観ている人にじわじわ影響を与えるという作品をつくっています。

会場で流れるピアノの曲も自身で作曲している

 

― この作品をつくろうと思ったきっかけはなんですか。

 

 以前、卵子を提供すればお金を稼ぐことができるという発言をしている人を見ました。その発言から、お金に引っ張られて、軽はずみに命が誕生してしまう状態に危機感を覚えました。しかし、この話は自分とはそんなに遠い話ではないと思っています。自分ももし同じ立場だったら、同じこと(卵子提供)をしてしまうかもしれない。そのような懸念を作品で表現できたらと思い制作したのが、〈Gift〉(2023)という2チャンネル・ビデオインスタレーションです。

 そこから卒業制作に向けて、遺伝子操作やデザイナーズベイビーについても調べ始めました。そして、誕生する前から、親から子への理想像や価値観の押し付けができてしまうことにも疑問を抱きました。これらが技術の進歩によって不可能ではなくなっていることに対する注意喚起ができたらいいなと思っています。

 作品は3部構成で、第1章では生殖医療の進歩によって引き起こされる問題、第2章では世界で起こっている戦争や身近なところに存在する大変なことに気づかないふりをしている人々について、第3章では優生思想やルッキズムといった、他人に自分の理想を押し付けてしまうことをテーマにしています。

 人形劇などから着想を得て、できるだけ生身感がなくなることを意識しながら制作をしています。実際に存在する人はコントロールできず、いやでもその人固有の要素が出てきてしまう。今自分がコンセプトをもって作品として出す上で別の要素が入ってほしくない。できるだけ自分の思ったかたちにできるという点で現実にいない人のほうがやりやすいと思っています。

 

― いつからこのようなスタイルで制作されているんですか。

 

 去年くらいから始めました。それより前は映像の制作はやったことがなくて、平面の細密画を描いたり、立体の作品をつくったり、映像とは違うことをいろいろ試していました。1、2年生ぐらいまでは、こういうものを作ろうと思って作品をつくるというよりは、描くことによって楽になる、救われるという、自分主体の制作でした。でも、あるときから、そのような制作のスタイルは自分をさらけ出す行為で、自分がすり減っている気がして、自分主体でつくることがしんどく感じるようになってしまいました。3年生の時に、他人に向けてアプローチする方法が自分には合っているかもしれないと気づき、テーマは変えずに少し視点を変えて、今の感じになりました。

 

― 生殖医療や優生思想、ルッキズムに関心をもったきっかけはなんですか。

 

 1年半くらい前からニュース、SF的な小説を好んで読むようになりました。なかでも村田沙耶香さんの小説が好きで、その世界観に触れ、関連するテーマを調べるようになりました。日頃生活する中で、SNSや人との会話で引っかかる発言やちょっとした疑問が積み重なり、なんでルッキズムに支配されなければならないのかとショックを受けることもありました。そうしたことがきっかけだと思います。

 

― 生殖医療や戦争、優生思想に対する課題をどう感じていますか。

 

 やっぱり、危ういなとは思います。この状況は変えようと思ってもなかなか変わらないし、進み過ぎてしまっている。情報も錯乱していて、消費社会になってきている。子どもも命も自分の都合のよいように扱われてしまう。このことに対して、何にも感じない人はいないと思っています。育ってきた中で培われてしまうものがあり、そもそも社会全体から変わっていかないとどうしようもない。難しいとは思いつつ、なにか少しでも変えられたら。自分への自戒にもなるので、向き合っていきたいという気持ちでいますね。

 

〇 今の制作スタイルについて


― インスタレーションという方法を選んだのはなぜですか。

 

 大学に入って一時期からずっとインスタレーションをやっていて、空間づくりが好きです。平面の作品も素晴らしいと思うけど、私は(鑑賞者が作品の中に)入ってほしい。世界観として引き込まれる構図にしたい。暗いところで外の情報を遮断するような感じで、いつも空間づくりをしています。

 

― どのような手順で作品を制作されていますか。

 

 いつも同じようなテーマから作り始めています。最近は生殖医療に関心があるんですけど、もともとルッキズムを作品で扱ってきました。今回も、ルッキズムに含まれる排他性が、優生思想やデザイナーズベイビーにも通じるというところから始まっています。言葉先行なので、基本はテーマを決めて、言葉やストーリーを考えてから全体を組み立てるという作品のつくり方をしています。

 

 メッセージを伝える時に、他の方法よりもアートがよいと思う部分はどこですか。

 

 アートの好き嫌いは置いておいて、社会問題だけを直接伝えられると気が引けてしまう気がするけれど、アートはビジュアルや、空間、世界観という、社会問題と別のところで組み立てることで相手にとって入りやすくなると思っています。少なくとも私はそのほうが親しみやすい。一見社会問題とは別物だと思って作品を見始めて、あとからじわじわ気づかされるほうが効果的だと思っていて、そのことを意識してつくっています。何これ面白いみたいな感じで見始めたら、実は重たいテーマだったという感じがいいかなと思って。何かを渡せて持って帰ってもらえたら嬉しいなと思って制作していますね。

 

― 音楽と映像を合わせたことでよかったと感じたことはありますか。

 

 音楽と映像を合わせたことで、今までやってきた中で一番鑑賞者に伝わっている感じがします。映像はやらないと決めつけていたんですけど、いざやってみたら向いているかもと思いました。3年生の時にレディメイドという既成のものを使って作品をつくるという課題がありました。聖母マリアの肖像画、チャップリン監督・出演の映画『独裁者』の中のスピーチを語らせ、その音声を無理矢理楽譜に起こし、ピアノで弾くというパフォーマンスをしました。聖母マリアからイメージされる理想の母像とは乖離する言葉を語らせることでイメージの乖離を表し、さらに言葉を音にすることで言葉すら原型をとどめていない状態をつくることで、情報を信じることの危うさを表現したいと思って制作しました。周りからよい評価をもらったので、映像をやってみようかなと思いました。

 

― 作品を展示する際に、好きな場所や理想的な場所はありますか。

 

 まだ経験が浅いので、外部の展示空間で出来ていません。近いうちに何もない、まっさらな展示空間としてつくられたところでやれたらいいなと思っています。

 

〇これまでとこれから

 

― 今の作品のテーマと藝大で作品づくりをしようと思った動機はつながっていますか。

 

 どうなんだろ。もともとそんなに美術を専攻しようと思っていなくて。美術はもちろん好きだったし、高校の授業でも楽しくやっていたんですけど。ずっとピアノや作曲をやっていて、どちらかというと音楽の方が得意でした。ピアノも既成の曲を弾くより自分でつくったり、即興で弾いたりするのが好きで、あるものをなぞるより自分でつくる方が得意という自覚がありました。曲をつくる感覚と映像をつくる感覚は近いと思っています。高校生の頃は、何かに囚われているような感覚を発散するために、定期的に絵に落とし込んでい、それをポートフォリオとして出したら運良く藝大に合格しました。

 ルッキズムは直接的にはつながっているかわからないですが、日々の悶々とした、漠然としたものと、作品に落とし込む前のもやもやは、間接的にはつながってはいたのかなと思います。

 

― なぜ先端芸術表現専攻を選んだのですか。

 

 純粋に楽しそうと思ったのが一番です。自分の興味範囲が広くて、ドローイングもしながら画像編集も趣味でやっていました。それらを融合できる学科で、何をやってもいいので面白そうだなと思って選びました。

 

― 原田研究室を選んだのはなぜですか。

 

 原田愛先生は、舞台美術を専門にしている先生で、大がかりな設営に詳しく、自分が制作したいものと近いので選びました。これまでもいろいろと相談に乗っていただき、学びの多い環境です。ゼミの先輩方に、劇団を立ち上げている人や、暗室空間での作品をつくっている人がいて、自分の作風が演出的な作品づくりという点で合っているのかなと思って選びました。

 

― 藝大での学生生活はいかがでしたか。

 

 最初は入学できたのが嘘みたいで不思議な感じでしたが、環境にだんだん慣れてきました。周りの人たちは、話したいことが似ているので、とても居心地がよく、充実していたなと感じています。取り組んでいるテーマが同じ人は少ないですが、自身が探求していることでなくても深掘りしてくれて、対話ができる環境なのでありがたいと思っています。

 2年生から取手キャンパスに通うようになりましたが思っていた以上に自然豊かで驚きました。身近に自然があるのは嬉しいです。

 

― 大学院に進んで、このままずっとアーティストとして活動をされる予定ですか。

 

 結構悩んでいるんですけど、自分のために作るより他者がいる方が作りやすいです。アーティストとして一人で活動していかなくてもいいのかなっていうのがあります。空間づくりに関心がずっとあるので、空間演出にも興味があります。あとは、自分で文章を書いてストーリーを考え、空間をつくることを卒業制作でやっていますが、それらをメディア別に分けて、自分が書いたストーリーを本にしてみたり、空間だけで作品化することにもチャレンジしたいと思っています。

 

 

取材を終えて

 卒業作品展では、杉田さんが制作された作品である展示空間がどのようになっているか楽しみです。また、杉田さんは、絵画も、映像も、音楽もできる多才な方なので、今後どのような表現活動をしていくのかとても楽しみです。貴重な時間をいただきありがとうございました。

 

取材・執筆:正木伶奈、長沼千春、山中大輔

撮影・編集:竹石楓(美術学部日本画専攻3年)

 

 

 多様な技術を組み合わせて、社会問題に対しての一貫した興味と危機感を表現してきた杉田さん。制作の紆余曲折や背景を知れたことで、卒展が一層楽しみになりました。これからの活動も応援しています!(正木伶奈)

 

 

 やわらかい雰囲気の中にもしっかりと自分の軸を持って受け答えしている姿が、とても素敵だな〜と感じました!個人的にも興味のあるテーマなので、卒展の会場で実際に展示された作品を見るのがとても楽しみです。(長沼千春)

 

 

 杉田さんは、ドローイング、映像、音楽をすべて自分でつくられていて、かつテーマが社会的な内容で、それを空間を作品にした時にどのような場になるのか実際に作品を観てみたいと思いました。これから先もどのようなアーティスト活動をされるのかとても楽しみです。応援してます!(山中大輔)

「死ぬまで漆にかかわりたい」藝大生インタビュー2024|文化財保存学専攻 修士2年・間瀬春日さん

2025.01.19

上野公園の銀杏が一気に色づいた11月下旬、東京藝術大学(以下、藝大)の上野キャンパスに、同大学大学院美術研究科の間瀬春日(ませ はるひ)さんを訪ねました。間瀬さんは、文化財保存学専攻で保存修復工芸研究室に在籍しています。
文化財修復の研究室は地下にあり、中に入ると木の香りが微かに薫る「和」の空間でした。しかも靴を脱ぐという手順を踏むことで、ちょっと異空間に入るような感覚になりました。

 

 

-修了制作はどんな作品に取り組みましたか?

 

 紫陽花で有名な鎌倉の明月院に織田信長の弟、織田有楽斎が100揃い(100個セットのお椀)寄進したものと言われている「明月椀*(めいげつわん)」というお椀の復元模造制作です。今回の制作のプロセスを見せたいので、卒展では出さないものも含めて今日は工程順に素材を並べてみました。

 文化財の模造は2種類あります。傷みなども含め現状のありのままを再現する「現状模造」、もう一つは当時の技術を再現しながら、その当時の状態の作品を制作する「復元模造」があります。明月椀については後者で取り組みました。貝片で装飾をする「螺鈿(らでん)」の技法は特殊な技術なので、その再現として、素材の貝を桜の花びらの形に抜くところから取り組みました。

明月椀と制作プロセスが並ぶテーブル

 

 この椀の螺鈿には「割貝技法」が用いられていて、この技法は椀の複雑な形状に合わせて貼り付けるので、1枚1枚にあらかじめ割れ目を入れて面に添わせるようにしています。現代の作品でも割貝は使われていますが、普通は貝を椀の面に押し当て、パキパキと割っていくことが多いです。明月椀のように、ここまで細かい割れ目を入れるようなパターンは珍しい技法なので今回、螺鈿部分を中心に復元しようと思いました。

 素材はアワビ貝で、0.15mm程度の比較的厚い貝です。調べるとどうも鏨(たがね)*で打ち抜いたものではないと考え、今回糸鋸で一つ一つ自分の手で形を切り抜きました。

 

*明月椀(めいげつわん):桜花文散し螺鈿椀。朱塗りに螺鈿(らでん)の桜花文が埋め込まれた桃山・江戸時代の輪島塗の木製椀。

*鏨(たがね):鋼鉄製の加工用工具。

 

貝から花びらを抜く工程

 

-なぜ糸鋸機を使わなかったのですか?

 

 「技法の再現」もテーマなので、当時存在した手段を用いました。仮に椀を100個とした場合、計算すると全部で花びらを約29,000枚用意しなければならないので、量産も加味しながらアプローチしました。

 螺鈿の桜花文の花びらの部分は、貝片を6枚重ねにして切ることで半量産を意識しました。貝片はデンプン糊で接着させているので、水に浸ければバラバラになります。花びらの真ん中のポツッとした柱頭はとても小さいので、鏨(たがね)で1個1個打ち抜きます。この柱頭を中心に、丸く切った和紙の上で桜花文を作りますが、花びらとの間に隙間をあけることで桜の形がパキッと見えます。そして花びらに、あらかじめ割れ目を入れておきます。

これに注目!花びらの中心にある点「柱頭」

和紙で裏打ちした桜花文

 

 こうして和紙で裏打ちした貝ができるわけですが、大変なのは貼り付ける過程です。紙から貝が剥がれて落ちてしまう・・また貝は自然物なので当然天然の傷や割れはあり、そこから予期せず砕けることもあります。

 貝を貼り込む明月椀の器の素地は、文献調査と、オリジナルの椀の透過X線写真を撮ることで、ヒノキと推定できたので今回ヒノキから椀の形を作り、縁の部分に薄い布を着せ、その上で全体に砥の粉と漆を混ぜたものを塗り重ねて下地を作りました。

復元模造のためのヒノキ椀

 

 最初は刷毛目などが残って表面が粗いので砥石を使ってひらすらツルツルになるまで砥いでいきます。そして下地が出来た段階で螺鈿を貼り、そこに上から漆を塗り重ね、乾いたら、炭などを使って螺鈿部分を見せるために砥ぎ出していきます。これを繰り返して作品が出来上がります。形態は素地の段階で完成しているので、あとは目指した仕上げのレベルになるまで繰り返します。同じ工芸でも陶芸などは、一度焼き上げたものがそのまま作品になりますが、漆は同じ工程(塗って砥いで!塗って砥いで!)をひたすら繰り返すので、周りから「(すごすぎて)おかしい!」と驚かれることもあります。(照れ笑)

 

-とびラー3人「うんうん(ごもっとも!)」(笑)

 

工程見本の板

 

<主な制作工程>

木製の蓋つきの椀の縁に麻布を着せ漆で下地を塗る→乾かす→貝を型抜き桜の模様を制作し椀に貼る→桜の模様の上から漆を全体に塗る→乾かす→桜の模様の部分だけ漆を剥ぎ起こす

 

螺鈿の漆を剥ぎ起こす

 

-作品制作に掲げているテーマはありますか?

 

 自分にとって明月椀の復元模造は挑戦でした。学部は金沢美術工芸大学で漆を学び卒業後、一度京都で社会人を経験し、そこで漆屋さんとのお付き合いがありました。もともとは乾漆造形をつかったオブジェを制作していたので、藝大に来て初めて螺鈿に触れました。

 藝大美術館所蔵の明月椀一揃いが、修復予定の作品として研究室に来ていたのですが、私が鎌倉出身で椀づくりと所縁があり、また漆を学んだ関係で材料や業者といった制作への見通しが立ったので、やってみようかという気持ちで、この椀と向き合うことになりました。

 過去にも明月椀の復元に取り組んだ人はいましたが、記録は残っていないので、この修了制作を通じて後続の人たちの参考になればという想いはあります。

 

-いつも明月椀とどんな気持ちで向き合っていますか?

 

 シンプルに面白い。これだけ合理的で突出したカッコいい技術が備わった作品をスパッと出されてしまうと勝てないな、という気持ちになります。特にわざと凹凸があるところにこれ見よがしに螺鈿の桜模様を貼り、それを400年前に100個揃えるというセンスには驚かされます。そんなカッコいいものに、藝大に入って触れることができたことはとても贅沢なことだと思います。

 

-苦労して取り組んだ修了作品について、どういうところを見て欲しいですか?

 

 まずは意匠のカッコよさを見て欲しいです。特に螺鈿が複数の凹凸部に貼られているところ。制作は大変だろうなとは思っていましたが、想像以上でした。

中塗りが終わったところ

 

-間瀬さんにとっての漆の魅力とは?

 

 高校の時、美術予備校の先生が漆をやっていて興味を持ち、藝大の卒展で見た漆の作品がめちゃくちゃカッコよかったので、大学で漆をやりたいと思いました。祖父は、手書きの看板職人と大工だったので、もともと手に職がある仕事に非常に憧れていたこともあり、進路は自然に決まりました。それと、わからないものに興味があります。宇宙も海洋も大好き。漆もわからない。わからないことがあるから面白い。昨日はきちんと乾いたものが、今日は乾かない。そんな漆のご機嫌伺いをしながら暮らしています。だからこそ面白いのであって、死ぬまでずっと漆に触っていたいです。

 

-ここまで漆にたずさわってきて作品づくりで思うことはありますか?

 

 最初はデザイナーを目指していましたが、デザインのためのアイデアを考えるのがつらい一方、手を動かすのは苦にならないので、工芸志望にしようかなと思いました。漆の素晴らしい作品を見て、結局漆を専攻することになりましたが、並行して作家としても活動していて物づくりであればいくらでもできます。作家として作品のアイデアを考えるのは相変わらず苦労していて、寝ていてハッと思い付き、それを忘れないうちにスケッチして、みたいなこともあります。

 自分が創作する作品は、今の時代に通用するカッコいいものをと思いつつ、やっている技術はひたすら磨くことを繰り返す・・めちゃくちゃ伝統的なもの。面白い形の中に隠された技術的なところ、これはどうやって作ったのかということを聞いてもらえると嬉しいです。

 

-大学を卒業した後、一度社会人を経験されていますが、そこからなぜ修復に進んだのでしょうか?

 

 学部を卒業した時がコロナの大流行と重なり、大学院進学は難しいと感じ、一度社会人になってみようと考え、ギャラリーが付いた京都のホテルで働いていました。目の前で美術品が大量に売買されている一方、博物館では残すべき作品が朽ちていくという現実を目の当たりにしました。でもそれを担う人材がいない、そういう現実の中で働きながら作家を続けていましたが器用にできてしまい、自分のキャリアはこのまま兼業作家でいいのか?という迷いがありました。そんなとき「作品はいつか壊れる」という恩師の言葉から、100年後に自分の作品が残って使ってもらえるようにしたいと思うようになりました。そのためには、作家とは別の角度からも漆を極めておきたいと修復の道に進みました。

 

-ワークショップで金継ぎなど修理を教える・伝えるということと、作り手という立場は、各々どういう意識でのぞんでいますか?

 

 皆が関心を持つ金継ぎを教えることで、人が漆器などにも興味をもってくれるのであれば、喜んで出向いていきたいです。微力ながら100年後の世にも漆を残せるようにしたいと思っています。どんなにいいものでも見た目がカッコよくないと見てもらえないので作家としては作品としてカッコいい作品を作りたいですし、金継ぎをSNSで発信する際も、オシャレに写そうとかを意識しています。見せ方がまずはカッコよくなくっちゃと(笑)。

 

-これからどういう人間になりたいですか?

 

 将来は、「漆だったら間瀬」と言われたいです。研究もしたいし、作品も制作したいし、死ぬまで漆に関わっていたいです。それぞれの領域とのいい距離感を保つためにも、制作で悩んだら、研究で修復に学ぶというスタイルが個人的にはいいと思っています。

 

 間瀬さんは、藝大の研究室を受験する前、藝大生インタビューの記事をみつけ、内容を見ながら学生生活を想像していたそうです。今回インタビューに選ばれたことがとても嬉しく、記事が完成するのが楽しみとのこと、ご期待に応えることができたらと思います。

 

取材:染谷都、志垣里佳、菊地一成(アート・コミュニケータ「とびラー」)

執筆:菊地一成  

撮影:竹石楓 (美術学部日本画専攻3年)

 

 

「死ぬまで漆にかかわりたい」この言葉が一番印象的でした。一生かけて添い遂げるものがある、それはとても羨ましいことです。今後の間瀬さんの作品を追いかけていきたいです。( 菊地一成)

 

 

「将来は『漆だったら間瀬』と言われたい」。極めたいという職人気質に心うたれました。出身地、鎌倉の名椀に出会える強運の持ち主の未来がたのしみです。 (染谷都)

 

 

漆と螺鈿を観る目がこれから変わりそうです。先人のこれ見よがしの職人技に向き合う、二刀流ならぬ三刀流の間瀬さんの覚悟に敬服しました。(志垣里佳)

 

「ルーツと共鳴する、それは旅にも似たArt Journey」 藝大生インタビュー2024 | GAP/修士2年 Ye Feng(イェ ・フェン)さん

2025.01.16

 

  • 武蔵野の面影を残す雑木林が点在する、のどかな丘陵地帯。東京藝術大学(以下、藝大)取手校はその中に広大なキャンパスを構えています。
  • ほどなくして、校舎から続く丘の小道を勢いよく駆け下りてくる一人の方が…。それが今回インタビューするYe Feng(イェ・フェン)さんでした。
  • 「お待たせしました、早速スタジオをご案内しますね!」
  • お互いに軽い自己紹介をすませ、私たちはグローバルアートプラクティス(以下、GAP)内のFengさんのスタジオに向かいました。
  • (以下のインタビューは全て英語で行われ、取材したとびラー3人が翻訳・編集しました。)

 

  • 香港に生まれロンドンで育ったFengさんは、国際的・言語的に様々なバックボーンを持っています。
  • 「それが私の創作のルーツ、アートの源になっているんです」瞳をキラキラと輝かせながら語るFengさんは、パワフルそのものです。聞けばこのインタビューの翌日に Evaluation Show※を控え、制作も大詰め。
  • 「今日のタイミングで、皆さんに制作のプロセスをお見せすることができるのは、本当に嬉しいです。 まずはこの作品を見てください」
  • ※Evaluation Show=卒業のための最終審査。

  • 「インタビューのために、制作途中の作品を用意しておきました」 最初に案内されたのは、工場のような本格的な作業場。目の前には建築用の鉄筋を使った立体作品がありました。制作過程を聞けば、「太さの違うむき出しの鉄の棒を様々な長さにカットし、溶接や表面の加工を繰り返し、環(circle)の形に組み合わせています」とのこと。工具を併用しながらも、鉄筋を自らの手で細かく曲げていることに驚かされました。

 

 

  • ーこの場所で制作されているんですね
  • はい。組み合わせた鉄筋が、まるで浮かんでいるようにしなやかに輪を描いているでしょう、地面に置くと自立するけど、重い素材のはずなのに、指で押すだけでゆらゆら動く。硬さや柔らかさ、そして強弱。様々な対比を大事にして制作しています。

 

  • ーこの作品のコンセプトはなんですか?
  • 自分のルーツから、「言語」が中心となっています。
  • 小さい頃から、国際的な環境が当たり前で、言語を通して様々な文化や歴史を知ることも多く、甲骨文字を含め様々な言語のルーツを研究し、人類学や文学を深堀りしてきました。当たり前のように使っている言語ですが、そこには誤解やすれ違いも伴います。大人になるにつれて、小さい頃には感じなかった、コミュニケーションの難しさを知るようになりました。

 

  • 言語はたくさんの意味を抱えて存在しています。選びながら、構築しながら、私たちはそれぞれ自分自身の言葉を紡いでいます。
  • バラバラだった直線の金属が曲がり、つながり、環を描いていくことが「言語の伝達」への表現とつながっています。

 

  • ーつながって、揺らいだり自立したり、ですね
  • 私の作品にみられる流れるような金属の線は、抽象的な表現ではあるものの、言葉や文字のように、何かのシンボルとして存在しているとも捉えています。
  • 本来、機械を使って磨き上げたり、綺麗な環に繋げたりもできます。でも私はそうはしません。私たち人間も「完璧ではない」からです。

 


  • 形状や動きがユニークな立体作品ですが、近くで見るとさらに細かいこだわりが見つかります。時間を経てさびていく金属の材質を活かし、表面のテクスチャを様々な表情に仕立て、溶接のつなぎ目もゴツゴツとした個性のある関節のようです。個性がありユニークであるのが人間。そのありのままの姿が、作品を通して表現されています。Fengさんの「金属で描いている」という言葉がよく伝わります。
  • 「次に、Evaluation Showの部屋をご案内しますね。さっきの環(circle)がここでは様々に形を変えて空間を構成していますよ」

 

  • Evaluation Showの会場は、天井の高い四角い部屋。
  • その中に、金属の立体作品、油絵の平面作品、ライトで作り出された光と影、そして手作りのスピーカーから流れる音。たくさんの要素が集まった部屋全体が一つの作品であり、作品どうしが共鳴する空間が創られていました。

 

  • ーこの空間はどのように創られたのですか?
  • 最初から様々な表現を組み合わせようと決めていたわけではなく、自分の感性に従って創作を進めて、最終的にこのような空間ができあがりました。直感を信じて進めるのが私の創作スタイルなんです。

 

  • ー先ほどの作業場で見せてもらった金属の環の作品が、ここではさらに形を変えていますね
  • そうです。地面に置かれたものもあれば、小さく繋げて空気をまとうように空間に浮かせたものもあります。金属の環の一つ一つが、様々な文字をバラバラにして再構築するようなイメージなんです。作品自体のユニークさだけでなく、壁に映る光と影のバランスも見てくださいね!
  • 流れている音は、金属素材を扱う時の音を録音して作りました。壁の高い所にスピーカーを設置したので隣の壁から響きわたるような幻想的な聞こえ方になっているでしょう。

 

 

  • ー金属、絵画、音楽、光と影。立体作品と平面作品など、組み合わせが考えられた空間ですね
  • 絵画は、サイズが違うものを壁に並べて空間を創る飾り方を考えました。基本的には油絵具をキャンバスの上でそのまま混ぜて自由に描いています。実際の展示では触れないことも多いけど、触ったりもできるインタラクティブな展示が理想的ですね。この組み合わせた空間ごと身近に感じてもらえたら嬉しいです。金属の環は中をくぐれるくらいの大きさでしょう?私は自分の体と同じくらいの大きさの作品をつくることが好きです。

 

 


 

  • 「次に油絵を描いているアトリエの方へ移動しましょう」
  • 私たちはEvaluation Showの会場を後にし、日差しが降り注ぐアトリエに向かいました。照明を落とした部屋から、天井が高く明るいアトリエに来て、どこか異世界から現実世界に戻ってきたような感覚でした。

 

  • ーこのアトリエも素敵ですね。たくさんの油絵がありますが、これらも卒展作品ですか ちょっと散らかっているんですけど(笑)。今、ここにある油絵も、気に入ったものはさっきのインスタレーションに加えるかもしれません。

 

  • ーここであらためてFengさんご自身のルーツや、アートへの想いを伺えますか?
  • 私は香港に生まれ、ロンドンで育ちました。小さい頃は空想や考え事をすることが好きで、もちろん絵も描いていました。ロンドンにはミュージアムがたくさんあり、展覧会にもよく行っていましたが、本を読むことも好きで将来は医療や経済を学ぶのだろう…と思っていました。
  • でも高校生の時に気づいたんです。医療や経済は一つのことを掘り下げるイメージだけど、アートという分野は、そこを通じてもっと広い世界や深い歴史に触れることができるのでは?と。

 

  • ー高校卒業後、ロンドンで美術大学に通われたんですよね?
  • そうですね、高校時代、進路を決める時に当時の学校の先生に相談したら背中を押してくれて、大学への推薦状をいただけたんです。美大への入学が私の人生にとって大きな転機となり、さまざまな事を学びました。「アートジャーニー」とも呼べる流れが始まったんです。

 

  • ーGAPでの生活、創作活動はいかがですか
  • ロンドンのアートスクールを卒業した後、いったんは就職しましたが、日本の藝大のGAPコースの事を知り、入学することができました。素晴らしい先生や仲間たちに囲まれ、本当に充実した2年間を過ごしました。アートジャーニーがここに繋がっている感じですね。
  • 自分にはマルチカルチャーで複数言語のバックグラウンドがありますが、成長するにつれ、それは私のユニークな個性であることを自覚するようになりました。カルチャーや言語についてさらなる思索を深めて、GAPでの作品制作にもその意味合いを込めるようになりました。
  • アーティストは自身の言葉・信条を表現し、どんな場所にいても、アートの事を考えることができます。私にとっては自然なプロセスで、あらゆることが繋がっています。それが私の人生そのものなんです。
  • 私が今回選んだ金属・絵画・音響など、素材とも言えるものは昔から取り組んでいました。GAPに来てから他のさまざまな素材でも試してみましたが、金属や絵画は、以前より私にフィットしているように感じています。これらは私にとって大事な、変えることのできない血液型のような感覚なのです。

 

  • ーアートジャーニーは続く、ですね。卒業後のこれからについてお聞きできますか
  • そうですね、GAP卒業後も私のアートジャーニーは続いて、実験的な創作を繰り返したり今後の表現の種となるものを探していくでしょう。
  • 日本には引き続き滞在しますよ。ずっと学校中心の生活をしていたので、キャンパスの外の世界も経験したいです。
  • 私を表現するアートの創作も続けていきたいです。将来、どのような表現を展開していくのか未知な部分も多いですが、自分自身の変化や未来の姿に期待しています!

 

  • ー藝大の卒展は、どのような展示をお考えですか
  • そうですね、Evaluation Showと違う会場なので調整はしますが、自分の表現を届けられるように最終的な準備をすすめています。自身のコンセプトとアイデンティティがあってはじめて、自分の作品になると思っています。
  • だけど見てもらう人たちにとっては、まずは興味を持ってくれれば良いと思っています。複雑なことも哲学的な意味も必要ではないし、何も気にせず自由に楽しんで!と言いたいです。

 

  • ーインタビューを終えて
  • Fengさんの印象的な言葉があります。 「ひとは皆、ある意味『一つの言葉』=自分だけの言葉を話しているんだと思います。それが英語、中国語、フランス語、どの言葉を話していても、それは自分から発信された、自分らしい表現をもった、『自分だけの言葉』なのだと思います」
  • 一つ一つ独立したように見えるモノやコトも、どこかで循環したり、次の何かに繋がったり。 Fengさんがテーマとしている環(circle)と表現したものが、日本でも古くから言われている「縁(ゆかり)」にも似た感じを受けました。
  • 今日のインタビューでできた接点はどんな環になり、次はどこに繋がるのか。同時に、何気なく紡ぐ言葉の大切さや自分らしさを、改めて感じさせられたインタビューでもありました。

 

  • 帰りのバス停に向かう時、私たちが見えなくなるくらいまで、身体をいっぱい使って手を振りジャンプしながら「またね!」と見送ってくれました。
  • 熱意あるアーティストであると同時に、とてもキュートでフレンドリーな一面も持ち合わせたFengさん。 この環(circle)を大切にして、藝大の卒展でまた会えるのを楽しみにしています。

 

  • 取材/翻訳/執筆 前田 浩一 劉 鳴子 星 久美子(アートコミュニケータ「とびラー」)
  • 写真/校正 樋口 八葉(美術学部芸術学科2年)

 


 

 

  • 私は、自分の作品に込めた想いをキラキラした瞳で熱く語り続けるFengさんに魅了されていました。 彼女は、その時々の直感を信じそれを作品に込めて表現できる人、加えてその作品についての思いをしっかりした言葉にできる素敵なひとでした。(前田 浩一)
  •  

                           

 

  • 自分自身や作品と向き合い続け、アートへの情熱を伝えてくれたFengさんは本当にカッコよかったです。 その上で、オーディエンスには自由に楽しく見てもらいたい、と笑顔で言い切る姿がとても印象的でした。今後の作品も楽しみです!(劉 鳴子)

         

  • 彼女の信じられないくらいのパッションから、あの作品が生み出されたと思うと、こちらまで元気になってきます。 アートだけではなく、人としての魅力や情熱をたくさん受け取っ た一日でした。彼女のアートジャーニーがこれからどのような道をたどるのか、楽しみです。(星 久美子)
  •                            

 

藝大生インタビュー2023

2024.01.28

本日から2月2日まで開催されている、第72回東京藝術大学卒業・修了作品展(https://diploma-works.geidai.ac.jp/2023/)に向けて、
制作中の学生たちに、とびラーがインタビューしました。
藝大に入るまでのこと、学生生活、制作中の作品に込めた思い・・・
藝大生が語る真摯な思いを、ぜひご覧ください!

「作品の価値なんて、あってないようなもの・・・それがおもしろい」藝大生インタビュー2023 | 絵画科油画専攻 学部4年・北村瞬さん

2024.01.27

クリスマスも間近の12月22日、上野公園を抜けて東京藝術大学美術学部の正門で待ち合わせたとびラー4名は、どんな作品に出会えるかという期待を胸に絵画科油画専攻4年生の北村瞬さんを尋ねました。笑顔で迎えてくれた北村さんの制作室には・・・あれ?絵画がありません。あったのは雑然と置かれた材木と工具。不安から始まったインタビューは興味深い内容に満ちていました。

 

 

 

最初に、美術との出会い・きっかけをお話しいただけますか?

 

僕の母は美術に興味があり、美術系の大学に行きたかったそうです。僕が保育園で工作物を作ったらいつも褒めてくれました。その後もずっと美術に興味があって、母が「画家を目指すなら藝大というところがあるよ」と教えてくれて、「じゃ、そこに行くんだろうな」と思い、自然とその流れで藝大に入りました。最も好きな科目はずっと図工・美術でしたし、部活も小学校、中学校とも美術部でした。高校は美術科がある高校(東京都立総合芸術高等学校)です。文化祭では装飾班に入って、学校の門やロータリーを装飾しました。小学校から高校まで美術の先生に恵まれていたので、それも良いきっかけだったと思います。

美術館にもよく行きました。母は美術館が好きな人だったので、よく一緒に行って、本物に触れることができました。母が西洋画や宗教画が好きだったので、比較的古い絵を見ることが多かったと思います。母に連れられて、ただただ日課のように絵を見ていましたね(笑)。母も美術館で楽しそうに見ていたので、それでいいかなと。

 

 

今は卒展に向けて、油画に取り組まれているのですよね?

 

油画は家で描いています。学校は夜8時までしか制作ができないので、学校では木工をやって、家に帰ってから深夜まで描いています。今学校で制作しているのは額に近いイメージの作品で、現在は屋根の部分を作っているところです。この中に描いた絵が入ります。

 

 

屋根にパイプを付けて、そこから絵を吊り下げます。もともと額に興味があって、絵の中身は何でもいいかなと。いろいろな美術館に行って僕が思ったのは、一般の人たちはキャプションをずっと見て、メインの絵はあんまり見ないで終わってしまうのではないか、ということです。どこで作品の価値を判断しているかというと、周りの額やキャプションとかライティングとか、どういう美術館に飾られているのかなどの周りの情報がその人にとっての作品の評価に大きく影響しているのではないかと思いました。そこから、どちらかというと外枠に興味が沸いて、こういう形で作品を作ろうと思い至りました。中に入る絵はモデルさんを頼んで、結構写実的に描いています。それは学内展では皆に見せるのですが、東京都美術館で行われる卒展では絵を麻布で覆って、隠して展示します。

 

せっかく描いた油画作品を隠してしまう意図は何でしょう?

 

絵を描いている時はすごく楽しいのですが、人に見せるとか、いつまでに仕上げるとなると、どうしても人が見やすい様に描いてしまいます。そうすると、展示した瞬間に、自分と自分の描いた作品の間に距離ができてしまうと感じて、それはどうしても嫌だなと。今回、自分が満足できるまで描いた作品を自分の中で完結したいと思ったので、卒展では油画は見えない状態で展示します。絵の中身の評価や価値は作者である自分で決められるので、人に見られてどうこうというのは自分には要らないなと思っていて、だからもう隠してしまおうと思いました。

 

 

では、絵を入れる額は作品として評価してほしいということですか?

 

僕は見せたいものとやりたいことが乖離していて、やりたいことは絵、見せたいものは・・・うーん。実はこの額も実験に近くて。この額や周りのものを来館者が見たときに中身をどうやって評価するのかという、そのちぐはぐさが面白い。今回すごい時間をかけて作った豪華な額を見て、僕の作品を見た人が中身をどうやって判断するかということが知りたくて、こういう作品になりました。学内展では先生達に見ていただいて評価を受けるのですが、そのときには絵が見えています。でも、自分的には絵の内容の評価も大切ですが、先生たちには仕掛けの方を見てもらいたいなと思っています。

 

この額は不思議な形をしていますね。

 

先生達ともいろいろ話しました。僕はこれを額のつもりで作っていたのですが、ある教授には「これは祭壇だね」と言っていただきました。僕は祭壇のつもりはなかったのですが、ただ用途的には仏壇の様に大事なものが中に入っていて、閉じていて、でも人はそれを「中身が重要」ということを理解して、中身が見えない状態でも価値を判断している。例えば、クリスマスツリーの、中身が空のプレゼントボックスのオーナメントがすごく好きで、あれは中身が空なのが分かっているけれど、きれいにプレゼントボックスが包まれている状態にすごく価値を見出されています。今回の作品もそれに近いなとは思っています。チグハグとか、勝手な想像とか。そういう状態が面白い。

 

 

この額自体はどのようなコンセプトや想いで作られて、どのような特徴があるのでしょうか?

 

そもそも家具が好きというところがあって、僕のイメージとしては、額ではあるけれど、服を吊すハンガーラックみたいなものです。また、僕は道具が結構好きです。道具は何かのプロセスで使うもので、目立つことはあまりないのですが、すごく必然的な形をしているし、道具のための道具もあります。この作品の飾り足を作るために、自分で旋盤を作りました。買おうと思えば買えるのですが、仕組みを見たら案外簡単に作れるなと。あと丸鋸やトリマーを使って、テーブルソー(丸鋸盤)を作って、自分で木材を切りました。その後、釘とかネジを使わずに、木組みで制作しています。家具が作られるプロセスは見えず、みんな気づかずに普通に使っている、その感じも好きです。話を戻せば、(作品においても)額とかキャプションとか、場所などから、多分皆さんが無意識のうちにその情報を汲んで「素晴らしい作品が飾られている」と意識すると思うのですが、家具もそういう感じではないでしょうか。いろいろ用途があって、飾りも付けられているし、そういうモールド(装飾)が家具には全て入っていると思います。人は知らず知らずのうちに、そこに「かわいい」などの価値を見いだし、そのような感覚で使っていると思うのですが、そのプロセスが見えないところが僕は好きです。

 

 

では、想像で価値が生まれていることを分かってほしいということですか?

 

そうではありません。僕はこれを作っているのですが、誰かに何かを伝えたいということは全くありません。「大きい家具が展示されている」くらいで、スッと素通りしてもらってよくて、僕がその違和感を楽しんでいるだけです。作品を見てくれる方には失礼かもしれませんが、僕が脇から見て悪戯しているような感じといったらよいでしょうか。僕は作品の価値なんて、あってないようなものだと思っていて、(中身はどうあれ)美術館で飾られているからこれはいいものだよねということは往々にしてある。それがもし、どこかのギャラリーに置かれていたり、ゴミ捨て場に置かれていたりしたら、美術館で見た時と同じように価値を見いだすのかといったら、全然ちがうと思う。作家が誰なのかも重要、だから価値なんてものは当てにならないなと思います。誰もが価値があるものと錯覚していることも面白いと思っているし、それを意図的にどう作っていけるかに自分の関心があるのかなと思っています。

 

大学卒業後はどうされますか?

 

藝大油画の版画の大学院に行こうと思い、大学院試験の準備をしています。今も、版画コースを選択しています。版画コースでは色々な古典技法を学ぶことができます。リトグラフとかシルクとか木版とか。僕は素材にも興味があり、素材に詳しい先生方が多くいらっしゃるのも選択した理由のひとつです。木材や金属、布、石。全て版画の中で使われる素材です。シルクだったら版を作るのに布を使うし、リトグラフは石においたインクを紙に転写する技法ですし、木版があったり銅版があったりとか。版画の先生の中には、教授とは別にテクニカルインストラクターの方が4人いて、技法ごとに詳しい知識をお持ちです。素材の扱い方を聞いたらポンポン返ってきますし、道具をすごく使う方達なので、お話をするのが楽しいです。キャンバスはどうやって織られるのか、膠はどうやって動物から取るのかなど、そういう会話も楽しくて、大学院では版画に行こうと思いました。

 

 

大学受験の時のお話を聞かせてください。

 

受験準備のためにはやはり予備校に行かなければと考え、一浪目は夏から冬まで予備校に通いました。二浪目は宅浪して、三浪目もまた夏から冬まで半期通って、お金は最小限で済ませました。
浪人の時に死ぬまでにやっておきたいことをリストアップしました。浪人中は時間が沢山あるので、アルバイトをして貯めたお金を作ってそれらをやっていこうと思いました。怖くて嫌悪感のあるゴキブリに触ってみるとか、屠殺場を見学してみるとか。屠殺場は結構偏見があって、そこには誹謗中傷のメールや手紙が届くそうです。でも普段みんな肉は食べているし、何がそんなに怖いのかと思いました。いろいろなことに時間を費やすことができたので、浪人したことに後悔はないし、それがあったので今があるかなと思います。大学に入ってからもそのようなことへの興味の流れで献体解剖の現場を見学させていただきました。実際に内臓を触ってみたり、脳みそを持ってみたりしました。恐怖感がありますが、実際に自分で触ってみて、なんてことなかったなという印象を受けました。

 

 

気分転換はどんなことをされるのですか?

 

僕は自然が好きで、たまに夜中の終電で高尾山に行って、考えごとをしながら登って下りて始発で帰ります。歩くことが好きなので、山手線の数駅分を歩いたりします。この前も新宿から日暮里まで歩きました。新宿中央公園の芝生も好きで、そこでたまに読書をします。家の中に籠もっていると気分も沈んでくるし、何もしなかった日の夕方はすごく怖い。一浪目の頃、バイトもせず、予備校も通わず、ずっと家にいました。その時は本当に鬱に近かったです。本当に何もしなかった日の夕方などは、今日も何もできなかったという罪悪感がたまらなく嫌で。それからは、ほとんど毎日外に出るようにしています。

 

卒展に来る人は私達アート・コミュニケータや美術が好きな人、藝大を受けたいという人など、さまざまです。その人たちにメッセージをお願いします。

 

来場される方に特に伝えたいことはありません。むしろそれを横で見ていたいという感じです。
藝大を受ける人、制作する人全般には遠出やドライブなどの「足の趣味」を持つことをおすすめします。絵だけ描いていたら絵が描けるわけじゃなく、絵を描いていない期間に得られた情報や体験がすごく制作に反映されるんじゃないかな。

 

 

インタビューを終えて

 

最初、当惑の中にいた私たちも、北村さんが語るユニークな考え方やこれまでの人生でのさまざまな体験の話が進むとともに、その内容にすっかり引き込まれていました。何が虚構で何が本質なのか、そんなことを改めて考えさせてくれる時間を北村さんと共有できたことに感謝したいと思います。

 

北村さんの絵画作品は、卒展では隠されていて見ることができません。北村さんの作品の一部をInstagramでご覧になって、隠されている作品を想像してください!

https://www.instagram.com/a_shun.18/

 

取材:添田安沙子、飯田倫子、塚越史香、岡浩一郎

執筆:岡浩一郎


 

これまで完成した作品しか見てこなかったので、「いままさに作っている」現場とその作品が出来上がるまでのプロセス、思考の流れに触れることができて、非常に良い経験でした。卒展で展示される作品を自分がどう見て、どう思うのか楽しみです。貴重なお時間ありがとうございました。(添田安沙子)

 

素材や道具といった具体的な「作る」ことと、キャプションや額装で与える「情報」。どちらに対してもとても真っ直ぐに向き合っている北村さんの考え方や制作者としての姿勢が新鮮で、とても楽しいインタビューでした。完成作品を見るのが楽しみです。 (飯田倫子)

 

作品を見ていると、無意識のうちに意味を見出だしたり、作者の意図を考えたりすることがあります。北村さんのお話を伺って、私も自然とそういう見方をしていたなとハッとさせられました。興味を持ったことはなんでもやってみる姿勢が印象的でした。完成した作品を見るのが楽しみです。(塚越史香)

 

これまで音楽関係のインタビューは何回か経験しましたが、美術関係のインタビューは初めてでした。再現芸術の担い手としての演奏家と常に創造を求められるアーティストの発想の違いを感じた刺激的な楽しい時間でした。 (岡浩一郎)

 

 

 

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