2015.01.09
「こちらへどうぞ!」
研究室を訪ねた私たちは、桝永さんが制作をしている部屋へ案内された。
ダンボールや画材などが所狭しと置かれているなか、ドーンと彼女の模型が存在していた。
大きい。これを一人で作ったのか。
「あー、緊張しますね。来週最終審査なんですよ。持ち時間は8分なので。」
桝永さんは、セミロングのサラサラヘアをゆらしながら、笑顔で制作テーマについて語ってくれた。
「今年の夏、ラダックというインド北部、ヒマラヤ山脈近くの僧院や民家にホームステイしながらに2ヶ月間調査を行ってきました。」
そう言って取り出して見せてくれたのは、100枚以上もあるスケッチ。現地で毎日スケッチをしていたそうで、よく見ると彩色された部分が何やらキラキラ光って見える。
「ラダックは様々な鉱物のあるところで、そそり立つ青ざめた峰々が鋸歯状になっているところや、黄褐色でとてもキラキラしたところなど、果てしない道を行くと様々な風景に出会います。色付けしただけではその場所の雰囲気が出ないので、大地の砂や石灰を混ぜてスケッチをしました。」
桝永さんのスケッチは、優しい色使いで、何か懐かしい空気を感じる。よく見ると、地面の色は同じ色ではない。なるほど、それだけ鉱物の色をみることができる場所なのだ。更に、大量のスケッチには全てコメントがつけられている。
「大学4年の時に友人とラダックに行ったのです。ラダックはチベット仏教が浸透しており、僧院が沢山残るところなのですが、そこで私は大地と空に触れながらそれぞれの場を巡るような僧院建築に感動しました。全てを露にしてしまうかのような圧倒的な大地の中で、僧院から一歩も出ずに一生を過ごす人たちがいる。そういう人たちにとって建築は単なる機能性以上に、ある世界観や人生観を反映したものであるかのように感じられました。例えば僧侶が暮らす場所は、大地を背に、谷間から吹き寄せる風を受け入れる簡素さがあすのですが、西に沈む太陽を眺めながら眠る時間の流れが大切にされています。また建物の外壁は石灰を塗られており、補修する際に石灰が撒かれることで建物が大地と同化していきます。私はこうした大地と人、建築の物語のある場所に身を置きたいと思っていました。そこでこの夏、修士制作で再度ラダックを訪れ、実測等を通して大地と建築の関係やそこでの暮らしを分析しながら、砂や建物の外壁として使われる石灰を混ぜてスケッチをすることで光や音、風など様々な現状が立ち現れる素敵な空間を記述してきました。」
どうやら、桝永さんと「大地」とは切っても切れない仲らしい。僧院生活はどのように設計に活かされたのだろうか。
「僧院で調査をしているうちに遊牧民の友達ができました。話を聞いているうちに彼の実家があるチャンタン高原の標高4500mを越える遊牧地帯には病院がないために年々遊牧民の数が減っていることや、『プガ谷』という温泉が湧き出ている地域は、莫大な地熱エネルギーを蓄えた土地であることから世界的に注目されているのですが、今後の開発のされ方によっては遊牧民の生活を脅かしてしまう恐れがあることがわかってきました。そこで実際に友人の実家や、プガの遊牧民のテントにホームステイさせてもらいながらインタビューしていくと、プガは様々な地域で遊牧する遊牧民が動物に栄養を採らせに来るいわば遊牧民の共有地になっていることや、遊牧民の他にも伝統医のアムチに連れられて病の治療のため、温泉に来る人が沢山いるのに温泉に浸かれず、滞在する場所もないため困っていることがわかってきました。また、外国人旅行者も観光場所の中継地点にあるのに、この場所で滞在に困っていました。そこで私は僧院や民家での体験をもとに、遊牧民と暮らしたプガの地で、様々な人が訪れ、交流する保養地を設計しようと思いました。」
なるほど、これは4500mの高地に遊牧民や療養する人、外国人や地域の人々が集う暮らしと憩いの場を創りたいという模型だったのだ。遊牧民の暮らしとはどんな様子なのだろう。
「山羊は150頭以上、ヤクも飼っています。山羊はチーズやバター、食料となるとともに毛はパシュミナへ、ヤクはテントをつくる材料となり、荷物を運ぶ手段にもなります。ラダックでは11月から翌4月までは冬の時期になり、寒さが厳しいため最近では遊牧民をやめる家族も増えています。この模型のような場所があれば、遊牧民にとっては病気になったときにすぐに療養できますし、地熱エネルギーを利用して電気や暖房が使用できるようになります。」
山に挟まれた土地に、遊牧民のコミュニティができたらどんなに落ち着けるだろう。
集落の中央にある可愛い家が桝永さんの家なのだそうだ。
「模型の手前が北側で、奥が南側になります。最初に建設する私の家が、治療に来る人と、遊牧民の中間にあるのは、住民とコミュニケーションを取りながら長期の視点を持ってプランニングしたいからなんです。そこで全体計画においては、トップダウンの近代的な都市計画の手法でもなく、ボトムアップであるバナキュラーな自然発生でもない手法を探るため、フェーズによって段階的な発展をみる計画を行いました。例えば現在、温泉が湧き出ているあたりでは治療に訪れる人がテントを張り、温泉の熱源近くで身体を拭いたり、温泉水を汲んでいますが、そこでより快適に過ごせるよう風よけの壁をつくり、それが次第にニーズに合わせて階高を増して建物化していくという計画です。この作り方はラダックが建築をつくる際に用いられている方法を参考にしています。今、求められているものが多いからこそ、最低限必要とされる状態から段階的に地域にある素材を使って作っていくことで様々な人が関わることになりますし、現実的なのではないかなと。」
「建物の壁は、日干し煉瓦に石灰を塗って固めて造ります。屋根は木の梁を通してワラを乗せ、泥や細い木を混ぜて固めた上に石灰を塗ります。寒さも厳しいですし、あまり大きすぎる窓はとれません。日干し煉瓦は環境にも優しくて、省エネですから、地元にある材料でまかなえます。また、壁の厚みを出すことで断熱効果もあるのです。普通の家でも30cmはありますし、僧院では60cmもありました。この厚みは格段に違います。」
ラダックの人々のこれまでの生活や建築の作り方を大きく変えるということではなく、遊牧民や療養に来る人を少しでも快適にできたらという思いもあるようだ。
それにしても、桝永さんはなぜ「大地」にこだわるのだろう。彼女の言う「大地」とは単なる地面ではなく、自然からの贈り物の「大地」のようだ。
「小さい頃、家の裏手に空き地がありまして、そこで遊ぶのが好きだったのです。小さな虫のうごめきや、空き地の隅っこにちいさな花が咲いていたり、そんな光景が大好きだったのに、ある日突然冷たいコンクリートに変わってしまいました。とてもショックを受けました。私は大地と接するのが好きなんです。」
どんな小さな虫でも、精一杯生きている。その必死で生きるパワーは尊いもの。ラダックでも桝永さんは、どこまでも続く果てしない大地を渡る動物や遊牧民の姿に感動していたのかもしれない。
「プガの大地で建築を考えた時に、大きな、ただカッコイイ建築をつくるのではなくて、体験に基づいた現実味のある設計をしたいと思いました。そしてラダックでは新たに公共建築を作られたことがないため、初の公共建築をこれまで培われてきた方法で提案することが重要だと思いました。プガは停戦ラインにも近く、現状も共有地として使われていることから、この計画においても公共建築、さらに言えば公共地域となるように想定しています。そこで、例えば最もその象徴である温泉の建物においては、一応、現在ラダックにおいて公共的な役割を果たすものと言える僧院の、さらに象徴でもある曼荼羅壁画の描かれた空間の体験をもとに、お湯に浸かったときの浮遊感、そしてその成分が身体に浸透していく感覚になるような空間にしました。素材や構法はラダックの方法を用いながら、大地で採取した色を設計に取り入れるなど、そこでの空間体験は新しいものにしています。」
「この案は私の調査をもとに現状で考えられるあくまで一案で、実際にはその時々で部分に対応しながら全体を修正していくことが必要だと思いますが、まずはこの案をもって現地で提案できたらいいなと思います。もともと私は地元に入り込んでいく性格なんです。」
だから、桝永さんの家は中央にあって、いつでも相談しに行けるようになっているのだ。
地域に自分を溶け込ませて、そしてコミュニティを作っていく。実際の模型製作に取り掛かるまでにも数段階の変更があり、スタディを重ねてきたという。スチロールの製作は12月からというから驚いた。これが桝永さんのスタイル。それにしても、大きな模型だ。
「発泡スチロールの塊を購入して、部屋のなかでガリガリ削っていたら部屋中たいへんなことになってしまいました。(笑)でも、この山の質感や地面の様子は、ラダックに滞在した私にしかわかりませんから、全部自分で削って着彩しました。」
遠いラダックの大地の公共建築の構想を、自分の家を造るかのように楽しそうに語ってくれた桝永さん。
卒業後は?と尋ねてみると、海外で仕事がしたいという。ラダックでの滞在期間中、一度もお腹をこわさなかったという彼女なら、どこへ行っても大丈夫なはず。
桝永さんの誠実で、根気強く一人ひとりに向き合っていこうとする姿勢に圧倒された。彼女の話を聞いているうちにどんどん引き込まれ、まるで自分がラダックの住人になるかのようにワクワクしていた。インタビューする側なのに、質問したかったことは陳腐なものに思えた。
桝永さんがラダックで描いたキラキラスケッチ群と、パワーあふれる修了設計を是非ご覧いただきたい。
(2014.12.16)
記事:秋本圭美
インタビュー:秋本圭美・永井てるみ
(卒業・修了作品展での展示場所は、芸大・陳列館2階の予定です。)
2015.01.08
冬の曇天を切り裂くような、けたたましいチェンソーや金槌の連続音…をBGMに金工棟での取材は始まった。
まずは、修士2年の阪上万里英さん。
案内された作業場は大きな機械や、重たそうな素材が所狭しとひしめく、工場さながらの熱気に包まれている。阪上さんと、金属との出会いは高校で入った金属工芸科でのこと。「最初はイヤイヤ始めたけど、やっているうちに金属という素材がしっくりきたんです。」
主に、彫金などで小さな作品を作ることから始まった、阪上さんの金属との歩みは、4年生の卒業制作で一つの転機を迎える。
その時の卒業作品は2m四方の真っ白な四角い台をベースにした箱庭のような作品で、「限られた空間、切り取られた空間の存在を見せたい」という想いがあったという。数々の受賞をしたものの、自分の中では美術館の沢山の作品に囲まれての展示、置かれる場所によって作品は受ける印象が変わるんだな、ということを経験した阪上さん。
今回の修了制作では「どういう場所に展示したいか?」というところからイメージを膨らませて、グランドでのスケールの大きな作品展示に行きついた。
「作品そのものだけではなく、地面や空の色を映しこんで周りの景色と一体化して見えたらいいな。」と話す阪上さんの作品に対する想いとは――
「作品に対して〝こう思ってほしい“というのはなくって、ただ見た後に、『ヘンなの』とかでもいいし、何かよくわからないけど観る前と後で『“何か”が違ってるな、自分』って思ってもらえたら…
地面があって、その上に空があって…そしてこの作品が“そこ”にあることで、ふだん意識しない“ここ”にも空間がある、と気づいてもらえたらいいんです。」
作品名「結びつきをとりもどす」は、高さ3.5mx幅約10mと、制作はもちろんのこと、設置も女性一人の手に余る大仕事だ。「どんどんムキムキになります(笑)」と、阪上さん。
風にたなびくリボンのような鋼材が、幾重にも重なり、巻きつき、はためく。
支柱は表面のコーティングを剥がし錆液をつけ、3ヵ月程屋外に放置し茶色いざらっとした質感を出している。白銀に磨き上げたリボンとの質感の対比で、鉄のもつ素材そのものの特性の両端を魅せる。
中央にぶら下げる石はイメージ通りの質感のものが近郊では見つからず、沼津まで拾いに行かれたそう。
「自分の今いるこの空間と親密になれる、これまでの時間との結びつきをもう一度見つめ直す、そういうきっかけにこの作品がなればいいなと思います。」
今回、大きな作品ということで「ダイナミックにしなきゃ」とか、「(模型より)リボンの本数増やさなきゃ同じ見えかたにならない」とかその大きさゆえの苦労も多く、つい先日も「普段、大切にしている繊細な部分が作品を大きくすることで薄れてしまってないか?そもそも全部が違うのでは!?という思いにとらわれたばかり…」という阪上さん。外での展示という原点に立ち返り、「どうやったら外でやる意味があるのか?」と自問を重ねる。
毎回、作品を作り終えると、思うところがあると悔しさを滲ませる。
その満たされなさが次の作品への原動力へと繋がっていくのであろう。
鍛金の魅力を尋ねると「形も大きさも融通が利きやすい。他の金属加工は型を別の素材で取ったりするけど、鍛金は試作の段階から一貫して金属から離れずに試行錯誤してやれるところです。」という答えが。彼女の手によって息吹を与えられた鉄が、グランドに降り立つ日を楽しみにしている。
常に見る人の目線に寄り添って作品を作り続ける阪上さん。作品を人に見せることを今後も続けたいという。
彼女がこの作品の完成の先に、感じた〝何か“を昇華させ、ぎゅっと凝縮させた時、また新たな展開があるような気がしてワクワクしてならない。
お二人目は、4年生の佐藤周祐さん。
「世の中のものはほとんどのものって鉄で出来てるんですよ。」「鉄が扱えれば、何でもできんじゃないか。ほとんどのことができるということだと思ってます。」と、ソフトな外見から想像できない、鉄への熱い想いが溢れる佐藤さん。
作品は、「勝利のための偶像」――自分の中にある憧れ“強い存在”を形にしていったもの。
卓上に並べられた甲冑が作品かと思いきや、それを着用させる人形にも同様に思い入れがある。
佐藤さんのお祖母さまの恩人だったという実在の人物がモデルだ。写真等はなく、お祖母さまから聞いた彼女の逸話の数々をもとに自分の中の“強い存在”とリンクさせ、顔立ちや目の色など具体的に作りこんでいる。
3年生時から何となくコンセプトは決まっていたという佐藤さんは、4月から製作をスタートさせ、蝋細工の頭部のみで3カ月を要した。それもそのはず、眉毛は1本1本、これまた自分で作った専用の道具で植込み、目も眼球を1から作り虹彩も一筆一筆塗り重ねる、といった徹底した理想への追求が各所に行われているからだ。
「ピカピカすぎると形が見えづらいんです」と甲冑の仕上げ磨きにもベストを尽くす。
「親父が工場をやっていて、小さい頃から遊びの感覚で鉄と触れていた。」と話す佐藤さん。お父さんとお揃いだという上着に、縫い付けたお手製のネームプレートが光る。
進学の際は、テキスタイルの道に進むことも考えたが、商業的なデザインのあり方に疑問を持ち、「もっといろんな可能性を模索できるのでは?」というので、慣れ親しんだ金属の道へ。
数ある科の中で鍛金科を選んだ理由をお聞きすると、「鍛金は一番丈夫な部分を扱える。素材で一番強いのが鋳鉄で、炭素含有量が低い。その次が鋼。これを扱えるんです。粘りもあって硬いという鉄の相反する特性を生かせるんです。」と明解が返ってきた。
宗教や思想といった枠にとらわれない発想の自由度の高さも、その昔武器をつくることから始まったのだと鍛金のルーツも教えて下さった。
オフの時は、You Tubeで鍛造の動画をぼーっと見るという佐藤さん。このまま制作中心の人生を歩まれるのかと思いきや、将来は意外にも「社会に貢献したい、起業しようと思ってます。」とのこと。
具体的にはまだきまってはいないそうですが、「鉄を制する者は、世界を制する」精神で進んでゆく、佐藤さんのこれから向かう先も気になるところだ。
物事の表面だけでなく、骨格から生い立ちまで調べて理解してから取り入れる、佐藤さんの真摯な姿勢と、「周りからの期待に押しつぶされそうな時期があって、自分の理想に近づくためには…って」とふと見せる繊細な部分は、扱っている鉄そのもののようなイメージを受けた。
佐藤さんは甲冑マニアでも、自分の理想の女性像を求めているわけでもなく、己が己に勝つ=克己の精神を今回の卒業制作で形にすることで、これまでの自分の歩みにも何か区切りをつけられるのかもしれない。
「まだ台の部分が気に入らない。」と話していた佐藤さん。卒展の際に、全てが組み上がったコンプリート状態の彼の“勝利”を観るのが楽しみだ。きっと台の部分も、何らかの進化を遂げているに違いない。
鍛金科でのインタビューを終え、“鉄”という素材の可能性の奥深さを知ると共に、“鍛金”という技巧の枠の大きさも感じた。鍛金との出会いの時期も、作風も、制作の過程も、全く異なるお二人ではあるが、お二人から出ている“想い”は同じくらい、熱いものである。
“鉄”=硬い、冷たい、という安易なイメージしか抱いていなかったが、お二人の作品を通じて、“鉄”の持つ、体温のようなものを感じた。“鉄”に生命を吹き込む、鍛金。卒業・修了作品展での再会が待ち遠しい。
(2014.12.11)
執筆:新西美樹(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2015.01.05
12月初旬、良く晴れた穏やかな午後に、総合工房棟の一階にある鋳金専攻のアトリエに伺いました。金属を扱うための特別な設備が並び、いつもどこかで、叩いたり削ったり熱したり磨いたりする音が鳴り響いています。何かが“作り出される”場であることが強く意識させられました。
インタビューに応じてくださったのは、工芸科鋳金専攻、学部4年生の加藤佑一さんです。作業服に安全靴、そして頭には手ぬぐい。学校に来たらだいたいこの格好に着替えるとのことです。
[卒展の作品について]
卒業制作「私たちは互いに溶け合う」を、3つのパーツを縦に組み立てる前の段階で見学させていただきました。
手前のパーツから、上、中、下の順に組み立てるそうです。ブロンズ(銅の合金)で作られていて、中は空洞になっています。重さは組み立てると200kgを超すそうです。高さは約2m50㎝ほど、“自分が見上げるぐらい”の高さを意識したとのことです。
— 作品のテーマはなんですか?
“大学で勉強するにあたって、工芸とは何だろうという疑問に行きつきました。工芸という言葉は英訳でクラフトという言葉に置き換えられますが、僕の中でクラフトとは人が使うものや実用性があるものという要素が強くあると思っています。そうではなく純粋芸術としての作品を作っている自分の領域は工芸でなく彫刻なのか、と悩んだ事もありました。なので、本作では区分を分けることなく他ジャンルから様々な要素を集めた作品を作ることで、工芸におけるクラフト要素とアート要素の融合点を見いだす、これがテーマです。”
— なるほど、建築の柱のようにも見えますね。
“建築の柱のイメージはありますが、これは何も支えていない。そうしたときに、どういう物質に見えるのかを考えています。(柱であればあえて注目しない)装飾性とかが見えてくるのが自分の考えに合っているように思います。”
— どこに展示するのですか?
“卒展では東京都美術館に展示します。そのあとは、野外や天井の低いところで支柱のように置くことで、場所によってみせる表情の違いを見てみたいです。”
鋳金がどのような工程で行われるのか、道具や材料を見せていただきました。
まず、石膏で原型を作るところから始まります。その際、パイプを軸に外形の型に沿わせ、回転させながら石膏を盛りつける事で回転体がつくられる“鳥目箱”という技法を用いたそうです。
“この鳥目箱という技法は、日本の鋳金における伝統技術です。鋳金専攻に入って初めての制作がこの鳥目箱を使って作った花器でした。なので、卒業制作がこのような形で生まれたのも鋳金での一連の制作があったからだと思っています。”
鳥目箱を利用して作った石膏の回転体は彫り込みや粘土を貼付けるなどの加飾を施した後、シリコンゴムで型取りし、ゴムの外型を作ります。さらにこのゴム型からロウを使って原型を作ります。ロウの原型を耐火石膏に埋め込み、窯にて焼成することでロウが消失し、金属を流すための鋳型ができるというわけです。このロウの消失を用いた型作りを、イタリア方式の“石膏埋没技法”というそうです。
そして焼成された石膏の鋳型は、高温に溶けた金属の湯圧で壊れるのを防ぐために土の中に埋められた状態で金属が流し込まれます。一定時間冷ました後、石膏を取り除く事でようやく金属になった姿に出会えるというわけです。
更に金属の変形の修正や部分的な研磨、着色を行うそうです。
— この作品について、事前にスケッチや模型を作ってイメージを膨らませるようなことはされたのですか?
“6月に実寸のエスキースを描きました。それまでにスケッチを描いていたのですが、自分の思い描くスケールを体感するには一番の方法でした。小さいサイズではわからないバランスの関係も多々あり、何度も図面の修正は行いました。同じ理由で今回は模型を作りませんでした。”
— この作品の見どころを教えてください。
“これほどのスケールのものを作るのは初めてで、なかなか客観的な目で見られない気がします。ただ、遠目で見たときに「何かが立ってる」と思うところから始まって、近づくと装飾性に注目するようになる。そういう風に頭の中のスイッチが切り替わる瞬間が何回かあるような作品にしています。また、工芸科ってこんなこともやるんだな、って思ってもらえたらいいなとも考えています。”
— この後に作ってみたい作品はありますか。
“本作のように縦に対しての意識が強い作品とは逆に、今度は細かい物質の集積で横に広がるようなものを考えています。他に2次元的でもっと装飾的なもの、そんなイメージがあります。”
[藝大で鋳金を学ぶということ]
— この4年間を振り返ってみてどう思いますか?
“工芸科鋳金専攻では、1年生の基礎実習を経て、2年生で工芸科の中の専攻を決めるために1作品、専攻を決めてから1作品、さらに3年生で4作品を制作してきました。これまではオブジェというか、わりと流動性がある形を作ってきたので、この作品のように無機質なものに帰ってくるとは思っていませんでした。”
“今年1年間は、鋳金に入ってからのことをよく思い返していました。(卒業制作に比べて)小さいものを作っていても工程は同じだったので、あの時やったことが今こうして活きてるんだなと思うことがたくさんあります。”
— どうして鋳金専攻を選んだのですか?
“実家が愛知県の瀬戸で陶芸をやっていまして、もともと粘土を触ることが好きでした。それで粘土で原型を作る行程は自分に向いていて、また鋳肌から研磨面までの金属の変化に魅力を感じました。藝大の鋳金専攻の設備は素晴らしく、何より新しい経験をしたいという気持ちで選びました。”
— この先、陶芸と鋳金と、どのように取り組みたいですか?
“どちらもできるようになりたいと思っています。互いの技術を身につけて、陶芸の要素と鋳物の要素とをうまく組み合わせられれば、考えています。”
— 技術を学ぶことの多い鋳金専攻ですが、自分の中でアルティザン(職人)とアーティスト(芸術家)とのどちらの要素が強いと思っていますか。
“以前は技術技法を学べればいいかなと思った事もありましたが、(卒業制作を通して)自分の表現を突き詰めていくと、アーティストに近いかなと思っています。そして、藝大は教育機関ではあるけれども、訓練校ではないとも思うようになりました。”
— アーティストを目指していく中での自分の強みは何だと思いますか。
“諦めないという意思だと思います。僕はここに来るまでに長い間浪人時代を過ごし、この経験は僕の忍耐を強くしてくれたと思っています。そして趣味としてただ作るだけでなく、自分の作品がいかに社会との結びつきをとれるかを考えるため、自分だけの世界に閉じこまらず、他分野で活動されている方との交流や何気ない日常から受ける刺激を大事にしています。そして、ここまで支えてくれた家族や友人に対して、作品を通して感謝を伝えるためにも最後まで自分の意志を貫きたいですね。この気持ちを生涯忘れないで制作していきたいです。”
工芸科の受験は直接工芸にかかわる勉強でないため、基礎力の集積ばかりで焦った時期もあったそうです。それでもあきらめずに、藝大を受験し続けた意地が今、強みとなっています。
(2014.12.9)
執筆:プジョー恵美里(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2014.12.25
「これは一体…何?」
中垣さんのアトリエに一歩足を踏み入れてまず、「えっ!?」という驚きに襲われました。これはご本人曰く、「待ってました」のリアクションだそうです(笑)
壁一面のドローイングと部屋の中央にそびえる天井すれすれのダンボール製の建築物。『油画の卒業制作=油絵』を想像していた人間には、目の前の事実(作品)を理解するのに少し時間を要しました。
後でお伺いしたところによると、油画の卒業制作は油彩というカテゴリーに縛られることなく非常にバラエティに富んでいるそうです。
アトリエの中央にそびえるダンボール製の建築物。これがまさに中垣さんの卒業制作『 生体建築(せいたいけんちく)』
「建物のように見えますが、生きているんです。生命のエネルギーが建物に宿り、自らが成長するんです。そこのところを表現したいと思いました。制作は今年の6月頃から始め、9月の芸祭で展示しました。最初は卒業制作として出品するつもりではなかったですね。2ヶ月ぐらいで作り終わるかな、と思っていたので。でも始めたらどんどんイメージが湧いてきて。まだいける、まだいける、といった感じでここまできました。今もまだここまでできたら終わりという完成のイメージはないです。ただ頭の中に湧いてくるものを描いて、形にしているだけです。」
まさに、作品は未だ成長中。
そして作品を取り囲むように壁一面に貼られたドローイングについては、
「脚立がないと貼れないので」と話すように、床に置かれたままになったドローイングの束が。それらを合わせると既に125枚が描き上がっている。アトリエの壁全面に貼ると150枚貼れる計算とのこと。そしてその125枚は同じものが二つとないというこだわりぶり!
このドローイングとダンボール製の建築物の関係について尋ねると・・・・
「必ずしもドローイングがこのダンボール製の建物の何処かの部分とピッタリと一致するということではないのです。描いていくうちに描ききれない部分をダンボールで作り、作ってはまた自分の中から湧いてくるイメージを描いてという繰り返しです。」
材料にダンボールを選んだ訳は・・・・
「ドローイングの軽さを表現できるかなと思ってダンボールを選びました。ダンボールで正解だったと思います」子供の頃から馴染みがあるというダンボール、ボンドそしてガムテープ。私たちもよく知っている身近にある材料、資材で制作されていました。
そのダンボールにも中垣さんのこだわりが・・・・
「人が使っていたもの、今回はダンボールですが、そういったものには使っていた人の記憶が宿ると思うんです。それを使って制作するとその人の頭の中や心の中を覗いてるような不思議な気分になります。それも楽しいですね」(えっ!? これからはダンボールを捨てる時には注意したいものですね。中垣さんに頭の中を覗かれてしまうかも!?(笑) )
「音楽学部に使用済みのダンボールを捨てるプレハブ小屋があって、それを知った時はものすごく嬉しくなりました(笑) 実は、芸大の廃材置き場にあるダンボールは珍しい形が多くて、テンションが上がります!」
素材としてのダンボールに非常に強い愛着が感じられた瞬間でした。
子供の頃について・・・・
この作品を制作するにあたって影響を受けた人やモノはありますか?という問いには、「特にはないです。ガウディは好きですけど。この作品を作るために何処かに出かけて行ったとかそうゆうこともないですね」
「もしかして育った環境が影響しているかもしれません。」と話してくれた中垣さんのご実家は、造園業を営んでおり、お母様が設計士というご家族。「子供の頃の遊びにあった秘密基地が作れるような資材が家に沢山ありました。木と木に渡す板があったり、変な形の道具が置いてありました」「それから、妹尾河童さんの『河童が覗いた~』というシリーズの本があって、その本には世界中のトイレのスケッチが載っていました。子供の頃夢中になって何度も何度も読みました。沢山トイレのスケッチがあるけど一つとして同じものがないのです! もしかしてその妹尾河童さんの本の影響はあるかもしれないです。それから、子供の頃ロボットなんかで遊ぶ時も、僕は “場所” を重視していたように思います。布団やクッションで山なんかを作って”場所” を作ることに」その全てが今の中垣さんに繋がっているようですね。
宮崎の大学で造園業を学んでいた3年生の終わり頃、絵が上手になりたいというただ純粋な気持ちで美術系の予備校に通い始めたそうです。
予備校時代に通学の車内で描いたポストカード大のドローイングを見せてくださいました。その数はおよそ100枚! ボールペン1本で描かれたそれらの絵は、ファンタジーの世界に「現実」を象徴のようなサラリーマンがたった一人存在するシリーズでした。
芸大に入ってから感じたことは・・・・・
子供の頃から絵が好きで、絵が上手になりたくて入学した芸大。そこで念願の絵に没頭できる環境を手に入れた中垣さんは芸大での4年間をこのようにお話してくださいました。
「面白い人たちが多いなと思います。同じ志で入ってきているので結束感のようなものもありますし、同志のような感じですね。これまで絵が好きだ、制作が好きだという人が周りにいなかったので、今のこの環境がとても嬉しいです」
卒業後については?
「大学院への進学を希望しています。その先はまだ分かりません。その時の直感で決めたいと思います。でも手(描く事)はとめたくないです。これまでと同様自分の子供の頃の記憶、原風景を追求して行くことになると思います。」
これから先もずっと[作り手]として存在し続ける事への力強い言葉を聞くことができました。
こんな風に次から次へと描きたいもののイメージが湧いて出てくるその頭の中を、是非覗かせてほしいと思いました。
「僕の絵や作品を見て何か感じてくれたら、それでいいと思っています。僕も子供の頃そういう経験があって今があるので」その言葉通り、中垣さんの作品にはまず「あっ!」と驚かされて、でも決して威圧的ではないその力強さに慣れてくると、どこか懐かしいと感じるものがありました。もしかして私たちの中にある子供の頃の記憶が呼び起こされたのかも?
卒展では、中垣さんの更に「成長した」作品にお会いできるのが今からとても楽しみです。
(2014.12.5)
執筆:河村由理、鈴木俊一郎(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2014.12.18
11月13日、小春日和の気持ちのよい午後、藝大絵画棟日本画のアトリエを訪問しました。提出日まで一ヶ月を切り、卒業制作も終盤に入ったお忙しい中、時間を作ってくださったのは、日本画専攻4年生の中根航輔さん、林宏樹さん、塚崎安奈さんのお三方です。
藝大日本画の卒業制作作品は、150号という大きなサイズ(日本サイズの風景画の場合は縦227.30 ㎝×横162.10 ㎝)に決まっているそうで、作品が床に置かれたアトリエでは、多くの学生さんが乗り台に乗った姿勢で制作に取り組んでいました。
3つのアトリエを巡り、それぞれの作品の前でお話を伺いました。
— 卒業制作はどんな作品ですか?
「誕生から死までの時間を含んだものと、生命エネルギーみたいなものの表現を試みています。1年生の時から、このようなテーマをもっていましたが、それは東北の震災と身近な人の死(祖母の死)が考えるきっかけになりました。」
「9月中旬頃に漠然とこのような絵を描きたいと思うようになり、10月に入って取材(動物の骨について科学博物館などを訪問)、11月から描き始めました。色はモノトーンに仕上げますが、下地(白)を部分的に削るなどして、重ね塗りをしている下地の下方の色(赤、黒、グレーなど)が、意図的にまたは偶然に見えるようにするつもりです。」
「日本画の絵具に興味があり日本画を選びました。4年間の集大成としての表現に加え、日本画の画材を自分なりに扱った答えとしての表現が作品になればと思っています。」
— 卒業後の進路は?
「大学院への進学を希望しています。その間にロンドンへ語学留学し、その後機会があれば、向こうでも美術の勉強をしたい。立体なども含め様々な分野のことを学び、自分の表現の幅を広げたい。」
— 藝大に入ってよかったことはどんなことですか?
「作家として活動したいという意識を持っている人が多く、そのような仲間たちの中に身を置くことで、自分も意識を高めていけたことです。」
下地にモチーフを転写した段階の作品を前に、いろいろお話を伺いました。丁寧に説明してくださったので、完成像を少し想像してみましたが……。中根さんの完成作品はどのような姿で現れるのでしょうか。楽しみです。
— 卒業制作はどんな作品ですか?
「テーマは裂け目です。日頃から傍観される世界と分断される自己との関係性を意識します。身体の延長上としての世界は、対象化されることで連続性を失い離散的に分節されていく。世界との不連続性や断裂を広大な裂け目の風景に投影しています。モチーフには実際に訪問したアイスランドの風景を用いました。果てしなく続く荒涼とした世界において、自分の存在が薄れていくような世界との繫がりを感じる神秘的な場所でした。絵画空間のなかで再体験するように対象と世界を媒介する意識で描いています。」
「作品は制作途中ですが、距離感というテーマから色彩効果だけでなく物質的な重層構造も意識しています。」
「自分とモチーフの関係性は、自己と対象との距離が知る行為によって離れていくことをベースにして考えると、素描行為もその要素を孕んでいることに気付きます。しかし経験的に素描は連続性を保ったまま写し取っている感覚もある。今後の方向性として、素描を突き詰めることで連続性を獲得するのか、あるいはむしろ連続性を思想的なメタフィジカルな概念に求めるのかは分からない。見た方が絵と連続性を感じてくれるような作品になればいいと思います。」
— 卒業後の進路は?
「現段階では未定ですが、進学先として大学院では保存修復の道を考えています。」
「日本画に入学して伝統的なことよりも、表現効果を模索することが多かったため、4年間経とうとしたときに日本画の伝統的な技法や材料論を多くは知らないことに不安が生じました。もう少し日本画を研究したいし、より専門性を高める方向で考えています。」
— 藝大に入ってよかったことはどんなことですか?
「やはり人と人とのつながりが大きい、互いの価値観や意見を受けとめる関係があります。また、芸大に在籍していることで繋がる新しいコミュニティがあります。旅先で、自身が芸術を専攻していることがきっかけとなって語らいの輪が広がる経験もしました。そのことで興味があらゆる分野に派生し、見えてくる世界が変化しながら広がり続けています。」
塚崎安奈さん
— 卒業制作はどんな作品ですか?
「今まで日本画の手法で描きたいものがなかったけれど、祖母の家の犬が死んだときに真面目に日本画を描きたいと思いました。画材も今は日本画のものしか使っていません。」
「画面全体に花を敷き詰め、淡い色を塗った上から白を塗って見えないくらいにするつもりです。火葬(花葬?)をテーマにしています。愛犬が旅立ってから少し時間が経った今はただ綺麗に描いてあげたいと。そう思ってこの作品に向き合っています。」
デザインやイラストが好きで、「日本画は苦手だという意識をずっと持っていた」という塚崎さんですが、卒展の直前の作品から作風が大きく変わったそうです。
— 卒業後の進路は?
「テレビ局に入局し、映像デザインの仕事に携わっていきます。就職後も個人的に絵は描き続ける予定です。」
「飽きっぽいから」とご自身を表現していましたが、あくまでも自分らしい表現を求める強い意志が伝わってきました。
— 藝大に入ってよかったことはどんなことですか?
「考える時間がたくさん与えられたことがよかったです。絵が好きなので、絵に時間をかけられたこともよかった。藝大の学生はいろいろなことを深く考えていると思います。他科の友人との交流も刺激的で、人とつき合うことが楽しかったです。」
あえて下絵を描かず一瞬一瞬を刻み込むように画布に向き合う塚崎さん。作品完成の瞬間は、どのような形で訪れるのでしょうか。
日本画専攻は1学年25名という少数精鋭。最後に3人に尋ねました。

— 学友はライバルですか?
「お互いの言ったことを聞いて解釈し合える。」
「お互いの価値観を知り、自身の幅が広がる。」
「人と比べてではなく、自分はどうかを大切にしている。」
「皆意識が高い。」
お互いがお互いを認め合いながら自らの芸術性を追究していく、高い意識に裏付けられた学びと創作の場における関係性を垣間見た思いがしました。
完成した作品と「卒業・修了作品展」で対面できる日を心待ちにしています。
長時間にわたり、興味深いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
(2014.11.13)
執筆|窪田光江・鈴木俊一郎・永井てるみ(アート・コミュニケータ「とびラー」)
2014.11.30
「物を見るときの光が重要なので、窓はすべて北向き。直射日光が差さないようになっているんです」
アトリエに着くなりすこし高めの元気な声で説明してくれた。インタビューに訪れた天井が高いアトリエは、4人で使っているそうだ。

卒展に向け製作中の作品が台の上にある。いやでも目立つ。実物の人体よりかなり大きめの全裸の男性が、しゃがみ込むように体を丸めている像なのだ。
「作り始めたのは、心棒に粘土をつけ始めたのが6月末くらい」
というその像は、立ち上がったら、身長が3メートルくらいにはなりそうな大きさである。像の前方が高く斜めになった台座に乗っているため、背中が強調されている。

「後ろが正面なんです」というのもうなずける。だが、普通の後ろ姿ではない。特徴的なのが、その姿が歪んでいること。
背中側の正面あたりから見ると普通の像に見えるのだが、少し横に移動してみると何やら違和感を感じる。そのまま、像の周りを移動していくと、その像は体の前後方向に薄く作られているのだとわかる。簡単に言うと、前後から押しつぶしたような縮尺の人体像なのだ。
実は、背面の、ある一点から見たときだけ、ほぼ正しい縮尺の人物になるように作られているのだという。

「正面像だけが見えることがテーマなんです。現在は正面像は画像検索などですぐに見ることができる世の中じゃないですか。側面はあやふやというか。見る人に、ゆがんだ側面から正面を捜してもらう、空間を捜してもらう。あらかじめ正面がはっきりしている平面作品でなく、あえて彫刻作品で正面を捜してもらう。見る人にそんな行為をしてもらいたい。立体物としては弱い、よくわからない物、あやふやな立体物をテーマに作っています。正面しかないわけではない彫刻で、あえて正面を作り、捜してもらうんです。しかも、バッチリなものを作ると、そこで見る人の思考が止まってしまうから、あえて正確でない、人間としてのブレが出てくるように。完璧な正面を持っているわけでも、360度説得力があるわけでもないという……」
なかなか難しいけど、なんとなくわかる気もする。正面に背面を選んだのは
「ステレオタイプの正面ではなく、正面に対する原理主義へのアンチテーゼ」でもあるのだという。
どうも額賀さんは反骨精神が旺盛のようである。
タイトルは現在のところ《unclear》。「不明瞭な」という意味だが、文字通り、まだタイトルがこれに決定しているわけでもないらしい。
作品は大きいが、製作に当たって頼んだモデルさんは、「小柄な人」という注文で来てくれた人なのだそうだ。
「私が小柄なので、モデルさんも小柄でないと、体が見にくいんです」という。
額賀さんの作品は最終的にはテラコッタ(素焼き)の作品になる。今はその原型を作っていることになる。この原型から型を作り、型に粘土を詰めて像にして、最後にその像を焼いて完成する。
アトリエにはすでに完成している他の作品もあった。前述の作品とは逆に、実物よりかなり小さめだと思われる、西洋人らしき男女の肩から上の像。特に、頭の禿げた男性の像は、どことなくユーモラスでもあり、魅力的だ。リアルに思える像だが、これはモデルを使わずに、写真から立体像に起こしたのだそうだ。

こちらもタイトルは《unclear》。
「こちらから見ると、やっぱり歪んで見えるんです」
たしかに見る位置によって、こちらの作品も歪んでいる。サイズが小さくて、全体を見渡せるだけに、近くで見ても歪みが大きく感じられる。
「表情は、あまり語りかけてこないように考えています。オマケと言ったらなんですが、見て見苦しくない程度で、ニュートラルな表情にしています」
このような作風になってきたきっかけは、イタリアの彫刻家ドナテロの作品を見たことだそうだ。
「以前は普通の人体を作っていたんですが、イタリアに旅行に行ったとき、ドナテロのレリーフを見て、正面以外から見たらちゃんと像を結ばなくて、正面の説得力というか、魅力が面白いなと思って、私も私なりにレリーフと彫刻を結ぶ仕事ができたら面白いなと思いました」
歪んだ像を作る以前の作品もあった。こちらは、ふっくらとしている全裸の若い女性の座像で、おだやかな表情と、やさしいピンク色の肌が印象的だ。

「このころ、女の子として生きていくには世間からの要求が多いなと思って。やせていなきゃいけないとか、毛はしっかりそらなきゃいけないとか。そういうのが嫌だなと思って。太っていても美しい人というのをテーマに製作しました。ま、わかるかと思いますけど、作るときの原動力がムカついたことや、嫌だなと思ったこと、マイナスなことなんです(笑)。自分自身が、安直に物を見たり、表現したりすることはまずいな、もう一度よく考えよう、ということでもあるんですけど」
そう言っているが、あまり怒りとかを感じさせないほど、やさしい感じの作品だ。それを言うと
「怒っている人が怒っていてもあまり、聞いてもらえないので。動機は怒りですけど、それがテーマではないので。一応、神様をテーマに作ってみたのでこれでいいかなと」
この作品ももちろんテラコッタだ。
「テラコッタって、弱くて重い不便な素材なので、彫刻の学生もあまり使わないんですよ。でも、焼き上がった色がきれいなので、それを見せてもいいかなと思って選びました」
この作品も重さが70 キロくらいあるという。「古事記」に出てくる、口から食べ物を吐き出す神様、保食神(うけもちのかみ)にかけて《うけ》というタイトルだそうだ。とても魅力的な作品だが、今後この作品がどうなるのか尋ねたところ
「展覧会に出す機会があればいいんですけど、今のところないので、実家の“タンスのこやし”というか“駐車場のこやし”というか(笑)。そうですね、彫刻は引き取り手がつかないと……小さいものだと欲しいと言ってくれる人もいるんですが」
という答えが返って来た。
額賀さんによれば、テラコッタの魅力は、水や視線がしみ込んでいくマットな質感だという。また、中が空洞なところが人間に共通する感じがするという。

「作り手のエゴかもしれませんが……」
原型は、型を取ったあと壊してしまうので、その時点では、この世から像の姿は消えてしまうことになる。型から抜いた像ができるとまるで再会したようで、それも面白いという。それが焼かれ、窯から出てくるので出会いを繰り返すようなのだそうである。
これからもこの空間が歪んだような像のスタイルの製作を続けていくのかと尋ねると
「そのつもりなんですが、これ《うけ》を作っていた頃も、このスタイルでずっと続けて行こうと思っていたんですよね(笑)。だからわからないんですけど」
歪んだ形を作るのは、今の時代の反映だと考えたら深読みし過ぎだろうかという質問には
「多少あるかもしれないですね。ただ素直に物を作っていくのが難しい時代で、言い方は悪いですけど、キャッチーにしないと人は見てくれないということがある。もちろん、意識しなくても、今の時代に物を作っているということは、そういう部分もあるかもしれません」
そんな話をしていたところに、偶然、額賀さんの先生である北郷悟教授がアトリエにいらしたので、額賀さんに関して伺ってみた。

「期待の星です。近頃の作品もいいと思いますよ。彫刻って、物と空間の仕事なので、昔は物だけを徹底的に作っていた時代があったんですよ。だけど、今の彫刻のあり方っていうのは、空間を作るために物を表現したり、内面を表現するために空間を使ったりといったことがあるので、空間を刻むっていうか、時間と空間を刻むっていうのが彫刻って考えに、たぶん変わってきていると思います。その方が、インスタレーションなんかも考えやすいですし、特にフィールドワーク的な仕事も、どこかに物があって人がここにいてっていう、関係性がすごくわかりやすいと思うんですね。時間と空間という意味ではね。そういった意味では彼女の仕事は微妙な心理空間を使って、向こう側の世界も感じ取れるようなことに挑戦していますから。しかも、テラコッタという呼吸感のある素材を使ってくれているのも嬉しいですね。テラコッタというのは水をかけるとしみ込むんですよ。本焼きの物は、釉薬をかけるからちょっと息が詰まるような感じになる。物に変わっちゃうんです。テラコッタは、物にならない領域を大事にするというのがあります。テラコッタは壊れやすいのですが、壊れやすいという痛々しさとかが、人の心と重なってくるところがあるので、壊れやすいってこともいいことなんですね、表現として。生活の中でも、壊れやすいもの、燃えやすいものは意外と残ったり、大事にされたりしますから。なんでもかんでも丈夫な物だけが残るというわけではないですね。でも、まぁ、彼女なりの考え方があるだろうから(笑)、そこを聞いてあげてください」
なんとも師弟愛を感じさせる、優しく温かい言葉だ。しかも、額賀さんを理解する上でもとても参考になるコメントだ。
しかも、真面目なコメントだけでなく「これを『進撃の巨人』みたいな大きさで作ってみてはどうかな」とか、「『見返りなんとか』みたいなタイトルにしたくなる」とか、「卒展ではどこに作品が置かれるかは大きいよね。『捜したけどなかった』とか言われるのは嫌だしね」などと言い残してアトリエを去っていった。なかなか頼りになりそうで楽しい先生だ。
最後に、額賀さんに藝大を目指し、彫刻を選んだ理由を聞いてみた。
「もともと、お絵描きとかが好きな子供だったんですけど、高校生になって美大に行こうと思うようになって。もともとはデザインをやりたかったんですけど、高校1年のときに藝大の卒展を観に行ってびっくりしたんです。それまで彫刻って私にとってはどうでもいいカテゴリーで(笑)、興味がなかったんですけど、物を無理やりにでも実在させられるってところに衝撃を覚えて。ブロンズ像とか、仏像とかってすごい偉い人が作るものだと思っていたんですけど、自分とあまり歳も変わらないような学生が、自分の思い描いた形をこの世に厚みとして生み出しているというところに、感銘を受け、何を思ったか彫刻家を目指すようになりました。自分の思ったものを実在させることが魅力だと思います。絵画のように世界を作ることはできないけど、自分の作ったものを世界に放り投げることはできると思っていて、自分の手で全部決定することができるので、彫刻の中でも塑像を選んでやっています」

次々と新しいことを発見して、それに向かっていくところや、怒りをエネルギーにしつつも、そのままを表現にするのではないところに前向きな印象を持った。
広い背中を持った男性像は、世界に投げ出されるまで、もうしばらく時間が必要なようである。それまで、巨大な後ろ向きの男性を相手にした額賀さんの前向きな格闘も続く。
* * *
製作中の粘土を保管するためには水分が必要だが、水をしみ込ませた布を巻いて3 カ月ほど放っておいたところ、粘土にカビとキノコが生えて森のようになっていたことがあるそうだ(そんな所にも上野の森があったとは……)。こういったこともあるので、製作中は常に像のめんどうを見ながら過ごさなければならず、その分、像に対する愛着も湧くらしい。まだ、完成までには7割くらいの段階だというが、手塩をかけて育てた《unclear》が、額賀さんとの何度かの再会を経て、最終的にどんな姿を表すのか。卒展を見る楽しみが、またひとつ増えた。
執筆:小野寺伸二/アート・コミュニケータ(愛称・とびラー)
2014.08.25
上野公園の木洩れ日が眩しい2014年夏の午後、東京都美術館2階のプロジェクトルームのスクリーンに高橋氏の映像作品が写し出されました。画面から流れこぼれる音が高橋氏の声と重なり、一対となりながら過去、現在の作品を解読。素敵な上演会となりました。映像の余韻に浸りつつ2015年卒業修了作品展に臨む高橋氏の今をお話しいただきました。
“高橋育也と申します。僕は藝大先端芸術表現科に所属し、主に映像作品を制作しています。時系列順に僕の作品をお見せします。”
5分間ほどの映像がスクリーンに映される。学部2年次作成のアニメーション作品。無音の中、音を消したノミで金属を叩くような音が規則正しく小さく鳴る、その中をピアノの音が不規則に聞こえてくる。
“音楽はここでは、意味がありません。意味のない音の並び、音符の中をト音記号が冒険していきます。楽譜の右下のこれは反復記号セーニョ。終わりという意味の記号を、物憂げな様子の女の子に捉え、左上にいるト音記号が右下にいる反復記号に花を届けに行くというロマンチックなストーリーです。手書きの一枚の画像をPCの中で動かして作りました。アニメーションの手法の練習もかねて2週間で制作。他の記号も関係させ、動きと音が連動するミュージカル風なもの等に発展させて将来早い時期にどこかで発表したい作品です。”
続いて学部3年次作成のアニメーション作品がスクリーンに映される。アメリカのテレビアニメ「ザ・シンプソンズ」を彷彿とさせる画像。男性が部屋のなかをうろつき、英語の独り言が響く5分間ほどの作品。
“これは単純に絵を楽しむアニメーションです。アメリカのプロダクションとの共同作品です。脚本とコンセプトはアメリカのプロダクション、僕が作画・ビジュアル担当し1か月以上時間をかけてデータをやり取りしながらの合作です。脚本が固まっていない状態で参考画像から絵を起こし、向こうが編集。相手の要求に対応するこの形が、僕はモチベーションが上がりやすい。他の人と共に作り上げる。このやり方が自分には合っています。“
高橋氏にコミュニケーション能力の高さと日本人の職人気質を感じた。
最近の制作、活動についても語ってくれた。
“一昨日、数人のグラフィックデザイナーに同行し、会津の伝統工芸品、和蝋燭に絵を描く工場等で2時間半の映像を撮ってきました。その時の実写映像を少し見てください。”
和蝋燭の絵師へのインタビューの映像がスクリーンに映される。
“これはまだ編集をしていない素材段階の映像です。実際に工場に足を運び、蝋燭に絵を描く職人さんの姿を撮影しています。このシーンは、職人さんの手のアップや、解けた蝋の中に蝋燭を入れて微妙な加減で仕上げるその瞬間を捉えています。
和蝋燭は芯が太く灯の勢いが大きい。溶けた蝋が外に垂れない、描かれた絵が侵食しない、優れた工芸品です。会津の和蝋燭は花が描かれるのが伝統で、江戸時代は雅な贈り物として裕福な階層の人が愛用し、会津藩の武士の奥方が内職として作っていたそうです。行程(和ろうそくでは塗り、削り、仕上げなど)、風土、歴史、用途などを海外の人にも判りやすく、2分間ずつの画像に纏めます。”
“これが卒業制作のラフです。まだ整理されていない画像ですが。”
3分間ほどカラフルな映像がスクリーンに映される。色鉛筆の跡とマットな色感、木炭のこすった跡が動きとなって鑑賞者の目に飛び込んでくる。
聞こえてくるのはくるくる回る金属音と男の波長の合わない息の音、それがリズムカルに画像を進める。
“一枚一枚描いて大学生活最後に手書きのアニメーションを作ります。ストーリーは男が自転車漕いで飛んで行くというもの。今はまだまだ途中段階です。このあと男が自転車を漕いで空を超えて大気圏を突き抜けて宇宙空間にいきます。宇宙空間でも男は自転車を漕ぐ。彗星群が魚の群れのようにきて男は網を広げて彗星群を捕まえて地球に帰ります。老人が海でカジキマグロと4日間死闘し、港に戻ってくる。そんなヘミングウェイ作「老人と海」のように、シンプルな構造だけど骨太な作品を目指しています。
追い込みの時期が追っていますが、1人で描き1人で音を拾いすべてを1人で行います。
これから1人で作品を作ることはほとんどないと思うので、卒業のタイミングで全て1人で制作することは大事な事だと思っています。
今回はクロッキーのぐじゃぐじゃの線、ぐじゃぐじゃの色、生感、不揃いなテクスチャーを、色抜きもしながら生きた線として出していきたいと思っています。ストーリーに仕掛けも必要だと思っていて、更にブラッシュアップして卒業作品に仕上げていきます。”
藝大先端芸術表現科に進学したきっかけは?
“映像をやりたい、それは先端芸術表現科しかないと思い進学しました。”
授業で色々学ぶうちに映像をやりたいという気持ちはぶれなかった?
“一年生の時、気持ちがぶれて苦しみました。
大学で教えらえるのは現代アートが多かったので今まで自分の持っていた価値観が揺らいだ気持ちになりました。自分の作品を現代アートの見方で見たときに、それでいいのか悩みましたし。それで2年の夏まで一年間作品を作れなくなった時期もあります。その苦しみから抜け出したのが最初に見てもらった音符の作品。復帰第一号の苦しみ抜いた作品でした。“
音譜の発想はどこから?
“締切がどんどん迫ってきて最初に作っていた作品があったのですが、それは気に入らず諦めました。
在る時、楽譜を見る機会があってその時に一番右下の記号が女の子に見えた。そこからストーリーを広げて一番最初のト音記号を男にしちゃえと思ったのです。ここでふわっとストーリーが湧いて時間に追われながもなんとか提出しました。この作品はそれなりに評価されました。これで良かった、僕の方向性が間違っていなかったと納得した作品です。“
これから・・・
“卒業後はミュージックビデオ、短いCM制作をやりたい。
また、映像チームを作ることが理想です。カメラマン、脚本などそれぞれの専門家が集まり、僕が映像アートデレクターで、独立したチームで色々な仕事をしたい。“
独立ですか?早いですね。
“頼れる母体があると色々な意味で安心ですが、最初からチームで独立して苦労したい。僕の理想です。”
好きなアーテイストは?
“絵画はルドン、パステル画の花が好きです。印象派の特にモネも。東誠というフラワーアーティストも好きです。
映像作家のヒーローはスパイク・ジョーンズ。僕が映像を志すきっかけになった人です。スパイク・ジョーンズのミュージックビデオや“I’m Here”という短編映画を見て衝撃を受けたのを覚えています。最近では映画“HER”人工頭脳に恋をしてしまった近未来のラブストリーがありますが、この映画でアカデミー脚本賞を取っています。“
穏やかな人柄の高橋氏のルーツは?
“母親が自宅でピアノ教室をやっていて、家で常にピアノが鳴っている状態で育ちました。とてもポジィティブな家庭なんです。
約1年間、プロジェクトアシスタントとして私達の活動のお手伝い、映像なども担当頂きましたが、とびらプロジェクトをどう感じていますか?
“魅力を感じています。この場所で自分の幅が広がりました。”
こちらこそこの一年間、とびラーを支えて頂きありがとうございました。
(2014年7月20日)
<後記>
高橋氏の回りにはワークショップなどでよく子供たちが集まります。子供たちはそこにヴォールドディズニーと近い温かさを感知するからでしょうか。
高橋氏の卒業作品のアニメーションを、あの子供達にも幸福の気分を味わいたい人全てに見て頂きたい、そんな思いに駆られています。高橋氏のピュアな目がその黒縁のめがねの奥からきらきら覗きます。映像作家・高橋育也氏、卒展作品の主人公のごとく、宇宙にゆっくりと羽ばたく様子が目に浮かびます。
執筆:山木薫(アート・コミュニケータ「とびラー」)